一人を生きる -希望の彼方に-

セミリタイアした男が、激動の時代、一人をどう生きるかを問うブログです。節約、健康、恋愛、スピリチュアルなど多彩なテーマを扱います。

自分は、何が本当にしたいのか?セミリタイア・老後は、好きなことだけをしていたい。


 日本人の平均寿命

 日本人の平均寿命は、2020年時点での最新の数字を挙げると、

 

 男性:81.41歳

 女性:87.45歳

 

 となっています。

 

 もちろん、上記の平均寿命で算出された年齢まで、人生を謳歌できる保証をだれかが行ってくれるわけではないですから、ここで、健康寿命なるものの登場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人の健康寿命 

 日本人の健康寿命は、現時点(2020年)では、厚生労働省が2018年3月に発表した、2016年でのデータが最新の数字になり、

 

 男性:72.14歳

 女性:74.79歳

 

 となっていて、(平均寿命)-(健康寿命)=寝たきり、闘病期間、と考えていいでしょう。

 

 

社会のベルトコンベアーに乗せられて 

 30代はまだ、体が言うことを聞いてくれますし、みかけもそう大きな変化はないので、老化を自覚する人は少ないと思います。

 じわじわと体力が落ち、あちこちに身体の不調を感じるようになるのが、40歳を過ぎた頃でしょうか。あきらかに若くなくなった兆候の一つや二つは出てくるものです。

 

 それでも、なかなか、大義名分があると、第一線から離脱できなくて、ずるずると惰性に身を任せたまま、社会のベルトコンベアーに乗せられて、極楽浄土まで行く。これが、平均的な人間がたどる末路でしょう。

 

 もちろん、ここにいるわたしも、第一線からは退きましたが、社会のベルトコンベアーに乗っていることに変わりはありません。雇用関係を離脱したから自由だと言おうと思えば言えますが。

 

 

拘束があるからこそ、自由に憧れる 

 そもそも、学生時代や就業期間における「自由」とは、一般的に、学業や労働から解放されている、つまり、休みを意味することが多いのではないでしょうか。

 それが、いったん「自由」の身分になると、それまで束縛していたものがなくなり、それまで追い求めてきたはずの「自由」を一度は見失うことになります。

 拘束があるからこそ自由に憧れるわけであり、その拘束がなくなった以上、白紙に戻してから、再スタートを切るのが通常でしょう。

 

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自分は、何が本当にしたいのか

 わたしは、そのことを念頭に置いていたため、退職してからも、毎日がわくわくするだろうとの見通しは立てていませんでしたから、あせりは感じませんでした。

 

 年を取るにつれて、欲もなくなり、この世に執着するよりも、旅立ちの準備が気にかかるようになるものです。しかし、さりとて、いますぐに旅立ちたいとは思わないのが人情ですので、そこは、なにをしようかと、熟慮します。

 

 さいわい、時間はたっぷりあります。はて、自分は何が好きなのか。何かを要された反発で好きだと思い込んでいたものはないのか。ほんとうに好きなことがあるとして、はたしてそれを、一日中やっていて愉快だと感じるだろうか。

 

 

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「老後は、好きなことだけをしていたい」

  

 そもそも、高齢になってから、苦手なこと、きらいなものごとをやらされたら、あまりにも悲惨ではないですか。

 

 若い時分であれば、成長するための修行だとか称して、少しばかりは耐えられそうなものです。

 ですが、人生の黄昏時に到って、最後まで修行なんだぞと言われても、もう応対するだけの体力も気力も残されていないし、世間に認められたいという気持ちも失せて久しいのが通例ですし、だいたい、この世間の価値観そのものが多分におかしなものだと感じているので、これ以上風呂敷を広げる気も毛頭ないというのが本音です。

 

 

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わからない未来より、現在の直観をたよりにする 

 

参考までに、年金の状況をみてみますと、

 2025年には、年金の財源不足を補う目的で、大規模な年金改革が断行されるのでは、とのうわさが流れています。現在はそれぞれに別管理とされている「厚生年金」と「国民年金」の積み立て金を一つに統合するという案らしいのですが、いったいそれが、具体的にわたしたちが将来受け取る年金額にどう影響を与えるかは、未知数です。

 

 確定していない、どう頭をひねってみてもわかりっこない未来のことについては、ざっと概観を眺めておけば十分。こうなると、もう、わたしたちは、直観にたよるしかなくなります。

 

 【まとめ】

 老後に、好きに過ごさせてくれという心の声に耳を傾けて、好きなことを気のおもむくままにする、もっと細密に表現すれば、「する」よりも「ある」といったほうが正確かもしれない感覚があると、セミリタイアもわるくないなと思うでしょう。

 

 何かを「する」ためには意思の力が作用しなければならない。

 

 それに比べて、ただ「ある」だけでよい、ひとつの好ましいと思われる状態にとどまるだけで幸福を感じられる境地があるならば、そこに到達したいものだと思います。

 

 そのような幸福感は、はたして福祉施設などに入居して、得られるでしょうか。

 (入居も数年待ち、ということもざらにあります)

 

 孤独死のような形であっても、たとえそれが端からみて悲惨な末期に映ろうと、当の本人が満足できるなら、自宅で一人で死を迎えるまで好きに生きるのも、またひとつの幸福なのかもしれません。