一人を生きる -希望の彼方に-

セミリタイアした男が、激動の時代、一人をどう生きるかを問うブログです。節約、健康、恋愛、スピリチュアルなど多彩なテーマを扱います。

サザエさん症候群 - 日曜の夜は、心労が絶えない。そして月曜の朝は、心が重い。

 

 

 

 一週間で、いちばんのお気に入りは、やはり土曜日だ。

 子どもの頃、次の日が休みなのは、夏休みや冬休みを除けば、土曜日だけだったから。少しぐらいなら夜遅くまで起きていていいし、それは子どもにとっては未知の時間帯でした。翌朝も寝坊してもいいわけだし、拘束から解放される束の間の急速と言えました。

 

 現在では事情が少し変わって、土曜・日曜の休みが定着しているので、金曜日の夜のほうが好きだという世代も登場しているでしょう。

 

 

 

 

 

サザエさん症候群の出番が

 しかし、日曜日も、昼下がりを迎えると、なんとなく、そわそわしてきます。

 

 ひと言で言えば、「サザエさん症候群」ということばが流行した時期がありましたが、まさにそれです。

 

 その頃は、日曜日の夕方6時30分から、サザエさんというホームドラマのようなアニメがテレビで放送されていて、家族で食卓を囲み、なんとなくサザエさんを「眺め」ながら、夕食をとっていました。

 

 ですが、心ここにあらずで、アニメの内容や展開についてはほとんど上の空、翌日の学校や職場のことで、頭がいっぱい。憂鬱な気分に支配されている状態を指して、そのような言い方をします。

 

 

 

日曜の夜は、心労が絶えない

 

「朝寝坊しないか?」

「遅刻したらどうしよう」

「会議で上手く発言できないかもしれない」

 

・・・など、心労の種を数え上げれば、きりがありません。心労の絶えない日本列島の日曜の夜。

 

 それは、肩書きが局長であるか、部長であるか、新入りであるかには、関わりがありません。どの階位にいても、それぞれに責任が割り当てられていますので、そこは平等に、心的プレッシャーの荷重がのしかかります。これは現代社会の桎梏(しっこく)です。社会が変わるまで、解放されるのは難しいでしょう。

 

 

 もし、逃れる方法があるとするならば、それはただ一つ、セミリタイアするしかないのでしょう。しかし、一昼夜にそれを為すことはできません。だからこそ、悩ましいのです。

 

 

 

月曜の朝は、心が重い

 月曜の朝は、心が重い。 

 しかし、それとは正反対に、朝から、身体だけはベルトコンベアーに乗せられた製品のごとく、機械的に動いて、気が付くと、先週の週末までいた覚えのある席に、自分がいる。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とよくいうように、ここまで来てしまえば、あきらめて、動くしか、なくなる。動いているうちに、さいわいにも、月曜の朝の重苦しさからは解放されていた。また一週間が始まる・・・

 

 

 

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日曜日の夜が怖くなくなった

しかし、そんな経験を、いやというほどに積み重ねてきた人も、いつかは、昔話として回想する日が訪れます。いつまでも続く不幸など、この世に存在しません。

 あなたにも、平等に、いつかはわかりませんが、その日は必ずやってきます。ご安心ください。

 

 わたしも、かつては苦手だった日曜日の夜が、怖くなくなりました。では、百獣の王のごとき勇気で以て、それを克服したのか?いえ、そうではありません。雇用関係を脱したので、自由に曜日をデザインできるようになりました。え?たったそれだけ?そうなのです。サラリーマン時代をうまく切り抜ければ、サザエさん症候群は、知らないうちに克服できるものだったのです。

 

 

 

月曜日の朝は、どこへ行った?

  ついで、「月曜日の朝は、心が重い。」と言う感覚も、いつのまにか消失していたことに気づきました。

 疲弊するような雇用関係から切り離されるので、この日に絶対しなければならない、というのは、ゴミ出しぐらいになりました。

 

 会議のスピーチは万全か、出張の朝にJRに乗り遅れないか、期限までの書類が積み重なっている・・・年中、何かに追い回されているのが、日本のビジネスマンですよね?それがしびれる、たまらない、というのならいいのですが、たいていの人は、もっと子どもの時に夢見たような世界を生きたいはずです。

 


 

 

www.hitoriwoikiru.com

 

 

 

横並び → 上意下達 → 個別の道 

 学生時代は横並び意識、サラリーマン時代は上意下達の世界、そして、雇用から解放されたら個別の道と行く、ということです。

 どの体験もけっして無駄にはなりませんが、最後の部分(個別の道)は、自分の意思で選ぶしかないのです。

 

 

 もしも、だれかから、「もう辞めていいよ。」と言われるのをただ待っていたら、どうなるでしょう?

 

 

1.それが「リストラ」の場合

 

 →

 

 突然の宣告に、頭が真っ白になる。

 路頭に迷う。家族がいたら、家族も道連れにしてしまう。

 

 

 

2.さいわいにも「もう辞めていいよ。」と言われることなく勤め上げた場合

 

 → 

 

 たとえばの話、退職定年延長がこの先繰り返されて、「70歳」になったと仮定してみましょう。そこから、第二の人生を始める気力と体力が残っているか、にかかっています。

 

 別記事でみたように、厚生労働省が2018年3月に発表した健康寿命の統計値によると、

 

 日本人男性の健康寿命 = 72.14歳

 

でしたから、かなり夢のない数字といえそうです。なぜって、立派に勤め上げてわずか数年後には、健康を害してしまうおそれが大きいといえるからです。

 

 

 

 

 

 

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 不幸せ(ふしあわせ)の度合いを、より小さくする

 わたしはここで、セミリタイアを勧めているわけではありません。

 明らかに社会が変化し、誰の目にも終身雇用制度が崩壊したことがわかる時代にあって、ただ、「寄らば大樹の陰」で、組織に依存していては、けっして幸せは約束されないのだ、と考えているだけです。

 

 消極的な言い方をすれば、老後(または早期退職後)の不幸せ(ふしあわせ)の度合いを、より小さくするには、個人として、いつ何が起きてもいいように、「個別の道」に逃げ道を確保しておけるように、日頃から模索する姿勢をとっていたほうが安全だということです。

 

 

 

ヴィジョンさえ描ければ、必要な情報を引き寄せる

しかし、あまり難しく考える必要はありません。

 

 未来はこうありたい、というヴィジョンさえ描ければ、あとは無意識のうちに、その人に必要な情報を引き寄せることになっていきます。

 

 

 そうして、おのおのが、個別の人生行路をたどるようになります。

 

 

 まずは、あなたの心を澄まして、イメージすることが、大事になります。