昭和の象徴
人は、未来に希望が持てず、かりに希望を抱いたところで裏切られるのがオチであると脳が経験則から学ぶようになると、過去を回想するモードが自動的に働くといいます。
たしかに、著名人から一般人まで、幼少時代を回想する懐古趣味をもつ人はたくさんいらっしゃいます。
時代は令和。
過ぎ去りし昭和とは、何だったのでしょうか。昭和が象徴するものとは・・・
今回は、子どもならだれでも一度は憧れた、昭和が生み出した名物であるところの、特撮ヒーローについて、ご紹介します。
特撮ヒーロー興隆期の時代
いつの時代も、子どもたちにはヒーローが必要です。
わたしがまだ子どもの時、先生が「将来、大人になったら、何になりたいか?」というお題を出して、全員が発表するという機会がありました。
そのとき、わたしは、立ち上がって、みなの前に進み、「ウルトラマンになって、地球を救いたい。」と発表しました。まわりもみな子どもだったので、だれも嘲笑する者はいませんでした。わたしも、当時は本気でそう思っていて、発言したのだと思います。
そして、東京に行けば、いつかウルトラマンに会える、と信じていました。世界はいつか必ずよりよくなると信じて・・・
そんな子どもたちの憧れであった「ウルトラマン」シリーズは、シリーズものの特撮作品として、広く絶大な人気を誇っていました。現代と比べると、娯楽の数もごく限られていた時世でしたので、インパクトの強さは想像を絶するほどで、巨大化するヒーローの迫力は、そこでしか体験できないものでした。
今回は、そのなかから、特に印象の残る、たんなる懐かしみで終わることのない、時空を超えて輝く価値をもつ作品をご紹介していきます。
ウルトラQ
このシリーズに、英雄的な人物は登場しません。ウルトラマンと聞くと、すぐに巨大化して怪獣と戦うと早合点したら、その落差に驚くでしょう。
ウルトラマンは出て来ませんが、人間たちが、怪人やオカルト現象を解決していく作風となっています。カラー作品ではないためか、子どもにあまり印象を与えず、むしろ、後年、時代を懐かしんで見かえすよう渋めの味わいがあります。
不可思議な世界を垣間見る、良質な作品に仕上がっているのと、白黒なのが時代を感じさせ趣があります。
ウルトラマン
シリーズを通しての傑作の誉れ高い作品に仕上がっています。おそらく、それに異論を唱える者は居ないでしょう。制作した円谷プロのスタッフも、新鮮な気持ちで作品に取りかかったにちがいありません。各場面から、熱気のようなものが伝わってきます。
交通安全を呼びかける事故死した亡き少年の霊に操られる怪獣、帰りの燃料を搭載しないシャトルに乗せられ未知の惑星に不時着し、怪獣となって地球に帰還した(元)宇宙飛行士をウルトラマンが静かに葬り去るシーンなどは、いまだに涙なしに観ることはできません。
もし、これを観ていない方は、ぜひ、おすすめします。子ども向けのように見えますが、われわれも子ども時代を通ってきているので、無感動に終わることはないでしょう。大人が観ても、唸らされるところがあるのが、この昭和の特撮の黎明期における作品に共通する特徴ではあります。
ウルトラマンセブン
初代ウルトラマンを継承しながら、社会性をドラマに盛り込んだ作品。
地球人になりすましたモロボシ・ダン(変身後のウルトラマンセブン)が、地球侵略に来た宇宙人とアパートで直談判するなど、当時としてはアバンギャルドな場面をみせ、話題を呼びました。ストーリーに凝った一面をみせています。
必殺技が初代と比べて少なく、子どもにとっては、初代ウルトラマンと次作・帰ってきたウルトラマンに挟まれた「谷間に咲く花」といった佳作のように思えます。
帰ってきたウルトラマン
ウルトラマン80
主人公が中学校の教師でありながら、地球の危機にはウルトラマンに変身するという、斬新なストーリーの作品で、これを最後に、しばらくウルトラマンは特撮シリーズとして中断に入ります。
学園ものと特撮の組み合わせは、初期の作品ほどの強烈さはないにせよ、しっとりとくる感覚でした。ウルトラマン80自体があまりにも人間的すぎる設定で、か弱いイメージを伴っていうと指摘されることもあるようです。
たしかに、そうした一面をのぞかせてはいますが、「怪獣さえ倒せば、それですべて解決した」ことにしない展開をみせることが、この80という作品を流れるテーマだったのかもしれません。
こうして、ひと言であるシーズンを語るのは無理ですが、ヒーロー特撮の代表格であるウルトラマンは、昭和の少年少女に多くの社会性を付与してきました。いまこうして、あらためて、夢を与えてくれた昭和という一時代に、感謝状を贈呈したいと思います。
【まとめ】
すべての回が大人向けに仕上がっているわけではないですが、わたしたちはみな、内部に童心を秘めて生きているのが実情ですから、その童心と作品がふれあったときに、新しい発見があるのではないかと期待しています。
最初から、子ども向けと考えるより、時代をさかのぼって、かえって思いがけない自己発見につながる体験もあるでしょう。
温故知新の精神で、この時代にこそ、昭和の素晴らしい遺産に触れる機会を設けるのも、よいのではないでしょうか?
わたしも、時間ができたら、ふたたび童心に返って、その世界観に浸りきりたいと思います。