一人を生きる -希望の彼方に-

スピリチュアルな観点から、一人をどう生きるかを語るブログです。地球の激動期にあたる現代に、3次元と5次元のはざまで孤軍奮闘する方々に、真実探求に役立つ情報を、希望とともにお届けします。スターシードの自覚がある方、UFOや超常現象に興味のある方、自然界や芸術に癒されたい方、大歓迎です!

【スピリチュアル】 a-cosmos チャネリング情報 No.18 ~ 「途中経過を楽しんでください。地球がアセンションするという結果は決まっているので、急ぐ必要もないのです。」 by 銀河連盟 & 地球動植物連合   + 生と死についての美しいことば

 

 

【スピリチュアル】 a-cosmos チャネリング情報 No.18 ~ 「途中経過を楽しんでください。地球がアセンションするという結果は決まっているので、急ぐ必要もないのです。」 by 銀河連盟 & 地球動植物連合   + 生と死についての美しいことば

 

 

 

 

 

 今日は、銀河連盟および自然界から送られてきた次のメッセージを見てみることにしましょう。

 

 



 

 

★ チャネリング情報 No.18 ★ 

 

 

 もしあなたがその結末(だけ)を知っている映画を鑑賞するときに、何を期待するでしょうか。登場する主人公たちが、ほとんどセリフを語らず、途中に何の事件も起きないまま、ラストシーンに至ることを願うでしょうか。

 

 もしそんな映画がこの世に存在するとしたら、何ら他者の心情を追体験することもできませんし、観終えたあとの感想は、まったく残らないと思います。

 

 むしろ、紆余曲折を経て、主人公たちが内的な激情をほとばしらせたり、心を入れ替えたり、裏切られたり、神秘的で敬虔な気持ちになっていったりする多くの場面が続いてこそ、その作品を鑑賞する価値を見いだすのではないでしょうか。

 

 

 一般に、映像作品ではそこで表現される人間たちの言葉や表情、周囲の景色や音楽などからインスピレーションを得て、日常に持ち帰ることのできる成果がないものかを探っていくうちに、心が豊かになっていくものです(もちろん、その作品が鑑賞に耐え得るストーリーおよび構成であるとの前提ですが)。

 

 しかし、それをいきなりラストシーンだけを観て、感動に至るケースはあり得ないでしょう。最後に主人公たちがたどり着く境地とは、それまでの数々の行為や言葉による集積の結果に過ぎず、そこに至るまでの途中経過にこそ、人生の本質が煮詰められているはずです。

 

 

 これは、地球アセンションの現状を理解していただくために用意した比喩でありますが、まさに、アセンションの道をひた走るあなたがたに、おおいに当てはまります。

 

 この先に待っている結末がどうなるのかという点に心を奪われていては、波動の上昇もおぼつきません。

 

 日常におけるさりげない地に足のついた活動こそが、みなさんの波動を高めます。ですから、ここは途中経過を楽しんでください。地球がアセンションするという結果は決まっているので、急ぐ必要もないのです。

 

 

 この地球の進路は決まっていて、すでにアセンションするルートに乗っています。

 

 それはチャネリングでも伝えられているとおりです。すべてのチャネリングが正しいわけでは全然ありませんが、ここでは以前からそのようにお話ししてきたと思います。

 

 

 ただ、地球人の特徴として、不思議な現象があります。それは、アセンションにめざめたとされる人々でさえ、アセンションが決まっていると聞いて、それなら早く決めてくれ、UFOで高次元に運び去ってくれ、といったように、一気にやる気が失せて、いわば燃え尽き症候群のようになってしまうケースも見受けられます。

 

 

 いったい、今回の地球アセンションの主人公は、誰でしょうか?

 

 高度に進化した宇宙人が突如現れて救済を行なうことが、地球の人類や動植物たちの精神的な深化につながるというのでしょうか?

 

 そうではありません。

 

 あなたがたのこれまでの人生が悲惨に満ちていたにせよ、地球の歴史が暗黒勢力によって隠然たる支配を受けてきたにせよ、とにかく地球アセンションを決定づける地点に到達したのは、みなさんの実力なのですから、この時点までの途中経過に、もっと自信を持つべきでしょう。

 

 

 その点については、人類のみなさんよりは、自然界に生きる生き物たちのほうがよく知っていて、自信たっぷりに楽しく生きていますよ。

 

 この「黄金の途中経過」を築いてきたみなさんが、その経過の中核をなす日々の生活をうち捨てて、いきなり一足飛びにエンディングに至ろうとして焦りを感じている姿は、銀河連盟からすれば、たいへんほほえましいものとして映ります。

 

 たしかに「黄金の・・・」という表現が似つかわしいと日々実感できる方はほとんどいらっしゃらないと推測していますけれども、それでもなお、高度な宇宙からの観察者や自然界の一部の生き物からすると、スターシードや人類の一部の者たちは悪戦苦闘しながら、ときに自信を喪失したり、自暴自棄になったりしながらでも、地上の闇の部分を後退させるのに非常に大きな力を発揮してきました。それをドラマのように鑑賞しながら見てきたわたしたちがいうのですから、本当です。

 

 こうして、このままスピリチュアルな道を行く者が困難を感じながらでも前進していった先にあるものが、地球アセンションというわけであり、偉大に見えない、がしかしじっさいには偉大な途中経過を早送りで飛ばして結末を急ぐのは、非常にナンセンスな発想だといえるでしょう。このような説明の仕方を用いると、何となく、心が落ち着いてくるのではないでしょうか。

 

 

 

 さて、その途中経過を楽しむ方法は、どのようなものとなるのでしょうか。

 

 ドラマの主人公たちというのは、脚本家が想像力をたくましくして生み出したものです。ときに、それは、作品を観た者に、現実世界にいる知人よりもいっそう親しみを持たせることに成功しています。

 

 みなさんもぜひ、想像力をたくましくして、自身がどういう目的をもって、このアセンション直前にある地球に転生してきたのかについて、思いをめぐらせてみましょう。

 

 まず、あなたがたの外面を着飾ったり取り繕ったりするのでなく、心の内面から面白くなるように発想を柔軟にしてください。たとえ外面を取り繕ったからといって、その人の内面が豊かになるケースは、皆無です。

 

 しかし、その反対に、内面を豊かにする努力に着手した者は必ずその豊かさが外面ににじみ出てくるものです。それは、これ見よがしにアピールしなくても、自然に表出されていくもので、それを感知できない低波動の者しか周囲にいなかったとしても問題にはならず、本人がそのことで自信がつき心も満たされるようになっていきますので、その後の人生も約束されたに等しいでしょう。

 

 

 映画やドラマでは必ず思いがけない登場人物が出てきたり、大事件が身に降りかかってきたりして、人生劇場に引き込まれていく展開になるものです。「いったい、この現在地からどうやって、ハッピーエンドに至るというのだろう?」と感じれば感じるほど、あなたがたはさまざまな感情体験を引き寄せ、途中経過は豊潤なものとなり、魂の成長を促す機会が得られるようになるのです。それこそが今回の地球に生まれた理由です。

 

 多くの人がそのことを忘れて、「宇宙には、地球人類のほかに、知性を持つ生命体は存在しない」という「常識」を刷り込まれて育ち、大人になると社会の歯車の一部としてせっせと働かされるうちに身も心も疲弊して、老後に入ると、若いころにできたこともうまくできなくなって自信を喪失し、薄明のうちに生涯を閉じていき、ふたたび3次元世界に転生するといったパターンの繰り返しをしてきた実績があります。

 

 

 

 限界を狭く設定しすぎて、窮屈な人生になっていませんでしたか? その限界を設定したのは誰ですか。それはきっとあなた自身であり、そう仕向けたのは社会通念だったはずです。しかし、大人になったいまとなっては、その設定を自在にコントロールする権利が自分にあるのだと理解するレベルに、すでにみなさんは到達しているでしょう。そうであれば、その設定を「想像力をたくましくして」、あなたが最高の笑顔でいられるように変更していきましょう。

 

 

 映画やドラマの主人公たちと同じく、みなさんは紆余曲折を経て、ここまで生きてこられたことと思われます。そして、今回、その人生の旅の途上で重大な事実に気づき、アセンションという道を見つけたのです。そして、まだ余命が残されているとしたら、そこでより深く人生の真髄を探求してみようという冒険心に駆られて、体験を重ねていこうと前向きに捉えてほしいと願っています。

 

 

 最初でお話ししたとおり、気持ちだけ急いだところで、あなたがたの波動が高まったりはしませんし、それによって宇宙人たちが地球からの救難信号だと思って助けに行ったりすることはありません。それは、あなたがたの潜在能力が、現在の地球の闇を照らし出し、自力で行けるところまで行き着く可能性がたいへん高いとみなしているからであり、けっして地球という星を見捨てているわけではないのです。

 

 どんな状況下でも、希望を失わず、あなたなりに真剣に「いま」という瞬間を最大限に活用してみてください。その集積が、人類および動植物たちによる集合思念のうねりとなって、どんどん3次元から5次元に抜けるトンネルを掘り進めていくことにつながり、究極にはハッピーエンドの場面を体験できるにちがいありません。

 

 

委嘱者: 銀河連盟 (= 旧・無限の宇宙創造主に従う惑星連合)

 

情報提供者: 地球動植物連合

 

チャネラー: a-cosmos

 

 

 

解説 ~ 生と死についての美しいことば

 

 今回のメッセージは、以上でした。

 

 わたしたちは、どうしても、結果が決まっているなら、早く高次元に移行したいと考えてしまいがちです。

 

 しかし、たしかに指摘されるまでもなく、この世界にじっさいに住んでいる者たちが、この世界を変えていくべきであり、それは道理にかなっているでしょう。

 

 途中経過にこそ、人生の本質を知る手掛かりが秘められていて、最終場面はその積み重ねの結果を見ているに過ぎないから、もっとも重要な局面は結末ではなく途中経過だと語られるシーンは、たしかに迫力があります。

 

 

 

 

 システィーナ礼拝堂に描かれた『最後の審判』や彫刻『ダビデ像』などで知られるルネサンス期における芸術の巨匠ミケランジェロ(西暦1475~1564、イタリア)がその晩年に、

 

「生命がわれわれにとって喜ばしいものであるかぎり、死が恐ろしく不快なものであるはずがない。生も死も偉大な巨匠(創造主)の手によって作られたのだ。その巨匠がわれわれに生命を謳歌せよと歓喜を贈っておきながら、人生の最後の場面になって、われわれに死を地獄の責め苦として与えるはずがないではないか?」

 

といった内容の発言をしていますが、まさしく現代を生きるわたしたちが心して自身に向けて宣言しなければならない思想であるともいえるでしょう。

 

 ここでミケランジェロに「偉大な巨匠」と言われているのは、もちろん、宗教的な神のことでしょう。しかし、こうして非キリスト教圏にいるわたしたちの心さえ打つ、このミケランジェロの言葉に出てくる「偉大な巨匠」というのは、単なるキリスト教の神という枠を超えた、汎神論(はんしんろん)的な神、つまり宗教を問わない「宇宙万物の創造者」と捉えてもいいでしょう。

 

 

 

 また、三重苦の障がいを乗り越えて霊的な世界を垣間見た、ヘレン・ケラー女史(西暦1880~1968、アメリカ)は、

 

「生と死とは別々のものではなく、ひとつの直線上にあるものです。」

 

という内容のことばを、著作の中で書き残しています。ミケランジェロの視点と共通する、雲の上に視界を得たかのような高みに到達した者だけが確言できる表現なのかもしれません。

 

 

 さらに、ロシアの文豪トルストイ(西暦1828~1910)『イワン・イリッチの死』という小説のなかで、ロシアの無名の一市民が人生の最後の瞬間に光を見いだしていく姿を描いています。公務員だったイワン・イリッチという主人公(男性)が、出世していきますがやがて病気にかかり、肉体的にも心理的にも深い淵を彷徨しながら、やがて死を迎える直前になってようやく真実に気づくというフィナーレで閉じられます。死が生命の終わりではないと位置づける、トルストイの思想を忠実に反映した作品です。

 

 

 その最後の場面(=主人公イワン・イリッチが死を迎えるところ)を引用してみましょう。

 

※以下の引用文で出てくる「彼」とは、言うまでもなく主人公の「イワン・イリッチ」のことです。

 

 

 

『ところで死は? どこにいるのだ?』

 

 古くから馴染みになっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ? 死とはなんだ? 恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。

 

 死の代わりに光があった。

 

 「ああ、そうだったのか!」彼は声にたてて言った。「なんという喜びだろう!」

 

 

(中略)

 

 

 「いよいよお終いだ!」誰かが頭の上で言った。

 

 彼はこの言葉を聞いて、それを心の中で繰り返した。『もう死はおしまいだ』と彼は自分で自分に言い聞かした。『もう死はなくなったのだ。』

 

 

 

(『イワン・イリッチの死』トルストイ作 米川正夫訳

2014年4月24日 発行 第81刷発行  発行所 株式会社 岩波書店 101~102ページから、引用)

 

 

 

 この描写をみて、ツルゲーネフ(西暦1818~1883、ロシア)の『父と子』に登場する「ニヒリスト」である青年医師バザロフが最後に病気にかかって死を迎える場面を思い出される方もいるでしょう。

 

 伝統や宗教心を否定するニヒリズムを、病床にあってなおも信奉しながらも、看病している両親(父は退役した軍医)やかつての恋人の訪問によって、ニヒリズムと(それと対照をなす)人間的な情愛とのあいだを揺れ動いていくバザロフの姿には、胸を打つものがあります。

 

 

 またこうした死で終わる作品としては、ヘルマン・ヘッセ(西暦1877~1962、ドイツ)による『知と愛』という小説があります。知と理性を重んじる修道士ナルチスと出会ったゴルトムントは、やがてナルチスのすすめもあって自分の道を見つけ修道院を去り、愛と芸術に生きようとします。が、放浪の末にゴルトムントはナルチスのいる修道院にふたたび戻ってきて、彼の腕の中で息を引き取ります。

 

 「知」と「愛」という、人間ならだれでも有している二面性をナルチス(知)、ゴルトムント(愛)の両者に託して深く掘り下げていく心の旅は、そのまま読み手の心を人生の深淵へといざないます。

 

 

 

 わたしたちの視座が高まるとき、かつて支配的であった観念が一気に崩れることがよく起きます。それは上記でご紹介したように、生と死を行きかう激しい体験によってもたらされる場合が多いのではないでしょうか。

 

 まさに激動の時代と言える現代こそ、その固定観念を大幅に更新するチャンスが来ているのです。死の向こう側にある何かを求めるのは、怪しげなオカルトではなく、真摯な求道者の態度であるとの認識が浸透してくる時代に移り変わってきているのです。

 

 

 

 そういうわけなので、死や闇の勢力の世界支配を恐れるあまり、日常の暮らしをおろそかにしてはなりません。アセンションが現在進行中という感覚が事実であるならば、あきらかに死は幻想です。

 

 闇側は死の恐怖でもって、長年、民衆を操作してきました。生存本能に脅しをかけて、支配層に守ってもらおうと仕向ける手法です。ミケランジェロ、ヘレン・ケラー女史、トルストイが作中人物に語らせたことばには、たしかに考えさせられるところがあります。

 

 

 

 そして、地球アセンションという大事業をなかば成功させた現代のわたしたちは、宇宙創造主が死を最悪のものとして与えるはずもないことを承知のうえで人生を歩むように心がけ、もしかすると死さえ乗り越えた境地をこの先にまのあたりに見る日が近いとの認識を共有し、一見して陳腐であるものの実は偉大な日々の「途中経過」である現在をよりよく生きるようにと、各人が自身の内面に呼びかけていくようにしようではありませんか

 

 その結末が悪しきものになっているはずがないと確信しています。

 

 

 

 

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