一人を生きる -希望の彼方に-

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【世にも美しい波動の上がる音楽 37】 人生に疲れたときは、心を癒す、繊細で純粋なバロック音楽の名曲でリフレッシュしよう!! J.S.バッハ『主よ人の望みの喜びよ』 クープラン『恋のうぐいす』 ヘンデル『なつかしい木陰(オンブラ・マイ・フ)』 +ヴィヴァルディ『フルート協奏曲 「ごしきひわ」』

 

 

【世にも美しい波動の上がる音楽 37】 人生に疲れたときは、心を癒す、繊細で純粋なバロック音楽の名曲でリフレッシュしよう!! J.S.バッハ『主よ人の望みの喜びよ』 クープラン『恋のうぐいす』 ヘンデル『なつかしい木陰(オンブラ・マイ・フ)』 +ヴィヴァルディ『フルート協奏曲 「ごしきひわ」』

 

 

 

 

 素朴で生き生きとした音楽、それがバロック音楽の印象ではないでしょうか。

 

 きょうは、バロック音楽の楽曲のうち、あえてその快活さにはスポットライトを当てず、心を癒す繊細な曲という点に注目し、3作品、選んでご紹介します。

 

 

バロック音楽とは?

 

 バロック音楽とは、ルネサンス期音楽と古典派音楽の中間の時代に位置する音楽形式一般を指して言うことばです。年代的には、17世紀から18世紀半ば(西暦1600~1750年頃)あたりまでの音楽作品をさして言います。

 

 こんにちのインターネット網のような世界的なネットワークが登場していなかった当時には「これがバロック音楽である」といった通念を同時代の音楽家どうしがコンテンポラリーに共有していたはずもなく、たんに、イタリア、ドイツ、イギリスなどヨーロッパ圏の国々や地域の文化圏の中で独自に発展していった固有の音楽の総称を、後世の研究家たちが分類した定義づけである、と捉えてください。

 

 当時は、教会や王族、貴族たちのための音楽の需要が高まり、必然として、オラトリオやカンタータ、そして室内楽曲や小さな協奏曲などがさかんに作られました。

 

 現代からすればバロック音楽は、やや古めかしく素朴な音楽のようにも感じられますけれども、その前のルネサンス期の音楽と比較するとき、飛躍的に感情表現が豊かになり、対位法や音楽理論も充実してきて、楽器の音域や音色にもさまざまな改良が加えられており、バロック音楽が生まれた当時は「新鮮な音楽」といて受けとめられていたことは事実でしょう。

 

 さて、バロック音楽の作曲家として代表格とされるのが、

 

J.S.バッハ(西暦1685~1750、ドイツ)

 

ヘンデル(西暦1685~1759、ドイツ)

 

テレマン(西暦1681~1767、ドイツ)

 

ヴィヴァルディ(西暦1678~1741、イタリア)

 

 

などでしょう。

 

 バロック音楽が、現代を生きるわれわれに、いまもなお清々しさを感じさせるのは、まさにその当時を生きた人々の純粋な生命力が息づいているためではないかと思われます。

 

 当時はその当時が「現代」であったわけですから、そして、現代のような記憶媒体も存在しておらず、自身の生きた証を音楽に込めざるを得ない、ある意味、さし迫った状況が数多くの名作を生み出す原動力となったのかもしれません。

 

 

 その後、18世紀後半(西暦1750年以降)になるとハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらのスター的な音楽家たちが登場し、音楽も地域文化を越えて一般に広く共有されるにつれ、ソナタ形式が確立されていきます。いわゆる「古典派音楽」の時代です。

 

 さらに、19世紀に入ってからは、「ロマン派音楽」のシーズンが到来し、自由に作曲家自身の個性をうたい上げる風潮が定着し、さらに文芸作品と音楽を融合させる試みがなされ、おのずと楽曲の規模は重厚長大化していくことになりました。シューマン、ブラームス、ワーグナー、チャイコフスキー、ブルックナー、マーラーなどが属しています。

 

 

 

 

バロック音楽の再発見と、演奏家の問題

 

 20世紀中盤までは、意外なことに、バロック音楽というジャンルは、あまりにも古すぎるということで、ほとんど忘れ去られており、滅多に演奏される機会がありませんでした。

 

 しかし、戦後あたりから本格的に指揮者や演奏家たちによるバロック音楽にかんする研究が深まっていき、そして、レコード販売などにおける商業主義の蔓延などがあいまって、J.S.バッハの作品をはじめとするバロック音楽に光が当てられる情勢に変わっていったのでした。再発見の時代です。

 

 

 ただ、バロック音楽には演奏家の問題という面がありました。

 

 最初のころは、バロック音楽時代に使用されていた楽器を再現して演奏されることはなく、20世紀中葉の時点での「最新の楽器」が使われていました。楽器も長い時間をかけて改良されていますから、たとえば400年前のフルートと現代のフルートの音色を比較したとき、まったく別の楽器に聴こえてしまうわけです(フルートの場合は、バロック時代のものは、誰もが音楽の時間に吹いたことのあるリコーダーに近い音色を出していました。また、現代フルートは金属製ですが、当時は木製です)。

 

 ですから、400年前の楽器を再現したバロック音楽の演奏と、現代の音質も音量も改良された楽器を使用した演奏とでは、まったく違う曲を聴いているのではないかとの錯覚を持つほどに、違いが大きくなります。

 

 オーケストラの人数も、あとからの研究で判明した当時の規模は、ごく少数の演奏家による楽団だったのに対し、バロック再評価の時代のはじまりである20世紀中盤のオーケストラは、はるかに大規模なものでした。同じ楽器でも音色が異なり、演奏する人数にも大きな差が生じるなどの問題があきらかになっていくのでした。

 

 

 この新しいバロック音楽研究の流れを形成したのが、ニコラウス・アーノンクール、クリストファー・ホグウッド、トレヴァー・ピノック、フランス・ブリュッヘンなどの古楽器による演奏を得意とする指揮者たちでした。

 

 たしかに、彼らのオーケストラは洗練された古楽器を使用しており、楽器の音色が重複することなく内声部が聴き取りやすくなって、演奏のスケールは小さくなった代わりに、こまやかな音響に奥行きが生じて繊細な表現ができるようになったと、よく言われるところです。

 

 

 しかし、そのことで20世紀中葉の、バロック音楽を再発見したとされる演奏家たちの業績が否定されたと思ってはならないでしょう。カール・ミュンヒンガー、ユージン・オーマンディといった巨匠指揮者たちは、バロック音楽が作曲された当時の演奏事情からかけ離れて、あまりにも巨大化した大人数の編成によるオーケストラによる演奏を世に紹介しました。いわゆる、音楽の領域での「冒険家の精神」があったのでした。まずは厳密な研究をしてからというよりも、伝導精神から、いち早く演奏して世に知らしめたいと願ったわけです。

 

 しかし、本来のバロック音楽とは異なる、重厚で甘くうねるような旋律を響かせ、それがためにかえって美しいメロディが際立ち、戦争(=第二次世界大戦)によって深く傷ついた世界中の人々の心に、バロック音楽の演奏を介して大きななぐさめと勇気を与えたことを、われわれは忘れてはならないでしょう。

 

 また、それによって、バロック音楽の一大ブームが起こったことを考えると、彼らカール・ミュンヒンガー、ユージン・オーマンディなどが「まちがい」で、そののちに出現した古楽器の研究者たち(ニコラウス・アーノンクール、クリストファー・ホグウッド、トレヴァー・ピノック、フランス・ブリュッヘンなど)が「正しい」という見方じたいが偏狭きわまりないというべきではないでしょうか。

 

 後者の研究者たちは、前者の「勘違い」した、巨大なオーケストラによる現代的なロマンティックな演奏があったからこそ、いやそれは違うのではないかと疑問を持って、数百年前の音楽の実態研究が進んだのであり、前者のカール・ミュンヒンガー、ユージン・オーマンディたちがいなければ、そもそも後者のニコラウス・アーノンクール、クリストファー・ホグウッド、トレヴァー・ピノック、フランス・ブリュッヘンたちは、その研究の道を歩めなかったはずです。

 

 となると、われわれとしては、より公平な視点で、両者ともに異なる事情も持ちながら完璧な芸術表現であり、感動的な演奏である、と考えるべきだと思います。

 

 

 

 

 さて、音楽史的な説明はこのぐらいにして、さっそく、各曲の紹介をしていきたいと思います。

 

 



 

『主よ人の望みの喜びよ』

 J.S.バッハ(西暦1685~1750)のカンタータ第147番のうち、編曲され、親しまれている楽曲です。

 

 西暦1723年、聖マリア御訪問の祝日のための音楽である『カンタータ第147番 「心と口と行いと生活で」 BWV147』を完成、初演したバッハ。その第6曲目および第10曲目(最終曲)で歌われる旋律が、後世によって、ピアノやオルガン、オーケストラ用などに編曲され、『主よ人の望みの喜びよ』という名称で愛されてきました。

 

 

 原曲では、まずバロック音楽に多く見られる「リトルネッロ形式」の旋律で始まり、その後に歌が入り、最後にもリトルネッロの旋律が再現して終曲します。

 

 リトルネッロ形式」とは、冒頭で、オーケストラ全体で主要旋律として奏でられた音型が、独奏楽器による演奏をはさみながら、何度も形や調性を変えて反復される書式をさしていいます。

 

 

 言葉にするとわかりづらいので、次のように表してみましょう。

 

【リトルネッロ形式の音楽】

 一般的なリトルネッロ形式のイメージを簡潔にまとめてみました。

 

 リトルネッロとは、イタリア語で「反復」を意味する音楽用語です。

 

 

①冒頭=リトルネッロ(オーケストラによる合奏)

 

②独奏楽器による自由な旋律(簡素な伴奏がつく場合が多い)

 

③リトルネッロ(オーケストラによる合奏。形、調性が冒頭と異なる)

 

④独奏楽器による自由な旋律(上記の②と同じではない)

 

⑤リトルネッロ(オーケストラによる合奏。形、調性が冒頭と異なる)

 

⑥独奏楽器による自由な旋律(上記の②、④と同じではない)

 

⑦終結部=リトルネッロ(オーケストラによる合奏。調性は、冒頭と同じ)

 

 

(注:リトルネッロと独奏楽器の部分の回数は、特に定まっていません)

 

 

 このように形としては「ロンド形式」に近いですが、オーケストラ合奏と独奏楽器が主役の部分とに分かれている点が特徴です。

 

 また、バロック時代にはまだ「ソナタ形式」は確立されておらず、それを完成させたのが、古典派時代のモーツァルトやベートーヴェンでした(ベートーヴェンは古典派とロマン派の両方の時代に生きたともされることがあります)。

 

 19世紀初頭までは、バロック以来の「リトルネッロ形式」の名残がみられましたが、それ以降は、古い時代の音調を意図的して作曲する場合を除いて、ほとんどの作曲家に採用されなくなっていきました。

 

 音楽の天才・モーツァルトが西暦1785年に作曲した美しい名作『ピアノ協奏曲 第22番 変ホ長調 K.482』における第1楽章では、その残響を聴くことができます。独奏ピアノが登場したあとに、第1楽章の冒頭で現れた旋律が再度オーケストラによって演奏される箇所があり、バロック音楽のリトルネッロ形式の影響が反映されています。

 

 モーツァルトは晩年(=35歳で死去しているので、30代が晩年となるのですが)になればなるほど、すでに他界していたヨハン・セバスティアン・バッハを尊敬するようになり、音楽形式において新機軸を打ち出すよりはむしろ古いバッハの音楽書法研究に傾倒していたことが明らかになっています。

 

 また、難聴を苦にして遺書を書いて自殺未遂まで行きながら復活し、世界の歴史を変える『第9交響曲』や『ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 「皇帝」』を残したことで有名なベートーヴェンも、ヨハン・セバスティアン・バッハを崇拝し、自身の作曲部屋に、その肖像画を掲げていたのでした(よく音楽室に飾ってあったようなものだと思われます)。

 

 

 さて、ことばだけが躍っても仕方ありません。じっさいに聴いてみることにしましょう!

 

ヨハン・セバスティアン・バッハ『主よ人の望みの喜びよ』

 

演奏時間 : 4分26秒 

 

 まずオーケストラが冒頭でリトルネッロの部分を歌い出し、オルガンが声楽パートのコラール(合唱の唱和)部分を受け持ちながら終始おだやかに進行し、平和を祈る当時を生きた人々の思いを偲ばせます。

 

 リトルネッロの部分では弦楽器による3連符の連続が際立ち、独特の安定感をもたらしていて、音楽が天上界に突き抜けていくかのような感覚を持たせることに成功しています。

 

 

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◎上から第5曲目に表示されています。

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 このほかに、オルガンによる名演として、クヌード・ヴァッドの演奏、ピアノとオーケストラによる演奏では、リチャード・クレイダーマンの編曲によるものがおすすめです。これはクラシックというより、BGM、あるいはイージーリスニングと呼ばれるジャンルに近い演奏で、より親しみやすさを演出しているかのようです。

 

 まず曲名主よ人の望みの喜びよと入力し、1マスあけて、それぞれのアーチスト名(クヌード・ヴァッド  リチャード・クレイダーマン)を検索窓に入力して、ご鑑賞ください。

 

 

リトルネッロ形式が、『主よ人の望みの喜びよ』の編曲版ではわかりにくいと思われますので、そのときは、

ヴィヴァルディのフルート協奏曲『ごしきひわ』

を聴いてみると実感できると思います。

 

 これについては、以前の記事にしてありますが、曲の紹介だけでしたので、今回、貼っておきます。

 

 

 記事は、次をクリックすると表示されます。

 ⇩

 ★ヴィヴァルディ:フルート協奏曲『ごしきひわ』★

 

 美しい鳥ごしきひわが鳴いたり飛翔したりする姿が生き生きと伝わってくる感動作です。

 

 

 音楽を聴くときは、こちらです。

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◎上から第48、49、50曲目がそれぞれ、ヴィヴァルディ作フルート協奏曲『ごしきひわ』第1、2、3楽章になります。

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 リトルネッロ形式を具体的に理解するために、ヴィヴァルディのフルート協奏曲『ごしきひわ』の第3楽章(第67曲目)を例にとって、みてみましょう。0:00から、演奏タイムを表記していきますので、音楽と照らし合わせて、ごらんになってください。

 

 第3楽章は2分48秒と、とても短いですが、充実した爽やかさに満ちた作品となっています。

 

 

ヴィヴァルディ:フルート協奏曲 第3番 ニ長調 RV428 『ごしきひわ』

 

第3楽章

 

①冒頭=リトルネッロ(オーケストラによる合奏)

 0:00 ~ 0:19

 ここでは、オーケストラに独奏フルートも参加しています。

 

②独奏楽器による自由な旋律(簡素な伴奏あり)

 0:20 ~ 0:51

 ヴァイオリンとチェンバロが、独奏フルートの伴奏をしています。

 

③リトルネッロ(オーケストラによる合奏。形、調性が冒頭と異なる)

 0:52 ~ 0:57

 

④独奏楽器による自由な旋律(上記の②と同じではない)

 0:58 ~ 1:10

 

⑤リトルネッロ(オーケストラによる合奏。形、調性が冒頭と異なる)

 1:11 ~ 1:17

 

⑥独奏楽器による自由な旋律(上記の②、④と同じではない)

 1:18 ~ 1:57

 

⑦リトルネッロ(オーケストラによる合奏。形、調性が冒頭と異なる)

 1:58 ~ 2:04

 

⑧独奏楽器による自由な旋律(上記の②、④、⑥と同じではない)

 2:05 ~ 2:30

 さえずり、そして飛翔するごしきひわのイメージで、のびやかに歌うフルートの美しい旋律が、この曲全体のクライマックスを形成します。

 

⑨終結部=リトルネッロ(オーケストラによる合奏。調性は、冒頭と同じ)

 2:31 ~ 2:48

 古典派以降のコーダに該当する終結部では、独奏フルートは休み、オーケストラによる冒頭リトルネッロ主題が回帰して、華やかに閉じられます。

 

 

 ヴィヴァルディ作のフルート協奏曲『ごしきひわ』については、第1楽章も、同じくリトルネッロ形式で説明できます。上記の第3楽章と基本的に同じ構造です。

 

 冒頭の全オーケストラでのリトルネッロ音型に、独奏フルートが活躍する部分が続き、その次に冒頭のリトルネッロが形と調性を変えて現れて、再び独奏フルートがメインの旋律が奏でられ・・・(以下、省略)という感じになります。

 

 ぜひ、聴いてみてください。こういう形式を覚えたら、きっと、バロック音楽を好きになれるはずです。

 

 

 

(写真=ウグイスの仲間)

 

『恋のうぐいす』

 『恋のうぐいす』という曲は、フランソワ・クープラン(西暦1668~1733、フランス)が書いた、素朴で美しい曲です。西暦1730年の作品になります。

 

 クープランは、ドイツのバッハ一族と同じく、フランスにおける音楽家系として有名であり、クープラン自身は教会のオルガン奏者をこなすかたわらで、得意のチェンバロを用いた楽曲を多数作曲しています。

 

 チェンバロは、ピアノの前身のような楽器で響きが軽やかなため、他の楽器群を引き立てる伴奏楽器として、より適しています。

 

 

 ここではリコーダー独奏を支えていて、全体は森の木立の中で鳥の歌声が響いてくるような奥行きのある音調に仕上がっています。

 

 恋の季節に鳴くうぐいすを思い浮かべながら感情移入して聴くと、鳥たちとより親密な魂のきずなを構築できるかもしれません。

 

 

 演奏については、ミカラ・ペトリというリコーダー奏者の演奏が上出来です。当時、バロック音楽界での女性進出は遅れをとっていたのですが、きらびやかな女性のリコーダー奏者が登場したとして当時は話題を呼び、リコーダーという楽器の音色の素朴な美しさを再発見するきっかけを作り、注目が集まったものでした。

 

 たしかに、彼女の音楽的なセンスが光る演奏は、いつ聴いてもスリリングそのものです。それについては、この短い音楽(3分と少々)を聴けば、わかることです。この音楽で、バロック音楽のすばらしさに開眼する人も多いのではないでしょうか?

 

 

 

フランソワ・クープラン『恋のうぐいす』

 

演奏時間 : 3分39秒

 

 

 デンマーク出身のミカラ・ペトリがリコーダーを、母のハンネ・ペトリがチェンバロを担当しています。恋する鳥の声をリコーダーが、チェンバロが自然の木々を模したかのように、素朴な生命讃歌を歌い上げていきます。

 

 クープランに代表される18世紀前半の典雅なフランス音楽に、しばしのあいだ、浸りましょう。

 

 

 

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◎上から第25曲目に表示されています。

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『なつかしい木陰(オンブラ・マイ・フ)』

 ヘンデル(西暦1685~1759、ドイツ)が西暦1738年に完成した歌劇『クセルクセス』の中に登場する歌曲です。

 

 『クセルクセス』とは、劇中におけるペルシャ王の名で、紀元前に実在した人物でした。

 

 プラタナスの木陰の心地よさを歌い上げる場面で登場する、とても静謐(せいひつ)な、冷涼感ただよう木陰のそよ風のように流れる音楽です。

 

 もちろん、ここでご紹介するのは、原曲の歌ではなくて、オーケストラ用の編曲版です。原曲の歌劇や歌曲が演奏されるのはまれですが、編曲版はたいへん人気が高く、本物の涼しげな木陰をイメージしながら聴くことができます。

 

 

 なお、曲を検索で探すときには、日本語訳である「なつかしい木陰」より、「オンブラ・マイ・フ」と入力したほうがヒットする曲数が多く、探しやすいです。

 

 

 

ヘンデル『なつかしい木陰(オンブラ・マイ・フ)』

 

演奏時間 : 3分45秒

 

 弦楽器のさざめきのあとに、オルガンの響きも加わり重厚になりながらも、心地よい落ち着きのあるメロディが流れていきます。

 

 

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上から14番目に表示されています。

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 さて、いかがでしたでしょうか?

 

 当記事でご紹介した3曲には人間が人間であるために必要なエッセンスが凝縮されており、また、演奏している方々が万感の共感を込めて音作りに励んでいる姿が生き生きと浮かんでくるかのようです。時代は遠くても、生きている人間の息づかいがすぐそこから聞こえてきそうな気がします。

 

 生きにくい3次元地球での生活が長引き、あなたの神経が疲れ、苛立っているときには、ぜひ、今回の3曲をBGM代わりに流して、心を浄めてみましょう。

 

 いずれアセンションすれば、すべての問題は解決するといえばそれまでですが、それならばなぜ、わたしたちは3次元を生きているのでしょうか。命あるうちは、もっと、この3次元世界を忌み嫌わずに、活用しましょう。それは宇宙の創造主も認めています。

 

 バロック音楽と聞くと、どうしても最初に(言葉から)受ける印象としては小難しく感じてしまいますけれども、そんなことはありません。われわれと同じく、彼らも、喜び、悲しみ、悩み抜いた、つまり、人間だったのですから。きっと共感できるフレーズが、どこかにあるはずです。

 

 まさにアセンションの時代にこそ、その朴訥(ぼくとつ)さが重宝されるのではないでしょうか。細胞レベルで音の行列による癒やしを受ければ、自然回帰の第一歩となるにちがいありません。

 

 アセンションの日まで、こうした音楽とともに過ごし、確実に波動を高めていくようにしようではありませんか。

 

 

 さて、下記は、J.S.バッハの略歴と、代表的な聴きやすい5曲(今回の『主よ人の望みの喜びよ』を除く)をまとめた記事です(クリックしたら表示されます)。

 

 人生に疲れを感じたら、バッハに代表されるバロック音楽の真髄にふれてみて、リフレッシュしてみませんか?

 

 

★J.S.バッハの聴きやすい音楽 BEST5★

 

 アセンションまで、ただ待つのはもったいない。心を癒し、養うのも、わたしたちの使命のうちです。波動を高めて、地球を内側から変革できる可能性が高まっているからです。

 

 

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