一人を生きる -希望の彼方に-

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【思想・音楽】ベートーヴェンの理想の炎は、永遠に消えることがない

 

 

音楽史上に燦然と輝く先達 

 

 2020年は、偉大なるあのお方の、生誕250年記念イヤーでした。

 

 昨今の社会情勢のために、コンサートなどの盛り上がりには到りませんでしたが、やはり、歴史上の重要な位置を占める存在感のあることには、変わりありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうです。

 

 その偉大なるあのお方とは、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのことです。

 

 

 

 ベートーヴェン(1770-1827)はドイツのボンに生まれ、音楽家としては致命的となる難聴に苦しみながら、それを乗り越えてかずかずの傑作を残した作曲家です。

 

 生涯独身のまま病死するまでの57年間、個としての不幸を通して、それを鍛え直し、世の人々に勇気を吹き込みたいとして、

 

 

「第9交響曲」

 

「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」

 

 

などの作品にその理想の炎を封印し、タイムカプセルのように、未来に生きる人々、つまり現代を生きるわたしたちにその実現を託したのです。

 

 

 

ベートーヴェン略年表

ベートーヴェン略年表
 
◆◆
 
1770年(0歳)
   12月16日、ドイツのボンに生まれる。父は、テノール歌手。
 
 
1787年(17歳)
 ウィーンに旅行し、尊敬するモーツァルトに面会する。
 
 しかし、歌劇の作曲に忙殺されていたモーツァルトは少年ベートーヴェンのために割く時間を持っておらず、物理的な師弟関係は芽生えなかった。
 
 
1792年(22歳)
 ヨーゼフ・ハイドンに師事する。
 
 
1795年(25歳)
 自身が作曲した『ピアノ協奏曲 第2番』を演奏会で初演し、作曲家兼ピアニストとしてデビューした。
 
 
1802年(32歳)
 耳が聞こえなくなる難病が悪化し、療養のためハイリゲンシュタットに転地する。
 
 音楽家にとって致命的となる耳の病気に悩み、死を想うようになり、遺書をしたためる(『ハイリゲンシュタットの遺書』)。
 
 
1804年(34歳)
 交響曲第3番『英雄』が初演される。
 
 
 当初、この交響曲第3番『英雄』は、当時ヨーロッパで民衆を救う救世主と注目されていたナポレオン・ボナパルトに献呈する予定でした。
 
 ところが、彼が独裁者的な皇帝の地位に就いたというニュースを知ったベートーヴェンは激怒し、
 
「この作品をナポレオンに献呈するのは、やめる。」
 
として献呈するのを取り下げます。
 
 このエピソードは、彼の実直な性格を如実に表しています。
 
 ベートーヴェンがいかに民衆の自発的な意思をかき立てようかと真剣なまなざしで音作りをしていたか、その職人気質が伝わってきます。
 
 
1808年(38歳)
 交響曲第5番『運命』、交響曲第6番『田園』が初演される。
 
 
1812年(42歳)
 失恋し、結婚を断念する。生涯独身を覚悟した年となった。
 
 
1816年(46歳)
 聴力が著しく悪化する。
 
 その後も、内臓疾患や更年期障害で苦しむ。
 
 そのため、傑作と呼ばれる作品が極端に少ない時期となっている。
 
 
1824年(54歳)
 『第9交響曲』『荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)』初演。
 
 
1827年(57歳)
 3月26日、雷鳴の響く中、息を引き取る。
 
 

 

 

  

 

 しかしながら、表面的には理想主義の時代はあきらかに去りました。

 

 音楽の領域でも、文学においてさえも。

 

 理想主義とは、雄渾な発想では価値があるものの、個人主義の一面が危険視され過ぎた結果として、社会的に時代の推移とともに人々の無意識下にあって排斥されてきたように思います。

 

 たとえば、ロマン派の大家・ジャン・パウルの小説に触発されてグスタフ・マーラーが作曲した交響曲第1番などは、交響曲自体は現在も演奏の機会に恵まれていますが、ジャン・パウルの小説はなかなか入手すら困難になっています。

 

 また、時代背景の違いが大きく、現代人が読んでも、必ずしも当時の読者に与えたであろう感銘を受けることは、残念ながら、ないといえるでしょう。

 

 われわれはその谺を、マーラーのシンフォニーにかろうじて聴き取ることができるのみとなっています。

 

 

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ベートーヴェンの理想の炎は、消えることがない 

 

 このように、時代が理想という言葉に感動を示さなくなったということは、ほんとうなのでしょうか?

 

 いいえ、そのようなことはありません。ベートーベンの音楽が世代を超えて受け継がれていくのをみれば、もはや説明するまでもないでしょう。

 

 

 

理想主義の精神は、なんとか生き延び、たいまつの火は絶えることなく引き継がれ、こんにちまで息をし続けています。

 

 どんなに世の中がすさんだように映れど、いかに高度なテクノロジーが席巻しようとも、真に価値あるものはその金脈を掘り当てた人々によって遺産を語り継いでいくのです。

 

 

◆◆

 

 かつて、偉大な指揮者だったクラウディオ・アバド氏は、語りました。

 

「音楽の領域で、(ベートーヴェン的な意味合いでの)理想主義が消えることなどはあり得ない。」

 

 

 たしかに、その力強い信念は、終生、氏を支えてきたことは事実です。

 

 若い音楽家たちの熱烈な支持を受けたアバド氏が世を去ったのは、2014年のことでした。

 

 氏の理想を重んじる精神は、マーラー・チェンバー・オーケストラやモーツァルト管弦楽団などの最年少で10代のメンバーも含まれる活気あふれる次世代を担う若者たちに引き継がれ、死してなお、花を咲かさんとしています。

 

 それこそ、ベートーヴェン自身の信念と根源を一にしているともいえるでしょう。

 

 

 しかし、あらためて考えてみても、これほどまでに、音楽の枠を飛び出して、政治家、文学者、宗教家にいたるまで多方面に甚大な影響を及ぼした作曲家は、ベートーヴェンを差し置いてほかにいるでしょうか?

 

 そして、あの、第9交響曲の終楽章での歓喜の歌の完成は、実は、時代を飛び越えて、現代を生きるわれわれに託されていたのでした。

 

 というのも、その後、個人としても(その精神は死ななかったにせよ)3年後に他界する運命にあり、ヨーロッパは分断と紛争に明け暮れたし、とどめに20世紀の2つの大戦が、ドイツに絡んで、悲劇的な結末を迎えているのをみれば、とても、歓喜どころではなかったのは、いまや火を見るより明らかです。

 

 

 しかし、約200年の時空を超えて、ベートーヴェンの念願が、つまり、世界の平和と、各人の個の確立が、ついになされようとしているのをみれば、あの歓喜の歌が、いまにも響いてきそうな気配を感じます。

 

 

 もし、わたしたちの世代で実現できないとなれば、さらに若い有望な世代に、人類の未来を託したいというのが、人類の普遍的な願望です。

 

 そのときは、迷うことなく、このベートーヴェンの音による理想主義を、まっさきに伝えたいと思います。

 

 

 

 ◎ベートーヴェン自身も、つぎのように語っています。

 

 

『哀れな悩める人類に役立ちたいというわたしの熱意は、幼少の時以来、少しも薄らいだことはありませんでした。』(1811年)

 

 

『未来の人類のために、役立つことが大切です。』(1815年)

 

 

 

 

 

 

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 真実を愛する者たち、そして、ベートーヴェンの理想の炎は、永遠に消えることがないのです。 

 

  

 

敬愛するモーツァルトとの個性の違い 

  

 そのベートーヴェンも、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)を心から敬愛してやまなかったことが知られています。

 

 ベートーヴェンが書いたピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37は、明らかにモーツァルトの同じハ短調で書かれたピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491に着想を得ているのが、調性が同じハ短調であることや、第1楽章の冒頭の音型が酷似しているところからも聴き取れます。

 

 祈るような静謐な緩徐楽章、終楽章のロンド形式を採用していることからも如実に感じ取ることが可能です。

 

 

 しかし、ひとつだけ、個性が浮き彫りになる点が挙げられます。

 

 彼は、ハ短調が悲劇的な様相を帯びたまま深刻性を増していき、最後もハ短調で曲を閉じるモーツァルトの同曲を許せませんでした。

 

 ベートーヴェンにとっては、どんな作品にも炎の精神で乗り切るフィナーレを求めていました。

 

 

 そこで、彼一流に、ピアノ協奏曲第3番の最終楽章は、輝かしいハ長調の響きで閉じられています。

 

 

 とはいえ、それも、モーツァルトがピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466の最終楽章ですでに先行して試行していた形式ではありました。

 

 ですが、彼の場合、この協奏曲を作曲する数年前から、耳の聞こえが悪化し、日常生活もままならないという、作曲家としてばかりでなく、人生そのものの否定にもつながる、苦境に立たされていました。

 

 そして、自らこの世を去る覚悟を決め、遺書までしたためました。(ハイリゲンシュタットの遺書)

 

 そのような苦悩を抱えていた当時のベートーヴェンにあっては、みずからを襲った病気を乗り越える気概を示すためにも、暗い短調で終わりたくはなかったのです。

 

 

 しかし、そのような彼独自の事情があったとはいえ、それでもなお、ベートーヴェンは、彼の友人に語りました。

 

 

「わたしは、このようなすばらしい音楽(モーツァルトが作曲したピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491をさす)を超える作品を書くことはできないだろう。」

 

 

 一見、豪放磊落(ごうほうらいらく)で恐れを知らぬかのように強調されがちなベートーヴェンの人物像ですが、彼はこのように生涯を通して、モーツァルトやハイドン、グルックらの音楽家に敬意を払うことを忘れない謙虚さを持ち合わせていたのでした。

 

 

 

 

 歓喜の時を創造する

 

 ひとりの不自由な音楽家が、内部から夢を紡ぎ出し、世に送り出す。

 

 わたしたちは、みずからの不遇をかこつ以前に、何かしらやらなければならないことがあると、そう勇気づけてくれる点こそが、彼の最大の美点でしょう。

 

 後世を生きるわれわれにとって、最大の価値を誇る文化以上の「魂の遺産」と呼べるものにまで昇華されているのです。そのことを忘れてはなりません。

 

 生誕250年というものはたんなる通過点にすぎませんが、それに寄せつつ、死の試練を通過した後に、つまり、

 

地球がアセンションをめでたくも達成した後に、ベートーヴェンが作曲した第9交響曲が真の意味で、「はじめて」演奏され、歌われるのでしょうか。

 

 

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 西暦1824年に第9交響曲が完成されたあと、祖国ドイツは、幾度となく戦乱に巻き込まれ、20世紀の2つの大戦は不幸にもドイツが主役を担う結果となってしまっています。

 

 さらに、2001年9月11日にアメリカで起きた事件の直後にちょうど偶然海外で行われていた第9の演奏会場では、演奏終了後に、聴衆からはき違えた拍手が沸き起こり、演奏家たちは困惑した表情を浮かべます。

 

 はき違えたというのは、いうまでもなく信念体系の違いによる国際的な戦争にすり替えようとした勢力の思惑どおりに受け止めてしまったという意味です。

 

 当時の状況からはやむを得なかったでしょうが、作曲者の意図するところではなかったのは、火を見るより明らかでしょう。

 

 そのような視点において、これまで、ベートーヴェンが音楽に込めた願いは、無残にも打ち砕かれてきたかに見えます。

 

 

 しかし、それは、彼の非ではありません。

 

 

 われわれが、作曲者の音楽に似つかわしい時代を完成させるべきなのです。

 

 

 そのときこそ、神の領域の帰還した者たちが、祝福されながら力強く合唱しましょう。

 

 歓喜の時を、創造する時が来ています。

 

 

 

 

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アセンションで結実させる

 

 

 その喜びの歌を歌うのは、アセンション(次元上昇)を乗り越えた先に、地球とアセンションを乗りきった人々、それに、同胞たちです。

 

 わたしたち地球人とともに、すでに進化した平和友好的な宇宙人のみが加盟できる銀河連盟に所属する、地球にゆかりの深い異星人たち、それにレムリア沈没時に地下世界に逃げ延びた先行人類たちです。

 

 

 まるで、そんな空前絶後の展開を予期したように、ベートーヴェンは、交響曲にシラーの頌歌を取り入れたのでした。

 

 宇宙の創造主の前に、すべての生あるものたちが、ひとつになるという詩が、たんなる偶然で詠まれたとは思えません。

 

 まさに、そうあるべきことが、そうあった、としか表現できないのではないのでしょうか。

 

 

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音楽形式

  

ベートーヴェン 作曲

 

交響曲 第9番 ニ短調 作品125 「合唱つき」

 

第1楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポーコ・マエストーソ

 

第2楽章:モルト・ヴィヴァーチェ

 

第3楽章:アダージョ・モルト・エ・カンタービレ

 

第4楽章:プレスト-アレグロ・アッサイ(歓喜に寄せて)


 

 

 

ベートーヴェン 作曲

交響曲 第9番 ニ短調 作品125 【楽曲内容】

 

 

第1楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポーコ・マエストーソ

 第1楽章の冒頭部分では、調性が確定せず、何が起きるのかわからない不穏な空気が漂います。

 

 通例の交響曲とちがい、主題がすぐには登場しないのですが、音響を増していき、やがてティンパニのロールを伴って、陰鬱で力強い第1主題が登場します。

 

 それまで書かれたことのなかった、まれにみる主題の登場方法は、のちのロマン派の作曲家たちに甚大な影響を与えることになりました。

 

 ソナタ形式で書かれ、第1主題-第2主題-経過句と提示部が奏され、展開部を過ぎると、まさに最強音で嵐の只中のような第1主題が回帰します。恐るべき再現部の始まりです。

 

 再現部では、こんどはニ短調が確立されており、調性のなかった冒頭部分の不安定さに代わって、苦悩に満ちた闘争的な音型が明瞭に刻まれます。

 

 コーダでは、不気味な低弦に支えられたバッソ・オスティナートの音型に、フルートなどの木管楽器が絡みながら推進力を増し、苦悩と闘争の頂点で、冒頭の第1主題を明確かつ強力に総奏して、この楽章を閉じます。

 

 

 これまでに書かれた交響曲の枠をあきらかに越える書法と、人間の苦悩とそれとまっこうから闘う精神を昇華され尽くした形で芸術化した、まさしく人類の宝のような楽章です。

 

 この楽章を聴いて、みずからの苦悩が和らげられない人はいないでしょう。

 

 

 

 ベートーヴェンは音楽家でありながら、難聴を通り越してほとんど音が聞こえない状態に陥るという悲劇に直面しました。

 

 さらには報われない恋や失恋やに見舞われ続け、40代前半での失恋をもって結婚を断念します。

 

 そこに、当時のヨーロッパは言うまでも無く戦乱に明け暮れており、ナポレオンやメッテルニヒらが覇を競う、動乱の世でした。

 

 追い打ちをかけるように、人間として避けられない老化が、45歳を過ぎた不屈のベートーヴェンにもやってきて、さまざまな内臓疾患をわずらい、耳の病気も年々深刻化していきます。

 

 この第9交響曲の第1楽章が、聴く者の胸を打たずにはおかないのは、このような事情があったからにほかなりません。

 

 

 

 さらにいうと、彼は自身が受けた苦悩を、そのまま音に託したわけではありません。

 

 ベートーヴェン自身の内面において、そのかずかずの超克して得た天啓を音型化したことによって、これほどまでにも音楽が雄弁に、感動を伴ってわたしたちに迫ってくるのです。 

 

 

 

 

第2楽章:モルト・ヴィヴァーチェ

 スケルツォの極致。

 

 もともと、モーツァルトの時代までは、宮廷音楽の名残で、交響曲にはメヌエットを用いるのが慣行でした。

 

 それを、ベートーヴェンは、自身の交響曲第2番以降は上品な踊りの音楽であるメヌエットをやめて、たくましいスケルツォを採り入れました。

 

 第1楽章の「苦悩とそれに対する闘争」につづき、第2楽章スケルツォでは、諧謔性とテンポとの調和によって、「(苦悩を避けるようなニュアンスでの)情熱的な熱狂」を表現していると言われています。

 

 ここで特徴的なのは、ティンパニです。

 

 通例では、曲のクライマックスを連打音で支えるものですが、独立した楽器として、たとえばトランペットなどのような目立つ楽器と、あえて同等の音価のある楽器のように、参加させています。

 

 

 この革新的な楽章も、後世に影響せずにはいませんでした。

 

 ベートーヴェンを神のように尊敬していたブルックナー(1824-1896)などは、彼の最後の作品(第3楽章まで書いて他界)となった第9交響曲の同じ第2楽章において、弦楽器のピチカートの連続で不思議な音域を醸成したあとに、ティンパニの連打音を他の楽器群とユニゾンのように響かせる独特の音響を確立しています。

 

  

 

 

第3楽章:アダージョ・モルト・エ・カンタービレ

 

 一転して、静謐かつ叙情に満ちた、甘く優しい音楽の始まりです。

 

 2つの、ともにヴァイオリンのさわやかな絹織物のような旋律が、さざなみのように押し寄せます。

 

 この2つのこの世ならぬ美しい旋律が、変奏曲のように楽器群を交替しながら、続いていきます。

 

 これを書いているとき、ベートーヴェンは、自殺まで考えた、ハイリゲンシュタットでの生活を想っていたといわれています。

 

 30代前半、緑豊かなその地方で、死を思いとどまったベートーヴェンは、不屈の精神をあますところなく表現した「英雄交響曲(交響曲第3番)」や「ピアノ協奏曲第3番ハ短調」などを次々と創作していき、再起していきました。

 

 

 いつまでも覚めないでほしい美しい夢・・・。

 

 しかし、その夢は、終盤に金管楽器の咆哮(ほうこう)により中断され、呼び覚まされます。

 

 

 第3楽章の美しい夢の世界も、究極にはベートーヴェンの理想の境地ではなかったのでした。

 

 その夢に溺れず、むしろ夢から主体的に立ち上がり、彼自身の言葉を借りれば、「歓喜をつかみ取る」必要があったからでした。

 

 

 

第4楽章:プレスト-アレグロ・アッサイ(歓喜に寄せて)

 

 

 いきなり、開始が混乱を示す乱奏という破天荒な出だしから、

 

 

第1楽章「苦悩と闘争」

 

第2楽章「情熱的な熱狂」

 

第3楽章「美しい夢」

 

 

の、先行する3つの楽章で登場していた主要旋律の断片を、オーケストラが演奏すると、つぎつぎと低弦が言葉をしゃべるかのように、ことごとく否定していきます。

 

 そのどれもが、人間の人生において必要な要素であることは疑いのない事実であるものの、ベートーヴェンはそれを超える、重要な理念(「歓喜」)があることをその後展開していきます。

 

 「おお、友よ、そんな音ではなくて、もっと快いものに、声を合わせよう!」

 

と、バス歌手(男声)が歌い出します。

 

 そして、ここから、年末に流れる、あの「歓喜の主題」が、ときに宗教的に、ときに華美に、歌われます。

 

 ここで歌われる歓喜とは、人類愛、世界平和、真の幸福、友情、克己心など、あらゆる道徳的な美徳の観念を集約したものです。

 

 

 

 ベートーヴェンは、個人としての悲惨な生活を克服するどころか、世界さえも救済できる対象とみなして、「歓喜」の完成を人生の最大目標に掲げたのでした。

 

 

 

 

 この、ゲーテに並ぶドイツの文豪シラーの詩を採り入れた破格の交響曲のクライマックスでは、有名なあの旋律に乗って、歌詞は次のように要約されます。

 

 

 

歓喜よ、歓喜よ、美しい神の閃光、楽園からの娘たちよ!

 

天国に、汝の聖なる神殿に入ろう!

 

汝のやさしい翼のとどまるところ、すべての人々は兄弟となる。

 

歓喜にふさわしくない者は、嘆き悲しみつつ、この群から去るがよい。

 

喜びつつ、英雄が勝利に赴くように、走れ、汝らの道を、兄弟たち!

 

相抱かれよ、何百万の人々よ!

 

 

 

 

 

 

 最後は、4人の独唱者と合唱隊すべてにより、

 

 

「歓喜よ、歓喜よ、美しい神の閃光!(Freude  schöner  Götterfunken)」

 

 

と歌われ、この壮大な空前絶後のシンフォニーが激しく閉じられます。

 

 

 

 この演奏は、2019年に90歳を過ぎて引退を表明した長老格の名指揮者である、ベルナルド・ハイティンク氏(2020年時点で存命中)が指揮した演奏です。

 

 これは、ハイティンク氏自身も語っているように、オーケストラの管楽器と弦楽器のバランスがとれており、演奏時間の長さが気にならないというよりも、もう終わってしまうのかといった一種の名残惜しさまで感じさせる名演として、時代を超えて愛聴されています。

 

 


ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

 

 

 ハイティンク指揮のこの歴史的名盤は録音技術も高く、心地よい残響音にシラーの歌詞が歌われ、あたかも地上にいながら天上界にいざなわれるかのようです。

 

 

まさに歓喜と愛の勝利、

 

これは、アセンションを前にした、現代を生きるわれわれのために、いわば神の予定調和として作曲されたのではないか?

 

と信じたくなるような、奇跡的な共時性を思わずにはいられません。

 

 

 

 ベートーヴェンは、第9交響曲に込めた人類の理想が実現するのを見ることもなく、この世を去って行きました。

 

いまこそ、わたしたちの代で、彼の理想をよみがえらせ、現実の世界で完成させようではありませんか!!

 

 

 

 

【まとめ】

 

 ベートーヴェンの音楽に込められた理想精神の炎は、永遠に消えることがなく、わたしたちが地球の次元上昇を達成するまで、その目標として高みに存在し続けることでしょう。

 

 

 そして、アセンションした5次元世界にあっては、彼の理念が世界そのものに行き渡り、永遠の歓喜に満たされていることでしょう。

 

 

 

 わたしたちも、偉大な楽聖ベートーヴェンから霊感を受けて、堂々と真実を生き、自分自身と、そして世界とを救っていきましょう!!