一人を生きる -希望の彼方に-

スピリチュアルな観点から、一人をどう生きるかを語るブログです。地球の激動期にあたる現代に、3次元と5次元のはざまで孤軍奮闘する方々に、真実探求に役立つ情報を、希望とともにお届けします。スターシードの自覚がある方、UFOや超常現象に興味のある方、自然界や芸術に癒されたい方、大歓迎です!

【世にも美しい波動の上がる音楽 42】 スターシード必聴!! 20世紀後半、20代のOLが「聴いていて、いちばん気持ちが安らぐクラシック音楽」と評した、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』で、魂を爽やかにする!   + 【このピアノ協奏曲を気に入った旧ソヴィエトの独裁者スターリンについて、作曲家ショスタコーヴィチが語った恐るべきエピソードとは?!】

 

 

【世にも美しい波動の上がる音楽 42】 スターシード必聴!! 20世紀後半、20代のOLが「聴いていて、いちばん気持ちが安らぐクラシック音楽」と評した、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』で、魂を爽やかにする!   + 【このピアノ協奏曲を気に入った旧ソヴィエトの独裁者スターリンについて、作曲家ショスタコーヴィチが語った恐るべきエピソードとは?!】

 

 

 

 

 

 クラシック音楽の記事は、先入観から堅苦しいと感じられるのか、なかなか閲覧してもらえません。

 

 もちろん、それは読者の自由ですけれど、「どんな音楽でもよいから、BGMを流したい」といった気分になったときに、当サイトの音楽記事でご紹介した曲を、まずはBGM代わりにかけてみていただきたいと思います。

 

 それで、その曲を聴いているうちにある程度なじんできたら、そのときはじめて楽曲形式の説明文をみて理解する、というステップです。初回から楽曲形式を追いながら聴くより、まず全体を気軽に聴くことから始めてほしいと思うようになりました。

 

 クラシック音楽に限りませんが、何度かくり返してBGM的に聴いているうちに良さがわかってくる音楽は意外に多く、宝は目の前にあるという状況です。

 

 

 

 その昔(西暦1980年代)、モーツァルトのピアノ曲を聴くことが人間の能力にどのような影響を与えるかを調査する興味深い実験が、海外の脳科学の研究機関において行われました。実験に使用されたモーツァルトの作品とは、『2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448』でした。

 

 まず、比較対照のために、次の2つのグループを作ります。

 

①モーツァルトのピアノ曲を聴いたあとに、かんたんな数学の問題を解くグループ

 

②何の音楽も聴かずに、かんたんな数学の問題を解くグループ

 

 

 

 この実験の結果、

 

①モーツァルトのピアノ曲を聴いたあとに、かんたんな数学の問題を解くグループ

 

が、有意に高い正答率を示す成績を残しました。

 

 平等を期するため、被験者グループ構成員を入れ替えたり、変更したり、場所や時間帯における影響の違いも考慮したりして、かなりの実験回数をかさねた末に、最終的に結論づけられたものですから、信憑性は極めて高いといえるでしょう。

 

 また、数学といっても、シンプルな問題を素早く、数多く回答し、かつ正答率が高くなるかどうかを試験するものですから、掛け算や分数の計算、1次方程式あたりまでの難易度だと思いますので、個人の資質(=数学が得意か不得意か)によらず、モーツァルトの音楽を聴いたあとに、どのぐらい心身の状態が良好になっていて、その人の持てる力を全開にできるかが問われる形になっていたようです。

 

 

 結論として、「モーツァルトの音楽を聴くのと聴かないのとでは、聴いたほうがその人の脳や心が活性化され、本来持っている能力(以上のもの)を発揮することができ、さらには健康増進にも役立つ」などと権威ある海外の科学誌に発表されることになりました。これが世に言うモーツァルト効果のさきがけとなったのでした。

 

 

※今回の演奏では、30分ほどで終わります。厳密には、26分47秒しかありません。まず、この曲をまったく解説文に触れないで、直接耳で聴くことをおすすめします。

 

 スターシードとして多くのチャネラーから認定されているモーツァルトの作品を、スターシードを自覚している方々が聴けば、波動を上げるのに相乗効果が見込めるのは、いうまでもないことでしょう。

 

 特に、春夏秋冬の太陽にまつわる日(春分、夏至、秋分、冬至)と、その前後の10日間ほどは、強弱の差はあるものの、ほとんど均一にエネルギーが地上まで届くようになっています。

 

 そのため、「春分」「夏至」「秋分」「冬至」その日でなくても、付近で時間が取ることが可能で、かつ体調がよいときを見計らってモーツァルトなどのクラシック音楽をかければ、たいへん高い確率で、スターシードの波動は上昇するものと予測されます。

 

 もちろん、太陽に関連する日にこだわる必要はなく、1年間365日(うるう年は366日)を通して、モーツァルトやその他クラシック音楽を聴く機会はいつでもあります。外部の敵を探さずとも、こうして自身の波動を高めているだけで安全圏に(逃げ込むのではなくて、能動的に)入ることができます。

 

 

 

 

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(西暦1756~1791、オーストリア)のピアノ協奏曲は、古今東西のクラシック音楽でもトップクラスの美しさをもつ音楽として知られています。

 

 なかでも、西暦1786年にモーツァルトが作曲した、『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』という作品は、20世紀に入ってから、その評価をぐんぐんと上げてきた曲です。

 

 どういうわけか、18~19世紀には、あまり注目されることもなく置き去りにされてきました。特に、19世紀は暗く情熱的な調子が好まれる音楽的趣味の時代(ロマン派音楽の時代)でしたから、純真無垢なモーツァルトの作品は、顧みられない傾向にありました。

 

 やはり、モーツァルトの音楽作品に聴衆の理解が追い付くのに数百年の月日を要したのでしょうか。換言すると、未来の聴衆(=現代を生きるわれわれ)のためにモーツァルトが作曲した音楽は、到底18~19世紀の聴衆には斬新すぎて理解できなかった、とも解釈できそうです。

 

 モーツァルトの音楽に対する情熱と挑戦が、当時の世俗的な音楽愛好家の求めていた娯楽的な音楽趣味(たとえば、恋愛を題材にとったイタリア・オペラのようなもの)と合致せず、それが原因となって、どうみても人類の至宝としか言えない傑作ぞろいのピアノ協奏曲群を、当時の人々はあっさりと忘れていったのかもしれません。

 

 ただし、暗い情念に満ちた『第20番ニ短調』と、深い悲しみにあふれた『第24番ハ短調』だけは例外的に19世紀にも好まれていましたが、今回の第23番のような明朗闊達な作品が顧みられることはありませんでした。

 

 



 

日本の20代のOLに愛されたピアノ協奏曲

 

 しかし、第二次世界大戦が終わると、クラシック音楽の演奏、録音がさかんになっていきます。わが国でも、高度成長期を通して、クラシック音楽ブームが起こり、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの作品が好んで取り上げられるようになっていきました。

 

 20世紀後半(西暦1980年代後半)、日本において、20代のOL(=当時の、おもに事務職として働く若い女性に対する総称)に対して行われたアンケート調査の結果で、「聴いていて、いちばん気持ちが安らぐクラシック音楽」は何か、という質問に対して最多得票となったのが、ほかならぬヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの「ピアノ協奏曲」でした。

 

 なかでも、『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』、『ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467』などは、明朗で流れるような曲想から、若い女性を中心に人気を博していたということです。

 

 未曽有の好景気に沸いていた西暦1970年代から80年代にかけての日本において、女性は嫁に行き専業主婦になって夫や子どものために尽くすのが普通だった戦前までの古い価値観の時代が終わりを告げ、若い女性たちがOLとして各種の職場に社会進出を果たしていきました。

 

 しかし、社会進出が進んだからといって女性が急に幸せになれるはずもなく、当然、職場で受けるストレスが重くのしかかってくるものです。そこで、「いくら若いとはいえ、仕事に疲れたOLたちが、クラシック音楽のなかで最も癒しを受けると感じる作品は何なのか?」との趣旨で、アンケートが行われたようです。

 

 その結果、「仕事を終えて帰宅したあとに(おもに一人暮らしのアパートの部屋で)、モーツァルトのピアノ協奏曲をCDで聴くときが、いちばん癒される。」という回答がたくさん寄せられたというものでした。

 

 しかし、何も、若い女性だけがその曲に魅了されるわけではありません。

 

 モーツァルトの天才は、人間ばかりでなく、動物や植物、異星人にまでも広く受け入れられており、それは、モーツァルトがスターシードだったという数多くのチャネリング内容とも合致しており、代表的な作品を一度でも聴けばその意味が如実にわかるでしょう。

 

 

日本のOLだけでなく、旧ソヴィエトの恐怖の独裁者ヨシフ・スターリンにも愛された曲だった!!

 

 また、今回ご紹介するモーツァルトの『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』は、意外なことに、旧ソヴィエト連邦の恐怖の独裁者、ヨシフ・スターリン(西暦1878~1953)が好んだことでも知られています。

 

 

 ある晩、ラジオ番組の生放送で、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調K.488』を聴いたスターリンは、側近に「この曲と演奏が気に入った。いますぐこのレコードを私のもとに送れ。」と命令を出しました。

 

 しかし、それはライヴでの演奏であり、録音されたものはなかったため、大至急、そのときに演奏したピアニストと指揮者、オーケストラ団員が集められ、徹夜で録音作業が行われました。スターリンの命令に対し「できません。」と答えることはすなわち「死(=処刑)」を意味していたからです。

 

 このときの録音の裏事情を、旧ソヴィエト連邦の大作曲家で、内心でスターリンを嫌悪していた、ドミートリ・ショスタコーヴィチ(西暦1906~1975)は、つぎのように描写しています。

 

 指揮者は恐怖のあまり思考が麻痺してしまい、自宅に送り帰さなければならなかった。別の指揮者が呼ばれたが、これもわなわなと震え、間違えてばかりいて、オーケストラを混乱させるだけだった。三人目の指揮者がどうにか最後まで録音できる状態にあったそうである。

 

 これは録音の歴史上、独特な事件だったのではないかと思うが、一夜のうちの三人の指揮者が交代した事実だけでも、そういえよう。

 

 結局、翌朝までに録音は済んだ。翌日、歴史に残るほどの短時間のうちに、たった一枚だけのレコードが仕上がり、スターリンのもとに届けられた。これもやはり、文句なしに記録(レコード)だった。追従の記録。

 

 

(引用:『ショスタコーヴィチの証言』 編者:ソロモン・ヴォルコフ、訳者:水野忠夫、発行所:中央公論新社、1986年1月10日初版発行、2001年6月25日改版発行、392~393ページから引用)

 

 

 これが、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』スターリンについて伝えられているエピソードで、この事実を語ったのはドミートリ・ショスタコーヴィチでした。録音がスターリンの気に入らない演奏だと批評されたら、その場で命を落とすかもしれないと予期した旧ソヴィエト時代の三人の指揮者たちの恐怖が伝わってくる内容です。

 

 当然のことながら、このような内容の書物を旧ソヴィエト国内で出版できるはずもなく(もし旧ソヴィエトで出版していたら処刑されている)、ショスタコーヴィチがこの世を去ったあとに西側を経由して出版されるようにと、編者であるソロモン・ヴォルコフと約束していたのでした。事実それはショスタコーヴィチの死後に出版され、和訳も出回るようになりました(現在は絶版)。

 

 

 スターリンは国民に恐怖政治を仕掛けた張本人でしたが、見かけによらず音楽の素養もあり(ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーも絵心がありました)、音楽作品の批評には口うるさかったといわれています。そのために、大作曲家ドミートリ・ショスタコーヴィチは、自身の作品に対する批判を非常に警戒して、投獄または粛清されないよう常日頃から当局を刺激しないために細心の注意を払っていたのでした。

 

 と言いながら、ショスタコーヴィチはその作品の旋律のなかに、権力やスターリンに対する皮肉とわかるフレーズをところどころに埋め込んでもしました。権力側がそれに気づいた場合、最悪のケースだと処刑などもあり得ましたが、権力側はそこまで察知できる能力はないものと、ショスタコーヴィチがにらんでいたのではないかと言われています。

 

 裏を返すと、それだけショスタコーヴィチには強い信念があって、どうしても譲れない場面では隠れたメッセージを曲のなかに盛り込み、未来の聴衆が解読してくれることを願っていたものとみられます。

 

 たとえば、独裁者が破滅していくさまを歌った歌曲に登場する旋律をほぼそのまま、ショスタコーヴィチは自身の交響曲のフレーズに転用しているケースがあります(『交響曲 第5番 ニ短調 作品47』の第4楽章など)。

 

 これなどは露骨に、ショスタコーヴィチの独裁者に対する嫌悪感を示している箇所であると現代では理解されていますけれど、ショスタコーヴィチ作『交響曲 第5番 ニ短調 作品47』が初演された当時(=西暦1937年)、旧ソヴィエト政権の幹部たちは、そのあたりの事情をまったくわからないまま、「社会主義や自分たち権力者を賛美した曲だ!」と勘違いして、最終楽章(=第4楽章)の力強いコーダ(終結部)の演奏が済んだあと、演奏会場にいた作曲者のショスタコーヴィチに熱狂的な拍手を送ったと記録されています。

 

 せっかくですから、ここで、その問題となっている『交響曲 第5番 ニ短調 作品47』の第4楽章から「コーダ(終結部)」だけでも聴いてみましょう。時間は、たったの1分19秒しかありません。

 

 短くて迫力があり、上記のような旧ソヴィエトの時代背景が直観で感じ取れるよい機会ですのでぜひ、第4楽章の再生ボタンを押して、10分43秒までバーのポイントを移動し、12分02秒までをかけてみてください。

 

 そのあとには、会場からまさに時代を超えて熱狂的な拍手が送られています。この録音は、西暦2010年代のものです。

 

 

 ここで、拍手をしている人は、

 

(1)純粋に迫力ある音楽に熱狂して、拍手している人

 

(2)社会主義を讃えた曲だと思って、拍手している人

 

(3)ショスタコーヴィチの内心をおもんぱかった上で、拍手している人

 

と、当時と同じく、さまざまな思いを秘めて、拍手していることでしょう。けっして聴衆のみながみな、「同じ音楽」を聴いているわけではありませんから。

 

 みなさんはここにどんな思いを聴き取るでしょうか。最初に事情を読んだあととなっては、すでにある種の先入観を受けてしまっていると思うので、(1)や(2)のように聴くのは難しくなっているのではないでしょうか。もし何も知らずに聴いた場合だと、おそらく(1)のような感想を持ったことでしょう。

 

 

 下記をクリックすると、曲のアルバムが表示されます(Amazonミュージック・アンリミテッド(Unlimited)の会員限定です)。

 

 

◎上から9曲目が、ドミートリ・ショスタコーヴィチ『交響曲 第5番 ニ短調 作品47』の第4楽章になります。右端のタイムが、12分27秒と表示されています。

 

 指揮は、旧ソヴィエト連邦生まれのアンドリス・ネルソンス(西暦1978~)、ボストン交響楽団の演奏です。

 

 9曲目(第4楽章)の再生ボタン(▶)を押して、10分43秒までバーのポイントを移動すると、そこからコーダ(終結部)が始まり、12分02秒で、全曲が閉じられます。そのあとに、聴衆のブラヴォーと叫ぶ声と拍手が続いています。

 

 打楽器の一閃に始まり、金管楽器が主旋律(=第4楽章の第1主題)を吹奏し、ティンパニが力強くリズムを刻みながら進行していき、そこだけを聴けばたしかに「勝利の音楽」に聴こえますから、当時会場にいた社会主義者たちが思い違いをするのも無理からぬことではあると感じてしまいます。

 

 参考までに、同じ第4楽章の、7分28秒~8分05秒までが、「独裁者が破滅していくさまを歌った歌曲に登場する旋律」ショスタコーヴィチがこの第5交響曲に転用した箇所になります。その歌曲を知らなければ、そこに作曲者の込めた思いが理解されることはないでしょう。

 

 

 ちなみに、「独裁者が破滅していくさまを歌った歌曲に登場する旋律」が出てくる歌曲とは、「ロシア文学の父」と言われたロシアの詩人、プーシキンの原作を基にした作品です。ここでは、音楽や文学はたんなる娯楽に成り下がっておらず、人間がよりよく生きるために社会がどうあるべきかを真剣に探求していた足跡が見て取れて、たいへん面白いと感じます。政治家スターリン、作曲家ショスタコーヴィチ、詩人プーシキンが一直線上に並び、後世を生きるわたしたちに、人間の本質を探究せよと暗示してくれているかのようです。

 

 本来、文学や音楽は、そうあるべきなのでしょう。しかし、商業主義によって、ただ売れればいいという地点に落ちたままそこに安住しているのが現代の悪しき側面かもしれません(わたしは社会主義者ではないので、旧ソヴィエトを礼賛しているのではなく、作曲家や詩人のなかに悪政に立ち向かう者がいた点を指摘しているだけです)。

 

 ロシアの詩人プーシキンは、ショスタコーヴィチより100年ほど前(19世紀前半)に活躍していた人物で、当然、プーシキンの時代は旧ソヴィエト連邦ではなく(=旧ソヴィエト連邦は、西暦1917年のロシア革命を発端に、西暦1922年から西暦1991年まで存在していた)、ツァーリズム(=ロシア皇帝による独裁政治)時代のロシアで、デカブリストの反乱(=西暦1825年12月、フランスの自由主義に憧れたロシアの青年貴族たちが、ロシア皇帝に対して起こした反乱劇で、すぐに鎮圧された)が起きていた頃でした。

 

 ロシアでデカブリストの反乱が起きる1年前の西暦1824年には、ウィーンでベートーヴェンの『交響曲 第9番』、いわゆる『第9』の初演が行われています。ロシアの青年貴族たちが『第9』を聴いて自由を希求しはじめたわけでは全然ないのですが、やはり人類は集合意識でつながっているために、新しい時代を切り拓こうとする精神が原動力となって、こうした事象が世界各地でシンクロニシティして発生してくるのでしょう。わたしたちはこれをいま、スピリチュアルな領域で達成するべきなのです。

 

 

 さて、もちろん、この曲を最初から通してお聴きになってもかまいません。ただ、今回の記事はモーツァルトのピアノ協奏曲の紹介がメインであるため、ショスタコーヴィチの交響曲第5番についてはフィナーレのコーダだけを取り上げることにしました。

 

 (Amazon側の都合で、曲の掲載順序は変更される場合があります)

 

 Amazonミュージック・アンリミテッド(Unlimited)会員でない方は、その他のお持ちの媒体で、同じ曲名、同じ演奏家を指定して、お聴きください。曲の説明はそのまま適用できます(演奏タイムの表示が若干異なる場合があるかもしれませんが、鑑賞には問題ないと思われます)。

 

 

 指揮をしているアンドリス・ネルソンスは、少し前までは「気鋭の若手指揮者」というイメージがありました。最近では、国際的にもその実力が認められ、世界最高級の指揮者として多方面で活躍されています。

 

 旧ソヴィエト系の指揮者というと、どうしても自国の曲ばかり演奏するという印象が強かったのですが、このネルソンスにあっては、自国のショスタコーヴィチの交響曲のほか、ドイツ・オーストリアものであるベートーヴェン(西暦1770~1827、ドイツ)やブルックナー(西暦1824~1896、オーストリア)の交響曲などの録音も多数行なっていて、着実に世界的な巨匠への道を歩んでいるといえましょう。

 

 

 

 とにかく、日本の(西暦1980年代後半の)OLの心をピアノ協奏曲で魅了したモーツァルトは、旧ソヴィエト連邦で独裁者として恐れられていたヨシフ・スターリンさえも同じジャンルの音楽(=ピアノ協奏曲)でとりこにしていたのです。

 

 昭和のOLから旧ソヴィエト連邦の独裁者まで、モーツァルトがひらめいた魅惑の旋律によって感動していた事実を思うとき、さすが音楽の天才児モーツァルト、としか言いようがありません。

 

 しかし、そんな旧ソヴィエトの独裁者スターリンも、とうの昔にこの世を去り(西暦1953年3月5日)、また、音楽アンケートでモーツァルトのピアノ協奏曲を推薦した、西暦1980年代後半時点での日本の若きOLたちの多くも、現在(=西暦2025年時点)では60~70代の老年期の女性となっているのを思うと、あらためて歳月の流れる速さに唖然としてしまうものですが、それでもなお色褪せないモーツァルトのピアノ協奏曲の音楽的価値は、さらに驚嘆すべきものであると再認識させられます。

 

 

 

 それでは、前置きが長く、そして熱くなってしまいましたが、いよいよ実際に音楽を聴いていきましょう!!

 

 以下では楽曲の構造をわかりやすくご説明していきますので、どうか最後までごらんになり、鑑賞されますようお願い申し上げます。

 

 

実際に聴く

 

(曲の概要)

 

 西暦1786年、モーツァルト30歳のときに完成された『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』は、モーツァルトが35歳で他界していることもあって、円熟期の傑作と言っても過言ではありません。

 

 ですが、たしかに技法は熟達の域に達してはいるものの、その音楽には刻まれた年輪の重さはなく、むしろ若々しさがあふれており、もはや時間や空間を問わない領域に連れて行かれたかのような錯覚をおぼえるほどです。

 

 オーケストラの編成としては、憂いを含んだ音色を出すオーボエに代わって、まろやかな音色のクラリネットを起用し、また、軍楽的な響きをもたらすトランペット、ティンパニを使用しないなど、この協奏曲の音響を清純に統一しようとしたモーツァルトの意図がうかがえます。

 

 

 このころのモーツァルト(西暦1786年)は、結婚後に故郷のザルツブルクからウィーンに移り住んで数年が経ち、人気作曲家兼ピアニストという肩書きで活躍していたのでした。

 

 ですが、この時期をピークに、モーツァルトの人気は凋落傾向となり、その数年後には経済苦と病気などに見舞われ、演奏会の予約さえもほとんど集められなくなり、非常にみじめな生活に転じていきました。そして、西暦1791年の冬、病気のため、35歳で世を去ります(暗殺説も根強くあります)。

 

 

 さて、ピアノ協奏曲という音楽はいうまでもなく、1人のピアニストが主役となり、オーケストラがピアノを引き立てる役に回る楽曲です。

 

 この「ピアノ協奏曲」というジャンルの音楽は、あまり上手くない作曲家の手にかかると、どこか不自然でゴツゴツした印象を受けてしまいます。ピアノが奏でる旋律とオーケストラが奏でる旋律がうまくかみ合わず分離している、第1主題と第2主題が似ていてアクセント(強弱)がついていない、技巧を盛り込んだつもりがかえってむだにピアノを弾きっぱなしにしているように響き、落ち着きがなく聴いていて疲れる、などの原因が考えられます。

 

 ところが、モーツァルトの作品では、独奏ピアノを中心としながら、各楽器がそれぞれの個性を発揮して美しく融合していくさまが手に取るようにわかります。天才作曲家(=モーツァルト)と凡庸な作曲家との差は、じっさいに聴き比べれば、瞬時に判然とするでしょう。

 

 とにかく、この作品を聴いて、最高水準のクラシック音楽に慣れてしまった耳には、なかなか他の作曲家の書いたピアノ協奏曲は魅力的に響かない現象が起きてくるかもしれません。

 

 しかし、わたしたちの人生は長いようで意外と短く、しかも唐突に終わる可能性を秘めているので、ぜひこの機会に、モーツァルトの傑作に癒されてみてはいかがでしょうか? この曲を聴かずにこの世界を去るのは、非常にもったいないと思いますので。

 

 

 

 この曲は、日本人ピアニストの寺田悦子氏による演奏が名演です。ぜひお聴きください。

 

 軽く弾くと印象が薄くなり、肩に力を入れると途端に流動性を失うという、まさに演奏家の感性が問われるような作品を、寺田悦子氏のピアノはそれぞれの旋律を明確に浮き彫りにしながらも、オーケストラを含めた音楽全体としては、さらさらと流れるように快活に進んでいくところが、この演奏の特筆される点だと思います。

 

 ピアノ独奏が寺田悦子氏、フィリップ・アントルモン指揮、ウィーン交響楽団の演奏となっています。

 

 

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◎上から4、5、6番目が、それぞれ、第1、2、3楽章になります。

 (Amazon側の都合で、曲の掲載順序は変更される場合があります)

 

 

 Amazonミュージック・アンリミテッド(Unlimited)会員でない方は、その他のお持ちの媒体で、同じ曲名、同じ演奏家を指定して、お聴きください。曲の説明はそのまま適用できます(演奏タイムの表示が若干異なる場合があるかもしれませんが、鑑賞には問題ないと思われます)。

 

 

 

 

モーツァルト『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』

 

第1楽章

 

 まず、第1楽章の形式を、次にまとめてみましょう。

 

協奏風ソナタ形式

 

オーケストラ提示部 第1主題    : 0分00秒 ~ 0分57秒

②オーケストラ提示部 第2主題    : 0分58秒 ~ 2分11秒

 

③提示部 第1主題          : 2分12秒 ~ 3分11秒

④提示部 第2主題~コデッタ     : 3分12秒 ~ 4分38秒

 

展開部               : 4分39秒 ~ 6分26秒

 

再現部 第1主題          : 6分27秒 ~ 7分26秒

⑦再現部 第2主題~コデッタ     : 7分27秒 ~ 9分42秒

 

⑧カデンツァ               : 9分43秒 ~10分57秒

 

⑨コーダ(終結部)           :10分58秒 ~11分37秒

 

 ①~②の「オーケストラ提示部」は、ピアノは登場せずオーケストラだけで、この楽章の全体を表現しています。歌謡曲などのイントロの役目を果たします。

 

 ③~④の「提示部」からピアノが登場し、オーケストラ提示部①~②に出てきた主旋律を、主役のピアノを軸としてオーケストラとともに華麗に歌い上げていく箇所です。歌謡曲などの1番になります。

 

 ⑤は、中間にあたり、文字どおり主な旋律を展開していきます。

 

 ⑥~⑦の「再現部」は、③~④「提示部」で扱った主旋律を、少し形を変えて再現する箇所となります。歌謡曲などの2番です。

 

 ⑧の「カデンツァ」となります。カデンツァではオーケストラが休みとなって、ピアノ独奏だけで華麗な旋律を奏でる場面が用意されます。

 

 そして最後に、⑨のコーダ(終結部)に入り、ピアノは休んで、オーケストラだけで曲をまとめて終わります。

 

 こうしてみると、クラシック音楽の「協奏風ソナタ形式」も、意外とシンプルな構造に感じられます。これなら、聴けそうですね。

 

 

モーツァルト『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』

第1楽章

 

 演奏時間 : 11分37秒 

 曲の形式 : 協奏風ソナタ形式

        アレグロ

        イ長調

 

 

 もっともモーツァルトらしい快活なピアノ協奏曲と評される第23番は、とりわけ第1楽章が美しいことで知られています。

 

 中間に位置する展開部では、通例だと既出の主題が変奏される場合が多いのですが、ここではまったく新しい旋律で展開部が始まりを告げ、さらにその旋律がカデンツァの手前で再度登場するという手の込んだ手法をモーツァルトは採用しており、いかにこの時期のモーツァルトが音楽的なインスピレーションに満ちていたかをうかがい知ることができます。

 

 

オーケストラ提示部 第1主題    : 0分00秒 ~ 0分57秒

 オーケストラの弦楽器を中心として、気品とつやのある旋律で開始されます。まもなくオーケストラで頂点を築き、第2主題に移ります。

 

②オーケストラ提示部 第2主題    : 0分58秒 ~ 2分11秒

 第2主題の音型の提示のあとには、コーダ(終結部)の音型が先行して明示されます(1分36秒~)

 

③提示部 第1主題          : 2分12秒 ~ 3分11秒

 ここからピアノ独奏が登場し、第1主題をシンプルに弾き、しだいにオーケストラと絡みながら活発に進みます。

 

④提示部 第2主題~コデッタ     : 3分12秒 ~ 4分38秒

 第2主題はやや内省的にピアノで奏され、弦楽器群、管楽器群との絶妙の掛け合いを続けて前半のクライマックスに至ります。

 

展開部               : 4分39秒 ~ 6分26秒

 弦楽器が典雅な新しい旋律をもたらして、展開部に入ります。中盤以降は短調に傾きながら、再現部に向かいます。

 

再現部 第1主題          : 6分27秒 ~ 7分26秒

 オーケストラが第1主題を優美に再現し、ピアノに受け継がれていきます。

 

⑦再現部 第2主題~コデッタ     : 7分27秒 ~ 9分42秒

 第2主題が再現したあと、「⓹展開部」の冒頭(4分39秒~)で出てきた旋律が登場し(8分31秒~)、そこからカデンツァに向かう流れが形成されていきます。

 

⑧カデンツァ               : 9分43秒 ~10分57秒

 オーケストラは休み、ピアノの独奏であるカデンツァになります。モーツァルトが作曲した当時に書いたカデンツァがそのまま使用されるケースが圧倒的に多く、ここでもその版が演奏されています。ピアノのトリル(2つの隣り合う音を交互にすばやく弾く奏法)から、コーダに入ります。

 

⑨コーダ(終結部)           :10分58秒 ~11分37秒

 ②オーケストラ提示部 第2主題の最後で登場した旋律(1分36秒~)によってコーダとなり、全曲を通して格調高くありながら、流麗さを失わない天国的な音楽を、ここで閉じていくことになります。

 

 

 

 

第2楽章

 

 続いて、第2楽章の形式をまとめてみました。

 

三部形式

 

①A(第1部)      :  0分00秒 ~ 2分19秒

 

②B(第2部=中間部)  :  2分20秒 ~ 3分32秒

 

③A’(第3部)          :  3分33秒 ~ 5分42秒

 

④コーダ(終結部)    :  5分43秒 ~ 6分48秒

 

 ②の中間部は、木管楽器(フルート、クラリネットなど)が明るい音色を出すので、すぐに中間部に入ったと気づきます。

 

 ③で主題が回帰するのも明確になっています。三部形式はいちばん聴いていてわかりやすいのではないでしょうか。

 

 

モーツァルト『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』

第2楽章

 

 演奏時間 : 6分48秒 

 曲の形式 : 三部形式

        アダージョ

        嬰ヘ短調

 

 

 第2楽章アダージョは、「シチリアーノ」の曲調によってもの悲しく始まる三部形式の音楽です。

 
 中間部は、木管楽器がやさしい幻想をもたらし、そこにピアノが溶け合う夢幻の境地が聴かれ、シチリアーノの哀切な気分から一時的に解放される部分となります。しかし、第3部で再び深い悲しみに沈んでいきます。
 
 
 
①A(第1部)      :  0分00秒 ~ 2分19秒

 ピアノの示す主題で入り、オーケストラが加わってさらに切なさを増していきます。この旋律は、古いシチリアーノ(=シチリアに由来すると伝えられる舞曲)から着想した音型です。

 

②B(第2部=中間部)  :  2分20秒 ~ 3分32秒

 木管楽器群とピアノのためのコンチェルタンテといった趣のある、実に繊細で、一条の光が差し込むような中間部です。途中から弦楽器も合いの手を入れます。

 

③A’(第3部)          :  3分33秒 ~ 5分42秒

 哀切きわまりないシチリアーノ的な旋律が回帰します。この楽章でモーツァルトは、特定の故事にちなんだ感情を表現したのではなく、30代に入り経験をかさね人間的に成熟してきたこともあって、より普遍的な悲哀の情緒を音符によって繊細に描き出すことに成功したのでした。

 

④コーダ(終結部)    :  5分43秒 ~ 6分48秒

 

 

 

 

 

第3楽章

 

 最後に、フィナーレとなる第3楽章の形式をまとめてみました。

 

ロンド形式

 

①A              :  0分00秒 ~ 0分57秒

②B              :  0分58秒 ~ 1分38秒

③C              :  1分39秒 ~ 3分08秒

④A              :  3分09秒 ~ 3分35秒

⑤D              :  3分36秒 ~ 4分05秒

⑥E              :  4分06秒 ~ 4分52秒

⑦B                           :  4分53秒 ~ 5分10秒

⑧C              :  5分11秒 ~ 6分57秒

⑨A              :  6分58秒 ~ 7分34秒

⑩コーダ(終結部、 C+A)  :  7分35秒 ~ 8分22秒

 

 一見複雑にみえるロンド形式の曲ですが、聴く限りでは、かえってたくさんの旋律を聴くことができるので、喜びも倍増します。聴くのが難しい曲ではありません。

 

 ヨコにして並べてみましょう。そして、ロンド主要主題Aを、構成についてわかりやすくするために、大文字にして色付きの下線を引いてみます。

 

 

 -B-C--D-E-B-C--コーダ(C+

 

 

 ロンド形式とは、主要主題Aを何度もくり返すあいだに、副主題(B、C、D・・)が挿入される形式をさしています。

 

 モーツァルトのこの楽章では、主要主題は合計4回登場し、は合計3回出てきますが、は2回は1回しか出現しません。聴衆に対してはサービス精神旺盛といえるところなのですが、演奏家(特にピアニスト)泣かせである一面もあります(詳しくは、後述)。

 

 

モーツァルト『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』

第3楽章

 

 演奏時間 : 8分22秒 

 曲の形式 : ロンド形式(A-B-C-A-D-E-B-C-A-コーダ)

        アレグロ・アッサイ

        イ長調

 

 

 かなり複雑なロンド形式となっています

 

 A-B-C-A-D-E-B-C-A-コーダ(C+A) という形です。

 

 しかし、聴くのが難しいのではなく、演奏する側にとってたいへんな曲という意味です。

 

 

 主要主題Aに始まって副主題が4つ(B、C、D、E)と、なんと合計5つもの主題が登場するという豪華さです。一般的なロンド形式は、A-B-A-C-Aなどの形が標準的とされています。こうしたことから、モーツァルトがかなり趣向を凝らしたあとが見て取れるでしょう。

 

 20世紀後半、まだCDが流通する以前のレコードの時代に、このモーツァルト作『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』の録音で、ピアニストが第3楽章の途中でピアノが弾くべき旋律を忘れてしまい、いったん曲が止まり、ピアニストが指揮者とひそひそ話で打ち合わせしなおしてから弾きなおすという前代未聞のライヴ録音が、レコードで販売されていました。

 

 おそらく契約上、一度は販売するしかなかったようですが、ピアニストにしてみれば、途中で旋律を忘れてやりなおす生演奏の録音を、レコードとしてそのまま世界じゅうで発売されたのですから、とても不名誉に感じたことでしょう。老齢にさしかかった外国人男性のピア二ストだったと思います。そのぐらい、この第3楽章は、聴くには快適だが演奏(特に暗譜)するのは困難であるわけです。

    

 

 

①A              :  0分00秒 ~ 0分57秒

 明朗この上ない主要主題Aが、ピアノに現れ、オーケストラがそれに続きます。0分37秒から出現する音型が、⑩コーダ(終結部、 C+A)のいちばん最後のしめくくりの旋律とされることになります。

 

②B              :  0分58秒 ~ 1分38秒

 副主題Bも快活なメロディにあふれています。

 

③C              :  1分39秒 ~ 3分08秒

 木管がくぐもった旋律を出します。そこから駆け足で競うようにピアノとオーケストラが戯れます。ピチカートを伴う音型(2分44秒~)は、⑩コーダ(終結部、 C+A)の開始部でも使われます。

 

④A              :  3分09秒 ~ 3分35秒

 元気よく主要主題Aが戻ってきます。ただし、再現は短く、後半はあえて形を崩しながら、副主題Dに移行する準備を整えます。

 

⑤D              :  3分36秒 ~ 4分05秒

 ピアノの和音で入る短調の副主題Dは、第2楽章におけるシチリアーノの悲しみを回想させるかのように展開する箇所となります。

 

⑥E              :  4分06秒 ~ 4分52秒

 さらに新しい副主題Eまで登場します。木管楽器が哀しみの影を吹き払うかのように、明るくのびやかな旋律を出していき、ピアノも快くそれに応じていきます。

 

⑦B                           :  4分53秒 ~ 5分10秒

 副主題Bが短く再現されます。

 

⑧C              :  5分11秒 ~ 6分57秒

 副主題Cの再現です。

 

⑨A              :  6分58秒 ~ 7分34秒

 久しぶりに、主要主題Aが明るく戻ってきます。

 

⑩コーダ(終結部、 C+A)  :  7分35秒 ~ 8分22秒

 コーダは、③Cのピチカートを伴う音型(2分44秒~)で開始され、やがて①Aの後半(0分37秒~)に現れた旋律で、華やかにしめくくられていきます(7分50秒~)

 

 

 

 

 前述のとおり、過去にはライヴ録音で、この楽章の途中からピアニスト(=高齢の外国人男性)が迷子になり(=次にどの主題を演奏するべきか、わからなくなり)、いったん演奏をストップして、指揮者と相談してやっと思い出し、途中からスタートするというめずらしい事件が起こりました。ピアニストにとっても、このロンド楽章を暗譜して弾きこなすのは困難を極めるのでしょう。たしかに、とても聴きごたえのある楽章ではあります。

 

 しかし、ここでわが国の誇る女流ピアニスト寺田悦子氏は、かなりの余裕を持って、楽しみながらピアノを弾いているようにも聴こえてきます。たいへん貴重な録音だと思いました。

 

 

モーツァルトの真髄が凝縮された一曲

 

 いかがでしたか?

 

 『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』には、モーツァルトの真髄が凝縮されています。

 

 すなわち、さわやかな明朗さ(=第1楽章)、人間的な哀しみの感情(=第2楽章)、この世ならぬ天国的な喜悦(=第3楽章)といったものが、ふんだんにちりばめられており、これが聴く者の心を捉えて離さない要因だと思われます。

 

 

 モーツァルトの音楽にはこの地上で生きるために必要な各種要素が、非言語の形を取って象徴的な音符に変換されているのだと言えるでしょう。

 

 わたしたちは、スターシードであり音楽の天才だったモーツァルトが残した美しい音楽から、それらを注意深く聴き取り、実生活で不足している諸要素をここから補充していかなくてはなりません。

 

 

 

 

【関連する音楽記事のご紹介】

 

①さて、今回のモーツァルトの『ピアノ協奏曲 第23番』が気に入った方は、同じくモーツァルトの『ピアノ協奏曲 第18番』はいかがでしょうか?

 

 この第18番のピアノ協奏曲の音調も第23番と同様に明るく、モーツァルトの父レオポルトは感動のあまり演奏会終了後に涙が止まらなかったといい、演奏を聴いていた神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世がたいへん感動し「ブラヴォー!!」と演奏会場で連呼したという事実が伝えられている作品です。

★モーツァルト『ピアノ協奏曲 第18番』★

 

 

②いっぽう、天国的な美しさと明るさにあふれたモーツァルト作品とは対照的に、聴くだけで勇気が湧いてくるようなベートーヴェンの『ピアノ協奏曲 第5番 「皇帝」』も、もし機会がありましたら、こちらからどうぞ。

 

 フランスの将軍ナポレオンがヨーロッパ全体を真の繁栄に導く救世主になるとの期待を裏切られたベートーヴェンは、ナポレオンに献呈しようとしていた交響曲を取り下げることに決めます。それは、ナポレオンが皇帝の座に就くや否や、それまでの為政者以上の圧政を行ない、独裁者のように変貌していったからでした。

 

 それから数年が経った西暦1809年、今度はナポレオンの軍隊が、あろうことか当時ベートーヴェンが住んでいたウィーン市街にまで軍事侵攻してきたのでした。そこで、砲弾が市街地を飛び交うなかで作曲していたのが、『ピアノ協奏曲 第5番 「皇帝」』だったのです。裏切りや戦火に負けない堂々とした力強さに満ちたこのコンチェルト(協奏曲)は、(モーツァルトの一部の作品は別として)クラシック音楽史上最高傑作だと位置づけられています。

★ベートーヴェン『ピアノ協奏曲 第5番 「皇帝」』★

 

 

 

③今回、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488』の3つの楽章のうち、第2楽章のシチリアーノ風の音楽がお気に召した方は、ヨハン・セバスティアン・バッハ(J.S.バッハ)のシチリアーノをお聴きになってはいかがでしょうか。

 

 出だしの音型が似ており、シチリアーノ風の音楽の共通点を発見できると思います。

 

 ここでは、よりメロディ・ラインを追い易い、オーケストラ用に編曲された演奏を取り上げてみます。

 

 下記をクリックすると、曲のアルバムが表示されます(Amazonミュージック・アンリミテッド(Unlimited)の会員限定です)。

 

 

◎「J.S.バッハのシチリアーノ」は、上から10曲目になります。

 演奏は「2002ストリングス オーケストラ」で、演奏時間は2分34秒です。

 (Amazon側の都合で、曲の掲載順序は変更される場合があります)

 

 

 Amazonミュージック・アンリミテッド(Unlimited)会員でない方は、その他のお持ちの媒体で、同じ曲名、同じ演奏家を指定して、お聴きください。曲の説明はそのまま適用できます(演奏タイムの表示が若干異なる場合があるかもしれませんが、鑑賞には問題ないと思われます)。

 

 

 

 「バッハのシチリアーノ」にかんする紹介記事は、次になります。興味のある方は、ぜひご覧くださいませ。

★J.S.バッハの聴きやすい曲 5選!!★

 

 

④旧ソヴィエト連邦で独裁者として恐れられていたヨシフ・スターリンの話題でふれた、ドミートリ・ショスタコーヴィチについて紹介した記事があります。ショスタコーヴィチに興味を持った方は、見てください。ついでに(というかそちらが主ですが)、昭和のヒーローアニメから学ぶものがあるかもしれません。

★昭和のヒーローアニメ『バビル2世』と、ショスタコーヴィチの悲劇★

 

 

 

 クラシック音楽を上手に使って、地球滞在中に、思いっきり波動を高めていきましょう!!

 

 

 

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