一人を生きる -希望の彼方に-

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鳥が語る、東洋の思想 【鳥の仏教】

 

 

鳥が語る、東洋の思想 【鳥の仏教】

 

 

 

 

 

 

動物は理性的な存在である

 

 

 この地上で、わたしたち人間だけが、特別な存在で、知性を有しているのでしょうか?

 

 仏陀は、生きとし生けるものすべてに、救済の可能性を見出し、それを終生、実行に移してきました。

 

 

 彼はその対象に、人間であるか、そうでないかの明確な区別はしませんでした。

 

 実際に、ペットとして愛玩動物を飼育している方にとっては、動物は、コンパニオン・伴侶だとの認識で一致するでしょう。

 

 

 

 そして、野生動物のほうに目を向けると、彼らは、住居づくりとその管理・補修、恋愛・つがいの形成、子育て、仲間との交流、冒険、食糧の確保、地理の理解など、じつにさまざまな方面で、知性を用いなければこなせない行動を取っていることが確認されています。

 

 動物は、実は理性的な生き物でないか、という思いを抱く人が増加するなか、

 

 

「観音菩薩が鳥のカッコウに転生し、色とりどりの鳥たちをチベットの谷に集め、一羽ずつ、仏教的な思いをのびやかに告白していく」

 

という、実際にチベットの民間伝承で言い伝えられてきた物語をご紹介します。 

 

 

 

 鳥に興味がある方は、実際の書籍を手に取って、ごらんになるとよいでしょう。

せっかくの美しいイラストも、著作権の関係で、ここでは取り扱いができないためです。

 

 これまで自然にも動植物に無関心だった方であれば、この物語と出会うことによって、自然を見る目が一気に変わってくるかもしれない、感動の物語です。

 

 

 

 

 

チベットでの受け入れ

 

 仏教は、世界各地に伝播する過程において、その地域に特有の風習と習合し、独自の解釈を許す傾向がありました。それはとりもなおさず、初期の教えの中に普遍的な真理を含有していたからにほかなりません。

 

 

 正統な仏教の教えの渓流から逸れて、17~19世紀にチベット人の仏教徒たちの手で大乗仏教の経典から模写した部分が、民間伝承のように語り継がれてきたものが、『鳥の仏教』でした。

 

 

 それが、20世紀初頭にインドで編集・出版されたことをきっかけに、正統ではないものの、一流の仏教学者たちからも、その素朴さ、美しさに胸を打たれて賞賛の声が上がり、戦後、フランスやイギリスなどでも翻訳され、好評を博したのでした。

 

 

 著者である中沢新一氏は、若いチベットの僧侶から、こう言われたそうです。

 

 

「ぜひ、日本語でも翻訳してほしい。この小さな本を、世界中の人たちが読むようになれば、世界はもっとよくなるに違いない。」

 

 

 これは、読後感としては、とても爽やかな香りが残る、心が清められるような作品に仕上がっています。

 

 

 

 

 

古代チベットの教え

 

 古代チベットでは、

 

「人間と動物とのあいだに、根本的な相違はなく、ただ、与えられた生存条件がわずかに異なっているだけにすぎない。それゆえに、人間と動物は、元来、自在にコミュニケーションを図れる間柄にある。さらに、生きた人間の魂が動物の身体に入り込むことさえ可能である。」

 

という考え方が、ごく自然に信じられてきました。

 

 

 チベットで「鳥の仏教」として知られるようになったこの思想は、言い換えると、『鳥たちが語る仏陀の教え』と表現できるでしょう。

 

 

 

 全体の構成として、

 

◎観音菩薩がカッコウに変身してインドの渓谷にやってくる。

 

 

◎そこで、瞑想していたところ、鳥たちの知るところとなり、やがて、おおぜいの多種多様な鳥たちが集まってくる。

 

 

◎カッコウ(観音菩薩)が、現世での執着を慎み、真の自由と解放を得るために、どうするべきか、それぞれの鳥たちに考えるよう促す。

 

 

◎そして、めいめいのすみかに帰って7日間瞑想した後にふたたび集まって、そこで、1羽(一種類)ずつの鳥が、前に進み出て、それぞれの生活に応じた、仏法を思い思いに述べていく。

 

 

というようにスリリングに、そしてやさしい言葉で展開していきます。

 

 

 

 

 

 

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鳥の仏教

 

 鳥たちが東洋の思想を通して煩悩から解脱していくさまは、圧巻です。

 

 それぞれが、美しい羽、たくましい鳴き声、全身を使って、帰依を表明していくのですから。

 

 美しい挿絵が、語っている鳥たちの魅力を、さらに引き立てます。

 

 

 ここでの挿絵は、図鑑に載っているような動物学的なものではなく、

 

 いま、観音菩薩(カッコウに変身)の前に歩み出て、みずからの胸中を告白せんとする場面の鳥たちの姿が描かれており、臨場感を醸し出すことに成功しています。

 

 

 

 ここから、全体の雰囲気をお伝えするため、『鳥の仏教』の一部を、引用します。

 

 

 まず、観音菩薩が転生したカッコウが登場し、3つの事柄について、鳥たちに話します。

 

 

 この場にお集まりの鳥さんたち、心を静かに落ち着かせて聞いてください。わたしの心の底からほとばしり出てくる三つの教えの言葉を、耳をすませてお聞きなさい。

 

 世界は無常であることを、よくお考えなさい。

 

 死はいつやってくるかわからないことを、よくお考えなさい。

 

 心を汚すおこないから遠ざかることの大切さを、よくお考えなさい。

 

 善につながる良い心を、心の中いっぱいに広げるのです。

 

    (引用 『鳥の仏教』 中沢新一著 2008/11/30 初版 新潮社 より) 

 

 

 

  

 鳥たちは、7日後にまた会うまで仏陀の教えについて深く考えることを約束し、再会を果たします。そこで、いろいろな鳥が、仏教の思いを熱く語ります。

 

 

 カラス:

誓願にそむかないでいると、幸福な暮らしができるよ、トッキョン!

   ※トッキョン=救いが来ます 

 

 

(中略)

 

 

 ハクセキレイ:

さあ、鳥の仲間のみなさん、深く広大なこの輪廻の世界を抜け出す準備にとりかかりましょう

 

 

(中略)

 

 

  アカツクシガモ:

人の正しい道を歩まなければ、愛を得られない、ルトル!

    ※ルトル=ちがう生き方をしましょう

 

 

(中略)

 

 

 ライチョウ:

口のうまい知識人のウソを見抜くのは難しい、ゴカー。

    ※ゴカー=難しい

 

 

(中略)

 

 

 ハト1:

この世の無常と死の確実なことがわかっているのに、それでもこの世に執着するものには、がっかりさ、イムク。

    ※イムク=がっかりさ

 

 

(中略)

 

 

 ハト2

この世の快楽を追い求めていると、どんなに努力を重ねても、果ては災いがもたらされますよ、キグペ・ドゥクトゥク。

    ※キグペ・ドゥクトゥク=快楽を求めると、災いがもたらされる

 

 

(中略)

 

 

 コクマルガラス:

野生の熊もあきれるほど怒りもあらわな言い争いを捨ててしまえれば、いいのにね、クーキュン。

   ※クーキュン=捨てなさい

 

 

(中略)

 

 

 ニワトリ:

お金持ちでも死ぬときは、たった一人で出かけなければなりません、エゴー?

   ※エゴー=わかった?

 

 

(中略)

 

 

 ツグミ:

仏陀を知ることのチュウロン、心の本質がわかるからね

    ※チュウロン=何々から益を得る

 

 

(中略)

 

 

 孔雀:

自己満足にひたっていると、あなたは正しい判断力をなくしていく、コッゴー。

    ※コッゴー=あなたは失うことになる

 

 

(中略)

 

 

 インド・チョウゲンボウ:

長生きしすぎたこの王様をごらん、いまではただの人さ、キキ。

 

 

(以上、『鳥の仏教』 中沢新一著 2008/11/30 初版 新潮社 より引用しました) 

 

 

 

 

 その後、一年の歳月が過ぎ、再会を果たした鳥の仲間たちをまえにして、観音菩薩が転生したカッコウ鳥が、次のように語ります。

 

 

 この世の事業はすべて子供の遊びのようなもの、肉体も語られた言葉もすべては塵となってしまうけれども、それらの残した結果は生き続けます。

 

 この世は偽りの幻影としてつくられているのですから、それを捨て去ることが必要です。

 

 

 (引用 『鳥の仏教』 中沢新一著 2008/11/30 初版 新潮社 より) 

 

 

 

 

・ここでは、全体の雰囲気をお伝えするため、それぞれの鳥ごとに主要な文言を一節のみ、引用しました。実際に個々に登場する鳥たちが語る言葉は、だいたい10~20行ほどの分量があり、もっと重厚で、内容の深いものです。

 

 

・登場する鳥も、ここではごく一部しか紹介していません。書籍の中では、もっと多くの鳥と、イラストが登場しています。

 

 

・全体は、127ページと、長すぎず、短すぎず、ちょうどよい分量に仕上げられています。しかも、ハードカバーで持ちやすいのと、挿絵の鳥たちが懸命に仏法を語る姿をリアルに描いており、この美しい物語に彩りを添えています。

 

 

・さらに、著者の中沢新一氏による、べつの民間伝承も巻末に数編、掲載されており、そちらも見ごたえのある、感動的な内容です。

 

 

・なお、引用は、「”」から「”」までの部分のみとしました。実際の書籍のなかでは、鳥の種類の名前のところは、名前だけが記されているのではなく、物語として前後の鳥のセリフとうまく接続する説明の文章がついており、すべてがまとまりのある美しい文章で綴られています。

 

 

 

 

 

こうして、鳥たちが庶民的な悩みを、仏教的な解釈を施して簡素な解決を見出していく過程が、さりげなく、しかし、スリリングな展開で語られていきます。

 

 

 

 

 

 

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  さらに鳥たちの物語は佳境に入り、ラストの描写は感動的かつ荘厳です。

 

 

 

 めいめいが語り、ほかの鳥たちの思想に触れ、みなが悟りを得たと確信したのちに、すべての鳥たちが喜びをあらわにして、舞いを披露します。

 

 

 

 これこそが、真の歓喜の瞬間です。

 

 

 そこには、敵はおらず、敗者もいません。

 

 

 ただ、純粋な喜びだけが、美しい鳥たちが舞うインドの渓谷を満たしているばかりです。

 

 

 

 

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鳥の擬人化を受け入れる素地

 

 擬人化がタブー視されてきた欧米社会とちがって、東洋では比較的スムーズに、擬人化を受け入れる素地があることを、わたしたち日本人なら体験的に知っています。

 

 

 西洋の思想では、動物を擬人化して扱う行為は、社会的に排除されがちなテーマの一つとなっています。

 

 例外的に、アッシジの聖フランチェスコなどが、ハトと会話していたことは、よく知られていますが、鳥が主役ではなくて聖人を引き立てる役を与えられているだけのようにも映ります。

 

 

 実際に、鳥を含めた多くの動物たちは、昔から、さまざまな観念を理解できるのです。その後、科学が重んじられる時代を迎え、産業革命が始まると、わたしたちのほうから、動物と距離を置き始めたといえます。悲しいことに、その後、動物は、たんなる商業用に金儲けの対象とされる運命を辿ります。

 

  

 

 

仏陀の生きとし生けるものに対する熱い思い

 

 仏陀には、人間と、非人間を差別する感情がありません。

 

 人間も動物も植物もみな、命ある仲間です。

 

 

 近代の産業革命で、徐々に自然が制圧対象と見なされるようになってきて以来、動植物たちは、金儲けの種か、さもなければ害獣扱いされる悪役を担わされてきました。

 

 

 しかし、それにもかかわらず、彼ら動植物たちは、(人間の思考や行いは知っているのに)人間に憎しみの感情をもたず、陰ながら人類と地球の進化を応援しているのが、実情のようです。

 

 

 

 仏陀の例を参考に、まずは個人レベルで、自然とのつながりを回復してみてはどうでしょうか。はたして、「心」とは、人間にしか、具わっていないのでしょうか?理性もないとされる生き物が、厳しい自然環境のなかで、生きていけるものなのでしょうか?

 

 

 

足るを知る

 

 仏陀は、四苦(生・老・病・死)から人間を救うばかりでは満足せず、動植物にも同じ感性が具わっていることは疑いようのない事実であると考え、動植物にも同じ思想で向き合おうとしていたのです。

 

 

 人間たちが四苦を認識しながら、それを克服するどころか、さらなる煩悩を深めていき、みずから作り出した地獄でもがいている惨状と比べて、自然界の住人=動植物たちに目を向けると、彼らのほうが謙虚に「足るを知る」姿勢に徹しているのは明らかです。

 

 それは、機械的にプログラムされた装置などではなく、れっきとした意思を有する生命体として活動しています。

 

 

 それに気づいた人が見れば、鳥が語る仏教の教えが、奇異な響きをもたず、むしろ、いまだに多くの煩悩にもがき続ける人間が語る場合よりも、自然に胸の奥に響き渡る感動をもたらしてくれる、という感じがします。

 

 

 

 

★鳥の秘密★

 

 

ワンネスに回帰する

 

 この世に生きる生き物たちはみな、同じ条件で魂の体験を通して、解脱の可能性を実現させる目的をもって暮らしているのです。

 

 地球上の生命たちはすべて、種族ごとに身体的な特徴や性質は異なれど、気まぐれに投げ出された賽(さい)ではありません。

 

 

 (特定の宗教のものでない、宇宙の創造主としての)神の壮大な計画の一環として、現象化した存在なのです。

 

 

 観音菩薩も、もとはワンネスの源から送られた存在で、この『鳥の仏教』という短い物語風の民間伝承では、カッコウという鳥に変身して登場し、煩悩に苦しむ鳥たちを涅槃に導く役目を与えられています。

 

 

 ワンネスは万物の根源だから、人に限定せず、すべての動植物たちと自由自在に会話やコミュニケーションをはかることができました。

 

 

 そして、わたしたちも、観音菩薩と同じワンネスから来ているのですから、人間が、邪悪な宇宙勢力および人間自身の自堕落さのせいで低落してしまった波動の力を回復させることによって、人間と草花、そして動植物がコミュニケーションを取りながら、共栄共存できる世界を、ふたたびこの手に取り戻す日が到来するのでしょうか・・・?

 

 

 

 

 

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個としての体験の終焉

 

 わたしたちは、なぜ、地球に生まれたのでしょう。

 

 それは、個としての体験の最高の機会だと、生前に魂の世界で判断したからだと言われています。

 

 しかし、強烈に体験するために、

 

「ひとりひとりが完全に異なり、無関係である。すべては偶然の集積にすぎず、過去世も、来世も、ない。」

 

と意識の表層では考えるように(善意で)仕組まれ、地球独特の体験を深めてきたのでした。

 

 

 ちょうど手品の種明かしが行われたときと同じように、一度、ワンネスに気づいた人間は、それまでとはまったく別の価値観で人生行路を歩むことになるでしょう。

 

 

 世界中の多くの人類が、そのことに気づき始めた昨今の情勢から、この先に待っているのは、「個としての体験の終焉」が折り重なって、思いやりにみちた思想と高度なテクノロジーがないまぜになった世界へと進化していくものと予想されます。

 

 

 

★自然界はすべてを知っている★

 

 

 

壁を取り払う

 

 1989年、ベルリンの壁が崩壊したにもかかわらず、ドイツにも、世界にも、平和は訪れませんでした。

 

 それもそのはず、物理的な壁を取り壊したところで、何にもならないのです。心理的な障壁を取り除かないかぎりは。

 

 孤独はもともと、わたしたちが、地球上の他の生命種族たちとのあいだに断絶を意味する壁を設置したことがその始まりでした。

 

 

 しかしながら、さいわいにも、まだ対策は間に合いそうです。

 

 

 壁を設置した側である人類が責任を持って、心の壁を撤去するだけで万事が解決するのですから。

 

 

 

 

 エゴに転落しないために

 

◆★◆

 古代の人々は、自分の目で確かめる方法しか持たなかったゆえに、より鋭い観察力で、自然界には無機的でない理性の循環が支配していることを早くから見抜いていました。

 

 彼らは、ときに人間たちを救済しようとする温情さえも自然界に見出し、驚異を覚え、まよわず共存する道を選びました。

 

 

 人間社会における選民思想やナショナリズムが危険なのは言うまでもありませんが、人間だけに特別な地位が授与されていて他の生命はただ奉仕するために存在しているという身勝手な驕りは、どこから来るのでしょう?

 

 

 特別な地位にこだわり続け、落伍したくない低い次元の恐怖心に由来するのではないでしょうか。

 

 

 本来、わたしたちは、たくさんの経験を魂に積ませるつもりでこの青い美しい惑星に生まれて来たのに、エゴにこだわり続け、肥大化させて転落していくだけだなんて、あまりにももったいなくはありませんか。

 

 

 もっと、他者の立場になって考えることは、何回も3次元に生まれ変わらなくて済むので、今回の人生の途上で、思いやりの重要性に気づいた人はさいわいです。

 

 

 

 

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スターシード・インディゴ・クリスタル・レインボーチルドレン向けコラム☆彡

 

 

 もし、あなたがスターシードや、インディゴ・チルドレンと呼ばれる宇宙由来の魂であれば、人間以外の身近な動植物たちから、” 思想 ” を感じ取るパワーに恵まれている可能性が高いでしょう。

 

 

 鳥が語る、東洋の思想と題した今回のテーマは、もしかしたら、そのような特殊な出自をうすうす感づいている人が一気にめざめるためのヒントになるかもしれません。

 

 

 どうか、世界を見わたしてください。

 

 あなたがこれまで、日常と思っていた風景に溶け込んで気づかなかったジグソーパズルのピースを、ぜひ発見してみましょう。

 

 

 

 

 

人間性回復という主題

 

 一般に、純粋な仏教に限定すれば、われわれ一般人からすれば、どうしても禁欲・勤行など、きびしい修行を行わなければならないイメージがつきまといます。

 

 ところが、この一見奇異に映るかもしれない、「動物が仏陀の思想を語り始める」という物語が展開したとたんに、急に視界が開けてきて、われわれの視線が地上から一気に高みへと引き上げられます。

 

 それは、空を通り越して、惑星地球全体を見そなわす高度にまで上昇するでしょう。

 

 

 

 仏陀とともによく引用されるイエス(キリストのこと)は、

 

 

「正しい生き方を学びたければ、空の鳥たちに学ばなければならない。」

 

 

と語りました。

 

 

 

 

 最後に、著者の中沢新一氏は、こう結んでいます。

 

 地球上にあって、人類と鳥類は「ひとつの心」を共有しあっている。

 

 そして変わっていかなければならないのは、進化の過程でみごとな完成をとげた鳥たちではなく、心に大きな自由領域をあたえられながら、いまだに未完成な、いやこれからも未完成なままの、わたしたち人間のほうなのだ。

 

 

引用:『鳥の仏教』 中沢新一著 2008/11/30 初版 新潮社 P122

 

 

 

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 大げさに聞こえるかもしれませんが、人間性回復という主題が抜き差しならぬ課題として、全人類に突きつけられているといっても過言ではない状況が、こんにちまで続いてきたのでした。

 

  ようやく、近ごろになって、秘匿されてきた自然界の住人たち、彼らの卓越した精神性に気がつく人が、さいわいにも増加してきているのは、心強いかぎりです。

 

 精神が、人間にしかないという誤謬が、うぬぼれを生み出し、心の眼を曇らせてしまうのです。

 

 この点に疑問を抱かないかぎり、われわれ人類は永遠に真実に近づけないのです。

 

 

 

 

動物は、語る 

 

 宗派による争いが古今東西、絶え間なく続いてきた人類に語らせると、偽善めいた響きとなってしまいそうです。

 

 

 しかし、この作品では、鳥たちは、ひたすら、自身の魂の成長のために、この世のむなしさと向き合い、来世での救済にいたる方策を声高らかに宣言するという趣向に仕上がっていて、真に迫る迫力を感じます。

 

 しかも、ほんとうに、動物がしゃべっているような気がしてきます。

 

 

 動物のように、必要なときには当然鳴き声を使い分けますが、うそや傲慢さ、欲に溺れることのない彼らは、知性を持ち合わせながら、いつかはこの世から旅立たなければならないことをわたしたち人間以上に日々真剣に考えているにちがいありません。

 

 そうでなかったら、自然界の生き物たちが、かくも美しく躍動的に映るはずがありません。 

 

 

 

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「鳥の仏教」で、過去2,500年が概観できる 

 

  ソクラテスや仏陀、そしてイエスやマホメットら高次元存在が地球上に転生してきたにもかかわらず、人類の目覚めは遅れ、闇の実験場と化してきた暗黒史があります。

 

 

 わたしたちに与えられた時間内で、多くのことを体験するのは困難であるため、なるべく必要な情報は簡素に取得し、体験から得た洞察を深めることに専念するのが効率のよい方法です。

 

 

 そのような意味において、民間伝承は、人生を切り抜けるのに必要にエッセンスを凝縮させており、親から子の世代、そして、さらに次の世代に語り継ぐ手法として、たいへん有効ではないかと、あらためて認識させられます。

 

 

 ここで取り上げた「鳥の仏教」は、過去2,500年におよぶ仏教の概観を、たった一冊に凝縮しており、時空を超えて、2020年代を生きる現代のわたしたちの心に、しっかりと届けられることでしょう。

 

 

 日夜、ただ生きるだけなのに忙殺されがちなわたしたちにとっては、ひじょうに重宝される恩典のようなものです。

 

 

 とくに、どの箇所にも『アセンション』という言葉がひと言も登場しないのに、アセンションに求められる概念の多くがちりばめられている、珠玉のように美しい文体とイラストで満たされた作品です。

 

 この作品に触発されて書かれた本記事では、人類と自然界を対比して、人類の奮起を促したい一心で書いているうちに、どうしても、批評めいた文体になってしまいますが、原作の『鳥の仏教』は、とても素直で、やさしく、生活感情に基づいた、美しい文章とイラストで綴られた物語になっています。

 

 誤解の無いように、念のため、付け加えておきたかったのは、その点です。

 

 

 スピリチュアルに興味がある方、アセンションに真剣に取り組みたい方は、もし機会があれば、接してみるとよいでしょう。

 

 

 

★鳥を愛する音楽家★

 

 

 

輝かしい未来

 

 

 さて、そのように仏陀ら聖人たちが夢みた輝かしい未来は、来るのでしょうか?

 

 

 地球上のゆたかな生命の環に復帰することを多くの人類が本気で願い、かつ、その取り組みを実践すれば、自然界とともに、祝福されるにちがいありません。

 

 

 

 この『鳥の仏教』で展開していく鳥たちの宣言を追うことによって、わたしたち人間も、登場する鳥たちの心的経路を追体験します。

 

 気が付くと、フィナーレで描かれる、悟りの境地を得て歓喜に満たされた鳥たちの円舞に、みずからも加わっているかのごとき錯覚をおぼえてしまうほどです。 

 

 

 

 『鳥の仏教』という、小さな美しい宝石箱のような民間伝承から、人間がその本源的な能力を引き出し、やがて自然界と、その自然を与えたワンネスに回帰していく輝かしい未来がやってくることを、心より願っています。