【スピリチュアル】牛が、しゃべった!! 死を覚悟した牛がわたしに残した遺言は、まさかの「地球のアセンションをよろしく」だった!!
- 【スピリチュアル】牛が、しゃべった!! 死を覚悟した牛がわたしに残した遺言は、まさかの「地球のアセンションをよろしく」だった!!
- 外勤の多い部署に回されたことで、動物と会話する能力が加速度的に進化
- 動植物たちはイエス・キリストを知っていた
- 牛が、どうしゃべったのか?
- 天国に通じる生きかた
白鳥は死に際になると、美しい声で歌うという言い伝えから「白鳥の歌」ということばが生まれました。ある人が生涯の終わりに、美しい作品を残すことになった場合に「その作品が、氏にとって、白鳥の歌(=最後の美しい作品)となった。」などと表現されます。
さて、ここでは白鳥でも人間でもなく、「牛」が登場します。
牛にとっての「白鳥の歌」とは、いったい何なのでしょうか?
ご説明していきましょう。
外勤の多い部署に回されたことで、動物と会話する能力が加速度的に進化
そのとき、わたしは、たまたま牛の移動にかんする手続きを行なう部署に配属されていました。20年ほど前の話ですが、とても驚くような事件がありました。
一般的な動物や昆虫とはそのころすでに会話できるようになっており、外勤すると、いつも鳥や虫があちこちでフレンドリーに話しかけてくるのが常でした。
唯一の悩みだったのは、家畜の頭数を数えたり、耳標の番号を読み上げたりするときに、鳥がやってきて、わたしたちのあいだで取りかわした語彙を組み合わせて、鳴き声や羽数、形状や羽ばたきのようすなどでわかりやすくメッセージを伝えてくれるのですが、最初のころは、緊張していました。どちらがどちらの数字なのか混乱してくる可能性があったからでした。
しかし、心配をよそに、わたしの脳内では「仕事の数字を間違えてはならない。しかし、仕事以上に、宇宙の大変革であるアセンションのメッセージを届けてくれる動植物たちのメッセージも聞き逃してはならない。」と処理されて、結局、その部署に異動したのは20代後半とまだ若かったこともあって身体も頭脳も柔軟に反応してくれましたから、両方とも無事に成し遂げることができました。
ですが、事務室内で事務の仕事ばかりをしていたら動植物メッセージが受け取れないので、外勤が多い部署に行けたのはラッキーでした。
といっても、この異動先というのが実は、ある組織(国も関与)によるアセンション妨害工作だったのですが・・・詳しく書くと、現在はまだ関係者から処罰されるおそれがあるため、ここでは、これ以上は書けません。ディスクロージャーになったら、関係者の実名を挙げて、暴露したいと思います(わたしがこの世から消されていなければの話ですが)。
当時は残業も多かったので、家に帰ってから、食事を済ませて、鳥や虫がわたしのところに来て語った内容を思い出し、翻訳していました。テーブルも椅子もパソコンも置けない小さな部屋だったことから、一人用の冷蔵庫に乗せた電子レンジの上で(わたしの身長で立ってちょうど書きやすい姿勢が取れる)、遅いときは深夜の0時を過ぎても、ルーズリーフに手書きで30分以上かけて、彼らから言われたことを文章化して書き留めていたものでした。なぜなら、手書きしないと、何を言われたか翌日には忘れてしまうからです。
その成果もあって、こんにち、こうしていろいろとスピリチュアルについて分析できるのであって、それは、自然界の動植物たちのほうからわたしの特殊な能力に気づき、近くまで寄ってきてくれてアセンションに役立つように能力を開発してくれたという意味では、わたしに偉大さはなく「自然こそが偉大な教師」だったのではないかと考えています。それは、フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーの根底にある思想に通じるものがある気がします。
とにかく、敵のいやがらせ工作によってわたしが外勤の多い部署に回されたことで、かえって動物と会話する能力が加速度的に進化し、敵が窮地に陥るというギャグのような展開になったわけでした。
動植物たちはイエス・キリストを知っていた
動植物たちは、純真な善意だけで地球を救おうとしていました(現在も、そうです)。そして、わたしを助けるというよりも、わたしの妨害をしていた連中こそ、助けようとしていたふしがありました。やや意外な感じもしたのですが、彼らこそ古い常識や洗脳を解かれて、スピリチュアルにめざめてほしいと願っていたようで、わたしを苦しめるから罰するというスタンスではなかったのです。動植物たちはイエス・キリストを知っていて、そのまねをしているのではなくて、自分たちは宇宙の法則だから博愛を実践しているだけですよ、と語りました。
わたしの場合、職務にはきちんと専念していましたから、何の問題もありません。
いっぽうで、妨害を行なっていた人たちは、「職務専念義務」を厳密には無視した言動を取っていたことになるでしょう。
ですが、この先にディスクロージャーが起きた場合、動植物たちは、先に進むよう忠告するでしょう。長年の付き合いから、それがわかります(世代交代はしていますけれども)。
わたしがどう対応するかは、マスコミや世間がどれだけ騒ぐかによります。基本、アセンションのテーマを推し進めていき、途中で、当時の話題になったとき、反応を見ながら柔軟に対応するしかないでしょう。
それにしても、アセンション妨害派が、わざと当時の職場での妨害について論争にしようとしてかき乱す可能性もあるので、そのときはその話題からは身を引いて、宇宙の真実やアヌンナキの暴虐の歴史などに注目が集まるように仕向けたいと思います。過去に目を向けさせて対立を促し、この期に及んでもなおアセンション遅延を図るのかというふてぶてしさを持っているのが彼らの特徴でもありますから、注意が必要です。
一般に、エゴを肥大化させた人間ほどやっかいなものはありません。ルソーにならって、彼らには「自然に帰れ」と言いたいところですが、彼らにとっての自然とはエゴを満たすことであり、私利私欲万歳の世界観なので、勘違いして「自然に帰れとは、もっとエゴイストになれという意味だな」と正反対の意味に受け取られてしまいそうです。さいわい、二極化も進んでおり、こういう人たちと長くお付き合いする心配はなくなってきています。
イエス・キリストを動植物たちが知っていたのは、わたしの念動力でイエスについて伝えたわけではありません。その証拠は、わたしが知っているイエスにかんする知識を超える情報を、彼らから知らせてくるからです(ちなみに、わたしは無宗教です)。
どうやら、宇宙の記録図書館であるアカシック・レコードにアクセスできる個体が動植物のなかに誕生しているようです。それはちょうど、従来の人類のなかに、あなたやわたしのようなスターシードが出現しているのと同じ現象なのではないでしょうか?
ここで、闇の力が動植物たちの波動上昇を抑え込めなくなると仮定した場合、光と闇の力関係は劇的に変化していくものと予測できます。人類の多くがいまだに権威に弱く、洗脳されやすい状態に甘んじているなかで、自然界が次元上昇を集合的に決めたとき、地球全体はいったいどのような状況になるのでしょうか。
牛が、どうしゃべったのか?
さて、そのような前段で想像してみてください。
いつもチャネリング・メッセージを送信してくれるのは、鳥のなかでは、カラス、ハト、トビ、すずめ、ひよどり、シジュウカラ、ハクセキレイ、ゴジュウカラ、白鳥(冬のみ)などがメインでありました。虫では、トンボ、ちょうちょ、ハチ、ハエ、カゲロウなどの羽をもつ虫が中心でした。
しかしながら、その日の主役は上記のどれでもなく、「牛」でした。
彼女は、死にかけていました。
病気ではなく、けがが原因でした。
乳用牛は産業動物ですから、けがをして獣医による治療が困難だと判定されると、処分するために工場のような場所に送られます。愛玩動物が負傷したときには、そのようなことはしません。しかし、これは産業動物のさだめです。その個体に生産性がないとなれば、殺処分されてしまうのが現代資本主義のなかの農業のあり方ですから、やむをえません。
このような話は、人間だけが知っているのでしょうか?
ふつうはそう思うでしょう。
それなのに、この乳牛は違いました。彼女は、これから自分が死ぬことを悟っていました。
なぜわかるか?
それは、牛が、しゃべったからでした。そしてそれは、彼女のあとを生き延びるあらゆる生命に向けた遺言を形成していました。
わたしが上記の鳥や虫たちとやり取りする際に取り決めしている数字のなかで「7」という数字を「アセンション」という意味に置き換えようとテレパシー(動植物の集合思念と連結できる力)で以前から伝えておりました。
しかし、ほとんどがカラスやひよどりがその単語をわたしの前に現れて鳴き声で示すか、ハトやすずめが数えやすく間隔をあけながら車を運転中のわたしに見せるなどして行われていました。牛はもともとマイペースな生き物ですから、わたしに対して、それまではあまり反応を示したことはありませんでした。
ところがこの日は、職場からの指令で、わたしがこの牛の情報を確認し、写真を撮り、個体識別番号(耳標の番号)の確認を現場で行い、事務所に戻ってからは書類の作成など一連の作業を担当することになったのです。
現場の農場に着くと、1頭だけフリーストール牛舎から遠く離れた場所につながれている乳牛を発見しました。足が悪いと聞いていたとおり、立ち上がれないようすが瞬時に見てとれました。身体も泥で汚れています(前日の夕方から牛舎の床に伏している時間が長かったためだと思われる)。
車を降りて、その牛に近づき、周囲に誰もいないのを確認して、小声でわたしは話しかけてみました。「足が痛いのかな。ごめんね、助けてあげられなくて、ドラマに出てくる宇宙人のように、治してあげられたらいいのだけれど。」
牛の情報を確認し、写真を撮影してから座り込んでいる牛の耳に近づき、黄色い耳標に記された番号を確認したとき、その50メートルほど先にあるサイロのてっぺんに、ハトたちが集まっているのが見えました。
平和の象徴であるハトを見て天国を連想したわたしは思わず、牛の耳元で、こう語りかけました。「きみが天国に行けることを祈っているよ。それじゃ、仕事が待っているから。」
と、そのときでした。わたしがその牛に背を向けて車に向かおうとしたとき、いきなり、わたしを呼び止めるかのような鼻息が漏れたのが聞こえました。振り返ってみると、なんと、足を骨折しているのに、必死で立ち上がろうとしていたのです!!
彼女は、生きようとしていました。しかし、足はただ力なくけいれんするように震えるばかりで、立ち上がるのをあきらめたその牛は、わたしを見つめていました。何をしたいのか、まったくわかりませんでしたが、次の瞬間、わたしの目を見つめたまま、なんと、絞り出すような声で、「モー(①)、モー(②)、モー(③)、モー(④)、モー(⑤)、モー(⑥)、モー(⑦)。」と、1回ずつ数えやすいように明確に区切って、7回、鳴いたのです!!
その牛は、鳥や虫たちと同じく、わたしの存在を知っていました。「7」の意味も。「わたしは立ち上がることができなかったのでまもなく死ぬ運命にありますが、あなたは動植物たちと仲良くして、アセンションをしっかりがんばって、地球を良くしてくださいね。」というメッセージを残して、彼女は不平も言わず、この世を去る準備をしていたのです。
わたしは、瞬時にその意味がわかり、深く感動を覚えました。とかく不平不満を並べたり、批評したりしてばかりで、善く生きることをおろそかにしているわれわれ人間たちと比べて、動植物たちはいかに純粋に生きているのだろうか、と。
1頭だけの牛と向き合う場面というのはなかなかありませんでしたし、牛がしっかり区切って、わたしに向かって特定の回数だけ発声するというのは、それまではただの一度もありませんでした。
そのときのシチュエーションからも、鳥や虫たちと取り決めていたアセンションを表す数字のぶんだけ、死を予期した牛がわたしの目を見つめながら数えるようにして鳴いた、というのは、どうしてもたんなる偶然とは思えませんでした(というより、絶対に偶然ではありません)。
そして、なぜ彼女は、立ち上がろうとしたのでしょうか? 鳴くだけであれば、わざわざ骨折した足の痛みに耐えてまで、立ち上がる必要はないはずですが。
おそらく、わたしの強烈な思念が牛に伝わっていたのが理由でしょう。もともと、スターシードとしてこの能力があるために、わたしは人間社会で迫害されてきた代わりに、同じ能力でアセンションを自然界と協力しながら水面下で進めてきたのでした。それはいやおうなしに具わっている能力で、コントロールが難しく(=闇の力でも防げない)、歴代の権力者たちにとっても、大きな悩みの種だったようです(悩まずに素直に真実を認めろよ、と、長らく思ってきましたが、彼ら権力側の人間およびレプティリアンたちはいつも都合のよくない真実から逃げるのが、いまでもなお本職のようです)。
ただ、本音としては、これからその牛が殺処分されるという事実が、わたしの念力を通してその牛に直接伝わってしまうとかわいそうだなと思っていたのですが、やはり、それが牛に届いていたようです。しかしながら、牛のほうはその真実を静かに受け止め、やれることはやろうとしていた(=立ち上がろうとする、それが無理だったから、遺言を残すため、鳴いた)のだと思い返すとき、思わず目頭が熱くなってしまいます。
「自分は足の骨が折れている。しかし、このまま立ち上がれないと、処分されてしまう。だから、この人(=わたし、a-cosmos)のまえで立ち上がれることを証明したら、まだ生き延びることができるかもしれない。」
その牛の脳裏に、まちがいなくそのような淡い希望がかけめぐったものとわたしはその場で感じ取りました。これでも、彼ら動植物に理性がないと言えるのでしょうか?
これを読んだ方がどう感じようと、わたしは自分の身にそれまで起きてきた超常現象(=しかし、厳密に言えばわたしにとっては超常ではなく、日常でしたが)を考慮したとき、その意味がはっきりとよくわかるのです。
けっして美談にするつもりはないですが、わたし自身にとって、たいへん印象に残っている場面でしたので、今回、アセンションをめざしておられるみなさんにもぜひご紹介したいと思い立った次第です。
動植物に知性があるとか、ことばがわかるなどと言えば、即、危険人物のレッテルが張られるでしょう。ですが、あきらかに彼ら動植物たちはわたしと対等以上に語り合うことができ、しかも、圧倒的に教えられることが多いのは、このわたしのほうなのです。
地球の為政者たちは、宇宙人の存在と動植物に宿る知性について民衆が真実を知ったとき、自分たちの牙城が音を立てて崩れゆくのが恐くて、黙殺してきた歴史があります。
わたしも動植物たちとの交流が以前からライフワークとなっており、ゆえに、アヌンナキやレプティリアンが操る表舞台の人間たちから攻撃を受けながら、ここまで生き延びてきました。こうした真実を公然と語ると精神科に送られるという、中世以来の異端審問や魔女狩りの系譜が現代でも続いていますので、注意深く、他者には口外しないよう気をつけてきました。しかし、それもまもなく終わりを迎えるでしょう。それだから、ここに書けるようになったのです。
天国に通じる生きかた
わたしのチャネリングは、このようにして行われてきました。ある意味、毎日が命がけでしたが、そのぶんだけ、毎日が発見の連続でした。それはいまも続いています。
全世界には、わたしと同じ能力を授けられたスターシードもいると思いますが、そうした方と連絡は取れていません。おそらく、連絡を取る必要がないからでしょう。生き物たちと交流していれば波動も上がりますし、わたしが仕入れた情報や聴いた音楽、鑑賞したドラマや映画もすべて動植物たちの集合思念に転送できるからです。こうして自然界のほうでも波動を高めてきており、闇の勢力の魔の手が及ばない聖域がすでに完成しているのです。
今回の記事内容は、牛の話題でしたけれど、ほかにも動植物たちがからんでくるエピソードが数多くあります。これがほんとうならアセンションは事実だろうと確信できる事例が山ほどありました。
この牛が、ふだん、わたしがカラスやハトやトビやシジュウカラなどとかわしていたアセンションや宇宙の事象や闇の陰謀の対処法、そして仕事の悩みまで、多岐にわたる情報について、「地球の動植物の集合意識」にアクセスして知っていたとは、正直、驚きでした。
実はそれまでは、わたしも牛という生き物はあまりアセンションに熱心ではないのではないかと考えていたのですが、この事件をきっかけに、考えが変わりました。彼らは何も知らないように見えながら、わたしたち人類がとうの昔に忘れてしまった大事なことを知っていて、それを教えてくれるのです。
わたしがささやいたことばを正確に聞き取り(あるいは思念を感じ取り)、最後まで生きようとして、骨折した足で立ち上がればまだ生きられると思って必死に立とうとしたが無理であり、すぐにみずからの死期を悟って、わたしに向かって7回鳴いて「アセンションをしっかりやって地球を良くしてほしい」との遺言を残した牛は、まちがいなく天国の門をくぐったことでしょう。
わたしたちもそうした動植物たちの純真な心を見習い、できることをしっかりと取り組んでいきたいところではないでしょうか。
彼らにできて、わたしたちスターシードにできないはずがありません。どちらが上かという問題ではなくて、自然界は人類のめざめが遅いのを知っていて、それだからまず先にわたしたちスターシードに期待をかけて勧誘してくれているのですから、ありがたいと思って、謙虚に、かつ、この状況を楽しむユーモアをもって、世間の人から奇人変人扱いされても意に介さず、新しい意識のネットワーク(宇宙人-人類-自然界)を結ぶかけ橋となるのが、わたしたちスターシードに託された高尚な使命なのです。
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