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【スピリチュアル】ディズニーアニメとクラシック音楽が融合した傑作映画【ファンタジア/2000】によって、闇の陰謀ではなく愛と調和で世界をひとつにする!

 

 

【スピリチュアル】ディズニーアニメとクラシック音楽が融合した傑作映画【ファンタジア/2000】によって、闇の陰謀ではなく愛と調和で世界をひとつにする!

 

 

 

 

 

 

 ディズニーが総力を挙げて西暦2000年を記念して製作した映像作品は、映像史に残る傑作となりました。

 

 

 1940年に「ファンタジア」という名で、ディズニーアニメクラシック音楽の名曲をコラボさせた映画は、当時としては斬新な企画だったため、世界的なヒットを記録しました。

 

 

 その後、60年もの時を経て、なおその精神は生きていることを証しするかのように、新しい世代のアニメーターたちに引き継がれ、前作にはなかったCG(コンピュータグラフィック)などの最新技術を駆使しながら、豪華絢爛(ごうかけんらん)な作品に仕上がったのが、

 

 

「ファンタジア/2000」

 

 

という作品です。

 

 

 

  

 

 

こんな人にオススメ!!

 

 

 

1.動物が主人公のアニメが好き

 

2.クラシック音楽が好き

 

3.童心に帰って、短編のアニメ映画を観てみたい

 

4.アセンション的な映像作品で、宗教的でないものなら観たいと思う

 

5.子どもといっしょに愉しめるアニメで教育的要素も含んだ作品を探している

 

 

 

 

大人が観ても、子どもでも、どちらでも愉しめる

 

 ディズニーアニメというと、子ども向け、もしくは子どものいる両親がプレゼントに選ぶという印象を受けます。

 

 

 ですが、これは、大人の鑑賞にも十二分に耐えうる作品です。むろん、ここでいう「大人」とは、遊び心と想像力のある大人、との条件付きですが。

 

 

 個人的なお話をしますと、20年ほど前に、わたしはもともと動植物やクラシック音楽を愛好していたため、なにげなく、街のDVD屋さんで購入したのですが、

 

 

あとから観ると、この作品の中に、数編、アセンションを映像化したように思えるものが登場していたことに気がつきました。

 

 

 

 アセンションを映像化する、というのは、とても難しい作業です。どうしても作為が混じってしまい、誇張や誤解を受ける描写が避けられないでしょう。

 

 

 もちろんここでは、ディズニーの製作スタッフにも、アセンションを表現しよう、などという意図はなく、心から美しい映像作品を残そうとしていた意図は明確に伝わってきます。

 

 

 ほんとうに、大人が観ても、子どもでも愉しめる、素敵な感動の余韻を残す最高の出来映えの映像作品だと思います。

 

 

 

 

 

登場するキャラクターの表情と、音楽とで、ストーリーが分かる

 

 このDVDは、8つの【映像+音楽】作品から成っています。

 

 

 1つの作品につき、だいたい4~8分程度で、どれもほぼ10分以内にまとめられているので、クラシック音楽と聞いて最初に受けがちな、長くて退屈だといった印象は、微塵も感じられません。

 

 

 そのかわりに、色とりどりのかわいい動物たちのアニメーション、CGの幻想的な映像、それに誰もが知っているミッキーマウスやドナルドダックなどが登場し、音楽とシンクロして、たのしく、また、考えさせられもする場面に出くわします。

 

 

 ここでクラシック音楽の作曲家たちは、生前に、まさか将来、自分の作曲した音楽がアニメ作品で使用されるとは夢想だにしなかったでしょう。

 

 

 そのクラシック音楽の名曲に合わせて、アニメの登場人物(動物が多い)たちが、ドラマティックに活躍するというスタイルには、目を見張るものがあります。

 

 

 ここで、アメリカ古典アニメの傑作「トムとジェリー」を知っている人であれば、ここで説明している意味がすんなりとわかっていただけると思います。

 

 

 あの、音楽に、アニメの登場人物たちの動作がシンクロするのは、なんとも小気味よいですね?

 

 

 もちろん、セリフはいっさいありません。字幕も出ません。

 

 すべて、登場するキャラクターの表情と、音楽とで、ストーリーが分かる仕掛けです。小さなお子さんでも、たのしめるはずです。

 

 

 わたしは、大人になってから見ましたが、思いきり愉しんでいます😺

 

 

 

 

主な作品をご紹介していきます

 

 では、8つの作品の中から、特に印象に残る主な作品を、ご紹介していきましょう!

 

 

第1章・・・「運命」

 

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 『ジャジャジャジャーン!』

 

 で始まる、ベートーヴェンの運命交響曲(正式名称:交響曲第5番ハ短調 作品67)の冒頭楽章が、このDVDのトップに来ます。

 

 

 いきなり運命かよ、と考えるひまもなく開始し、パステルカラーの不思議な模様たちが、あたかも善と悪の意思を象徴するかのように現れます。それらは互いに競い合い、やがて、善が勝利していきます。

 

 

 

 これは、20世紀初頭のアメリカの美術界における抽象表現主義と呼ばれる書法に着目しています。

 

 

 人間は一人も出てきませんが、人間が一生に感じるであろう感情がすべて表現されている、不思議な作品といえるでしょう。

 

 音楽のほうは、ティンパニがきびきびとメリハリを付けて、この映像の善と悪の先鋭化をわかりやすく演奏しています。

 

 

 

★ちなみに、ベートーヴェンは、「運命」という名称にこだわっておらず、側近との何気ない会話の中で、冒頭の有名な主題について、「避けがたい運命とは、このように(苛烈な、無情な音型で)われわれに忍び寄るものだ。」と語ったと言われています。

 

 ここに音楽業界が目を付け、交響曲第5番に『運命』というニックネームを付して、知名度を高めようとしたのが実態のようです。

 

 

 当時のベートーヴェンは、難聴を乗り切ろうと必死で、30代の手前で、自殺未遂まで行き、32歳の秋のある日に『ハイリゲンシュタットの遺書』と呼ばれる遺書を書き残しましたが、何とか思いとどまり、苦悩した時期の思いを音楽化した作品のひとつが、この『運命』交響曲だったのは間違いありません(この作品の他にも、いくつかあります)。

 

 

 音楽家にとって、耳が聞こえなくなるというのは、死の宣告に等しいものです。

 

 それを他者に言っただけでライバルの同業者を中心に、うわさが拡散し、みずからの音楽家としての生命が終わりを迎えると思い込んでいたベートーヴェンは、耳が正常に聞こえるふりをしながら日常生活を送っていましたから、相当な心労がつのっていたと思われます。

 

 

 結果的に、ベートーヴェンも50歳に近くなるころには、さらに難聴が進み筆談を交わすのが主なコミュニケーション手段となり、結局、耳の病気は快癒するわけではないのですが、その後、1824年(死の3年前)には、運命交響曲を超える規模の、『第九交響曲』を完成する偉業を為し遂げ、その困難にもかかわらず、未来の人類(=現代のわたしたち)に希望の灯火をかかげるのでした。

 

 

 彼自身の言葉によれば、

 

「より美しくあるためには、(音楽的に)破り得ない法則など、ない。」

 

として、大バッハやモーツァルトにみられる堅固な北ドイツ=オーストリア風の音作りを模範としながらも、果敢に独特の力強さと叙情を音楽に盛り込むことに成功し、後世からは、「新鮮な音楽を残すとともに、新しい聴衆を作った」と評価されています。

 

 

 また、よく知られるように、

 

「苦悩を通して、歓喜に到るのが、われわれの人生の目標です。」

 

とベートーヴェンが語った言葉は、たんに言葉によるものにとどまらずに、より深く音楽の内声に多層にわたって構成されているのを、聴き手のだれもが言葉以上の重みを以て感じ取ってきました。

 

 

 

 ここでは、作曲時、30代後半だった当時のベートーヴェンの苦しい心情とそれに打ち克つ不屈の精神を、愉しいアニメーション映像に乗せて感じ取りましょう!

 

 

 

 

 

★ベートーヴェンの第九はアセンションで完成する★

 

 

 

 

第2章・・・「ローマの松」

 

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 この映像はCGです。

 

 

 担当したヘンデル監督は、超現実主義シュールレアリスムの1920年代の画家の作品をイメージしたと言っています。

 

 

 

 ストーリーは、夜の海。

 

 クジラの子どもが遊んでいるうちに、夜空に超新星爆発が起き、新しい星が形成されるのを確信します。

 

 両親、そして、仲間のクジラたちも、このことを確認し、地球の夜の海から、一気に音楽に合わせて高らかに空へと舞い上がります。

 

 

 彼らは、やがて宇宙を超えて、天空の彼方に突き抜けていきます。

 

 

 そして、新たに誕生した天界の惑星に、新世界を築くところで、メリハリのあるレスピーギの曲に合わせるかのように音楽とともに、完結します。

 

 

 

 このストーリーは、『超現実主義』である、といいたいのでしょう。

 

 しかし、わたしには、「超」をはずして、これがやがて現実の映像になる気がしてならないのですが・・・。なぜというに、アセンションは、現実にいまも起きている事柄だからです。

 

 

 この『超現実主義』という芸術表現自体は、現行のアセンションを意図してはいないようです。しかし、もともと、20世紀初頭において、既成の権力や、政治に反抗する内向的な芸術運動の一環だったといわれています。

 

 

 映像は、個人的に、わたしたち人間も、主人公のクジラたちに感情移入して、そのまま昇天=アセンションしてしまいそうな気持ちにさせてくれます。

 

 

 特定の宗教感情とは無縁の、意図しないアセンション風の映像となっています。

 

 

 レスピーギのローマの松という音楽も、映画のクライマックスのテーマ曲さながらに、朗々と響き渡る圧巻の作品です。

 

 

 ここでは、音楽は、いちばん高揚する部分を10分未満に抑えて使用しており、緊張感が凝縮した、素晴らしい作品になっており、ぜひ鑑賞されることをおすすめします。

 

 

 

 個人的に、わたしは、この作品がいちばん好きです。

 

 地球の海洋上の夜空といい、クジラたちが宇宙空間に飛翔してから現われる映像といい、あちこちに、アセンションを目指している人にはわかるであろう「現実感」が漂っているからです。

 

 

  

 

 

第3章・・・「ラプソディー・イン・ブルー」

 

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 アメリカの作曲家ガーシュインの作品は、ラプソディー・イン・ブルーで、20世紀を代表する楽曲です。

 

 

 この作品は、とてもモダンなセンスが感じられます。

 

 

 クラシック音楽を超えて、むしろジャズや黒人霊歌が主体になり、20世紀初頭のニューヨーカーの庶民的な生活が、コミカルなタッチの漫画的アニメ映像によって、愉快に描かれています。

 

 失業者、習いごとをする子ども、建設現場での作業員・・・20世紀のアメリカは、こんな感じが日常だったのか、と、人間模様が凝縮して表現されており、ガーシュインのノリのよい、クラシックというよりも愉快な映画音楽風のミュージックにも、つい時間が経つのも忘れてしまいそうです。

 

 

 あたかも、自分がアメリカ人として20世紀初頭に、そこに暮らしていたかのような錯覚を覚えてしまうから不思議です。

 

 

 しかし、ほんとうにニューヨークに暮らしていた経験があるかと問われれば、答えはNoです。

 

 過去世と言うことはないでしょう。

 

 それはふつう、転生するとしても、数百年は間隔を空けるからです。あまり、前世での関係者が多いとカルマの因縁でよろしくない点が多いためとも言われているからです。

 

 

 しかし、純粋に、観ていて愉しい、文化史的な価値もある映像だと思いました。

 

  

 

 

第4章・・・「ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番」

 

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 旧ソヴィエトを代表する作曲家・ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番を使用したCGアニメは、なんとアンデルセン童話から着想したものです。

 

 

 「昼間は、館にある、ただの子どものおもちゃに過ぎないが、夜になって明かりが消え、人間たちが寝静まると、急に動き出して、『人生』をしっかりと生きているおもちゃたち」

 

という設定で、彼らの葛藤を描くストーリー構成です。

 

 

 

 おもちゃの兵士が、同じおもちゃのバレリーナを恋に落ちますが、悪役であるびっくり箱の男によって、引き裂かれてしまいます。その後、ハラハラする展開が続いたあとに、めぐりめぐって、最後には結ばれるという物語です。

 

 

 ここは、さきにみたクジラたちのアセンションを描いたかのような「ローマの松」作品と同様に、通常の意味でのアニメではなく、CGとアニメを合成した、完成度の高いシナリオです。

 

 

 ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲も、きびきびと、メリハリの利いた、このアニメにふさわしい劇的で軽快な音楽です。

 

 聞いていて、これがクラシック音楽か、と耳を疑いたくなる出来映えのコンチェルトです。

 

 

 ストーリーは童話によくある展開ながら、まさにそれゆえに、予定調和的に流れていくのが快感で、勧善懲悪的に終わります。

 

 

 この手の絵本を読んだ子ども時代を思い出される方もいるでしょう。

 

 

 

 ちなみに、ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)という作曲家は、旧ソ連で、スターリンの血の粛清の時代を生きました。

 

 

 知り合いが次々と、強制収容所に送られての強制労働や、国家の手によって銃殺されるなど、暗黒の時代に音楽家として生きた人物です。

 

 そんな彼自身も、作曲した曲が、スターリンの意に反するものと会議で認定されたが最後、帰らぬ人となるような恐怖政治がじっさいに旧ソ連では行なわれていた中での作曲活動は、ただならぬものがあったと想像できます。

 

 いつ自分が粛清されてあの世に送られるかわからない過酷な状況下で、よくもこんなに明朗な音楽をかけるものだと感心してしまいます。

 

 

 ここで使用されている音楽、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番は、当時、まだ10代後半の音楽院の学生だった長男・マクシムのために、西暦1957年に作曲されています。

 

 

 ショスタコーヴィチが恐れていたスターリンは、1953年に世を去っているので、それから4年後の作曲となり、いくぶん、粛清の恐怖は去ったかに思えます。

 

 

 それでもなお、旧ソ連国内での社会的な不安は払拭されませんでした。この作品は、しかし、長男がピアニストとして演奏するための音楽ということもあって、曲調そのものは青春の息吹を感じさせる明快な作風に仕上がっています。

 

 

 

 ぜひ、みなさんも、そのようなショスタコーヴィチという旧ソ連の作曲家のピアノ協奏曲第2番を、こうした時代背景を頭に入れて、ディズニーのアニメ映像とともに鑑賞してみてください。

 

 必ず見返りは与えられるもので、死と隣り合わせの状況にあって、人間は、何を感じているのか、言葉では表しきれない深い感動を知ることになるでしょう。

 

 

 そのような極限状態では、もはや、人種や宗教の違いは、意味を持ちません。

 

 

 ディズニー作品を自宅で手軽に、それも1作品につき、たった数分で、世界の人々の心理を追体験できる機会が得られるというのは、本当によい時代になったものです。

 

 この機会を利用しない手はないでしょう。

 

 

 さらに、スターリンの恐怖政治が吹き抜けるさなかにあっても、ショスタコーヴィチは、当時の旧ソ連で、『現代のモーツァルト』という異名をとっていました。

 

 これは、彼のサンクト・ペテルブルグ音楽院時代に、教師であり作曲家でもあったグラズノフが、彼の才能の高さと高度な対位法の技術に驚いて、「ショスタコーヴィチには、モーツァルトなみの才能がある」と周囲に語ったのが最初だと言われています。

 

 

 旧ソ連の音楽というと、とかく湿りがちで、陰気な気もします。

 

 しかし、ここで流れてくるショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番は、クラシック音楽の要素を土台にしながら、ジャズやポップミュージック的に愉快に軽快に響いてきます。

 

 

 そのあたりが、モーツァルトの作風に近い、聴きやすい、聴いていて愉しい、と、旧ソ連でも評判だったのでしょう。(しかし、いっときの評判も、その場かぎりに過ぎず、次の作品に失敗すると、死が待っていました)

 

 

 

 

 さて、モーツァルトといえば、現在では、多くのチャネリング情報から、スターシード認定を受けている作曲家のひとりです。このサイトを訪問される方には、ゆかりの深い音楽家だと思われます。

 

 

 「旧ソ連のモーツァルト」と呼ばれたショスタコーヴィチの音楽に乗せて登場するアニメは、どんなにファンタスティックなものでしょうか・・・

 

 

 どの作品もそうですが、この章も、小さなお子様から大人まで満喫できる内容に仕上がっていますので、気張らずに鑑賞してみませんか?

 

 

 

  

 

 

第7章・・・「威風堂々」

 

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 音楽には、エルガーの威風堂々を使用して、ドナルドダックたちがノアの方舟で洪水を回避し、新天地に棲み着くまでの物語です。

 

 

 この作品には、ノアの方舟で洪水から逃げるのに、たくさんの種類の動物たちが、「この先に、洪水が起こる予言を意識して」乗り込んできます。そのイラスト(アニメ)がたいへん可愛らしい。

 

 

 最後は、こちらも予定調和的に、予想通りに閉じていきますので、安心して、観ていられるでしょう。

 

 ある意味、アセンションを意識している人には、この作品も、予言的な要素を含んでいる、心に残る映像となるはずです。

 

 

 

★ドナルドダックはアニメ限定じゃない!鳥たちの能力は、実はスゴかった★

 

 

 

※上記の各章の画像はイメージであり、実際にDVDで上映される映像ではありません。

 

 

 

世界は平和裡にひとつになれる

 

 

 ディズニーが好きか否かにかかわらず、本作品は、素晴らしく完成度の高い、映像と音楽が愛情豊かに融合した奇跡といえるものです。

 

 

 ほんとうに、音声のセリフも、字幕も出ないのに、すべて映像と音楽で理解できるというのは、世界は、言語や宗教は異なれど、必ず(陰謀論での闇による世界統一でなくて)世界は平和裡にひとつになれるのだと確信させてくれる、感動的な映像作品だと断言できます。

 

 

 

◎世界人口削減計画の謎

 

 西暦1980年、突如、アメリカ合衆国・ジョージア州に、何者かが打ち建てた「ジョージア・ガイド・ストーン」をご存じでしょうか?

 

 

 その謎の石碑に記されている、健全な世界を維持するには世界人口を大幅に減らすべきだ、と読める内容、いわゆる人口削減を前提にした世界統一のニュアンスは、この作品【ファンタジア/2000】では、いっさい登場しません。

 

 

 ディズニーはよく、「世界はひとつ」というテーマを掲げるので、闇の世界統一計画がついつい脳裏をよぎってしまいます。

 

 しかし、われわれとしては、そんな暗い「世界はひとつ」は、あってほしくないものです。

 

 

 疑い深い人だと勘ぐる可能性もありますが、少なくとも、アセンションをめざして長年取り組んできたわたしの眼には、このディズニーの作品については、そのようなほの暗い陰謀とは無縁のものだと断言できます。

 

 

 この【ファンタジア/2000】で表現されている「世界はひとつ」的なアイディア中には、純粋に世界はよくなるだろうとの楽観的な見通しと愛情しか感じ取れないのですが・・・

 

 

 世界人口削減計画の謎については、あちこちで叫ばれているため、ここでは詳しく述べません。

 

 けれども、ある程度の年齢になり、これまで歩んでこられた人生を振り返れば、そのような不穏な考え方をする人たちが、この世にいてもおかしくないと経験則から断定できるでしょう。

 

 

 

 しかしながら、闇の勢力の世界征服宣言ではないか、といわれている「ジョージア・ガイド・ストーン」がアメリカ合衆国に出現したからといって、アメリカ国内で製作された芸術作品のすべての根底に危険な思想が流れている、と考えるほうがおかしいのではないでしょうか。

 

 

 少なくとも、世界中を対立させる目的で拡散される「○○という国(または民族、職種、個人)は、頭の天辺からつま先まで、すべて悪である」という闇のプロパガンダの定番から、離別していくようにしましょう。

 

 

 

 

 ちなみに、具体的な数字としては、世界人口は、

 

「世界の人口は、5億人で十分だ」

 

「ジョージア・ガイド・ストーン」の第1条に、記されています。

 

 

 となると、残りの75億人は、どこに行くのでしょう?

 

 

 

◎ニュー・ワールド・オーダーは、実現しない

 

 と、われわれのタイムラインでは実現しない(させない)計画を滔々と語っても仕方ありませんが、歴代の支配層がめざしてきた「ニュー・ワールド・オーダー(=NWO)」、新世界秩序について、念頭に入れておく必要は、まだあるかも知れません。

 

 闇の世界統一計画の最終形態として、あちこちの文書に記載があったり、国際会議の場で発言されており、アメリカの石碑に刻まれた条文だけが根拠ではないのです。

 

 

 結論を言えば、「ニュー・ワールド・オーダー」は、計画倒れに終わるか、別の(低い)次元に移行した人々(と、さきの5億人)のあいだで完成する可能性であれば、ありえます。

 

 

 もし、闇の計画における「5億人」に選抜されたかったら、せっせと奴隷のように支配層につき従えばいいのです。

 

 その代わり、行った先では、これまでの世界で「仮想敵」としてきた、わたしたちアセンション派と別れた後なので、彼ら自身が「仮想敵」もしくはそれ以下の「奴隷」そのものに成り下がる運命です。自業自得ですね?

 

 

 

 闇側から、「不要な75億人のひとり」とカウントされる光栄に浴するのは、なんと嬉しいことでしょう。

 

 

 わたしたちは、そのような不吉な計画を遂行する者たちと別れて、愛と調和を選び、高い世界に移行することにしましょう!

 

 

 

闇の人口削減や世界統一計画の期限は、西暦2030年あたりではないか、とささやかれています。

 

 

 たしかに、近年の世界で起きてきたことを振り返っても、

 

・自作自演に見えるテロや戦争

・茶番の政治

・オカルトを正統な学問から排除する風潮

・ウイルスの流行

・マスコミの偏向報道

 

 

と、数え上げたらきりがないところです。

 

 

 

 これはたしかに、年限を切って、何らかの世界統一的な目論見(もくろみ)があって、うごめく何かを(サタン的な邪悪な波動を)感じ取ることのできるものです。

 

 このペースでの展開が、はたして西暦2030年ごろをめざしたものなのかどうか・・・

 

 当初は闇の世界征服は、2039年頃とされ、アメリカのケネディ大統領(当時)の暗殺の真相をアメリカ政府が公開するとまでされてきましたが、さらに急ピッチで進めるのに、何か深い訳があるのでしょうか?

 

★西暦2039年 ケネディ大統領にまつわる予言と、ヒトラーの予言★

 

★西暦2045年トランスヒューマニズムでAIが人類を超える日の悪夢を乗り越える★

 

 

 

 

 しかし、過度に心配する必要はありません。

 

 単純な話で、わたしがここで書いた事実そのものが、答えなのです。

 

 

 つまり、「これこれの陰謀や、計画がある」と判明しているので、それを対策して、自分は別の道を行く、と宣言すれば、完了です。

 

 

 それまでに、アセンションで、別軌道に乗れば、巻き込まれずに、自分たちの希望の次元に旅立てるでしょう。

 

 存在しないもの、実現不能なものに、過剰に恐怖すると、結果的にそれらを現実の形を伴って、あなたの周辺に引き寄せてしまいます。さらに悪いことに、その恐怖心を動力源にしている低級霊までも寄ってくるでしょう。

 

 

 きちんと見解を持ち、内面的に十分なので、「これこれについては、こうするので、問題ない」として宣言すれば、そのような成果を引き寄せます。

 

 自己暗示について語っているのではありません。それが事実だから書いているだけの話です。

 

 

 

 

◎新鮮な感動を提供してくれる

 

 さて、この作品の話題に戻りましょう。

 

 これは、西暦2000年ごろに製作されたものなので、古いと感じるかもしれません。けれども、真の傑作とは、時間の経過で経年劣化していくものではなく、たったいま作られたかのような新鮮な感動を提供してくれるものでもあります。

 

 

 当時、製作に携わった方々は、アセンションを知っていたのでしょうか・・・情報は知らなくても、心の奥底で、人類の幸福を願うがゆえに、結果的に、あたかもアセンションを知らなくても知っていたかのような作風に仕上がるという現象も、なきにしもあらず、だったのでしょうか?

 

 

 永遠の瞬間をとらえた芸術作品というものは、いつも、新鮮なみずみずしい感動を伴って、わたしたちの心を潤してくれるものだからです。

 

 

 心のどこかで潤いが欠けていると感じたら、この作品に手を伸ばして、未知なる感動の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

スターシード・インディゴ・クリスタル・レインボーチルドレン向けコラム☆彡
 

 

 今回は、

 

【スピリチュアル】ディズニーアニメとクラシック音楽が融合した傑作映画【ファンタジア/2000】によって、闇の陰謀ではなく愛と調和で世界をひとつにする!

 

と題して、アセンション派がめざす「世界は平和にひとつになる」ディズニーアニメ映画と、闇の勢力がめざす「都合のよい人間だけ残して人体改造し、あとは人口削減して世界統一する」テーマについて考えてみました。

 

 

 陰謀はさておいて、アセンションについては独自にヴィジョンを持っている。けれども、他の人とヴィジョンを共有できずに悩んでいる・・・そんな方には、ぴったりの映像作品です!

 

 

 もちろん、アセンションというテーマを意識的に描いているわけではないにもかかわらず、「ひょっとして、これが、アセンション的なイメージの決定盤ではないか?」と思えるのが、クジラの大群が生きながら昇天していく、2番目に登場するアニメです(レスピーギの音楽を使用した作品)。

 

 

 

 後半に出てくる、ノアの方舟をモチーフにしたストーリーを好む方もいらっしゃるでしょう。

 

 

 ここでは、音楽が主だとか、いやいや映像が主だろう、とか、両者とも対等に扱われている、などと、どのような視点からも許容される寛容な表現が全篇に行き渡っています。

 

 

 ですから、音楽に余り関心のない方でも、リズム感が抜群なアニメーション作品として鑑賞することができる秀逸な作品です。どんな感覚でも受け入れられると思います。

 

 

 

 3次元の残り少ない日々を、悲嘆の気持ちで過ごすのか?

 

 せっかくだから輪廻を断ち切る理解を持った上で、満喫するところは満喫するのか? 

 

 

 あなたなら、どちらのスタンスを是とするでしょうか。

 

 

 もし、前者だったとしても、このアニメにじかに触れてみると、失いかけた子ども心がよみがえってきて、活気がわいてくるかもしれません。

 

 

 もう一度、夢見る気持ちを復活させることで、忘れていた大切なものを思い出す機会を得るかもしれないですね?

 

 

 その忘れていた大切なものとは、過去世と今生とを結びつける記憶であったりと、なかなか、意外な報奨がもたらされる可能性すらあるのです・・・

 

 

 

 

陰謀は、表面化すると、無効化する

 

 たまには、堅苦しいことばかり考えていないで、自分を解き放ってみましょう。

 

 

 あなたの内側に、無邪気な童心をよみがえらせるのに、【ファンタジア/2000】という、ちょうどよい作品を、きょうはご紹介しました。

 

 

 毎回、陰謀関連を記事に取り上げると息が詰まるし、また、それは現実から目をそむける逃避ではなくて、すでに陰謀の多くは、無効化されているからです。

 

 

 どのように無効化されるかといえば、一言で説明は終わります。

 

 

 陰謀とは、表沙汰にならないから、陰謀としての価値があるのであり、いったん表面化して、世間に知られるようになった時点で、ほぼアウト、通用しなくなるために、無効化されるというわけです。

 

 

 ですから、相手が政治家にしろ、何かの工作員にしても誰にしても、いちいち、取り合わなくてもよいのです。

 

 さきに取り上げた、人口削減をメインとする「ジョージア・ガイド・ストーン」にしても、世界をひとつの統治体にまとめて管理する「ニュー・ワールド・オーダー(=NWO)」にしても、同じです。

 

 

 

 闇の勢力が、いったい何を目論んでいるのか、

 

「こちらから質問するまでもなく、わかりやすい計画を発表して、わざわざ教えてくれてありがとう」

 

と、むしろお礼を述べて、せっせと、もっと理想的な世界を作っていくために、自身にできることから取りかかる。

 

 

 

 そうすれば、闇の勢力の陰謀は、実現という日の目をみることなく、ただ陰謀という名の妄想のままであり続けるだけでしょう。

 

 

 ですから、じっさいには、世界人口削減計画は、成就しないでしょう。

 

 

 それは、自分が支配者にとって都合の悪い人間で、早くに抹殺されるから、その計画が完成した日に立ち会えない、という意味ではありません。

 

 

 彼らの望む世界は、これからアセンションする人間たちとは別の、より低い次元では、完成するかもしれませんが、全員がそこに行く必要はないのです。もちろん、そこに行きたいと志願すれば、行けると思いますが。

 

 

 

 

 要は、わたしたちは、陰謀の何たるかを「知る」ことが大切であり、抗議したり、反抗することは、重要ではありません。

 

 

 われわれが、心の底から「知る」ことによって、陰謀は、陰謀でなくなるので、毎回、陰謀の話題をするよりも、無邪気に生きるヒントになる情報もまじえたほうが、人類の波動上昇に貢献できる気がしています。

 

 

 

 さて、この映像と音楽による愉しい作品を鑑賞し終えてからも、実生活の上で、無邪気に感動する心を失わない姿勢を続けることです。

 

 

 

 本作に登場する映像のうちで、アセンションをイメージしやすいものを見つけたら、日々の暮らしで落ち込むようなときに、その場面を思い起こてみるとよいかも知れません。

 

 

 きっと、あなたに明るい気持ちを呼び覚まし、波動上昇の助けになってくれるはずです!!

 

 

 

 

疲れを回復し、愉快に生きる

 

 じっさい、闇というものは、人類が愉快な感情をもつことを極度に恐れています。

 

 

 「ジョージア・ガイド・ストーン」や「ニュー・ワールド・オーダー」についても、知識をしては持っておき、しかし、「そのような世界には暮らしたくない」と、にこやかに理想に向かっていくのがよいでしょう。

 

 

 あまり、闇の計画を阻止するぞ、と意気込むと、それこそ、闇のペースです。

 

 知りつつ、横目で見て、「自分にはもっと、高い理念を実現できる(スピリチュアル的な)力がある」と宣言して、素通りできるぐらいになりたいですね?

 

 

 そして、悲観論にはまらずに、もしはまりそうになったら、たぶんちょっと疲れているだけなので、少し休んで、回復したら、愉快に生きる。まだ、黙って待つだけではなく、愉快に生きる工夫も欠かせません。愉快に生きるのは、よいことです。

 

 われわれは競争を強いられ、愉快な感情を持つのは怠けと同じといった刷り込みを受けていますから、大人になって、その刷り込みを解除しなければ、波動が上がらないのです。かつては競争も必要でしたが、不要なアセンション波動上昇の障壁を設置するほどに加熱しないよう、成長期に受けた過度の刷り込みを、各自で緩和していきましょう。

 

 

 

 そんなわけで、【ファンタジア/2000】のような作品でさえ、鑑賞するだけで十分に、光の存在として地球に貢献することになるのです。

 

 心は、おさなごのように純真になり、一方で、理解度は成熟しているので得るところも大きい。

 

 

 もちろん、これに準じる喜びであれば、何でもかまいません。

 

 

 具体的には歌や踊り、詩歌、自然に親しむ、音楽鑑賞、好きな映画、アニメ、散策、たのしい健康的な食生活と睡眠、明るい遊び、瞑想など、どれをとっても、あなたが「愉快な感情をもつこと」で、あなたのアストラル体(霊体)におけるシールドを強固にしていくことにつながりますから、気難しい顔をしないで、くつろいだ気分で、アセンションを迎えるようにするとよいでしょう。
 

 

 スピリチュアルに暮らしながらも3次元に没頭して生き、ふと気がついたら、闇はおらず、愛と調和の世界にいた、となるのが、いちばんですね?

 

 

 闇の計画云々も、それに興味を持たなければ、それぞれに違うタイムラインに移行するまでの結末が見えているため、過剰に気にする必要はありません。

 

 それでは、なぜ書くのかといえば、それを知らない場合、アセンションという言葉(と概念)が素通りしてしまうからです。

 

 

 「その日が早く来ないか」と待つより、「その日が来るまで、3次元を飛び立つ準備をしながら、愉しんでしまおう」という生き方が最強のようです。ぜひ、実践してみましょう!

 

 

 

 

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