【スピリチュアル】二元論について ~ バランスをとる重要性
きょうは、二元論をはじめとして、わたしたちが、日々を生きるさいに、心のバランスを如何にとるべきか、また、そのバランスをとる重要性について、展開していきたいと思います。
- 【スピリチュアル】二元論について ~ バランスをとる重要性
- 二元論は危険
- ほかに道はないか?
- 愛に生きる
- 似て非なるもの
- 心の断捨離
- 二元論は、どこから来るのか
- 無意識の洗脳を解く
- たくさんの選択肢をまえにして、自由意思を発揮する
- 【まとめ】
二元論は危険
二元論は、非常に危険です。なぜなら、それ自体がワナになるからです。
白黒をつけるのは、わかりやすいから、いいじゃないか、という意見もあるでしょう。
しかし、やはり、それで済まされない気がします。
栄養でも、考え方でも、バランスが重要です。
そのあたりから、みていきましょう。
ほかに道はないか?
何かに迷ったとき、あなたは、どうしていますか?
いままでの人生の中で、どう選択してきたか、思い返してみてください。
はっきりしていることは、『道が、2つしかなかった。』わけではない事実でしょうか。
『Aか、さもなくばB』
ということばかりでは、人生、渡りきれないという感覚は、誰にだって、もとからそなわっているはずです。
そこで、ほかに道はないか、探るのが普通でしょう。
二者択一は妄想です。自分を追い詰めます。
そして、いずれは、かつて自分が否定した立場に、すぐにでも追いやられることになりかねません。
愛に生きる
こう書くと、特定の宗教の響きに感じるかもしれませんが、あくまで一般論です。
二元論から解放されたいと願う場合に、まず思いつくのがこれです。
いきなりそんなことができない、とお感じになっても大丈夫です。
道徳の授業ではありませんからね?
とりあえず、気を軽くして、最後まで読み進めてください。
【愛されたかったら、まず、あなたが愛しなさい】、ということはよく言われますけれども、たしかにそれもそのとおりです。
愛がなかったら、この世は存在しないし、わたしたちも生きている意味が分からなくなってしまいます。
この場合の『愛』とは、若い男女の間に咲く情熱とは、別物をさしています。
それは、
【積極的には、相手のためになることをすること】
です。
ただし、現実に目を向けたとき、反対の表現を用いると、よりわかりやすいという立場の人もいます。
つまり、先のような愛は、高度すぎて、エゴイスティックな人間がまだまだ多く居る地球の現状からは、まだ理解され難いので、
【消極的に言って、自分がやられて困ることを、相手にしないこと】
だと言います。
また、それも、報酬として、すぐに戻ってくると考えないほうが安全です。
だいたい、近視眼的になって物事をみるくせがある人は、こう言います。
「せっかく、親切にしてやったのに、忘恩ばかりの世相だ。」
しかし、わたしたちの積んだ徳というものは、来世やアセンション後の評価のときに、査定される性質だと考えると、より現実的でしょう。
そもそも、この世で安定した地位を維持するためだけに、利他的になっても意味がありません。
たとえ社会からの評価は低くても、だれも見ていないところでの善行も、必ず最後(死後や、アセンション直前の審問のとき)には重要な意味を帯びてきます。
ですから、みなさん、どうか、人生の意義を深く受け止めて、焦らずに、穏やかな心で生きましょう。
愛に生きる、というと、欧米のロマンス映画の題名のように聞こえますが、そうではなく、できる人から、それを始めれば、少しずつながら、世相も明るく変わっていくこと請け合いであるわけです。
似て非なるもの
二面性はありますが、「二面性」と「二元論」は別物です。
たくさんの性質、多面性の中から、ある2種類の異なる性質を取り上げたものが、二面性で、そこに善悪の判定基準を持ちません。それこそが宇宙の本質と言えるでしょう。
それに反して、二元論は、必ず軋轢を生み、自分に跳ね返ってきます。
心の断捨離
二元論は、どこから来るのか
二元論とは、いったいどこからやって来るのでしょうか?
南から、北から、西から、東から・・・
いいえ、それは、あなたの心から、来ています。
『えっ、そんなことないですよ?
心は、きれいだし・・・』
そうです。たしかに心はきれいかもしれません。ですが・・・
いいえ、あなたはもともと、美しい魂でした。
でも、後天的に、二元論にどっぷりと浸かりました。
そのために、生まれ出でたときの純粋な魂を曇らせてしまいました。
善か悪か、大か小か、強か弱か、長か短か。
これらは、ものごとを客観的に測定するのには役立ちますが、これをすべてに、とりわけ道徳的な価値にあてはめるのは、独断に陥りやすく危険です。
さらには、そのように白黒をはっきりつけなければ気が済まない性格になっていくと、その人自身の人生の間口を狭めてしまうことになりかねないからです。
ですから、心の断捨離が、ぜひとも、必要となってくるのです。
無意識の洗脳を解く
人は誰でも、無意識下に、洗脳に近い状態で暮らしてきました。
洗脳と言っても、故意にそうしたのではないケースがほとんどだと思います。
家庭、親族、友人、学校、マスメディア、職場で受けた影響、そして自分自身で獲得した誤謬(ごびゅう)など、悪意のあるなしにかかわらず、長年にわたり、生きていく上で避けることが不可能な状態におかれて、知らず知らずのうちに被弾しているものです。
ただ、大事なのは、このことを自覚するかどうか、に尽きるでしょう。
もし、あなたが、そのような気づきを得たら、バランスをとるように、運命から促されていると考えてください。
これまで常識だと思っていたことが、実は、間違っていた。
しかし、それを認めるとなると、自身の自我同一性(アイデンティティ)をおびやかすことにつながるから、無意識のうちに却下してしまう・・・
この行程を何度か行き来して、古い常識から脱皮しても大丈夫な理論を構築できたら、一歩、前進です。
理論、と書きましたが、自分で納得できる状態であればよく、他者に説明して、わかってもらう必要などないのは言うまでもないことです。
このようにして、家庭や学校、職場などから受けてきた無意識の洗脳を解く作業を通過すれば、あなたの心のバランスは均衡がとれるようになり、その重要性も理解できるようになっているはずです。
たくさんの選択肢をまえにして、自由意思を発揮する
どうしても周囲に合わせるべきところだけは合わせながらも、二元論でいくと息が詰まりそうな局面では、二元論的な発想から、自身を解放しましょう。
たくさんの選択肢をまえにして、自由意思を発揮する。
これで、社会からアウトローにならないで、かつ、個性的な道を進んでいけると思います。
これは、いったん身につくと、あとは習慣の力が作用してくれるので、ほぼ全自動式に、うまく回るようになっていきます。
なにごともそうですが、最初の努力が、肝心となります。
二元論とは、科学的にものごとを分析する尺度としては大変便利といえますけれども、倫理的な価値基準に用いると、心のバランスがみるみる崩れていき、やがては、社会全体もすさんでいくでしょう。
【まとめ】
現代のように生きにくい時代にあっては、心のバランスをうまくとらないと、酔生夢死のごとく、ただ時間ばかりが過ぎ去っていきます。それも、大きな苦痛を伴って・・・
そのために、地道な発想ではありますが、次の点に注意して、実践型の生活を送ることが、最善の方策と思われます。
◎教育やメディアから受ける、独断に陥りやすい二元論的な発想の被弾(悪い影響)を最小限にとどめる。
◎積極的には、相手のためになることをすること。
◎消極的に言って、自分がやられて困ることを、相手にしないこと。
◎たとえ社会からの評価は低くても、だれも見ていないところでの善行も、必ず最後(死後や、アセンション直前の審問のとき)には重要な意味を帯びてくるものなので、賞賛を受けようと焦らずに、穏やかな心で生きること。
このようなポイントを絞って、具体的に意識しながら生活の中で実践していくと、上達は早くなります。
あなたが人生という名の平均台から落ちそうになっても、これでバランスをとって、乗り切ってみてください!