【世にも美しい波動の上がる音楽 30】 癒やしが必要なときに聴きたい、スターシードのためのピアノ音楽 BEST3!! リスト『なぐさめ』、サティ『ジムノペディ 第1番』、ショパン『葬送行進曲』 + リスト『愛の夢 第3番』
- 【世にも美しい波動の上がる音楽 30】 癒やしが必要なときに聴きたい、スターシードのためのピアノ音楽 BEST3!! リスト『なぐさめ』、サティ『ジムノペディ 第1番』、ショパン『葬送行進曲』 + リスト『愛の夢 第3番』
- リスト 『なぐさめ』
- サティ 『ジムノペディ 第1番』
- ショパン 『葬送行進曲』
何かと疲れる世の中、わたしたちにはやはり癒やしが必要ではないでしょうか?
そんなとき、スターシードのためのピアノ音楽として、3作品を厳選してみました。
どれも、音響はシンプルで、疲れた心に自然にしみ入るようです。
それでは、いってみましょう!!
①リスト 『なぐさめ』
②サティ 『ジムノペディ 第1番』
③ショパン 『葬送行進曲』
以上3つのピアノ曲が、おすすめになります。
リスト 『なぐさめ』
フランツ・リスト(西暦1811~1886)は、ハンガリー生まれのすぐれた音楽家で、19世紀のロマンティシズムの時代が生んだ音楽の寵児、といった存在です。
それまでの音楽家は、一般に18世紀あたりまでは、おもに教会や宮廷に仕えて、オルガン演奏を担当したり、ミサのための音楽を作曲・演奏したり、ときには為政者を神格化するオペラ・セリアなどのジャンルの歌劇を手がけたり、依頼のあった音楽を作曲して需要に応えたりするなどして安定した収入を得ていました。
しかし、19世紀の半ばに進んでいくと、やがて音楽家の地位も向上し、貴族や富裕層のパトロンの支援を得た上で独立して稼げる者も増えてきて、自己の表現したいと願う内容の音楽を、ある程度思いのまま自由に表現できる状況になっていきます。作品の演奏時間もオーケストラの規模も重厚長大となっていき、それに伴って、劇場の建設も、この時代に増加しています。端正で快活な「古典派音楽」の時代から「ロマン派音楽」に移り変わる時期を生きた一人が、ここでご紹介するリストその人でした。
第1曲目は、ロマン派作曲家の作品から、まさにそのリスト作の、心がやすらぐようなピアノ曲をご紹介します。
ある意味、超絶技巧や難解さを売りにしていたリストの一面からすると「最も、リストらしくない、優しくなぐさめに満ちた名曲」と言えるかもしれません。
この曲は通称『なぐさめ』あるいは『コンソレーション』と呼ばれ、西暦1850年(=リスト、39歳)のときに作曲された作品です。
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演奏時間は、4分09秒で、自由な形式の楽曲になります。アルバムの8曲目です。
演奏しているのは、日系ドイツ人の女流ピアニストである、アリス=紗良・オットさんです。
流れるようなアルペジオが安定感を引き出し、その上に、高音域で美しいフレーズが歌われていきます。
こうしてみると、ロマン派音楽家の中核的存在であり、なおかつプライドの高かったリストも、心の底では優しい一面を持っていたのでしょう。このピアノのための作品が、なによりも確かにその事実を物語っています。
さて、せっかくですから、ここで、リストの作品で最も愛聴されている曲を聴いてみましょう!
『愛の夢 第3番』です。
上記の曲と同じ時期(西暦1850年頃)に作曲されています。もとは歌曲として作成したものをリストがピアノ版に編曲したもので、こんにちではさらに拡大してオーケストラ用に編曲されたものが愛奏される機会も多くなっています。
タイトルからは、甘ったるい旋律を予想してしまいそうですが、原曲の歌詞の全体的な大意としては、
「人生は短い。よって、人生をいつくしみ、他者に博愛を施す機会を惜しまずに、前向きに生き切ろう!」
といったもので、たんなる若き日の恋愛感情を歌い上げたものではありません。よりワイドに愛というものをとらえて、人生に向き合おうとする意思とやさしさが感じられます。
ここでは、オーケストラ用に編曲された、ピアノ独奏版より聴きやすい演奏で聴いてみることにしましょう!
この「ベス・ウィリアムズ・アンサンブル」によるオーケストラ用の編曲演奏では、主旋律はまず、管楽器のオーボエに託され、その後、ピアノが受け継ぎます。
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編曲版の演奏は、3分22秒で、アルバムの第6番目にあります。
もちろん、ピアノ独奏による演奏も味わいは深いですし、ピアノによる演奏のほうが好ましい、と感じられる方もいらっしゃるでしょう。その場合は、各自、お好みのピアノによる演奏を見つけてください。
★『なぐさめ』も、『愛の夢 第3番』も、ほぼ同時期(西暦1850年ごろ)に作曲されているためか、両者とも出だしのフレーズがどことなく似かよっている印象があります。しかし、曲全体では、よい意味で全く異質な美の極致を表現しているところは、さすがリストと言わざるを得ません。
サティ 『ジムノペディ 第1番』
エリック・サティ(西暦1866~1925)は、音楽界の異端児とされる、フランスの作曲家です。
パリ音楽院を途中でやめ、20歳のころから、独自に作曲を学習しながら酒場でピアノ演奏するなどして音楽家としての地位を確立していきました。
西洋の音楽を基礎としながらも、それまでにない斬新で親密な響きをもたせるように創意工夫を行ない、だれの邪魔にもならない、その場の雰囲気に溶け込む音楽作りをめざしていたといわれています。
その代表作として知られているのが、『ジムノペディ 第1番』です。これには、続編がありますけれども、第1番が大変魅力的に感じられます。
落ち着いた大人の雰囲気、一定の間隔で刻まれるリズム、いつのまにか終わっている音楽・・・
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3分22秒の演奏、第7曲目になります。
ソフトで自然体な音作りの職人芸といわんばかりの音響だったと思います。
サティの曲は、自宅でカフェ気分の演出に一役買ってくれそうですね?
ショパン 『葬送行進曲』
ピアノの詩人、ショパンについては、つぎの記事で特集しています。ショパンの来歴は、こちらでご確認ください。
ショパンの有名な葬送行進曲は、『ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35』の第3楽章です。
この曲は西暦1839年、ショパン29歳の年に完成されました。
フランスの保養地で、ゆっくりと心身をいたわりながら作曲されただけあって、内容の深い音楽となっています。
ここでいう「葬送」とは、特定の個人の死を悼んで、という意味合いはなく、ショパンの祖国ポーランドが、強国ロシアやオーストリアなどから領土分割されてきた過去の苦い歴史と、この先の祖国の状況を憂える気持ちを、ショパンがこの「葬送行進曲」に込めたのではないかと考えられています。
冒頭は陰鬱に始まるものの、中間部では明るいなぐさめに満ちた旋律が登場します。どちらかというと、この中間部が、いちばんの聴きどころではないかと思われます。
スターシードにしてみれば、冒頭(A)は3次元での苦悩にあたり、中間部(B)で、かつていた高次元の天上界の思い出に浸るものの、第3部(A’)によってふたたび3次元にまだ少しばかり滞在しなければならない事実を思い起こすことになる、そんなふうに聴こえてくるのでしょうか・・・もちろん、どう聴くかは完全に各人の自由ですけれど。
◎この曲については、ピアノ独奏=エヴァ・ポブウォッカ(西暦1957~)の演奏で、おたのしみください。彼女は、ショパンと同じポーランド生まれのピアニストです。
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第7曲目です。
◎曲の説明
◎ショパン『ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35』 ~ 第3楽章(=『葬送行進曲』)
形式 : 三部形式(A-B-A’)、 変ロ短調
演奏時間: 7分38秒
A (第1部) : 0分00秒 ~ 2分28秒
★教会の弔いの鐘の音とも、葬列の重い足取りとも言われるリズムが刻まれます。
B(第2部=中間部) : 2分29秒 ~ 5分05秒
★一転、中間部では、簡素で夢見るような旋律が現れ、たゆたいながら変奏されていきます。冒頭の悲しみに沈む音型のあとに、明るく希望の光が射してくるかのように、癒しのメロディーが綿々と繰り広げられます。
A’(第3部) : 5分06秒 ~ 7分38秒
★陰気な最初の主題Aが回帰し、Bは戻らずに、そのまま終結します。
いかがでしたか?
クラシック音楽は、古くて難解なイメージがあると思いますが、よくよく聴いてみると、ぜんぜんそんなことはないですよね?
今回ご紹介した3曲(+『愛の夢 第3番』)は、どれもテンポも安定しており、落ち込んだとき、テンションが上がらないとき、疲れているときなど、癒やしが必要な場合にうってつけの曲になっています。
この時期は、音楽に癒されながら、波動を高めて、地球とともに次元上昇できるようにしたいところです。
いわば、音による、心を調律するような作業が、地球生まれのスターシードたちには欠かせません。この星には美しい一面があるとはいえ、人間として生きるにはあまりにも生きにくい星であることもまた、事実なのですから・・・
疲れやすい地上生活で、癒やしが必要になったときに、今回ご紹介した楽曲によってみなさんの心に希望が芽生えることを願って、きょうはこのあたりでお別れです。
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