いざ、一人になって困ることとは、どんなことでしょうか?
なにごとも、困ってから考えると、パニックに陥ってしまいます。
まえもって、想定しておくと、あとが楽ですね?
そこで、今回は、一人になって困ることとその対策について、まとめてみました!
ただ、ものごとというのはいつもコインの表と裏の関係と同じです。
困ることがあれば、その逆に、一人でいる状況にもメリットと呼べる部分もあるということですから、のちほど、そのメリットのほうも取り上げてみたいと思います。
一人になって困ること (1)
わたしたちは普段、一人でいると、発声をしません。
「よいしょ。」とか、「やばい、○○をしなくちゃ。」などどいった掛け声を別にすれば、発声はしません。
つまり一人だと声を出さないので、しゃべりが下手になるということです。
顔の筋肉を使わないから仕方ない。
わかりやすい事例を挙げるとすると、ある人が久しぶりにコンビニに行って買い物をしたとしましょう。
あなたがレジに進んで会計するときに、従業員から聞かれる、というシチュエーションです。
「箸をお付けしますか?」
このとき、「はい。」または「いりません。」と、普通なら答えます。
しかし、一人での暮らしが長く続くと、この場面で、声がかすれてしまい、自分でもびっくり、声が上手く出ない、ということが起きてしまうのです。
にわかには信じられないかもしれませんが、本当のことです。
解決方法
では、どのように予防するべきか?
こんなときは、歌でも歌いましょう。
でも、べつに、コンテストではないので、好きな歌でいいです。
また、「わざわざ歌いたくない。」とか「歌なんて口をついて出てこないよ。」という方は、独り言を言うとよいでしょう。
どちらにせよ、そうすることで、口やあごの周辺の筋肉を刺激し、発声を容易にしてくれます。
また、脳の神経にも好影響を及ぼすことが科学的に証明されています。
注意すべきポイント
一人になって困ること (2)
もし一人での暮らしが予定外に長期化した場合では、何もしゃべらないでいるがゆえに、自分が何を考えているかわからないということです。
極端に言うと、信条があいまいで、流されそうになるということです。
テレビで見た内容や、ネットに出ていた情報があたかも自身の声のように感じて、自己の輪郭が曖昧になる状態が続くと、アイデンティティが崩壊もしくは不明瞭になります。
解決方法
そんなときは、ブログでも書きましょう!
書くと言っても、いきなりは難しいですよね?
その場合は、まず無料ブログから始めたらよいでしょう。
自分が普段思っている(と信じて疑わない)考えを、実際に文字で表現してみたときに、どう感じるのか。
不特定多数の方がアクセスするブログに、どこまで表現できるのか。そうこう試行錯誤しているうちに、失いかけていた自己の輪郭が、ハッキリと感じ取れるほどに回復しているでしょう。
ただし、現時点で雇用されている方は、職場の規定で副業が禁止されていないか、職場で確認しておく必要があります。
そして、本業に影響がないとわかれば、アイデンティティ確保と副業をブログという手段において両立できるというお得な立場に立てるかもしれません。
さらに踏み込んで言うと、いざ、早期退職することになったり、まさかのリストラに遭ったときに、ネットを本業に切り替える措置も講じられます。その点では保険に入っているようなものですよね。
一人でよかったと思えるメリット
そのはんたいに、一人でいることによってしか気付かなかったこと、恩恵も受ける場合だって多々ありますので、バランスをはかるためにも、ここで列挙しておきますね?
一人でいると、すべての問題と、自分自身とのつながりが見えてきます。
それらの問題は、いままでも身近にあったはずなのに、ただ着眼点として存在しなかったのですが、いきいきと、それが手に取るように分かります。
まさしく、『灯台下暗し』状態ですね?
コツコツと面倒がらずにさまざまな問題に向き合っているだけで、とくに若いうちからやっていると、後年、役に立ってくれる日が必ず来ます。
必ずしも上手に、完璧に切り抜けなくていいのです。
むしろ、多くの失敗を重ねたほうが、反省材料が増えて、経験から学ぶ姿勢が身につくものです。
思考の幅が増えるというか、ある問題に対する答えを、自分の内部に、1つだけでなく、3つも4つも、用意できるような状態になれるわけです。
なので、一人でいることを【人類史上最大の不幸】だと思って嘆かないようにしましょう。
「一人になって困ること」については、上述のとおり対策を挙げておきましたから、大丈夫でしょう。
考えようによっては、のこりは、メリットしかないのかもしれないというわけです。
まずは、実生活のなかで、実践することから始めましょう。
そうすれば、自然と思考の幅が広がり、身体が自然のうちに適切な行動を取ってくれるまでになっているはずです。
しかも、それじたいが、往来により運動不足の解消の役目も果たしてくれたりもするのですから、いいことずくめです。
老後に、新しい習慣を獲得するのは非常に困難を伴います。
一人になる日を想定して暮らしていれば、あとは安心だけが残ります。
最後は誰でも平等に、「一人」になる
人間は、最後の旅は、いつも一人旅です。最初から、慣れればいいのです。
配偶者や子どもといっしょであれば、その分だけ、別れがつらくなるだけです。
あまり、「他人の芝生だけ青く見える」状態はよろしくありません。
それには実体がないからです。
実体の欠けているものに特定の感情を抱いても、幻影同士の掛け合いにすぎません。
そして、最後には、三途の川で、肉体を離れた者たちと落ち合うことになり、また集合的魂に帰還していくのです。
その日まで、どのように人生行路をデザインするかは、あなたしだいです。
でも、『人生これで終わり』と思ったあとに、続きがあると信じることができれば、長らく続いた一人旅も悪くないと思えるのではないでしょうか?
今回の人生は、さまざまな体験を魂に吸収させてから、それをお土産として故郷に持ち帰る旅なのだとしたら・・・