【スターシードの先達】モーツァルトを賞賛した人たちの言葉から、人生の意義を考える
- 【スターシードの先達】モーツァルトを賞賛した人たちの言葉から、人生の意義を考える
- ヨーゼフ・ハイドン(音楽家 オーストリア 1732~1809)
- レオポルト・モーツァルト(父 オーストリア 1719~1787)
- ゲーテ(詩人、作家、政治家 ドイツ 1750-1832)
- E.T.A. ホフマン(作家 ドイツ 1776~1822)
- ロッシーニ(作曲家 イタリア 1792~1868)
- 無名の同時代人(おそらく19世紀初頭 ドイツ?)
- カール・バルト(神学者 スイス 1886~1968)
- ショーペンハウエル(哲学者 ドイツ 1788~1860)
- ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(音楽家 ドイツ 1770~1827)
- この先は、宇宙で演奏会を聴くのか?!
音楽の分野において、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(音楽家、オーストリア・ザルツブルク生誕、1756-1791、享年35歳)は、不世出の天才といわれています。
18世紀以降、ありとあらゆる分野の人物たちが、異口同音に、手放しの賛辞を送ってきました。
一度目は彼の音楽に癒され、二度目は彼を賞賛する気分を味わうことによって、人は、モーツァルトという体験を、二度も感動をもって実感できるというのです!
その音楽を聴けばすぐにわかることなのですが、モーツァルトが実際に、どのような人々から、どのような言葉で賞賛されていたのか?
それを識ることによってますます音楽を聴く喜びが無限に広がっていくはずです。
それでは、いってみましょう!!
【スターシードの先達(せんだつ)】モーツァルトを賞賛した人たちの言葉です。
彼らの言葉とともに、時代背景を追い、人生の意義を深く掘り下げて追究していきたいと思います。
ヨーゼフ・ハイドン(音楽家 オーストリア 1732~1809)
交響曲の父として知られるヨーゼフ・ハイドン(オーストリアの作曲家)が、わざわざ神に誓って、とことわっての表現であるからして、モーツァルトの父レオポルトに対するお世辞ではないでしょう(当時は、そうやすやすと神の名を出せませんでした)。
たしかに、偉大な作曲家というものは、ヨハン・セバスティアン・バッハなどをはじめとして、当時のヨーロッパにたくさんおりましたが、彼らの名をさしおいて、「最も偉大な作曲家」と言い切っています。
余談になりますが、まだ若かったベートーヴェンは、このヨーゼフ・ハイドンから音楽の指導を受けました。ところが、そのとき周囲の音楽家たちからは、「(すでに死去していた)モーツァルトの音楽価値を、ハイドンの指導を通して、体得しなさい。」とアドバイスを受けていたと伝えられています。
師匠役のヨーゼフ・ハイドンに対しては、非常に失礼な言い回しです。ハイドンに似た音楽を書くことより、作曲技法だけ学んで、作風は、モーツァルトに似るように、といったニュアンスですから。
が、これは、モーツァルトの指導を受けたいとしてウィーンに来た少年時代(10代)のベートーヴェン(1770~1827)が、ほんの短時間だけ面会はできたものの、多忙を理由に断られ落胆したという歴史的事実を前提に、語られているのだと思います。
このように、時代が若きベートーヴェンに期待したのは、モーツァルトより24歳年長だったヨーゼフ・ハイドンから音楽技法よりも、死去したモーツァルト風の音楽的センスを感じ取るように、という解釈ができるでしょう。
当時の人たちの面影が偲ばれるエピソードで、おもしろいですね?
レオポルト・モーツァルト(父 オーストリア 1719~1787)
本来なら、息子を「愚息」と謙遜しなければならない立場にいる父親レオポルトが、手放しで息子を「神の奇跡」として賞賛しています(笑)。
しかし、ここで、嫌みに聞こえないのは、それについてはだれもが認めるところがあるからに他なりません。
むしろ、レオポルトの心中を察すると、すなおな親としての喜びが沸き立っているのが感じられ、これはこれで、ほほえましいコメントといえるのではないでしょうか?
これを、真顔で言っている(実際には、手紙に書いている)父レオポルトを思い浮かべてみると、何だか親しみが湧いてこないでしょうか・・・
ゲーテ(詩人、作家、政治家 ドイツ 1750-1832)
深くモーツァルトの音楽に傾倒していたドイツの詩人ゲーテらしい表現です。
『幻想交響曲』で知られる、フランスの作曲家エクトール・ベルリオーズ(1803~1869)には酷評されたモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』についても、ゲーテは礼賛を惜しまず、上記と同様の神がかり的な作品との評価をしています。
その、ゲーテが賞賛した歌劇『ドン・ジョヴァンニ』のあらすじを、以下に、簡潔にまとめてみましょう。
貴族であったドン・ジョヴァンニは、ある娘を誘惑しているところに出くわした、その娘の父親である騎士長を殺害して去り、その後も各地で放蕩の限りを尽くします。
が、長い放蕩ののち、多くの人々のうらみを買っていたドン・ジョヴァンニでしたが、ある晩、召使いのレポレロとともに夜の墓場を通ったとき、墓石の上に立つ(彼が殺害した)騎士長の石像に「おまえが笑えるのも今夜かぎりだ。」と語りかけられます。
酒に酔った勢いもあり、ドン・ジョヴァンニは、冗談で、騎士長の石像(亡霊)を、みずからの大邸宅の酒宴に招待する約束をしてしまいます。従者レポレロは、その場面に驚きのあまり腰を抜かしてしまします。
すると、約束した晩に、酒宴の最中、あの晩に墓場で話しかけてきた、石像の騎士長がほんとうに館までやって来て、音楽は急変、地獄から響くような低い声で、三たび、放蕩の貴族であるドン・ジョヴァンニに対して、つよく改心を迫ります。
「ここで改心すれば、これまでの非道や殺人、遊蕩三昧も許される」という石像の騎士長の亡霊からのせっかくの忠言に逆らい、主人公のドン・ジョヴァンニは、かたくなに心を入れ替えることを拒絶し、これまでの生き方に執着を見せつづけたため、敢えなく断末魔の悲鳴とともに地の底に消えていきます。
その場に居合わせた従者レポレロは、それまでの主人ドン・ジョヴァンニの人生の経緯をすべて知っているため、いわば生き証人となって、他の登場人物に報告し、全幕は閉じられます。
特に、ラストの主人公の地獄落ちに到るまでの音楽は秀逸です。
前半の、ドン・ジョヴァンニが、多くの女性を口説くシーンが、高潔なベルリオーズの趣味に合わなかったのでしょう。それで彼ベルリオーズは、音楽云々に先立って、この歌劇の台本を敬遠したと考えられます。たしかにこのシーンは、長いですし、われわれ日本人の一般的な感受性からしても、あまり好まれないようにも思います(恋愛ドラマが好きな方には、合うのかも知れません)。
石像の騎士長の亡霊が、夜の墓場でドン・ジョヴァンニに語り出す、ラスト付近の緊迫感を、デモーニッシュ(魔神的)な音楽で飾った天才モーツァルトの早すぎる死について、ゲーテは心から惜しんでいたのでした。
この歌劇は、悲劇のようであり、また、勧善懲悪という観点からは悲劇に該当しないとの見方もできます。台本の筋はシンプルながら、感情的には複雑なオペラと言えますので、そこに付随する音楽を高すぎる完成度で仕上げたモーツァルトに対して、ゲーテは感嘆し、モーツァルトのことを「魔神が生み出した」とまで語ったわけです。
このあたりの発言からは、ただならぬ雰囲気、つまり、モーツァルトが人間ではないのではないか、と、ゲーテの直観では感づいていたのではないかと推測することも可能でしょう。
もちろん、宇宙人の魂とか、スターシードという概念は、ゲーテの生きた18~19世紀(ゲーテの生没年は、1750年~1832年)に、一般に流通しているはずもなく、それゆえに、あえて「魔神が生み出した」という表現となったのでしょう。
さすが、世界的な詩人の慧眼(けいがん)です。
20世紀後半に、アセンション成就のためにスターシードが大挙して地球にやって来るという未来までも内心で予感していたかもしれません。
このようなモーツァルトの創作を、実際に知っていたゲーテは、自身の大作である『ファウスト』を劇として上演する話題にあっては、
「他のだれにもできない。『ドン・ジョヴァンニ』の作曲者である(すでに他界していた)モーツァルトでなければ、わたしの作品(『ファウスト』)にふさわしい音楽を作曲することは不可能である。」
と、死の少し前に、側近に発言しています。
E.T.A. ホフマン(作家 ドイツ 1776~1822)
ドイツの作家で、酒豪でもあったホフマンも、モーツァルトの音楽に秘められた底知れぬ深淵を早くから見抜いていた一人でした。
多くの作曲家がひしめき合った18世紀から19世紀にも、モーツァルトの純化された個性を聴き分けていたのです。
しかし、モーツァルトの死後の19世紀には、一部の短調で書かれた暗い音調の音楽は好まれましたが、明るい色彩の曲は、時代に合わず、その真価が認められるには、20世紀を待たねばならぬ有様でした。
ロッシーニ(作曲家 イタリア 1792~1868)
一般に、
★若い方は、心を躍らせる。
★中年・壮年期には、あまりの明るさに、失望する。実生活は仕事や子育てなどに振り回され生きるのに苦しく、そんな純粋な音楽を聴く気分にはならない。
★人生の峠を過ぎ、やることはある程度ならやりつくした感の出てくる老年期には、天国に橋を渡してくれるような音楽に聴こえてきて、慰められる。友人も減り、語り合う相手がいなければ、よけいに親しみが持てる。
となるのが、モーツァルトの音楽がもつ特徴だと思います。
ここでは、たまたま、イタリアのオペラ作曲家ロッシーニが発言を残していますけれども、これは何も作曲家という職業を考慮しなくても、一般人の心理で語っているものと解釈できます。
この表現は、じつに的を射た、的確な言い回しだと思われます。
ことに、長年、モーツァルトの音楽に慣れ親しんできた者には、うなずける表現です。
もちろん、ロッシーニが生きていた当時に、宇宙人が人間に転生するなどという考えは皆無でした。
当時支配的だったキリスト教の教義に照らしても宇宙人の存在やスターシードという概念は異端であり、そもそも、だれも思いつかなかったでしょう。
が、しかし、このような賞賛の表現を、ほかの作曲家にはしていない点からは、やはり、ただものではない何か(スターシードであるという点)を、モーツァルトの音楽からロッシーニが聴き取ったのは、疑う余地がないと思われます。
無名の同時代人(おそらく19世紀初頭 ドイツ?)
人はだれでも年を取ると、歌劇を観るために劇場に足を運ぶのも困難になりますし、耳も遠くなりセリフが聞き取れず、舞台俳優のこまやかな表情も老眼など視力の低下で見にくくなるなど、おしなべて音楽は、縁遠くなりがちです。
その点、もっと軽やかな、天上界に近いイメージの音楽として、モーツァルトがその予習を手伝ってくれる感じがするのだと思われます。
そして、老人からすれば、もはや騒がしい世間や若者文化には興味が持てなくなっていきます。「あの世」にやすらかに逝くことのほうが、遙かに重大事に思えて気になるものですから、よけいに、天国的と評されるモーツァルトの音楽に親しみを持つように変わっていくのでしょう。
じっさいに、もはや世間から隔絶し、むしろあの世に救済を無意識ながら求めている中高年は、少なくないでしょう。こんなとき、モーツァルトを若いときから知っている人であれば、天国行き列車の待ち時間が長く感じられても、けっして退屈しなくて済むでしょう。
これが、当時の無名戦士のコメントとして残されているものの意味でしょう。
そこには、こんにちを生きるわたしたちの心にも相通じるところが感じられるはずです。
カール・バルト(神学者 スイス 1886~1968)
「モーツァルトの音楽の軽やかさが、最も輝かしい、最も無邪気な楽節においても、どこか人の心を不安にさせるような面も併せ持っている点を受けつけない人は、モーツァルトを永遠に理解できないでしょう。
わたしは最近、『重みが浮かび、軽みが限りなく重い』という言葉を読んで、まさに言い得たり、と思いました。・・・いずれにせよ、この矛盾と結びついています・・・
いや、むしろ、それが彼にあっては矛盾ではないということと結びついていると言えましょう。」
カール・バルトは、プロテスタント(キリスト教の新教)の神学者で、モーツァルトの崇拝者として有名な方でした。
プロテスタントの神学者が、カトリックの音楽家を支持するというのは、さらにそれを著名人がおおやけに発表するのは、勇気の要る行為です。
われわれ日本人からすると、宗教関係者の方でなければ、この旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の関係はいささか理解しがたい面を有しています。
16世紀初頭に、「宗教改革」というキーワードで知られるドイツのルターが登場します。いわゆる、「プロテスタント(既存のキリスト教会のありかたに抵抗する、という意味)」運動の先駆けとなったのでした。
彼は、
「既存のカトリック信仰は形骸化・組織化しすぎて、個人の自由な信仰が妨げられており、キリスト教会のいいなりになって信仰していては、だれも救済されない。」
として、
「(教会の権威によるのではなく)聖書にあるイエス・キリストの言葉から、直接的に霊感を受けて生きる」
ことによってしか救済されない、と主張しました。
その後、各地に広まったルターに派生するプロテスタント運動が展開して、中世以降のヨーロッパでは、同じ国に住むキリスト教徒同士でも、カトリックか、プロテスタントかによって、多くの血が流され、屍の山が築かれたのは、周知の通りです。
なにもそこまでしなくてもいいのに、と後世のわれわれ(特に非キリスト教圏内)は考えがちですが、そのような思考を寄せつけない人間の本性に根ざす問題が横たわっていたのです。
しかし、このプロテスタントの神学者であったカール・バルトは、堂々と、カトリックだったモーツァルトに対する賛辞を惜しまず、死まで貫き通した人でありました。
そしてなによりも、キリスト教内部での血なまぐさい抗争に終止符を打つ役目を果たしたのが、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの芸術作品(音楽)だったという点を忘れてはなりません。
この、スイスの神学者、カール・バルトの活動によって、キリスト教内部での、モーツァルトを通しての和解が実際にその後起きており、また、誰もが知るように、20世紀の2度にわたる世界大戦のあとに、和解のシンボルに掲げられたのが、他でもない、モーツァルトの音楽でした。
そこには多少の商業主義(旅行業界や音楽産業界などの金儲け)が混じり込んでいるにせよ、まぎれもなく、世界は、モーツァルトの音楽が普及した事実によって、救済されています。こんにちを生きているわたしたちが、まさにその生き証人です。
もし、モーツァルトがこの世に生を享けていなかったら、極端な話、この世界はもっと荒れていて、ヨーロッパのキリスト教の内部の溝は深くなるばかりで、現在にいたっても、「アセンション」という概念すら定着していなかった可能性が高かったとも考えられるのです。
いくらことばを並べてみても、やはり、実際に音楽を聴いてみることに越したことはありません。
もし、お手軽に、全集のようなものを手元に置いておきたい場合なら、次の商品が手堅くまとまっています。押しつけではなく、ご紹介に過ぎません。
しばらくCD全集をそばに置いておいてもいいから、曲名をみて「きょうはこれを聴いてみたい気分だ。」とか、「この楽器を使ったコンチェルト(協奏曲)の音色なら、好きになれそうだ。」と感じたときは、出会いのチャンスかもしれません。
今回は、まず全集を購入し、気が向いたときに、あるいは、どこか別の場所で同じ曲名を「たまたま」目にしたときにシンクロニシティ(共時性)を感じて、
「そういえば、自宅にあったはずだ。聴いてみよう!」
と運命的な導きがあるかもしれないので、ご紹介しました。
さて、せっかくの機会ですから、あと少し、モーツァルトを賞賛した人物の言葉を書きます。
ショーペンハウエル(哲学者 ドイツ 1788~1860)
「すべての子どもはある程度天才であり、すべての天才はある程度子どもである。
両者に共通する要素としては、真の天才にのみ現われる『無邪気さ』と『高貴な単純さ』において発現するだろう。
かのモーツァルトも、生まれてから世を去るまで、ずっと子どもだったと言い伝えられているのだ。」
彼の音楽の特性が、ここに凝縮されて言い尽くされている気がします。
これはキリストの語った天国入りの条件にも重なります。しかし、ここは宗教と切り離して、これから向かう5次元世界に入る条件でもあります。(ちなみにわたしは、キリスト教徒でも、他の教徒でもなく、無宗教です)
モーツァルトの音楽に無邪気さを聴き取った人は、その内面に相通じるものを持っている証拠です。その調子で、アセンションに取り組みましょう。
そうすれば、モーツァルトが死後に、もともと所属していた霊的集団(ソウル・グループ)に帰還できたのと同じく、わたしたちも、自身の出身母星の霊的集団に戻ることができるのです。
また、自然界の動植物たちは、知られていないだけで実際には理性的な能力にかけては、人間の常識を超えています。
彼らは、ある意味、天才であると同時に、子どものように無邪気です。前者の性質(=天才)が認められずに、後者の無邪気さだけを認める人が多いでしょう。
ですが、ふとしたはずみに動植物の理性に気づいたとき、あなたは、このショーペンハウエルの言葉の実例を、身近に見いだすことになるでしょう。
★「動物機械論」を否定したドイツの哲学者ショーペンハウエル★
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(音楽家 ドイツ 1770~1827)
これは、ベートーヴェン(当時56歳)が、死の数ヶ月前(西暦1826年)に、面会した僧侶に対して発言したものです。
このとき、病状としてはもう回復の見込みはなかった状態でしたから、おそらくベートーヴェンは死を覚悟したうえで、この発言を行なったものと考えられます。
となると、みずからの死後に、この言葉が後世に流布されていく事態も当然のことながら病床にあったベートーヴェンの脳裏をよぎったことでしょう。ですから、長い年月をかけて形成された本心から、最後の死力を振り絞って、そう語ったものと推測されます。
すでに、年末の街角に響く歓喜の歌で知られる『交響曲第9番 ニ短調 作品125』や、『荘厳ミサ曲 ニ長調 作品123』など、人類の遺産と言うべき大曲を書き終えて、死の床についていた当時のベートーヴェンが語った言葉として、非常に重みのある発言ではないでしょうか。
そうした発言の数ヶ月後、楽聖ベートーヴェンはじっさいに息を引き取る瞬間まで、モーツァルトに対する畏敬の念を胸に秘めつつ、最期の時を過ごし、天界に旅立っていったのでしょう。
この先は、宇宙で演奏会を聴くのか?!
地球のアセンション後に、モーツァルトが帰った先の次元と交流することが可能になれば、彼の作品の続きが聴けます。
たとえば、交響曲は、第41番『ジュピター』で終わっていますが、それは3次元での話。
「交響曲第42番」以降の作品なるものを、モーツァルトが外宇宙ですでに作曲済みとしている可能性が非常に強いのです。いったいどんな楽曲なのでしょう?
まさしく、「この世ならぬ」という形容がふさわしい出来映えに仕上がっているのではないでしょうか。制約の多い3次元地球で、あれだけ天真爛漫な音楽を残したのですから、無限の可能性を持つ高次元での音楽をなると、もはや想像を絶する領域になり、われわれの想像力を超えた世界です。
その音楽を聴くためには、わたしたちは、アセンションを通過しなければなりません。
なんとか苦戦を強いられながらでも、波動を高めていき、高次元と交流できる惑星に、この地球とともに上昇していきましょう。
ちなみに、過去記事でも取り上げた重要な話ですが、モーツァルト自身がそうだったように、一般人がだれでも経験するであろう「通常の死」を経ても、高波動を有していれば、死後に輪廻転生は断たれ、無事、高次元領域に引き上げられるとのことです。
なので、生命を尊重しながらも、死を極端に怖れない中庸な立ち位置を占めることをおすすめします。
★スターシードの死を怖れない心 ~ 無常観を乗り越える!! 【方丈記から】
★モーツァルトが書いた『田園交響曲』と、スターシードの死後の運命★
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