一人を生きる -希望の彼方に-

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【世にも美しい波動の上がる音楽 2】 夏の日の思い出 ~ モーツァルトが書いた『田園交響曲』と、スターシードの死後の運命

 

 

【世にも美しい波動の上がる音楽 2】 夏の日の思い出 ~ モーツァルトが書いた『田園交響曲』と、スターシードの死後の運命

 

 

 

 

 

 

 

夏の日の思い出

 

 あなたにとって、夏の日の思い出とは、何でしょうか?

 

 人は誰でも、古今東西、共通の喜びの一つに、「夏の日の思い出」と呼べるような、美しい日が、かつて一度や二度は、人生のなかで体験されたのではないでしょうか?

 

 

 

 真っ青に晴れ渡った青空。

 

 ところどころに、ちぎれ雲。かなたには、入道雲が。

 

 野に目をやれば、太陽にまっすぐに伸び上がるヒマワリ畑が広がります。

 

 そして、海岸沿いには、潮騒の涼しげな音。

 

 風に揺れる風鈴の音色が優しく響いてきます。

 

 

 

 

 

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 しかし、かつてはそのような夏の風景を分かち合えた人々も、人生を歩む過程で、各人が運命に導かれてばらばらになっていきます。

 

 

 家族、友人、恋人・・・そして、自分自身も変わっていく。

 

 

 

 そんな中、変わらないものがあります。

 

 

 それは、芸術作品です。

 

 

 

モーツァルトの『田園交響曲』

 

 

 モーツァルトが作曲した音楽のなかに、『田園交響曲』と呼べるものがありました。

 

 

 えっ、『田園交響曲』て、ベートーヴェンの作品では?

 

 

 そうです。たしかに、そのとおりなのですが、少なくとも、モーツァルトの生前には、そのように名付けられた曲は、存在していませんでした。

 

 

 

 後世の研究家たちによって、

 

モーツァルト版の『田園交響曲』だ!

 

とあとになってから命名された曲があった、というわけです。

 

 

 

 きょうは、それをご紹介します。

 

 

 これです!!

 

 

 ジャジャン!

 

 

 

モーツァルト 作曲 : 交響曲第33番 変ロ長調 K.319

 

 

です。

 

 

 

 ・・・文字だけでは分かりませんね?

 

 

「どこか田園よ?文字が並んでいるだけじゃねえか?!」

 

とおっしゃられるのも、ごもっともです。

 

 

 それを、これから、ご説明していきます。

 

 

 

 

ぜいたくすぎる、おまけの音楽

 

 

 モーツァルトがこの作品に取りかかったとき、

 

「よし、ここはひとつ、田園をイメージした音楽を作曲してやろう!!」

 

と思い立ったわけではありませんでした。

 

 

 

 作曲は、1779年、当時のモーツァルトは、まだ23歳と若く、独身でした。

 

 長期にわたるパリ旅行から故郷ザルツブルクに帰郷してから作曲した一連の交響曲のひとつが、この作品でした。

 

 

 この時代の交響曲は、

 

★キリスト教のお祭り用に演奏する目的で作曲された音楽

 

 

★歌劇などの上映の中間に、演奏された音楽

 

 

★人気のソプラノ歌手のアリア(歌唱)演奏会のさいに、ファンファーレ的な意味合いで開始時間に演奏される用途で作られた音楽

 

 

がほとんどでした。

 

 

 

 つまり、わたしたちが「交響曲」ということばを聞いたときにイメージするような、荘厳な、哲学めいた、いかつい表情で聴くようなものではなかったのです。

 

 

 意外な気がしますよね?

 

 

 ベートーヴェンの時代から、交響曲が単独で演奏会のメインとなる時代になっており、モーツァルトはそれ以前の人でしたから、後世のわれわれが、

 

「こんなすてきな音楽が、人気独唱者のコンサートやオペラの幕間(まくあい)に演奏されるだけだったなんて、ぜいたくですね?」

 

と感じても、当時のヨーロッパの音楽事情がそのようにあったのは事実でした。

 

 

 

 天才モーツァルトは、後世の人々が耳を傾ける値打ちがある、偉大な

 

「イベントでの、おまけの音楽」

 

を残したということです。

 

 

 しかし、そのときにメイン・プログラムとして上映された歌劇や歌唱曲が廃れていき、現代にはもはや作者はおろか作品や歌い手の名前すら知られなくなっていきました。

 

 それに対し、イベントでのおまけの音楽として奏されたモーツァルトの交響曲のほうが、限りなく美しく、現代まで愛され続けているというのは、どこか皮肉な感じがします。

 

 

 廃れていったメイン・プログラムの作品について言えば、わたしたちの住む世界におけるはかなさを象徴している事象のように思えてならないのですが、いかがでしょうか?

 

 

 また、こちらのほうが重要なのですが、真に価値のあるもの(=モーツァルトの音楽作品)は、時の流れによって風化することなしに、かえって輝きを増していき、後世に生きる人たちに希望と勇気を与えるという好例と言えるのではないでしょうか?

 

 

 

 とにかく、ここでは、そのような時代背景だったことを理解しておきましょう。

 

 

 

 

レコード会社の思惑

 

 ですから、モーツァルトは、特定の風景を描写しようとしたのではなかったのですが、この『田園交響曲』と称される作品は、作曲の経緯ではなく、それを聴く者の心に、夏の日の思い出を彷彿(ほうふつ)とさせるがゆえに、『田園交響曲』と呼ばれているというわけです。

 

 

 ただ、昭和の時代には、レコード会社が、堅苦しい印象を払拭するねらいで、クラシック音楽の作品にあだ名を付けることが流行していました。

 

 

 たとえば、

 

ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』

 

が代表例です。

 

 

 このとき、ベートーヴェンが発売に際して、『運命』と名付けたわけではないのですが、そのほうが売れ行きがよいと判断した楽譜出版社や後世のレコード会社が、そのように命名したわけです。

 

 

 ですが、この「あだ名」も、買い手に印象づけるためであって、かえって作品を鑑賞するさいに、的確な芸術的な理解を妨げる結果を招きかねないという欠点があります。

 

 

 

 いわゆる先入観というものです。

 

 

 よくよく調べると、

 

「ぜんぜんタイトルと音楽が、関係ないじゃん。」

 

といったケースもしばしば見受けられるのが実情ですが、聴き手であるわれわれにはいかんともしがたいところがあります。

 

 

 

 このモーツァルトの交響曲第33番変ロ長調には、幸か不幸か、あだ名が付いていません。

 

 しかし、研究者の間で言われていたような、「田園」を連想させる、どこか懐かしい、夏の日の思い出に変えるような趣があるのは、一聴すれば、だれにも感じられるでしょう。

 

 

 具体的な作曲動機などは、はっきりしていないことから、かえって想像の余地が生まれ、このような田園的な解釈も生まれてきたのでしょう。

 

 

 

 ここで、百万の語を費やしても、それがうまく伝わるか、わかりません。

 

 

 簡素な楽曲説明にとどめて、あとは、みなさんが実際に、聴いてみてください。

 

 思いがけず、忘れかけていた夏の日の思い出が、よみがえってくるかもしれません。

 

 

 

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楽曲構成

 

モーツァルト : 交響曲第33番 変ロ長調 K.319

( 西暦1779年、作曲者が23歳の時に完成 ) 

 

 

★意図的に、響きを爽やかにするために、トランペット、ティンパニが外されています。

 

 

★ソナタ形式のため、簡素でわかりやすい構成で、音楽が流れていきます。

 

 古典派のソナタ形式は、だいたい、次の①~④となっています。

 普通の歌謡曲などとも共通しているので、わかりやすいと思います。

 

 これを意識して聴けば、クラシック音楽に対する堅苦しい印象はかなり和らぎ、愛聴できる曲も増えていきます!

 

 

 

ソナタ形式の概要

 

 

① 提示部 (第1主題に続き、第2主題が登場します)

※ 第1主題は生き生きとした旋律で、第2主題は対照的な穏やかな旋律が多いです。

 

 ⬇

 

② 展開部 (第1主題か第2主題、あるいは両方を転調しながら展開する)

 ※ 提示部が奏し終わると現れる、中間の部分です。慣れるとすぐに分かります。

 

 ⬇

 

③ 再現部 (第1主題 → 第2主題) 

※ 基本的に、①の再現でありますが、単なる①の再現ではなく、少しメロディーを変えたり、主旋律を奏でる楽器を交替していたりしながら、①の提示部の再登場です。

 

 ⬇

 

④ 終結部 (=コーダ。曲のまとめで、盛り上げて終わる部分)

 ※ その楽章のまとめの部分です。テンポの速い楽章では盛り上げて終わり、ゆったりとした音楽では美しく尾を引くように閉じられることが多い部分です。

 

 

 

 要は、クラシック音楽も、歌謡曲と、構成では同じです。

 

 ふつう、まず前奏があり、第1のフレーズがあり、第2のものが現われて、つづいて、中間の間奏部になりますね。

 

 そして、前半を少し変えて、第1、第2のフレーズが順に現われ、最後に、派手な終結部(コーダ)で、締めくくられます。

 

 

 これがさきにみた、ソナタ形式とほとんど合致するではありませんか!!

 

 

 ですから、特段、クラシック音楽だからといって、構える必要はありません。ふつうの歌謡曲などと、基本は同じです。

 

 

 先入観をもたずに、このような予備知識を持って聴くと、「なあんだ、こんなにライトな(聴きやすい)ものだったのか!」と合点がいくことでしょう。

 

 戦後の音楽業界が、クラシック音楽を深刻そうに取り上げた名残が、いまだに蔓延っていますが、この幻想は打ち破られるべきです。

 

 

 

 その点、モーツァルトは、なじみやすさの面で、最高クラスを誇ります。

 

 

 そして、なにより、多くのチャネラーから、スターシード認定を受けていますので、アセンションに本気で取り組まれている方にとっては、言葉や概念ではなかなか説明しにくいアセンション後の世界のイメージを持つのに、最適の音楽家といえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 モーツァルト : 交響曲第33番 変ロ長調 K.319

 

第1楽章 : アレグロ・アッサイ (ソナタ形式)

 

 いきなり爽やかな満面の笑みのような第1主題が現れます。これだけで、田園でくつろぐ気分に浸れます。

 

 

 展開部の最後のほうでは、モーツァルト最後の交響曲となる、交響曲第41番ハ長調K.551『ジュピター』の最終楽章の第1主題と全く同じ音型が登場します。

 

 

 『ジュピター』の最終楽章を知っている人であれば、すぐに気づくでしょう。

 

 何の因果があるのかは不明ですが、聴いていて不思議な感じを受けます。

 

 「こんなに喜ばしい音楽の中で、彼の生涯で最後の交響曲の、しかも最後の楽章を予感していたのか?」といぶかしく思えてきます。

 

 しかし、翳り(かげり)もこの箇所だけで、再現部に入ると、再び冒頭の気分爽快に夏の日の1ページを彩るかのごとき音型に戻り、華々しく閉じていきます。

 

 

 

第2楽章 : アンダンテ・モデラート (ソナタ形式)

 

 ベートーヴェンの田園交響曲を先に聴いた耳でこの楽章を聴くと、やはり、どうしても、「田園」を思わずにはいられません。

 

 

 耳の聞こえなくなってきたベートーヴェンが、現実世界ではすでに聞けなくなってしまっていた、彼の好んだ美しい小鳥たちのさえずりを、かわりに、音楽の内的世界で木管楽器を歌わせることでよみがえらせた、あの田園交響曲=交響曲第6番(西暦1808年初演、作曲者=ベートーヴェン 38歳の年)の第2楽章を書くにあたって、モーツァルトの交響曲第33番の第2楽章を参考にした可能性さえ感じ取ることができるのではないでしょうか(公式の記録には残っていませんが)。

 

 

 

 ひじょうに穏やかな弦楽器の響きにやさしく包まれています。開放した窓から入る風にレースのカーテンがゆらめく、夏の日の昼下がりの音楽のようです。

 

 

 

第3楽章 : メヌエット

 

 当時流行していた、そして一般的だったメヌエット(A)。

 

 牧歌的な中間部分(B)をはさみ、再度、冒頭のメヌエット(A)が登場し【A-B-A】という順番で演奏され、定型通りに曲は進みます。

 

 

 

第4楽章 : アレグロ・アッサイ (ソナタ形式)

 

 公式に、ベートーヴェンが、交響曲第8番の最終楽章を書くときに参考にしたとされているのが、この楽章です。

 

 

 実に軽やかで胸躍る音響は、まさにモーツァルトの真骨頂といえるでしょう。

 

 

 トランペットとティンパニを意図的に外しての楽器構成を計画した成果が、このフィナーレに集約されているかのようです。

 

 年末に街角から流れてくる、あの『歓喜の歌』で知られるベートーヴェンが作曲した第9交響曲の前の交響作品である、交響曲第8番(西暦1812年作曲(初演は同1813年)、作曲者=ベートーヴェン 42歳の年)のフィナーレにも、ベートーヴェンがお手本にしたと公式に記録されているとおり、モーツァルト的な、さわやかな風が吹き抜けています。

 

 興味のある方は、比較してみるとよいでしょう。

 

 

★ベートーヴェンの音楽は、永遠に不滅です★
 

 

 

 

 

 全体で、20分ほどの比較的短い交響曲ですが、音楽を聴く喜び、人類に共通する季節感、そして波動を押し上げてくれるかのような躍動感は、やはり、古典派音楽の最高峰といえるでしょう。

 

 

 それに、何より、聴きやすいのが、彼モーツァルトの最大の美点でしょう。

 

 

 わたしも、若い時代にモーツァルトの音楽に出会いましたが、その聴きやすさがなければ、クラシック音楽の世界に入ることもなく、それゆえにモーツァルトがスターシードだという説も心の琴線に触れずに、もしかすると、アセンションにも気づかないまま年齢だけを重ねていき、アセンションできずに、3次元世界を半永久的に輪廻転生する運命を選び取っていた可能性すらあったと思われます。

 

 

 ですから、

 

★クラシック音楽は好きでも嫌いでもなく、

 

★自然や動植物に興味があり、

 

★かつ、地球のアセンション=次元上昇のために波動を高めていきたい、

 

と願っている方であれば、ぜひ、このモーツァルト作品を鑑賞してみてほしいと切に思っています。

 

 

 鑑賞といっても、難しいことはなく、おおまかな形式を頭に入れて(ソナタ形式、ロンド形式、三部形式など)、あとは、音楽を聴いて没入するだけの話です!

 

 

 聴いているだけで波動が高まる音楽というものは、尊重しなければもったいないですね?

 

 短期間でアセンションを体得するには、言語による説明も重要かもしれませんが、それ以上に、非言語領域で感性をみがくことのほうが即効性が高い場合もあります。

 

 

 

研究者の言葉

 

  モーツァルトの研究者は、次のように語りました(要約)。

 

 


 

アーベルト(1871-1927 ドイツ 音楽研究家)

 

「故郷ザルツブルクと折り合いのよくなかったモーツァルトが、長旅から故郷に戻ってから、このような繊細で美しい作品訳註:交響曲第33番 変ロ長調 K.319 をさすを書いた理由こそは、やはり、故郷への愛情が根底に流れていたからであろう。」

 

 

地元の大司教らと折り合いが悪く衝突して、20代半ばに故郷ザルツブルクを飛び出してしまうモーツァルトでしたが、それでもやはり彼の内にも郷愁のような感覚があったのだ、とあとから回想する形で、音楽研究家のアーベルトが分析、フォローを行なったものです。

 

 

 

 

 

ド・サン=フォア(1874-1954 フランス 音楽研究家)

 

「この作品(訳註:同じく、交響曲第33番 変ロ長調 K.319 をさす)は、モーツァルトの残した『田園交響曲』と呼ぶにふさわしい。夏の日の美しい絵を鑑賞している、愉快な気分になれる。」

 

 

このことばが、一般に、モーツァルトの田園交響曲という雰囲気を定着させたのかもしれません。たしかに、夏の日の思い出(もちろん、個人ごとに違うでしょうけれども)が、脳裏をよぎる、という表現がぴったりくる音楽であるのは間違いないでしょう。国や時代を超えて、同じような印象を分かち合えるのが、音楽の美点であり、わたしたちを惹きつけて離さない理由なのでしょう。

 

 

 

 

 

 ちなみに、作品名の末尾の「K.」というのは、モーツァルトの死後に、作品目録を整理した、ケッヒェルという人物の頭文字を取って、通常の作品番号を、「K.○○○」(○○○内には、数字が入ります)表記されています。

 

 この作品番号にちなんだエピソードについては、下記の記事をごらんください。

 

 

 

★モーツァルト人生概略

 

 

 

おすすめ紹介コーナー

 

 どの演奏についても言えることですが、究極には個人の好みの問題に帰結します。

 

 ですから、これが最高の演奏ですと紹介できないところがあります。

 

 

 あえて挙げるとしたら、

 

 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(ケルテス指揮)の盤

 

が安心して聴けるうえ、同じ作曲家(モーツァルト)の交響曲×3曲が収録されているという点を推して、ご紹介します。

 

 

 ケルテス/ウィーンフィル盤のジャケット写真が、美しいですね?

 まさに、モーツァルトの田園交響曲を飾るにふさわしいと思います。

 

 

 水難事故で40代で逝去した、わが国でも人気の高かった指揮者・ケルテスが歌い上げたモーツァルトを堪能してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

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夏の日の思い出と、地球讃歌

 

 

「こんなにさわやかで親しみやすい音楽なのに、あだ名もなく、人口に膾炙していない・・・」

 

 

 そんな嘆きを、天国のモーツァルトがいだいていても不思議ではありません。

 

 

 ひとりの音楽愛好家として、差し出がましいとは思いつつ、天国のモーツァルトに代わって、ささやかな当ブログで、このわたしが紹介してきた『交響曲第33番変ロ長調K.319』・・・

 

 

 全曲でも、20分程度と、クラシック音楽の中では、どちらかというと、短い部類に属しています。

 

 

 とても親しみやすく、終わりに近づくにつれ、さわやかな明朗さを増していくので、気分も快活になれるうえに、波動が高まること請け合いです。

 

 

 モーツァルト効果は、なにも、『2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448』だけに限ったものではないのです。

 

 

★検証!!モーツァルト効果★

 

 

 

 この曲を聴きながら、夏の日の思い出を回想しつつ、さらに、これから来る人類と動植物たちと地球の黄金時代に向けた、『地球讃歌』として聴くのもまたよいでしょう。

 

 

 

 

 

スターシード・インディゴ・クリスタル・レインボーチルドレン向けコラム☆彡
 

 

【世にも美しい波動の上がる音楽 2】 夏の日の思い出 ~ モーツァルトが書いた『田園交響曲』と、スターシードの死後の運命

 

というタイトルで書いてきましたが、いよいよ、後半の主題のまとめです。

 

 スターシードだったモーツァルトの死から読み取れる、スターシード一般の死後を概観してみます。

 

 

 

 まず、スターシードという共通点から辿ると、モーツァルトという作曲家の残した作品は、音の端々から、なつかしさがこみ上げてくるような感覚がありませんか?

 

 

 宇宙の始まりは、音であった、という説が、いにしえより残されています。

 

 

 その原点に回帰させる心の旅にいざなってくれる音楽のように思います。

 

 

 この音楽は初めてだという場合、まずはBGMとして、部屋でさりげなく流すところから始めてもよし。以前からモーツァルトは好きだったが、まさかスターシードとは思っていなかったという方は、改めてそのような立場で傾聴してみると、いままでに聴き取れていなかった音をすくい取ることに成功するかも知れません。

 

 

 

 けっして、好みの押し売りをしているのではありません。それぞれの音に宇宙に固有のしるしが刻印されているから、アセンションに目覚めた方が、この作曲家の音楽を生理的に受け付けない、というケースはまず無いだろう、と予測しているからです。

 

 

 ちなみに、わたしがよくモーツァルトをスターシードとして取り上げる理由は、歴史に名を残す著名人のなかで、とりわけ印象に残る、そして音を通していきいきと故人の人間性を聴き取ることができる、という二重の意味であり、べつに、モーツァルトが、地球史上でいちばん最初のスターシードという意味ではありませんので、誤解なさらないでください。

 

 

 それ以前にも以後にも、スターシードは有名・無名を問わず存在していました。が、ご承知のとおり、20世紀後半から、地球アセンション早期実現のために、かつてない規模で誕生しています(予定通りに覚醒して、期待にふさわしい活躍をしているかどうかは別として)。

 

 

 

 「田園」またはその言葉から受ける印象が苦手だという方は、きっとアセンション後の世界に全く無関心な階層の方でしょう。そのような方がこのブログを奇跡的な確率で発見するとは、考えられません。ここは、音楽の神童・モーツァルトのハイヤーセルフに引き寄せられた方々が、自身の可能性を感じ、拡張させるきっかけを受け取る場所です。

 

 

 

 まさに、これを聴いて、あなたの潜在意識下で変化が起き、次元を飛躍するエネルギーが湧き出ることを願っています。

 

 

 

 イメージをさわやかにして、その日を待ちましょう!!

 

 

 あなたがふくらませたイメージこそが、これから到来する未来の一部になるのですから! 

 

 

 世の不条理を嘆く前に、わたしたちには、やるべきことがあるのです。

 

 

 

 

 

 モーツァルトの死と、その後の運命 

 

★モーツァルトは、特権階級(貴族)を風刺し、その後の貴族の没落を予感させる歌劇『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』を発表した頃から、ウィーンなどでの人気が急落し、その数年後、30代半ばで死亡します。

 

 

★そのために、貴族や権力者などによる暗殺説が取り沙汰され、ドラマや映画も多く生み出される結果になりました。

 

 

★しかし、その生涯の終わり方が悲劇的に映ったにせよ、その後のチャネリング情報を総合すると、彼モーツァルトの霊魂は、出自であった高次元の霊的集団(ソウル・グループ)に帰還したとのことで、現在も高次元で作曲活動をされているということです。

 

 多くの有力なチャネリングから得られた成果です。

 

 

そのことを信じれば、わたしたちの3次元での生活に如何に苦みが混ぜられているにせよ、モーツァルトのように正直に生きるかぎりにおいて、スターシードたちも、死後、もともと所属していた霊的集団(ソウル・グループ)に帰還できる、という希望が湧いてきます。

 

 もともとあなたが所属していた高次の霊的集団(ソウル・グループ)には、あなたと似たような波動領域の存在しかおりません。とても居心地が良く、争いもないので、純粋に精神的な目標に取り組める日々を送れます。

 

 ですから、雑多な3次元地球のような、ごった煮にされたかのような喧噪に囲まれた世界体験は、あちらの世界に戻ると、もはやあり得ません。反対側の見地からいえば、この地球での人生は、貴重極まりないものとも言えるのです。

 

 

 

 

 もちろん、生きながら、地球や動植物とともに、5次元地球のアセンションするのが、いちばんすばらしいパターンですが、その途中に倒れたとしても、帰るところがあるという考え方は、3次元を生きる勇気を与えてくれます。

 

 

 

 

スターシードのみなさんは、このモーツァルトの不審な死と、その後の諸説、そして、アセンション領域のチャネリング情報について、どのように感じ、解釈されるでしょうか? 

 

 

 すべてを決めるのは、あなたの直観です!

 

 

 そして、その直観こそが、地球の永続支配を目論む、闇の残党がもっとも恐れているパワーなのです・・・いまこそ、それを発揮しましょう!!