一人を生きる -希望の彼方に-

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天才は、天才でなかった?! 【スターシードだった】モーツァルトの人生も、地道な努力の積み重ねだった

 

 

 

天才は、天才でなかった?! 【スターシードだった】モーツァルトの人生も、地道な努力の積み重ねだった

 

 

 

  

 

 

 18世紀中葉にヨーロッパのザルツブルクに生まれた

 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

 

は、その35年の短い生涯のうちに、700曲以上の音楽作品を残しました。

 

 

 彼はつねに、天才と呼ばれてきました。

 

 今回は、この天才というテーマに焦点をあてて、分析してみました。 

 

 

 

 

 

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(上)ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのラフスケッチ。

 

 

 この作品は、1789年、ドレスデン滞在中だったモーツァルトを描いた肖像画をもとにしており、実際のものに近いです。

 

 実際の画では、もう少し疲れたような表情で描かれていますが、著作権の関係で、ここには載せられないので、実物をご覧になりたい方は、どこかで検索してみてください。

 

 

 当時、モーツァルトはすでに33歳で、死の2年前になり、実物は「モーツァルト最後の肖像画」として、世界中の多くの人々に愛されているものです。

 

 

 

 

「K.」とは、作品目録を作った人物のイニシャルです

 

 

 ところで、モーツァルトの音楽作品の終わりに付けられている

 

「K.」とは何でしょうか?

 

 

 たとえば、

 

 

モーツァルト 作曲  交響曲 第40番 ト短調 K.550

 

 

という例で言いますと、赤字で記した、末尾の部分です。

 

 

 

 「K.」というのは、モーツァルトの死後に、作品目録を整理した、

 

ルートヴィヒ・フォン・ケッヒェル(1800~1877)

 

という人物の頭文字を取って、通常の作品番号を、「K.○○○」(○○○内には、数字が入ります)表記されています。

 

 

 読み方は、そのまま、「ケッヒェル ○○○」(○○○内の数字は、ふつうに、何百何十何)と読みます。

 

 まれに、「KV. ○○○」と表記されることがありますが、意味は同じです。

 

 

 

 多くは、作品が作られた年代順になっていますが、ケッヒェルの死後、あらたな研究成果が発表されることによって、作曲年代が入れ替わった場合があり、必ずしも、番号の若い順に古い、とは限らない構造になっています。

 

 

 

 

 

 使われた紙の年代からわかる重大な事実

 

 

 モーツァルトは、20代の途中から35歳でなくなるまでの間、自分の作品目録を付けていました。それも重要です。

 

 そして、天才の死後、先述のケッヒェル氏による作品整理が行なわれ、「K.」という番号が付与されました。

 

 

 しかし、20世紀後半になると、音符を記す五線紙の紙が実際にヨーロッパのどの地域で流通していたのか、年代を特定する技術が確立されました。

 

 これはおもに、アラン・タイソン博士などの業績によるものです。

 

 

 そのため、モーツァルト自身が、たとえば、自身の作品目録に、「1784年の作」と記載していても、実際にその完成された日が1784年であるだけで、実際に、いちばん最初の音符が書き込まれたのは、それをさかのぼること数年も前になる・・・といった具体に、意外な事実が判明してきます。

 

 

 たとえば、ある楽曲が、第1楽章、第2楽章、第3楽章ですべて成り立っているとしましょう。

 

 すると、話をわかりやすくするため、たとえば1784年に曲が完成したとされるとしましょう。

 

 その2年前の1782年にモーツァルトが実際に行った旅先の地方でしか製造されていない紙質だとわかれば、その曲は「1784年に完成した」ことになっていても、おそらく、もっと以前に、(おそらくは1782年に)第1楽章冒頭の第1音が、その旅の宿泊先において記載されたとも考えられるのです。

 

 

 そして、ほかのオペラの作曲や、ピアニストとしての演奏会出演などの合間を縫って、第3楽章の最後の和音が、1784年になって、「ようやく」完成された、と推測できることになります。

 

 

 

 

 ここで、わかりやすく、例を整理してみましょう。

 

 

 

例)

 

①:当初の研究結果の反映

 

 

 

K.○○ :   完成されたのが、1783年 《確定しているものとします》

 

 

(この『K.○○』という曲が完成した3日後の日付で、次の『K.○○+1』という曲が記載されているとしましょう)

 

 

K.○○+1:次の作品として、完成されたのが、1784年 (先ほどの例をさす)

 

 

 

 

「3日間で、天才音楽家が曲を作った!!」とレコード会社が主張しても、うそにはならない。

 

 

 

 ⬇

 

 

 

②:使われた紙の年代調査の結果を反映させた場合

 

 

 

K.○○ :    完成されたのが、1783年 《確定しているものとします》

  

 

(この『K.○○』という曲が完成した3日後の日付で、次の『K.○○+1』という曲が記載されているとしましょう)

 

 

K.○○+1:次の作品として、完成されたのが、1784年 (先ほどの例をさす)

 

 

 ・・・しかし!!

 

 使用されている五線紙の紙質から、

 

 

K.○○+1 の 作曲が開始されたのが、1782年 

だったことが判明します!!

 

 

 

 

 

 ということは・・・

 

 

「3日間で、天才音楽家が曲を作った!!」とレコード会社が主張してしまうと、実際に曲が着手されたのが、完成日より2年ほど遡るのではないかとみられるため、少なくとも、「3日間で仕上げた」という表現は、間違いになるか、少々おおげさな宣伝文句に聞こえてしまう。

 

 

 

 

 これは、何を意味するかというと、よく、戦前や戦後は、このように叫ばれていました。

 

 

 

 たとえば、

 

 

「モーツァルトは、音楽の天才だったので、たった3日間で、交響曲を仕上げた。」

 

 

 これは、当時のレコード会社などであれば喜ぶ研究結果だったかもしれません。 

 

 

 そのように神秘性を強調して、売り上げを伸ばそうと企業努力としては素晴らしいものがあり高度成長を支えてくれたことには感謝しなければなりません。

 

 

 

 しかし、戦後のクラシック音楽の一般愛好家は、それを信じるしかありませんでした。

 

 レコードに付属している解説書には、そうとしか書いていないし、また、そのように書かれていると、曲を聴くときに、崇高な気持ちにさせられるので、それ以上の詮索はしないというわけです。

 

 

 得体の知れない、謎の多い天才作曲家、病弱で35歳で死を迎えるまで、この世のものとは思えない美しさを湛えた天使のような音楽を作っていた、神童モーツァルト説は、一面では事実です。

 

 

 

 ところが西暦1991年、モーツァルト没後200周年記念があり、このときに、通説を打ち破る情報が巷にあふれ、その前後から、タイトルにあるような展開になってきたように思います。

 

 

 しかし、先の五線紙(楽譜)の紙質検査技術が確立されたこんにちでは、例ですが、

 

 

 先ほどご説明したように、

 

 

「書き始めたのは、1782年。フィナーレ(最後の楽章)を完成したのは、2年後の1784年。つまり、当初信じられていたように、ぜんぜん3日間で仕上げたのではなかった!!」

 

 

というのが衝撃の真相だった、ということになります。

 

★あなたはモーツァルト効果を知っているか?★

 

 

 

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(写真 = ザルツブルク市街の路地。当時の面影を宿すといわれ、さすがに風情が漂いますね?) 

 

 

 

天才も、地道な努力の積み重ねだった・・・

 

 いかがだったでしょうか?

 

 

 後世によって作られた『天才神話』よりも、いかな音楽の天才・モーツァルトでさえ、簡単にひとつの作品を完成させていたわけではなかったことを物語るエピソードのほうが、よほど感動的ではないでしょうか?

 

 

 天才と呼ばれた人間とて、われわれのように悩み、ときに頭を抱え込みながら作業に没入していたと想像するだけでも、どこか勇気づけられてきませんか?

 

 

 

 わたしたちも、遅々として進まない多くの事業や個人的な悩みも、この天才の事例を知って、慰められることにしましょう。

 

 

 

 そのような意味合いにおいて、天才は、天才でなかったともいえるのであり、天才たちの人生も、悩み多く、地道な努力の積み重ねだったということがわかります。

 

 

 

 天才ともてはやされる人たちは、なにもわたしたちと異なる特別な存在ではなく、ときにはビジネスに供されて一人歩きした像(実物とは、かけ離れたイメージ)が流通している場合も多々あることでしょう。

 

 天才、と言われて、必ずしも、彼ら本人たちがそうもてはやされることによって恩恵を受けて幸せだったとは言い切れません。むしろ、その正反対であった場合が多いのです。

 

 

 

 このモーツァルトもその例外ではなく、「天才」と呼ばれたのは、幼少期と、死後においてのみです。

 

 幼少期は、まだ、大人たちは驚嘆の目で見てくれました。モーツァルトの一家はヨーロッパじゅうを演奏旅行していましたが、そのたびに、滞在先で「神童の出現だ!」、「奇跡だ!」とちやほやされていたことは、父レオポルトの手紙のあちこちに残されています。

 

 

 しかし、成人するにつれて、好敵手(ライバル)である同業者(音楽家、演奏家)や、そりの合わない為政者や教会の司祭たちの陰謀や羨望から、すなおに「天才」と呼んでくれる人は、24歳年上のヨーゼフ・ハイドンなどごく一部を除いて、減少していきます。

 

 

 しかしながら、死後には、直接の利害関係は解消されていく事情も手伝ってか、モーツァルトを天才と称してはばからない人物は急増してきます。

 

 

 さらにビジネス目的で、彼の死後になって、過剰に持ち上げられることが、19世紀以降のヨーロッパでは社会現象として起きていたのも事実でした。このような現象は、現代でも一般的ですから、想像しやすいでしょう。

 

 

 

 つまり、彼モーツァルトは、幼少期と死後を除いて、生前はいつも、同業者らの嫉妬心などから「天才」と呼ばれることは少なく、また、ある人から「天才」と呼ばれたとしても、生きていくうえでの実利は皆無に等しかったという点に、われわれは着目しなければなりません。

 

 

 

 ですから、天才と呼ばれる人たちと、自分との間に、よけいな心理的障壁を設ける習慣があったら、いますぐ撤去しましょう!

 

 

 そうすれば、彼らの「真価」が、たちまち、あなたに流入してくること請け合いです。そこから、もしあなたが現在、不運に打ちひしがれているならば、再起するきっかけをごく自然のうちに与えてくれるにちがいありません・・・

 

 

 

 

 

努力を精神論として使わないこと

 

 

 ただ、精神論に援用するとろくなことにならないので、あくまでも、歴史の真実としての物語として聞くにとどめてほしいと思います。

 

 

「天才なんていない、みんな努力したんだ、おまえも働け、勉強しろ」

 

 

というのは、奴隷生産の口実にすぎません。

 

 

 どうか、そのように悪用しないでください!

 

 

 というより、それを悪用するような職場に、あなたが長くいないこと、いたとしてもそれなりの防御をしてから行くことです。

 

 

 あとから偉人伝でちやほやされても、生前は、苦悩に打ちひしがれていた人々は多かったのも史実であります。

 

 

 そのため、わたしたちも、悩み多き人生に、少しでも希望が持てるようにと願って、今回、モーツァルトと楽譜に使われた五線紙の話題を取り上げたのでした。

 

 

 

 わたしたちは、だれかに「天才」と呼ばれるための努力をしなくていいし(生来の性質を伸長させればよいだけ)、また、周囲に「天才」といわれる人をうらやむ必要も無い、また、自己の3次元での、あるいはスピリチュアルな目標においては、地道な努力を続ける価値はあるのではないか、そのように結論づけたいと思います。

 

 

 

 あなたが「天才」の作品に触れて、得るものがあれば、なおさら、ありがたいことなので、気が向いたら、「天才」を雲の上の存在ではなく、よき友人として、自宅に招待してみませんか?

 

(=この場合だと、モーツァルトの音楽作品を、「気軽に」室内でBGMのような感覚で流す、という意味です)

 

 

 

 

 

スターシード・インディゴ・クリスタル・レインボーチルドレン向けコラム☆彡
 

 

 すでにご存じの方もいらっしゃるでしょうが、

 

 

『モーツァルトは、宇宙人だった。』

 

 

と言われています。

 

 

 音楽の作り方が上手いから、「宇宙人」という表現を用いたわけではありません。

 

 彼はいまで言うところの「スターシード」の一人であり、時代に先んじて地球上に登場したために、器用に世間に馴染めない面があり、3次元的な現世利益には与(あずか)らないまま、世を去りました。

 

 

 ですから、クラシック音楽をこれから本格的に聴いてみたい方は、まず、スターシードつながりで、このモーツァルトの音楽から始めてみるとよいでしょう。

 

 

(あなたがこの欄を読んでいるのは偶然ではなく、引き寄せが作用している可能性があります)

 

 

 

 音楽とのよき出会いがあることを祈っています!

 

 

 

 

★鳥を愛する人のための音楽★

 

 

 

 

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(写真 = モーツァルト生誕の地である、オーストリアのザルツブルク地方の風景。右奥の丘の上に見えるのは、ホーエンザルツブルク城)

 

 

 

音楽は、一生の心の宝(財産)となってくれるかも

 

 

 このようなことを事前に知っておくと、歴史に残る音楽家は、高みから上からの目線で、難しい音楽を書こうとしていたのでは、ぜんぜんなかった事実が浮き彫りになってくるでしょう。

 

 

 むしろ、作曲家の立場からしてみれば、親しみやすい音楽を書かないと生計を立てることが難しくなるので、聴き手の立場に立って書かれたわかりやすい音楽のほうが、断然多いです。

 

 

 

 

 ところが、クラシック音楽というと、どうしても、つねに小難しい、長くて退屈といった、誤ったイメージがつきまといます。実際には全然違うのですけれども・・・

 

 

 これは、レコード会社にとって利潤を生み出す機会の損失であるという事実よりも、もっと重大な事実が隠されています。

 

 

 それは、もし、そのような先入観が事前に打ち破られていたならば、その音楽から救いを得られていたであろう聴衆が、発掘されなかったという事実です。

 

 

 つまり、固定観念なしにクラシック音楽に触れた場合、自然に好きになれたはずなのに、社会通念や先入観のために、機会を逃した方々が、いまここにもいらっしゃるということです。

 

 

 

 今回の記事のテーマである、天才は天才でなかった、という解題は、まさにそこにあります。

 

 

 

 音楽の天才は、けっして、次のようには考えませんでした。

 

 

「どうだ、オレの作った音楽が、わかるか?わかんねえだろうな、一部の天才にしかな、フフフ・・・」

 

 

 

 そのかわり、こう考えていたのでした。

 

 

「少しでも多くの人々の心に、わたしが苦労を重ねて作った、美しいメロディーが響きますように。そのために、愛着の持てる、わかりやすくて親しみやすい音楽を書きます!!」

 

と。

 

 

 

 今回は、その点について、理解しやすい事例を引きました。

 

 

 ですから、みなさん、この機会に、時空を超えた彼らの願いを聞き届けてあげてください。

 

 

 そして、アセンションを知らずに生き、しかしながら音楽作曲の上で後世のわれわれの波動上昇のために貢献して世を去って行った偉大な、そして不器用に生きた『天才』ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品に親しむことによって、わたしたちも、そうとは知らないうちに、内面の波長がアセンション適応領域にまで書き換える素地を築いてくれているかもしれないのです。

 

 

 もし、アセンションを達成するために、内面の波長を安定させるのに手っ取り早い音楽は何か、と聞かれたら、まっさきに、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの名前が挙げられることでしょう。

 

 これは、わたし個人の独善的な意見ではないことを附記しておきたいところです。

 

 現に、多くのUFOに関する研究を行なっている人物たちが、それを認めています。

 

 

 さらには、

 

モーツァルト本人が手紙の中で述べているとおり、彼が「素人にも玄人にも聴いていて快適な音楽を作った」のは、その死後数百年が経過した現代において、アセンションの扉の向こうに行く周波数を獲得する機会を、万人に対して与えるための、宇宙の創造主による恩寵といえるのです・・・

 

 

 

 もちろん、あなたがもとから興味をお持ちであるジャンルの音楽は今後も継続してよき趣味として聴き続けながら、時折、スターシードでゆかりの深いモーツァルトの音楽も聴くというのが理想的でしょう。

 

 

 

 そして、アセンションまでの過渡期にあたる現世の残りの日々において、美しい音楽は、いつもあなたのそばにあって、一生の心の宝(財産)となってくれるかもしれません・・・