【スピリチュアル】『2:6:2の法則』で、世間を乗り切ろう!!
『2:6:2の法則』を、ご存じでしょうか?
近年、一般的な人間関係について、誰か、あるいは複数の人たちがあちこちから言い出したのが始まりらしいのですが、説明を受ければ、何のことはない、目新しい概念ではなく、なるほどね、と思うだろうと考えられる法則だと思います。
もっとも、これは「パレートの法則」(パレートという名の学者が示した法則)が原案とされており、彼が具体的に、2:6:2という数字を挙げたわけではないのですが、おそらくビジネス界で、これを基に「評価の高い社員2割、中間層が6割、かんばしくない者が2割いる中で、どのような企業戦略が成り立つか」という意味合いにおいて普及していきました。
それを、ある組織を母体とする考えではなく、一般社会でわたしたちを取り巻く人々が「2:6:2の比率で分かれている」として、いつしか発展しながら定着していったようです。
全員に理解されなくても、大丈夫すぎる
さて、ここでは当然、後者の立場で論じます。企業の戦略とは無縁に、普通の対人関係についてのお話ということになります。
全員に理解されなくても、大丈夫すぎる。
これが、当記事の結論です。
さて、『2:6:2の法則』の数字の部分に注目してみましょう!
★どんなときも、自分の意見に耳を傾けてくれる階層 ・・・ 2割
★その時々の状況で、賛成・反対に分かれる日和見の階層 ・・・ 6割
★自分の意見に、いつも合わない階層 ・・・ 2割
と、説明は以上で終了です。
つまり、『2:6:2』とは、『理解者:日和見(ひよりみ):無理解』の割合で、あなたの人生に登場する人物がいるものだ、とする考え方です。
これをあなたの人生経験に照らしてみて、「ああ、なんとなく、そうだったかもしれない」というのが、この法則です。
そして、重要なのは過去の回想ではなく、今後を生きる際に、つねに意識しておくと、反対者に出会っても、平気で意に介さない反応パターンが確立できる利点がある面なのです。
わたしたちは、ふつう、全員とは言わないまでも、なるべく多くの人間に自分の意見を理解してもらいたいと願うものです。
でも、現実の世界では、そうはいっても、なかなか、そうはいきませんね?
そうならないと見切ったうえで暮らしていた方が断然柔軟にいけます。
そこで、「全員に理解されなくても、大丈夫すぎる。」という結論部分について、なるべく若いうちに体得しておくと、あとあと、気持ちにゆとりをもって世間を乗り切れるというものです。
(いつか見た、どこか懐かしさを漂わせる青空。子どものときから、わたしたちは、全員に認められていたわけではありませんでしたが、それでも、幸福感に満ちていたのはなぜでしょうか? いまいちど、幸福さの原点に立ち返るためにも、『2:6:2』という数字について思いをめぐらせてみるのも、有益かもしれません)
具体的な反応のしかた
①★どんなときも、自分の意見に耳を傾けてくれる階層 ・・・ 2割
②★その時々の状況で、賛成・反対に分かれる日和見の階層 ・・・ 6割
③★自分の意見に、いつも合わない階層 ・・・ 2割
という比率が、一般に成り立つといい、これを以て『2:6:2の法則』と言われています。
さて、このような割合で存在するとされる人々に対して、具体的な心理的対応を言葉で表すと、どのようになるのでしょうか?
つぎにみていきましょう!!
①★どんなときも、自分の意見に耳を傾けてくれる階層 ・・・ 2割
に対する反応例
「自分ひとりぼっち、ということはなかった。必ず、共感してくれる人はいるものだ。」
「だから、周囲の反応を気にせずに、安心して自分の思いのとおりに言動していこう。」
②★その時々の状況で、賛成・反対に分かれる日和見の階層 ・・・ 6割
に対する反応例
「その時々で、意見は変わるのは自分も同じ。世間にしたって同じだろう。」
「全員が反対者でもなく、全員が賛成に回るのでもなく、いろいろな意見があると思う。」
③★自分の意見に、いつも合わない階層 ・・・ 2割
に対する反応例
「そういう人、いるよね。どこにでも。2割ぐらいはいると言うし。」
「だから気にせず、自分の好きにしよう。」
といった感覚でしょうか。
『2:6:2の法則』を知った人が、このように、あっさりと、人間嫌いに陥らずに世間を渡っていけるとしたら、ほんとうにすばらしいですね?
しかし、これはあくまでも基本的な例にすぎません。みなさん各自のバージョンを構築しましょう。
職場で、家庭で置き換える
わたしたちのいうところの「世間」とは、実体は何でしょう?
それは、厳密には、どこかの大都会やメディアの中にあるはずもなく、身近な職場や、家庭にこそ、あるのです。
漠然と、世間というものが、どこかに浮遊しているわけではありません。
具体的な人間との対面があってはじめて、わたしたちの肌感覚でわかる範囲が、世間と呼べる領域を構成しています。
そこで、さっそく、全員に賛成してもらえなくても、気にならなくなる数字を、適用してみませんか?
★職場でも、2:6:2
★家庭でも、2:6:2
そうすれば、「全員にわかってもらえなくても、大丈夫」と思えてきて、気分が軽くなるでしょう。あるいは、ある1人の相手に、自分について100パーセント理解してもらえなくても全然気にならない境地を発見できるでしょう。
いままで、小さなことでくよくよしていた自分と、おさらばできるように変化していきます。
職場にしろ、家庭にしろ、そこで、「敵か、さもなくば味方か」の雰囲気に終始してしまうと、ストレスをため込む結果になりますから、ぜひ、あなたの生活圏に、もう少し緩和された考え方を導入してみてはどうでしょうか?
職場でも、家庭でも、意見なんて、滅多に合わない。
そのかわり、現代では、インターネットで、自分の意見と合う人たちと、ゆるやかにつながり合える利便性が得られているので、そう、職場や家庭で、尖鋭化した人間関係を、あなたのほうから意識にのぼらせなくてもよいと思います。
サイトを運営していてわかること
特に、サイトを運営していて、わたしが強く感じたことのひとつは、UFOや宇宙人、アセンションについての認知が遅れている地球の現状にあって、オカルト系のサイトが、インターネット上という不特定多数の人間が関与する広大な情報の海にさらして、どのような反響が起こるのか、という点です。
①★どんなときも、自分の意見に耳を傾けてくれる階層 ・・・ 2割
開始直後の西暦2020年7月からしばらくは、1記事更新につき、4~7名程度の訪問しかなく、労力面における費用対効果を考え、一時はサイト運営を辞めようかとも考えたほどでした。
いまから思うと、アクセス数が1日1ケタの当時は、『理解者:日和見:無理解』の割合が『2:6:2』どころではなくて、『0:9:1』ぐらいに感じられ、心が折れそうでした。
しかし、その後、しばらくして、少しは読者の方も増えてきて、「自分がどんな意見に傾いているときでも、2割程度の理解者が存在する」という『2:6:2の法則』が存在していると、体感的に実感することができるようになってきたのも事実ではあります。
ですが、
どんなときも、自分の意見に耳を傾けてくれる階層
という言葉は、
「話は聞くが、全面賛成ではない」
「参考程度に、聞いているだけ」
という可能性を考慮に入れて謙虚に捉えるべきであり、その数字をあてにして独善的な意見に傾斜していかないように、細心の気配りをしなければなりません。これは、ほかのサイト運営者すべてにも当てはまると思います。
②★その時々の状況で、賛成・反対に分かれる日和見の階層 ・・・ 6割
ときたま、面白そうな不思議系の情報だから見てみた、という方が、訪問者の中にいるものと推測されます。
というのも、訪問者数が自動でカウントされるシステムなのですが、8月中旬と、1月上旬に、アクセス数が急増します。これは、おそらく、夏季休暇と、年末年始の休暇中に、なんとなく、ふだんは忙しくて調べないようなオカルト系のキーワードを入力して、たまたまたどり着いた方が、一時的に増加するのだと思います。
そして、また暮らしが忙しくなっていくと、このサイトの存在さえも、忘却のはるか彼方へと押し流されていくのでしょう。
わたしとしては、地球最期の日に、つまり、宇宙人たちが来て、最新の高度テクノロジーや地球と宇宙の歴史の真実を語る、3次元の地球が終わる日に理解してもらえれば、それでよいと思っています。
それも、わたしの言説を理解するのではなく、銀河連盟によって公式に発表された具体的な内容を、彼らが最後の最後で理解することで事足ります。
賞賛を求めてサイトを運営しているつもりはなく、少しでも、真実の拡散を迅速に、と思って運営しています。
そして、いよいよ「その日」が来たら、このサイトも、役目を果たし、閉鎖する時を迎えるでしょう。
ですから、日和見の方々は、結局、アセンションの日まで、わたしという人物および当サイトの存在を知らずに進んでいくのでしょう。それでいいと思います。
③★自分の意見に、いつも合わない階層 ・・・ 2割
この方々は、サイトに関連するキーワードを調べないでしょうし、ここを訪問する確率は、ほとんど奇跡に近い数字でしょう。
まちがって訪問したら、即、フェードアウトするはずです。
見わたすかぎり、透きとおる青い海。こんな快適な気分で、残りの人生を過ごせるのなら、いいですね?
しかし、だまっていては、変わりません。みずからの世界認識を変え、この海のような心地よさを、引き寄せるのです。
世間を渡るにあたって、この『2:6:2』という数字を頭にインプットして、気軽に生きる方向にシフトしていきましょう。
サイト名 : 一人を生きる -希望の彼方に-