一人を生きる -希望の彼方に-

セミリタイアした男が、激動の時代、一人をどう生きるかを問うブログです。節約、健康、恋愛、スピリチュアルなど多彩なテーマを扱います。

【昭和の群像 2】 ~ プロ野球にみる時代の変遷 伝説BEST3!

 

プロ野球にみる時代の変遷  

 

 

 

 

 

 昭和のオヤジたちの野球はすごかった。

 ドラマがありました。

 

 最近では、球団の経営方針が変わり、状況は一変しました。おもに2000年代に入ってからは、あきらかに変質しました。

 娯楽の多様化を受けて、プロ野球の視聴率や観客動員数も減少傾向にあり、新規顧客層を獲得しようとする動きが出て、大きく分けて次のような変化が生じるようになったのです。

 

1. 交流戦が開催されるようになった(2005年~)

2.クライマックスシリーズの導入

3.イケメン選手をアイドル化して女性ファンの取り込みをはかる

4.戦力の均衡をはかり1強の構図を改める方針に打って出たこと

5.人気の分散化・地方化

 

ファン層も、観客層も、変わった  

 このような流れを受けて、オヤジ的なファンは消えていき、日本のプロ野球は以前よりスマートな感じに変貌を遂げたように思えます。大リーグに流出する選手も相次ぎます。

 

 選手も、観客も、ゆとり世代、さとり世代といわれる年代が登場し、泥まみれの根性が尊重された昭和のプロ野球がいつしか消えていきました。

 

 しかしながら、何事も時代の変遷とともにその質も変化していって当然でしょう。どちらがいい、わるいということではありません。

 

昭和のプロ野球 伝説BEST3!

 このように、時代の影響というものは、随所に見られます。いまから振り返って、昭和のドラマを再現したいと思います。

  

 まだわたしが子どもの頃は、さまざまなジャンルの娯楽が増えた現代と違って、プロ野球が非常に人気でした。

 

 その思い出の中から、いかにも「昭和だなぁ」という伝説を、わたしなりに3つ、集めてみました。

 

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昭和のプロ野球 伝説BEST3!

 

 まずは、第3位から!

 

第3位  頭部死球で救急搬送も、翌日志願して代打逆転満塁本塁打
 

 ドラマの多かった1986年のこと、神宮球場で試合中に頭部死球を受け救急車で病院に運ばれた翌日に、みずから志願して代打で出場し、代打逆転満塁本塁打を打った巨人のウォーレン・クロマティ選手は、奇跡の人と言われました。

 現代ならば、病院で安静にしているよう診断されるか、大事をとって試合出場は控える局面ですが、当時は病気やケガを負っていても志願して出場することが美徳とされる風潮も手伝い、昭和らしさを物語る伝説となっています。

 

 

 

 つづいて、第2位の発表です。

 

第2位  満塁の場面で、敬遠四球を選ばれる落合選手
 
 1986年、結果的に2年連続でパリーグの打撃部門で三冠王に輝くことになるロッテ・落合博満選手。本塁打も2年続けての50本以上を記録し、一塁が空いていれば、敬遠されても仕方のない場面でした(当時は、現在より年間14試合も少ない、130試合制でした)。
 ところがその場面では、なんと満塁で、塁上はすべて埋まっているのに勝負を避けられ、あえて捕手が立ち上がり敬遠四球で歩かされる事態が発生、敬遠四球での押し出しという前代未聞のシーンがありました。
 
 南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の杉浦忠監督の、勇気ある苦渋の選択と言えました。
 2点以上のヒットや本塁打の可能性が強いと読んで勝負を避けるよう投手に指示を送り、1点を献上する作戦に出たわけです。満塁で敬遠される落合選手もすごいですが、そのような形で落合選手がいかに偉大な選手かをわかりやすく敬遠の指示を出すことで示してくれた杉浦忠監督の決断も、昭和ならではのものがありました。

  

 その後、落合選手に関しては、『全打席を敬遠四球で歩かされて、一度も打たせてもらえず、規定打席に到達しながら、打率.000でシーズン終了するのではないか?』、と冗談半分、本気半分で語られたものでした。 

 

 

 

 

 そして、栄光の第1位に輝いたのは、 

 

第1位 中年男が、まさかのヘッドスライディングでチームを救う

 

 1986年の秋のこと、中年で、どう考えても体格的に俊足ではないとわかる巨人・有田修三捕手が、もう一試合も負けられないという崖っぷちの局面で、命がけのセーフティースクイズを決めた試合。このスクイズ成功によって、チームは勝利します。

 

 まさか巨漢の40歳近かった捕手がスクイズとは、と対戦相手の大洋(現・横浜ベイスターズ)の選手もあっけにとられる、巨体を揺らして、一塁にヘッドスライディングするさまは、魂を揺さぶられました。

 

 テレビに映る巨人戦は、昔は、平均視聴率が20パーセントを超えていました。そんななか、失敗したら全国区で失笑を買う場面での、意表を突いたチームの危機を救う姿勢が、野球ファンか否かに拘わらず、当時はもてはやされたものでした。 

 

 

 

 

【まとめ】

 

こうして振り返ると、昭和という時代は本当に、すごかった。

 とかく悲劇的な側面ばかりが強調されがちな昭和という時代も、視点を変えてみれば、希望に満ちた一面があったのだと思わされます。

 

 もちろん、その時代に戻ってやり直したくはないですけれども、そのような時代を乗り越えて、次の世代にバトンを渡していくのかな、と感無量でした。

 

 時は移り変わり、現代には人々の娯楽もたくさん増えたため、地上波から試合中継が消えて久しい・・・もちろん、時代の要請がちがうので、どちらが素晴らしいかを問うべきではないと思います。

 

 

 

 いまは、わたしも、心静かに過ごすことをモットーとしており、プロ野球などのスポーツとは自然に距離を置くようになって久しいのですが、昭和を言い表すのに、そのような場面がときおり回想されます。

 

 そのような集合意識の共時体験を経て、日本人はこんにちまで歩んできたのだなと思うと、感慨深いものがあります。

 

 なお、選手および監督の肩書きは、いずれも当時のものです。