退職・最終出勤日は、感動するものなのか?
- 退職・最終出勤日は、感動するものなのか?
- 最終出勤日
- 午後からのアパートの部屋の片付けが気になっていた
- 4月からも、キツい
- 質問できる相手が一人もいない
- アセンションを意識しての退職だったのが、唯一の救い
ただでさえ退職するのは、だれでも身も心も疲れます。
さらに、それに引っ越しを伴うものであったら、疲れは倍増します。
退職して、そのままそれまで住んでいた住居に残るのであれば、まだ気が楽ですが。
わたしのケースでは、引っ越しを伴うもので、それを全部一人でやりましたが、ばてばてでした。
でも、計画的に手続きの準備をしていたため、時間的には余裕をもって行なうことができました。
(人生に道はたくさんあり、行ってから戻るも良し、さらに先に進むも良し。良し悪しの判断基準は、あなたにしかできません。)
最終出勤日
わたしにとっての退職・最終出勤日は、感激に浸る余裕もなく、時間ばかりが過ぎていきました。
きょうは、それを、たんたんと振り返ってみて、多少の分析を行なってみようかと思います。
わたしの場合はもともと、勤続年数(25年以上、30年以上など)、かつ年齢が〇〇歳以上の者で、その他、いくつかの各種条件をクリアしていなければならない制度がありました。
最近は、新卒で数年のうちにやめても、本人の気分次第で「早期退職」と言うようですが、われわれの時代は、それについては「自己都合退職」と呼び、一定の条件を課する制度としての「早期退職」とは区別するのが通例でした。
わたしの場合は、勤務先の就業規則で厳密に決められている条件をクリアしてからの早期退職でした。
このとき、いちばん警戒したのは、重鎮と目される人物から、赤ちょうちん(飲み屋)に誘われ、説教されて退職を思いとどまるよう引き留めを受ける行為があるかどうかでした。あまり目立つと、尋問を受けそうな気がしていたので、そわそわした感じを醸し出さないで何事もなく過ごすよう、心がけていました。
ただ、結果的に周囲からは引き留めもなく、個人的な声かけもなく、形式的な事務手続きと業務の引き継ぎばかりで、時が流れていきました。
その前後、感涙にむせぶ事態になったかというと、そうではありません。というのも、3月は引き継ぎや書類上の手続きでいっぱいでしたし、4月に入ってすぐにやらなくてはならないことも、山ほどあったからです(そのほとんどが、人生で初めてのものばかりで、相談相手もない状態です)。
3月中にやらなくてはならないことと、退職してからの4月以降なるべく早い段階でするべきことは、だいたい、次のとおりでした。
(3月中にやること)
↓
・転出にかかわる届出各種手続き
・アパート転出にかかわる処理、搬出作業
・リサイクルショップに売れるものを売る作業
・最終処分場に、使わないものを搬入する作業
・自動車保険・生命保険等の契約先についての住所変更手続き
・各種カード登録内容の変更手続き
・郵便物の住所変更手続き
・退職のあいさつの練習
・関係者各位に対する挨拶状の用意
(4月に入ってからやること)
↓
・転入先に届出する手続き一式
・国保や年金保険料の変更手続き
・運転免許証の住所変更および車庫証明の変更手続き
・自動車重量税の支払いにかかわる住所届出手続き
・税務署に対する届出手続き
・サイト運営立ち上げのための準備(運営との契約、URL取得など)
と、これだけ、退職する3月、4月にやらなければならない手続きを列挙すれば、感動している場合ではないのが、一目瞭然とわかるでしょう。終わりは、いつも何かの始まりだからです。
ドラマや映画の最終回のような、誇張され拡大された感情は、実感としては、なかなか感じにくいと思います。それがわたしの実体験でした。
その後さらに、コロナや戦争問題がわれわれの身近な問題として君臨することになり、長期化しておりますので、一般的な話として、かつての
「早期退職=セミリタイアして悠々自適に過ごし、いつまでもこの世界は存続し、自分は安全である」
というものが夢のように描かれていたひと昔前とは、社会情勢が一変してしまいました。まさに、いま思えば、夢物語になったようです。
これからセミリタイアされる方は、わたし以上に「退職・最終出勤日は、こんなにあっさりしたものか」と拍子抜けした感覚を持たれるかもしれません。
職場に入ったときは、若さのためか、(男女どちらでも)周囲から何かとちやほやされ歓迎されやすいものです。
ですが、去るときは、若かった人も適当に年齢も行っていますし、政治的なグループからは色分けされたり、レッテル張りされていくなどして、周囲の雰囲気は、かつての若かりし日の団らん、友好ぶりは影を潜め、沈黙が支配的になっていくのが通例ではないでしょうか(どこの職場も同じとは限りませんが、一般的な話として)。
かてて加えて、かつては君僕で呼び合った同僚たちも、子育てや自身の(どちらかと言うと暗い)将来のことで頭がいっぱいですから、こちらの退職を知っても、反応はなく、わずかばかりの社交辞令での無味乾燥なあいさつだけが交わされるようです。
実際に、わたしの場合でも、そんなものでした・・・
また、こちらとしても、退職後についていろいろと理由を詮索されるのも嫌でしたし、このようなサイトを立ち上げる予定だったことも、職場関係者には、いっさい話しませんでした。
職場の上司に、アセンションやUFOの話をする文化レベルに、いまの地球はありませんから、致し方ないところでしょう。円満退職できなくなると困るので、当たり障りなく必要最小限のあいさつだけをして、去ってきました。
そんなわけで、退職・最終出勤日に、記憶に残るような思い出はありませんでした。ただし、天気は3月末だったので、こちらでも肌寒さは残りつつも春らしい陽ざしが降り注いでいました。
ですが、それから先に一人でやらなくてはならないことが山ほどあり、その件で頭が飽和状態となっていて、せっかくの早春の暖かい陽ざしも、わたしの心に届かなかった、というのが当時の感想です。
★退職まであと何日あるのかのカウントダウンは、あまり早くしないほうがいい★
午後からのアパートの部屋の片付けが気になっていた
4月以降にやるべきことの多さよりも、まず、最終日の3月31日の午後から予定していた、アパートの部屋の片付けが気になっていました。
退職前日の3月30日の晩に使用した敷き布団一式を、当時住んでいた地元の廃棄物処理場に、ごみ処理券を持参して自家用車に積んで搬入しなくてはなりません。
さらにその後、再度、アパートに戻ってきて、夕刻までに、アパートの部屋を4月に入居予定の次の入居者に引き渡すために、完全に原状回復して整然とした状態にしておく必要がありました。
その後、管理人を呼び、簡易な立会検査を行なってから、いよいよ明け渡しという流れになっていたのです。
ようするに最終日の3月31日は、午前中は退職の簡易な式典に出席して関係者に気を遣い、午後からはアパート退去作業で身体的にいっぱいで、心身ともに、くたくたの状態でした。
4月からも、キツい
さらに、セミリタイア翌日は、朝早く起きなくて幸せ、という方もいるでしょうが、人それぞれだと思います。というのも、わたしの場合、退職直後の4月も、上記の転出入にかかわる手続きや、サイトの立ち上げまでの自力作業があり、感激など、どこにもなかったと記憶しているからです。
特に、わたしの職場では、副業禁止だったので、万が一、隠れてサイト運営等をやっているのが発覚して、早期退職が取り消しにされる可能性もあったため、完全に退職してからでないと、サイト登録さえできない状態にありました。
これは、けっこうキツかったところです。
辞めてからでないとわからない、出たとこ勝負の感じでした。
では、無料サイトで、副業規定に抵触しない範囲で、雑多な感想だけ書いて練習していればよいのでは、と思われるでしょう。
しかし、当時の状況下で、仕事を終えて帰宅してから、かりに雑多な感想を記すだけのサイトといえども、運営する気力が、残されていませんでした。
最後にいた部署では、出勤時刻が、午前7時30分で、残業がない場合の帰宅時間でも、だいたい午後7時30分を過ぎてしまい、それから夕食のしたく(スーパー、コンビニでの買い物を含む)をしていたので、気力、体力とも充実している20代、30代であればいざ知らず、帰宅後は、あきらかにその日の疲れを取り除くだけで限界だったと記憶しています。
もし、退職の準備とサイト運営の下準備を同時進行でやれていたら、かなり、心もゆとりがあったでしょう。しかし、完全に退職してから、すべてを一から始めるのは、大変なプレッシャーと勇気の要る行為でした。
質問できる相手が一人もいない
質問できる相手が一人もいない。
辞めてから、気づいたのが、職場ではパソコンは人並みに使いこなせていたのですが、エラーが出たりフリーズしたときなどは、機械に詳しい若手に解決してもらうのが慣例でした。どこの職場もそうでしょう。
それが、パソコンのトラブルが起きたとき、誰にも相談できない!! というのが、退職直後にわかり、けっこうキツかった思い出があります。
結局は、自分でネットを調べて回るしかなかったです。周囲に助言者なく、新しいことを始めるというのが、非常に勇気の要る行為だと、早期退職してから、ようやくわかるに至りました。
そのかわり、退職後の4月~6月のあいだに、転出入の手続きやサイト立ち上げ関係の処理をひととおり為し終えると、「まだ、自分にも、できることがあるんだ」と少々自信がついたのも事実でした。
ただ、それは、後から振り返っての感想であり、やはり当時は、うまくいくかどうか、正直なところ、ヒヤヒヤものだった気がします。そのようなわけで、感動・感涙・感謝などといった感情は、正直なところ、退職する前後には持ち得る状況どころではありませんでした。
アセンションを意識しての退職だったのが、唯一の救い
また、西暦1999年ごろから、はっきりと、いずれ地球がアセンションする予感がしていたので、退職してから燃え尽きることもなく、こんにちまで無事に生きながらえています。
その点には救われました。もし、スピリチュアルな事象を何も知らなかったら、セミリタイア後に、燃え尽き症候群になっていたかもしれません。
ご存じの通り、近年に限って言えば、コロナや戦争の影響で、だれもが暮らしにくくなっていますから、アセンションを知らなかった場合、悲壮感が倍増する、悲しき第二の人生となっていたでしょう。
われわれの人生とは、この地上での生活を終えてから、霊的指導者と振り返りがあり、そのときに、宇宙の全体像を見渡した上で自身の生涯を回想した時点で、初めて感動できる代物のような気もします。
ある時期に就業していた職種を、何らかの理由で辞めることは、ごく普通によくあることですし、気取るわけではなく、たんなる人生における「小さな通過点の一つ」に過ぎないようにも思えてきます。
アセンションまでの魂の修行の一環として、就業していた時期の経験を活かしているのだと思います。
また、こうして、サイト運営によって、自身のスピリチュアルな考えと、3次元の経験を、まとめなおしして総括している段階にあるのだとも思えてきます。
サイト名 : 一人を生きる -希望の彼方に-