個別の道がある
わたしは、少し前に早期退職して、早めに人生の階段を降りました。
単身だったことと、ある事情が絡んで、自然のなりゆきだったと感じています。
他人との比較は意味がない
そもそも、年齢を重ねて行くにつれ、人は、個別の道を行くようになります。
それは、個性的という意味ではなくて、いやおうなく、流されたり、判断に迷ったり、置かれた対場が全く同じという人は、この世に二人といないでしょう。
ですから、ある程度の年齢になったら、周囲にお伺いを立てたり、上司の顔色をうかがったりしなくても、自分の価値観で針路を決断するのがふさわしいです。
わたしの場合は、ほとんど周囲の目を意識せずに、職場を辞めることが可能でした。そのため、ブログのタイトルも「退職」を強調する必要はないと感じ、外しました。
もっとも、これが学生だと、無言の同調圧力というか、それ以前に、同じ授業を受け、同じ先生に教わっていたら、横並び意識が植え付けられてしまい、同期ばかりを比較の対象に見てしまうのも無理からぬことです。
また、若いサラリーマンの方だと、普通に結婚して、出世していくビジョンを描きますので、なかなか辞める気にはならないでしょう。
『いい出会いがあるかもしれない』という望みがかけら程度にでも心にあるうちは、職場に残ろうとするのが自然でしょう。
年齢の近い同僚が育児を通してだんだん疎遠になっていくと、ふと、いままで連帯感があったはずの同僚と切り離されて遊離状態に置かれている自分に気付くでしょう。
他人と比較して自分を知る年代は、必ず過ぎ去るものです。
だから、比較して優越感に一時的に浸っても必ず落ち目が来ます。それは、その人が勝手に定めた基準のせいで、自身に因果律によって跳ね返ってきただけの話です。
反対に、劣等感も、上記と同じ基準を採用したために、誰も責めていないのに自身を勝手に裁断しているだけなのです。
もうそろそろ、人類は新しい地平に立たなくてはなりません。
退職後の人生にも、さまざまな定義がある
さて、ひと言に「退職」といっても、その後にいろいろなパターンがあります。
1.完全な退職
2.セミリタイア
3.アーリーリタイア
上記について、それぞれの定義をご紹介していきます。
1.完全な退職
退職して、悠々自適の暮らしをすることをさします。資金にもある程度ゆとりがあり、あとは完全に趣味に生きる暮らし。
(問題点)
健康寿命の残りが短くなる。退職時にすでに健康が害されている可能性も高いため、せっかく貯めた資金や人生経験を活かせないまま、老後にいたることが懸念される。
2.セミリタイア
早期退職して、なおかつ、正規に就業していたときの副業のような仕事をしている状態。心身のストレスを軽めにして、悠々自適とは行かないが、適度な緊張感とともに、節約しながら生きる暮らし。
(問題点)
必ずしも老後資金が潤沢ではないゆえ、節約や家計のチェックが最低条件となる。
独身か、離婚などで単身でなければ、難しいと思われる。
3.アーリーリタイア
海外では20代で結婚して早期退職して、あとは株の資産運用などに任せて固定費をまかない、ほんとうの人生の目標、ライフワークに専念するという暮らしをしている方がいらっしゃいます。若くしてIT関連事業で成功を収めた方にのみ許される生き方かもしれません。
(問題点)
海外でファイヤームーブメントといわれる「超」早期退職ですが、日本では絵に描いた餅に終わりそうです。想像している分にはなんとも楽しいのですが、あくまでも、夢物語といった感じがします。
- 人によって、価値観はまちまちなので、どれが正解ということはないと思います。
退職してからのほうが、本当の人生なのか?
また、ともすると、退職するまでは、退職が人生ドラマの主題となってしましがちです。
しかしながら、いざ退職してしまったら、こんどは新しい舞台が始まっています。
しかも、自由に描いてよい舞台ということで、かえって裁量が大きすぎて、判断に迷ってしまいそうになります。
これまでの大半は、他人が用意したテストや業務を、定められた時間内に答えを出していくという生き方を社会から要求されてきたわたしたちは、いざ自由が与えられると、このように困惑することもしばしばです。
ある意味、結婚と似ているかもしれません。
結婚することがゴール(目標)だったけれど、結婚してからが試練の始まりだと、よく言われます。
それと同じ原理で、退職の場合でも、辞めてからドラマが始まるのだといえるかもしれません。
しかし、さきにみたように、ある程度の自己決定をしたあとは、「自然のなりゆき」に任せていればなんとかなる、といった境地がやってきます。
もちろん、この記事を書いているときに、そう感じたのは事実ですが、おそらく別の時間帯には、同じテーマなのに、まったくちがう見解、場合によっては相反するような意見も脳裏をかすめるはずです。人間はそもそも、他人よりも自分自身に関する事物は多面的に理解しづらい生き物だからです。
わたしもその例外ではなく、ときにべつの見方をするでしょう。
ですが、そのような思考を経てこそ、多面的に物事を眺める習慣が形成されていきます。
これからセミリタイア、アーリーリタイアを検討されるかたは、人生を、そして世界を、もし余裕があれば宇宙についてまで興味の対象を広げていき、多角的な分析を行って、後悔のない人生を送るようにしてください!