スターシードの死を怖れない心 ~ 無常観を乗り越える!! 【方丈記から】
- スターシードの死を怖れない心 ~ 無常観を乗り越える!! 【方丈記から】
- 方丈記の名文が、いま、蘇る!!
- 西行との比較は意味をなさない
- 全体の構成
- 著者の概略
- 生きる悩みは同じ
- ここで立ち止まってはならない!
- 追記 :
死を怖れない心、と題して、最後には、無常観を乗り越える勢いで、中世日本の名作、鴨長明(かもの ちょうめい)作『方丈記(ほうじょうき)』の話題から、アセンションに結びつけて行きたいと思います。
はたして、どんな着地点が見つかるのでしょうか?
『方丈記』は、13世紀のはじめに、50歳になってようやく出家した鴨長明によって書かれた古典作品の名作です。いまなお、多くの人々の心を捉えてやまない、美しい簡潔な表現で、和の趣を伝えてくれます。
冒頭の
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
は、どこかで聞いた覚えのある書き出しだと思います。
そして、50歳で、「念願の」出家をはたした、という点では、現代で言うところの
◆セミリタイア希望者
◆スターシード自覚者
◆あるいはその掛け持ちである方
であれば、どこか、鴨長明の境涯に、どこか自身と重ね合わせてしまうのではないかと思われます。
はたして、現代風に読み替えて、どのような結論をわれわれは引き出すべきだというのでしょうか?
鴨長明が50歳で出家し、方丈の庵に居を移したことによって、念願の平安の境地に身を置くことができたのか?!
それとも、わたしたちには、それを参考にしながらも、もっとポジティブな生き方を選び取っていくことは可能なのでしょうか?
とても、気になるところですね。
落ち着いて、最初は、鴨長明の足跡をたどって、思いを中世の日本に移してみましょう。心だけ、タイムスリップしましょう!
まず、われわれ人間のさがとして、死を怖れる気持ちは、だれにでもあります。
これを、いきなり否定するわけにはいきません。
この、古代から中世を経て、現代まで続く「世の中ははかなく、また、人間の命も非常にもろいものである」という日本人ならではの無常観を、いったん受け入れてみることにしましょう。
(孤独な庵のイメージ。しかし、和の趣に満ちている。物理的に人里離れた場所に住むことで、心のやすらぎは見つかるのでしょうか・・・)
方丈記の名文が、いま、蘇る!!
鴨長明の記した『方丈記』の冒頭は、平安時代に作られたにもかかわらず、21世紀を生きる現代の日本人の心の一端を如実に表しています。
特に、第1部には、透徹した無常観が凝縮された形で表現され尽くしているといえます。
この冒頭の部分は、どこかで聞いたことがあると思います。
さっそく、みていきましょう。
1.
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。
世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。
(『新訂 方丈記』 著者:鴨長明 、 校注者:市古貞次 岩波書店 2009年7月6日 第35刷発行 p.9 より引用)
わたしたちが、悩ましい現世で進路に行き詰まったとき、あきらめの心境に導いてくれる、日本人の心の原点とも言うべき、珠玉の一節です。厭世観から気を紛らすより、その面を直視したほうが、気分も落ち着いてくるものです。
事実、わたしたち日本人の祖先は、このような境地を乗り越えてきたのだと実感が湧いてきます。災害、戦、疫病、飢饉などは日常であり、希望といえば、遁世か、死後の来世に期待するほかにない状況でした。
それに比べて、現代は、「アセンション」や「UFO」がようやく市民権を得た時代となり、中世日本の無常観は、かなり希薄になってきています。それらを確信できていれば、の話ですが。
ちなみに、引用した2行目の「うたかた」とは、泡のことです。
流れゆく河の水も、見た目とは違って同じものはなく、泡も消えるものと新たに生じるものも、いずれにせよ長くは続かない。
人についても、住居についても、同じ無常観があてはまるのが、この世の根底原理だというのです。
2.
朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
不知(しらず)、生れ死ぬる人、いづかたより来(きた)りて、いづかたへか去る。
又不知、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主(あるじ)とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
或は露落ちて花残れり。
残るといへども、朝日に枯れぬ。
或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕(ゆふべ)を待つことなし。
(『新訂 方丈記』 著者:鴨長明 、 校注者:市古貞次 岩波書店 2009年7月6日 第35刷発行 p.10 より引用)
人間は生誕の理由も知らず、死後の行き先もおぼつかない、という閉塞感は、時代を問わないのだと分かります。
たとえ花が先に枯れるにせよ、その反対に朝露が先に落ちようと、どちらも大して差は無いのだ、と言っています。
さらに、朝顔の花が先か、朝露が先か、どちらが競っていち早く姿を消してゆくかという比喩から、われわれの住む世界が、如何に、はかないものかを象徴してみせています。
中世に生きた人の心を思えば、納得のいく感覚ではあります。
そこから、現代は、思想の面ではいくらかは恵まれていることが感じられる一節です。
恵まれている面というのは、言わずもがなですが、スターシード自覚者が登場してきた点です。スターシードといえば、その言葉の中に、
「過去世があった」ことと、
「来世(またはアセンション後に行く世界)が、きっとある」
という面を内包しているからです。
その反面、アセンションを知らないか、もしくは信じていない人たち(なかには、スターシードなのに目覚めていない者、闇に加担している者もいます)は、この中世の日本の死生観そのままに生きているのですから、その数が多ければ多いほど、世の中がすさんでくるのは致し方のないところでしょう。
そんな方々と混在した社会で暮らす悪条件をものともせずに、スターシードが多く登場してきたという有利な面を強調して、わたしたちは、先を急がなくてはなりません。
西行との比較は意味をなさない
ここで、上記の出だしで知られる『方丈記』の作者である、鴨長明は、とかく、西行と比較される機会が多いのですけれども、そもそも、タイプの違う両者を比較するのは、いかがなものでしょうか?
と、
かたや、
という、好対照をなす2人、という構図です。
この2人を比較して、出家者として、西行は達観していたが、鴨長明は不完全だった、と言ってみたところで、何の得になるのでしょう?
たしかに西行は高潔で立派な人格だったかもしれません。ですが、彼らが生きた時代から800年近く経過していながら、いまだに内的平和を確立するのは困難なのは誰もが身を以て知るところです。
現代のわれわれが抱える悩みをはるか昔に先立って体験し、呻吟(しんぎん)していた鴨長明を、はたして誰が笑えるでしょうか?
ここは、西行を讃えつつも、その悩みを露呈して見せた、そして、名文によって後世のわれわれに披瀝した鴨長明も、西行と同じレベルで、讃嘆しなくてはならないのではないでしょうか?
時代ゆえに余儀なくされる生き方を、個々の責に帰するのは、後世の立場からは簡単なことですが、それはやはりその時代の波という不可抗力が作用したとみるべきです。
ここでは、われわれは、両者を比べるよりも、両者の違いを愉しむゆとりをもって、眺めてみたいものです。
全体の構成
『方丈記』の全体は、大きく分けて、5つにわかれています。
①第1部
先に記載した冒頭が第1部です。
書き出しはよくまとまり、すべてを総括するにふさわしい箇所に仕上がっています。
「流れゆく河の水も、見た目とは違って、一滴たりとも同じものはなく、泡も消えるものと新たに生じるものも、いずれにせよ、長く続くものなど存在しないのだ。」
「人間についても、その住居についても、生れては消えゆく、はかない夢のようだ。」
②第2部
第2部では、飢饉に見舞われた町にうずたかく積み上げられた白骨の山や、火事で焼失した建物、嵐で崩壊した橋、貴人で急逝した人物の回想など、これでもかといわんばかりに、世のはかなさを数え上げます。
「わたしは、物心ついてから、40年余りの四季を経験してきたが、世の中には、大きな事件や災厄が続き、人心の定まるところがなかった。」
「都での火事、火事による建築物の焼失、嵐や突風で橋が崩れ、あるいは空に吹き飛ばされたり、その他、飢饉、洪水による川の氾濫、大地震などが次々と起きていたものだ。」
③第3部
つづく第3部では、自身が50歳で出家し、人里離れた庵に住むまでのいきさつが語られます。
「わたしが50歳を迎えた春(西暦1205年)に、出家を決心して、遁世することに成功した。それは念願だった。」
「もともと、自分は独身で、妻子もおらず、この世に何も執着心を呼び覚ますものがなかった。また、社会的身分も高貴なものとはいえず、それゆえに、世を捨てることができた。」
「出家後の庵での暮らしというと、美しい月夜には、静かに故人に想いをはせ、山の動物たちの鳴き声に聴き入る。
ホタルの光は、暗闇に燃えさかる槙(まき)のかがり火に見まごうほどに美しい。
山鳥のほろほろという鳴き声は、もしかしたら亡き両親の魂が帰ってきたのかと思わされる。(鴨長明は自身が10代のときに両親を亡くしている)」
④第4部
第2部の続きのような、災害や知人の逝去した知らせなど、世の悲惨を述べた内容ののちに、閑居のたのしみについて、簡略に語る箇所になります。
「町において、火事で炎上し失われた家や館が、どれほど多くあったことか?
それに比べると、わたしが出家したあとに住んでいる現在の庵は、広くはないけれど、夜は寝床として十分であり、昼には憩いの場として満ち足りている。
独り身をまかなうにはもってこいである。(火事で焼失するなど)よけいな心配も無く、実に身軽であることよ。」
「人を怖れる動物がいるように、わたしにも、人を怖れる気持ちがある。
世相や、世の常がどんなものであるかについては、人生、長く生きているといやでも思い知られてくるものであろう。
それだから、もはや、俗世であくせくと活動するのも、愚かしく思えてくる。
わたしはただ、心静かに過ごせる出家後の境地を、未来を憂うことなしに愉しむことで満足しているのだ。」
⑤第5部
最後の第5部では、庵に住めば、煩悩が小さくなると考えたが、なかなか解脱した境地には行けないとの告白がなされます。
「仏の教えでは、どんなときにも『執着を断ち切れ』と言う。
だが、現在の自分が、出家した庵でのささやかな暮らしを愛することもまた、執着なのではないか?
はたして、わたしはこのままの感覚で生きていって、よいものだろうか・・・」
と、最後に来て鴨長明は、思い悩みます。
しかし、結びの句にて、長明は、こう語っています。
「心を静かにして、仏の道を行こうとして出家したものの、この期(50代という年齢)におよんでさえ、わたしは、姿だけは高貴な修行者のようであるものの、心の内には多くの煩悩に溢れているのだ・・・」
として、ついに解脱を語らないまま、結ばれます。
【まとめ】
このように、着飾ったところのない素朴で真実を、語っている点に、『方丈記』という作品の価値があると思われます。また、原文の語調には音感があるのも、長明が歌や詩歌、音楽に長けていたからでもありました。
とても、13世紀はじめに生きた人間の手になるものとは思えません。それは、現代のわたしたちの気持ちにも通じるものを、あちこちに発見するからです。
この終わり方にも、妙に気取った成功者のようには言わない面に、味わいが深いところを感じます。
煩悩などかんたんに乗り越えられる、と口で言うのはたやすいけれども、多くの人々にとっては、鴨長明のほうが、真実を語っているように響いてきます。
ですから、このような、解脱した境地に到らなかったと素直に告白している終わり方をもって、その作者である鴨長明を、他の出家者たちと比べて糾弾するのは、意味をなさないと思われますが、いかがでしょうか?
西洋では、フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)も、最後の著作『孤独な散歩者の夢想』を完成せぬまま他界しました。飾らない真実を語っている点で相通じるものがあります。
ルソーも、ときに敗残者のように言われることが見受けられます。が、多くの場合、真実を語ることは、むしろ勇気を要する行為ではないのでしょうか。少なくとも、価値のあるものだと思われます。時代を超えて、語り継がれてきたものが、まったくの無価値とはならないでしょう。
(富士山の眺め。中世に生きた人々は、このような日本の風景に、何を思ったのでしょうか・・・しかし、それは、われわれの過去世であった可能性もあります。もし、そうだとしたら、今回で輪廻を断つという強い気持ちで臨みたいですね?)
著者の概略
ここで、著者である、鴨長明について、少しふれておきます。
生誕から少年期
鴨長明は、京都鴨御祖神社(きょうとかものみおやじんじゃ)の家に、西暦1155年、生れました。
10代までに両親を亡くし、神社の跡を継ぐか否かでもめていました。が、本人は、すでに若くして隠居に憧れており、正式には神社の重い役を継がぬまま、籍は置きながら歌の世界に足を踏み入れます。
長明は歌の領域では、その才能を発揮し始めます。歌集『無名抄(むみょうしょう)』など、歌の技法を記した出版物を刊行したり、芸術、詩、音楽に対して、なみなみならぬ情熱を示しました。
現代でも、仕事より、趣味の領域で真価を発揮する方がいますけれども、まさに長明はそのさきがけといっていい存在でした。
このあたり、こんにちの日本のセミリタイア希望者と、似たような心境の素地が見て取れるかもしれません。
壮年期
やがて、社交界にもデビューし、貴人たちの集まる歌会にも招待されるまでになります。
ここまでは、恵まれているようにも思えますが、しかし、西暦1204年、長明49歳のとき、後鳥羽院が、長明の詩や歌にかんする才能の高さなどを認めて、神社の官位に推挙してくれた行為に対し、断固それを固辞する意思表示をしました。
これも、出世を拒否して、心の素直に従って生きる実直な生き方とも取れますが、いかがでしょう? 批評家のなかには、鴨長明を逃走兵のように、あしざまに語る者もいますけれども、わたしは、そうは思いません。
出家
そのあたりを機に、正式に出家を志し、西暦1205年、出家を決意します。このとき、鴨長明は、50歳でした。
現代のわたしたちの「早期退職」や「セミリタイア」、名前だけはかっこいい「ファイアー・ムーブメント(海外で流行している超・早期退職生活)」と、基本的な心理構造は同じだと思われます。
世の中の矛盾に耐えきれず、別の理想を実現しようと模索する気持ちは、特段、悪いことではないし、むしろ、純真さゆえの選択ではないかとも推測できるのです。
中世の日本(平安~鎌倉時代)とも相通じる面があったと考えると、おもしろいですね?
出家後に、世に『新古今和歌集』が出版されたとき、出家前に長明が詠んだ歌も収録されていましたが、本人はすでに世間から離れたところに身を置いていたのでした。
華やかな歌の世界から去ったことを、『方丈記』に書いた内容とは別に、本心としては、どう感じていたのでしょうか?
『方丈記』に着手
長明が出家後に着手した『方丈記』の題意は、方丈というのは、そのすみかとした庵の大きさが方丈(3メートル四方)だったことに由来します。
そのような庵で、世間の喧騒を逃れ、心安らかに余生を過ごそうとしたまではよかったのですが、その結びにあるように、彼は、ついに、当初は出家によって得られると信じていた幸福の境地を、「方丈」の終の棲家に見出すことはできませんでした。
物理的に、都会から離れたところで、その人の心が静まる保証はありません。これは、現代にも当てはまります。
かえって、喧噪に曝されていれば、おのれの内面を深く見つめる機会が無く、したがって、すべて気に入らないことを社会や他者の責に帰することもできます。もちろん、それでは、成長は望むべくもありませんけれども、自分自身に幻滅するリスクは回避できます。
長明については、人里離れたところに居を構えたゆえに、かえって、自身の内面の虚しさや、長年の経験に付随する社会の負の側面ばかりが湧き上がってきて、解脱するどころではなくなったのではないかとの点を、後世から非難されるケースが多いようです。
しかし、これは、個人の責任もあるけれど、時代の波に打ち克てなかったことまで個人の落ち度とするならば、戦争で命を落としていった人たちも同じ責めを負わなくてはならなくなります。
厳然たる身分制度と、それに由来する社会的不正に、いや気がさして、50歳で出家を決心したと言われる鴨長明。
わたしたちは、長明が日本人の厭世観、無常観を浮き彫りにしてくれた功績を称えて、彼を責めるのは、好事家だけに任せておきましょう。
こうして、西暦1212年、ついに、『方丈記』が完成します。
鴨長明、ときに、58歳の年でした。
そして、西暦1216年、享年62歳にて、鴨長明はこの世を去りました。
西暦1205年(50歳)に、世に倦み疲れて念願の出家を果たし、1212年には『方丈記』を仕上げ、その4年後に、浄土の世界に旅立っていった、というのが、鴨長明の生涯の概観となります。ご冥福をお祈りします。
◎岩波文庫版は、書き下し文と注釈しかなく、現代語訳はついていません。格調高い文体でありながら、800年以上経った現代にも、大方の意味が通じる文となっています。
◎そのため、もし、一貫した現代語訳つきの作品を希望される場合は、他社から販売されているものを選ぶとよいでしょう。
生きる悩みは同じ
次のくだりは、スターシード自覚者たちには、なじみ深い心情だと思われます。
方丈の庵で、俗世間からの離脱を願った心境が綴られています。
3.
大方世を逃れ、身をすてしより、うらみもなく、おそれもなし。
命は天運にまかせておしまず、いとはず。
身は浮雲になぞらへてたのまず、まだしともせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕のうへにきわまり、生涯ののぞみはおり〱の美景にのこれり。
(『新訂 方丈記』 著者:鴨長明 、 校注者:市古貞次 岩波書店 2009年7月6日 第35刷発行 p.57-58 より引用)
とりあえず、俗世からは退き、静穏に暮らし、多くを望まず、浮雲のような気持ちだというわけでしょう。ほんとうにそうだったのか?
神社の高官に就くのをきらい、50歳で出家した自分の選択は間違っていなかった、と見栄から強弁して、無理に解脱の境地に達したかのごとくに、長明が語ってみたくなったのでしょうか?
これについては定かではありません。本人にしか、わからないことですから。その双方の極に揺れ動く自身の気分のうち、比較的安定した気分のときに、この箇所を書いた可能性もあります。
ただ、このような境地に浸る気持ちが本物だとして、鴨長明がここまでに到る心理的過程は、地球に来たまではよいが、その後、座礁して生きるのに難儀するスターシードの心境と酷似している点が、興味深いところです。
なじみのうすい3次元、もしくはすでに何度か地球に転生してきたが、前回とさほど環境が変わっていないか、難易度が上がっているケースを選んでしまった方もいると思われます。
なにものにも束縛されず、自由気ままに、浮雲のように柔軟にこだわりなく生きられたら素晴らしいと思うのは、鴨長明にもスターシードにも共通のようです。
ただ、鴨長明は実体験から語っていますけれども、スターシードたちは、想像の域を出ず、これから解放を体験することになるのでしょう(アセンションなどが起きてから)。
鴨長明がスターシードだったかどうかはべつにして、生きる悩みについてだけ言えば、歳月の流れにかかわらず、人の心は同じだと言うことがわかります。
また、セミリタイアを望む方であれば、自分の性格が、鴨長明と、西行のどちらに似ているのか、およそ確認してからにしたほうがよいかもしれません。
しかし、明るくひとりを生きる西行に近い方だとして、その方の生き方が現代に通じるかどうかは、わかりません。
「自分はひとりでも愉しめる人間だ」と本人が思っていても、じつは周囲の支えがあったから上手くいっていたのだった、と、あとになって気づかされる場合もあるでしょうから。
また、鴨長明に近い方でも、現代のように、個人の選択の自由の幅が大きくなった時代条件を考慮したとき、長明のように出家後にあれこれと思い悩んだりせず、気軽にまったく問題なくセミリタイアを満喫できる可能性もあるのです。
ここで立ち止まってはならない!
『方丈記』の各所に登場する無常観、世捨て人の諦め、それはなかなか、心を打つものがあるのは認めましょう。
ですが、ここで、感銘に浸っているだけで、はたしてよいのでしょうか・・・
時は、すでに、800年以上が経過し、わたしたちの意識は、もはや地上の悲惨さを追い続けるばかりではなくなっています。
20世紀に先進国が宇宙進出を為し遂げたのも、いまとなっては、セピア色の思い出の類いと一緒でしょう。
時代は21世紀も4分の1が過ぎようかという地点に達し、われわれの意識はついに、みずからの出自が、この惑星以外のどこかではないか、と真剣に考えるレベルまで到達しています。
そこまで来ていながら、鴨長明の無常観にとどまっていられるとでも言うのでしょうか?
・・・否、わたしたちは、ここで立ち止まってはなりません。
地球の次元上昇という明確な目標が、一個人としてだけでなく、人類およびすべての自然界の生き物たちと共有している、すばらしい時代に突入しているのですから、無常観で終わりにしてよいはずもないのは、火を見るより明らかなことです。
(隠遁した人々は、毎日、沈みゆく夕陽をみて、何を思ったのでしょう? 俗世から逃れた安堵か、はたまた、一抹の寂しさをかかえていたのか? それは、現代に生きるわたしたちの想像を超えています・・・)
追記 :
とはいえ、やはり、人間、齢(よわい)を重ねると、心身の機能も衰え、新しいことに適応できなくなり、実社会に参加する機会も減るため、どうしても死後の世界を想うようになっていくものです。
それは、致し方のないことです。
また、たまには死後を想う必要性も、老化してゆくプロセスの中に組み込まれているのかもしれません。
ですから、いつもは盛り上げて閉じる記事内容ですけれども、ここは落ち着いて、次のように記してみたいと思いました。
はんたいに、寄る年波を感じる年代にさしかかったスターシードの方は、『方丈記』における無常観に、心のスペースを多めに占有させてもかまわないでしょう。
否、いつでも、旅立てる準備をしておくという意味合いにおいては、そうするほうが、無理に加齢に逆らうよりも、自然だといえるかも知れません(死が先か、アセンションが先か、いずれでも問題なしという状態にスタンバイしておくという意味)。
アセンションがあるからといって、必ずしも、生きて、その日に立ち会わなければ、天界に旅立てないわけではありません。そこは、各人の年齢や環境に応じて、あまり無理して意気込みばかりが先行しないようにしたほうがよいともいえるでしょう。
◎西行が最晩年に詠んだ歌である、次の句のように、アセンションをめざすスターシードたちが生きられるのが理想的です。
このように、澄みきった感受性で、人生に感謝しつつ、桜や満月に囲まれて喜びに満ちて、釈迦入滅のころに時を合わせて旅立ちたい(世を去りたい)という西行の気持ちが、とりもなおさず、われわれの理想でもあるでしょう。
◎また、鴨長明のように、無常観を究めて、朗らかにではなくとも、心静かに余生を送るのもまた、ひとつの完成した境地かもしれません。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。
世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。
(中略)
朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
不知(しらず)、生れ死ぬる人、いづかたより来(きた)りて、いづかたへか去る。
又不知、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主(あるじ)とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
或は露落ちて花残れり。
残るといへども、朝日に枯れぬ。
或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕(ゆふべ)を待つことなし。
(『新訂 方丈記』 著者:鴨長明 、 校注者:市古貞次 岩波書店 2009年7月6日 第35刷発行 p.9-10 より引用)
現世ははかない。
しかも、ただ、はかないというばかりではなく、あらゆるものが互いに、はかなさを競っているかのように映るというのは、どれだけ時代が変遷しても変わらない日本人の感覚のようです。
わたしも、この先、どうなるかはわかりませんから、いつ迎えが来てもいいように、この名文を心に刻んで、最期のときに備えておこうと思います。
しっとりくる、『方丈記』の書き出しの名文を味わって、心を養い、死生観を年齢とともに深めていきましょう。
★そのように、西行と鴨長明の両者の長所をうまく取り入れて、新時代を築いていくと、長らく続いた闇の支配も終焉を迎えるでしょう。
★途中で倒れようと、アセンションに立ち会おうと、ぐらつかない立ち位置を発見できるようにしておきましょう。
スターシードとして、無常観を秘めながら、その無常観を乗り越える努力を惜しまない姿勢は、地球が念願のアセンションを達成するために、きわめて重要だと考えられるからです。
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