一人を生きる -希望の彼方に-

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【スピリチュアル】 a-cosmos チャネリング情報 No.4 ~ 「戦いを煽る情報には、要注意です!」 by 銀河連盟 & 地球動植物連合  + フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』と、今後のアセンションの展望

 

 

【スピリチュアル】 a-cosmos チャネリング情報 No.4 ~ 「戦いを煽る情報には、要注意です!」 by 銀河連盟 & 地球動植物連合  + フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』と、今後のアセンションの展望

 

 

 

 

 

 さて、今日は、次のメッセージが届いていますので、ご紹介します。

 

 

★ チャネリング情報 No.4 ★ (2024.3)

 

 

 戦いを煽る情報には、要注意です!

 

 そもそも、もう争う必要すらないのに、どんな大義名分を掲げて、対峙しなくてはならないのでしょう?

 

 

 あなたがたの身近でも、海の向こうでも、古今東西、そうであったからといって、悪しき慣習(争いごと)を受け継ぐ必要はなく、その方面の相続放棄を行なってもかまいません。

 

 平和を叫んでいながら、現実には平和と真逆の行動を起こしている方々もいます。

 あなたがたからみてそれが見苦しいとお感じであれば、ご自身まで、同じような人間にならないような立ち居振る舞いをすれば解決します。言い争ったところで、溝は深まる一方でしょう。

 

 しかし、それとて、やっている本人にとっては、次のステップに進むための貴重なプロセスなのだと理解してください。

 

 

 

 ほんとうにいま大事なのは、内面の波動を安定させ、3次元からアセンションに移行するのに耐えうる思想を獲得することです。どこか遠くの独裁的な国家の元首が引退すれば、世界は一変するとでもいうのでしょうか。だれかが競争に勝ったり、あるいは敗北したりして、それによってあなたの内面の幸福感が満たされるとでもいうのでしょうか。

 

 いいえ、そのようにはならないでしょう。そのかわりに、外的要因にかかわりなく幸せだと感じられる生活スタイルをいったん確立したら、今回の人生は基本、最終場面まで、そのパターンで乗り切れるでしょう。

 

 ぜひ、そのように対応できる技術を体得してください。この世は悪霊の干渉をまだ受けており、好戦的な、戦いを煽る風潮にあふれています。アセンションするかしないかは各人の判断しだいなのですが、人類社会から個人にはたらきかけてくる波動というものは、だいたいにおいて、落ち着きを失わせるタイプが圧倒的多数を占めています。 

 

 個人の自由を謳いながら、社会からはいやおうなしにあなたがたの人生を戦場化する方向にばかり向かわせようとする力ばかりが目立ちます。何も意識しないでいると、濁流に流されてしまう勢いです。

 

 それは、この星は人間が管理していると思わせておいて、実のところ、人間の支配層を陰で操る勢力がいるからです。私たちは、銀河連盟から聞いた話と、チャネラーとの情報交換、そして、電波や光線、磁気を読み取ることで、その事実を知っています。もちろん、闇の存在は、人間や動植物が苦しんだときや怒りに身を任せたときに発するマイナスの感情エネルギーを食糧としていますから、それを搾取する目的で、あなたがたを同士討ちの戦士に仕立てようとしてくるのです。

 

 

 アセンションとは、まず内面の問題になるので、不要な挑戦状は受けず、大人の対応ができるようにしておくのが望ましいといえるでしょう。

 

 また、いくら争いごとを避けたほうがよいと言っても、社会性を捨てて外部に一切心を閉ざしてまで、一人で居ようとする姿勢は好ましくはありません。何とかして社会のなかで心の平静さを確保する習慣を身につけましょう。

 

 スターシードとしては、地上生活において数多くの矛盾を抱えながらも、社会との接点をもっていたほうが、はるかにその潜在能力を発揮して貢献できるでしょうし、そのぶんだけ、地球全体における進化も加速するでしょう。

 

 

 

 

 私たちの人生は、死んで終わりではありません。

 

 答えを先に申しますと、本質は魂であり、ゆえに、何度も生まれ変わりながら成長するのが宇宙の法則になります。

 

 ですから、死の恐怖を故意に与えてあなたがたを操縦しようとする闇の意図を理解したうえで、死を恐れないようにしてください。

 

 しかし、生まれ変わりがあるからといって自身や他者を容易に害することも当然よくありません。つらい生活の中でも娯楽を得ながら経験値を高めていく途上なのだ、と達観して暮らすことをお勧めします。

 

 

 過去世があったとして、また、来世も必ず来るものとして、現世を生きられるとしたら、少しは世の中で起きてくる事象にも寛大になれますし、こまかいことに拘泥(こうでい)せずに楽にいられるように変わっていくでしょう。しかしこれは、「思想」ではなく、現実なのです。

 

 あなたがたの学校ではそうは教えないかもしれません。そして、動物や植物は適者生存がすべてなのだ、だから、人間がたがいにしのぎを削って競い合うのは動植物から引き継いだ本能の当然の帰結なのだ、と、真実とは対極にある「虚構」を若い人々に吹き込むかもしれません。

 

 ですが、私たちは、領地を守るときには主張したりしても、年がら年中、戦いに明け暮れているわけではありません。実態については、チャネラーの方々以外には、なかなかわかってもらえず誤解されているようにみえますけれど、その点も、他日、喜ばしい会話の種として懐かしく回想される日も来るでしょう。

 

 

 波動をはぐくみましょう!!

 

 これが、すべての答えになります。

 

 誰かがだれかを打倒したおかげで、その代償に戦利品として高い波動を手に入れたといったお話は、ついぞ耳にしたことはありません。争いをしなくても各種体験から波動を高めるチャンスはいつでもやってきます。

 

 

 

 アセンションしたくない者たち、ならびに背後にいる霊格の低い霊たちに扇動されませんように。私たちの友である人類のみなさまが、自他ともに害するような、まやかしの処世術から脱して、真に幸福になれるようにと願って、チャネラーを通して、語りました。本日は、ありがとうございました。

 

 私たちは、いつもどこかに、みなさんの近くにいます。いまはまだ、認めてくださらなくても、ぜんぜん気にしていません。ただ、発露してやまない友好的な気持ちが、一連のメッセージを運ばせているだけです。このことについての見返りは、愛に基づいたことによって高まる自身の波動として返ってきますから、特段、それ以外には期待していません。

 

 あなたなりに、心が平安を感じられる方法を確立してください。言葉で表現できなくても、感覚的なもので結構です。心の平和さえあれば、どんな環境にも耐えることができ、さらに、能力を伸ばすことも可能になります。そうなると、おのずと幸福度が増進します。その果てに、アセンションの具体的なヴィジョンが見えてくるはずです。

 

 

 

委嘱者: 銀河連盟 (= 旧・無限の宇宙創造主に従う惑星連合)

 

情報提供者: 地球動植物連合

 

チャネラー: a-cosmos

 

 

 

 

 

 

 

チャネリングの解説

 わたしの解説などは完全に蛇足の域ですが、それでも感想くらいは書きたいと思うのです。以下は、わたしの感想です。銀河連盟や動植物たちからのチャネリングそのものではありません。

 

 いつも、好戦的な人類の波動を、ほほえみをもって眺めているのが自然界で、彼らはわたしたちがその気になって真相を発見したときには、ふたたび自然の定めた配置に戻ってくると信じているのです。しかしそれは、全員ではなくてもよいという姿勢です。

 

 人間たちを自然界が処罰しようとする感情はなく、映画などで動物が人間に襲いかかってくるシーンが描かれることが多いのは、ただ人間の悪意を動物の姿に託しただけにすぎず、じっさいの彼ら動植物は信じがたいほど、神の愛に近いものを持って生きています。

 

 

 アメリカの某氏がリーダーに復帰したら世の悪は退治される、だから応援してくれ、という意見や、露のトップが光の側だから黙って見ていれば助かるという意見は、二元論であり、アセンションの本質と相容れないことは、すぐに見破れると思います。

 

 彼らがほんとうに光側なのかどうかを見極めるより、自分で動き出したほうが結果は良好だとわたしは思っています。もし彼らが光側でなかったら、どうするのでしょう?

 

 そういうものを信じるタイプの人というのは、一般的に、まったく他人任せにしておいて自分では行動を起こさずに、いざ虚偽だと判明した場合は、猛烈な勢いで「だまされた。〇〇のせいだ。」と人のせいにして批判的になり、幾度となく3次元を巡回する(輪廻転生の輪を断ち切れないで、何度も3次元に生まれ変わる)つもりなのでしょうか・・・

 

 

 ですが、動植物たちは、いまだに暴力の応酬にすぎないのに互いに自陣こそが正義だと主張してやまない、いつ終わるとも知れない諍い(いさかい)をする人々をみても、それを糾弾せずに、愛らしいものとして受け容れ、究極には各人に自由な判断に委ねているようです。

 

 根底には、人類の多くについても、いつかはめざめるだろう、あるいは、そうでなければ(めざめなければ)死して地球と同水準の惑星からやり直すだけだ、と楽観しているふしがあります。この認識は、地球上の動植物に独自のものではなく、宇宙(の法則)に由来しています。彼らは人間の耳に聴こえない音を聞き、人間の目には映らないものを見ることができ、その他、電波や磁気や宇宙線を鋭敏にキャッチする能力に長けていますから、わたしたち人間(およびスターシード)の知らないことについて、より多くの情報を保有していても、何らおかしくはないのです。

 

 ところが、近代(17世紀)以降の定説となっていた「動物や植物の能力は、人間を完全なものとしたときに、その不完全な状態に、いつまでもとどまっている(たとえば、人間を100パーセントだとすると、動植物はその数パーセント程度の能力しかないうえに、成長する見込みがない、というような感覚)」とするデカルト派のうぬぼれた、そして(人間だけが神に魂を授けられたとする)教会権力に媚びた考えは、悲しいことに現在まで世界中の多くの人々の心を腐敗させてきました。

 

 

 彼ら動植物と仲良くすることによって道は拓ける、と民衆の前で語ったら、変人扱いされてしまうでしょう。ですから、このサイトを好意的に訪問されている方々だけと、この事実を共有して、わたしの地上での使命は終わりにしたいと思います。それで売り出す気も最初からありませんし、ディスクロージャーを通過することなしに真実を語った場合、中世以降のような公開処刑までは至らないまでも、社会的に抹殺されるのは明白です。

 

 ただ、わたしももう昔と違って、社会的には隠遁しているに等しいですから、社会的には抹殺されたも同然で、それならいっそのこと真実を堂々と演説してみてはどうか、と思われる方もいらっしゃるでしょう。

 ですが、正直なところ、人生の最後の時期にあって、そんな危険な橋を渡りたくはありません。向こう見ずがときとして武器になるのは、若い年齢にある人たちだけです。それで活路が見いだせると思って、いちかばちかの賭けに出るというのは、いまのわたしにはふさわしくないでしょう。

 

 わたしは、人生でやるべきことの大半をなし終えたいまとなっては、心静かに動植物たちと語らい、音楽を愉しみ、真実をここに書き残して、アセンションする日を待つ。その道しか、目の前に広がっていません。3次元の活路など、もはや眼中にないのです。

 もちろん、そのまえに別便でお迎えが来るのかもしれませんが。

 

 

 

 

フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』とアセンション

 

 こう書いたところでまた、20代のころからの愛読書であった、ジャン・ジャック・ルソー(西暦1712~1778、フランス【生まれは、スイス】、思想家)が最晩年に書き残し、死によって絶筆となった小冊子孤独な散歩者の夢想を読み返したくなりました。

 

 学生時代には、社会科で、「フランスの思想家ルソーは、『自然に帰れ』と主張した。」などと紹介されていたのを、だれもが記憶していることでしょう。しかし、学校で教えられるのは支配層に都合のよい一面だけでしかなく、その一言でルソーを理解したことにはならないでしょう。

 

 この小さな作品は、ルソーがおもな著作を仕上げてから、死の数年前にエッセイ風の回想録のような感覚で書かれたものです。冒頭から人間の真実が描かれており、読みやすく、わたしたちがアセンションを前に、3次元での暮らしを総括するヒントとして、ためになると思います。

 

 この本は文庫サイズでわずか200ページ足らずの作品で、冒頭の書き出しは、こうです。

 

第一の散歩

 

 こうしてわたしは地上でたったひとりになってしまった。もう兄弟も、隣人も、友人もいない。自分自身のほかにはともに語る相手もない。だれよりも親しみやすい、人なつこい人間でありながら、万人一致の申合せで人間仲間から追い出されてしまったのだ。

 

(『孤独な散歩者の夢想』:ルソー著、訳者:今野一雄、発行所:岩波書店、1998年4月6日 第45刷発行 11ページから引用)

 

 

 わが国の鴨長明が書いた『方丈記』の雰囲気より厳しい感じで始まりますが、ルソーのほうがじっさいに苦しい境地にあったようです。しかし全体としては『孤独な散歩者の夢想』と『方丈記』は、似通った諦観にあふれているように思います。

 

 ルソーは、自然や動物を礼賛しすぎて、当時主流だったキリスト教の教えに反するような意見を多く著作に書いてきたことによって、教会の権威筋や医学界を敵に回し、やがて彼の友人たちも去っていきました。若いころは端正で貴族の婦人とも交流しましたが、それも歳月とともに廃れていきます。

 

 やがて自身の生涯を『告白』という書物に記し、ある貴族の館で朗読会を開きますが、そこに書かれている内容(自分たちが悪者のように描かれた場面など)に反発する身分の高い者たちを中心に、ルソーの朗読会の中止を公的機関に申請するなどの活動が展開されたために、ルソーはさらに孤独を深めていき、精神的に追い詰められていくのでした。

 

 

 そして、死の2年前となる西暦1776年(=ルソー64歳)に、諦めの境地に慰めを見いだし、最後の著作『孤独な散歩者の夢想』に着手します。

 

 

 わたしの外にあるものはすべて、これからはわたしにとって無縁のものだ。わたしはもうこの世に隣人も、仲間も、兄弟もいない。地上にあるわたしは、もと住んでいた惑星から落ちてきて別の惑星にいるようなものだ。

 

(『孤独な散歩者の夢想』:ルソー著、訳者:今野一雄、発行所:岩波書店、1998年4月6日 第45刷発行 17ページから引用)

 

 ここでは、まるで現代の地球に暮らすスターシードの本心を先取りするかのような発言が出てきます。自分は、もと住んでいた惑星から地球に落ちてきてしまったようなものだと。

 

 過去に投稿した記事で、鴨長明の『方丈記』をアセンションと結びつけて書いた記事をご覧になった読者の方はあまり多くないと思われますけれども(宇宙人ユミットの本の記事についても然り)、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』のほうも同じ趣向で記事として、いつか書いてみたいと考えています(時間があれば)。上記の引用箇所だけでも、興味を持たれた方はいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 

 ただし、引用箇所のような悲劇的な気分が一貫している書物ではありませんので、念のため、その点を申し上げておきます。

 

 第一章から第十章まであり、前半だけ、概略を挙げると、つぎのようになります(右側の語句は、概略がわかりやすいようにと、わたしが付した説明で、本文にはありません)。

 

①(第一の散歩) 自己の心の分析

②(第ニの散歩) 犬を避けようとして転倒し、臨死体験した事件ほか

③(第三の散歩) 運命と陰謀について

④(第四の散歩) 真実と虚偽にかんする洞察

⑤(第五の散歩) 湖に浮かぶサン・ピエール島で過ごした穏やかな日々の思い出

(以下省略)

 

 

 第一章から第七章まではルソー自身により「第一の散歩」のように、「第〇の散歩(〇内には章の数字が入る)」とされています。ですが、第八章からは、たんに数字だけ「八」「九」「十」と表記されるように変化しています。これは、「八」以降は下書きの状態のままで残され、ルソーが清書する前にその死が到来したのが理由ではないかと解釈されています。

 

  上記の概略にあるように、『孤独な散歩者の夢想』は短いながら多彩な随筆風の仕立てとなっており、書き出しこそ陰鬱な印象を受けるものの、しかし、全編がほの暗さで覆われているわけではありません。

 

 

 第五章である「第五の散歩」では、鴨長明の『方丈記』の書き出しとそっくりな表現に出会います。もちろん、ルソーが当時、すでに数世紀も前に日本で書かれていた『方丈記』を知る由もなかったでしょう。

 

 この世におけるいっさいはたえざる流れのうちにある。そこではなにものも不変のきまった形をもちつづけることなく、外界の事物に執着するわたしたちの感情も必然的にそれらの事物と同じように移り変わっていく。

 

 (『孤独な散歩者の夢想』:ルソー著、訳者:今野一雄、発行所:岩波書店、1998年4月6日 第45刷発行 87ページから引用)

 

 ルソーは、サン・ピエール島で過ごした日々を、過去にとらわれることなく、また、未来について思い悩む必要もない、現在ここにあるという感情だけに満たされた完全無欠の幸福な時間として位置づけており、そこでの情景とみずからに去来する感覚を滔々(とうとう)と著述していく、美しい章です。 

 

 絶筆となった「十」(第十章)では、ルソー自身の約50年前(=ルソー16歳ごろ)の恋の気分が書き出されています。美しい年上のヴァランス夫人との出会いの思い出から開始され、少し書き進めたところで死を迎え、途絶しています(西暦1778年7月2日 死去)。

 

 

 ルソーの作品の中では、もっとも親しみやすく、人間的な真実が盛り込まれている作品です。興味がございましたら、Amazonなどの通販で購入できます(ここでの引用・説明は、わたしのもっている西暦1998年版のものであるため、現在販売されている版とは多少の相違があるかもしれませんので、ご理解ください)。

 

 

 ルソーがその著作の中でアセンションに言及している箇所は当然ないのですが、5次元の存在を否定し、3次元にばかり価値を見いだそうとする現代の社会傾向に引きずられないようにするため、あらかじめ、こうした諦観の境地を知っておくことは大切だと思います。

 

 

 

◎あまり読まれていないものの、今後の展望に役立つと思われる記事について、下記に貼っておきます。クリックすれば、そのページが表示されます。

 

★無常観を描いた鴨長明『方丈記』を、アセンションの時代に読み解く★

 鴨長明の『方丈記』とアセンションを関連づけて、わかりやすく記事にまとめています。

 

 

★フランスの科学者が語る、宇宙人ユミットからの手紙の真実★

 20世紀の重大な宇宙人事件として有名な「宇宙人ユミットから大量の手紙が送られてくる」現象について、フランスの一流科学者が真面目に調査するドキュメントをもとに記事を構成し、スターシードの未来を考えます。

 

 

 

 

 

 さて、しかしながら、わたしたちは、彼ら動植物たちからの助言を、日々きちんと実行できるかどうかについては、なかなか難しいと感じてしまうのではないでしょうか。たしかに、前人未到の領域だから(3次元レベルの暴力的な惑星で愛を実践するのは)、最初のうちは困難を感じるかもしれません。ですが、それでも、やってみる価値はあるでしょう。

 

 過酷な環境で生きてきた動植物たちが、まず先にそれを実践しているというのですから(アヌンナキやレプティリアンの作った残虐な社会制度を唯一のものと信じ込まされて暮らしてきたわたしたちのほうも、相当過酷だといえそうですが)、わたしたちも最初から諦めずに、取り組んでみたいところです。

 

 

 この世界が狭苦しく感じている場合は、特にそうしてみるべきではないでしょうか。

 

 新しい時代の風が吹くのを待っていないで、自分からやってみたほうが結末は早いということは、あるかもしれません。完全にこなせなくてもよいから、旧態依然の勢力のやり方とは異なる「より自然な」生き方を模索し実践するべきときが、まさにいまなのでしょうか。

 

 最近はやっている、人類が不幸になるとの(闇側から流された?)予言も、まさに、そのような先端技術を取り入れながらも、基本的な部分では自然の本質に回帰する生き方をわたしたちが丁寧に実践することによって、その実現を回避できるのかもしれません。

 

 

 フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーによる自然礼賛は、アセンションを予期して行われたものではないと思われるのですが、もしかすると、彼もモーツァルトやわたしたちと同じ、スターシードだったのでしょうか?

 

 ルソーは思想家としての著作活動のほかに、楽譜を写す仕事や作曲活動もしていました。日本では『むすんでひらいて』との題名で歌われる童謡のメロディーは、実はこのルソーが作曲したものです。

 

 また、ルソーがフランスにて66歳で没した西暦1778年、モーツァルトはまだ22歳で、ちょうどそのころ『フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299』などを作曲していました

 しかし、この美しい協奏曲は、奇しくもフランス人の貴族のため書かれた作品であり、はたして(フランスつながりを)偶然で片付けてよいものなのか、判断に迷います。こうして考えてみると、つまり、ルソーやモーツァルトの時代から、地球アセンションがすでに始まっていたとなると、運命の糸のようなものを、背後に感じないでしょうか?

 

 だとしたら、地球のアセンションは入念に、宇宙創造主が長い時間をかけて計画し実行してきたと考えることもできるのではないでしょうか・・・

 

 たしかに地球はその後、ますます混迷を極めていき、20世紀以降のスターシードを地球に大量投入するプランが実行に移され、その結果としてわれわれがいまここにいるわけですが、それ(=アセンション)が間もなく完成する予感を、スターシードの多くが感じているのもまた事実であります。

 

 

 

 

この先、何が起きるのか? 今後のアセンションの展望

 

 西暦2000年ごろからは、西暦2012年にあるかもしれないと言われていた大変化に向けて、さまざまな情報があふれ返り、スピリチュアル界隈は異様な熱気に包まれていたものでした。

 

 それ(西暦2012年)はアセンションの始まりにすぎないとの冷静な意見を持つ人、便乗商売で大げさに煽る出版業界、その情報を履き違えて受けとめていた人、(ほめられたものではないが)それすらも知らずに「沈着に」過ごしていた人、スピリチュアルそのものを否定する人と、百人が百通りの生き方をしていた時代だったように思います。

 

 

 時は流れ、西暦2024年、現時点では、おおまかに、アセンションするグループと、いまだに他人や自然から奪取や搾取を行ったものが勝つという野蛮な思想(あるいは思想の欠如)に浸りきって上昇する気配すら見せないグループとに、二極化傾向が加速しているものと分析できます。

 

 しかし、同じ「アセンション」という言葉を使っていても、ふたを開けてみるとまったくの別物という人たちがいかに多いことか。

 アセンションはもちろん地球全体にかかわるテーマですけれど、まず個人の問題として解決をめざすべきなのに、どこか海外の大統領に代行してもらえるとか、国内の気に入らない政党を叩くことで世の中よくなるとか、個人が何の努力をしなくても宇宙人が助けてくれるとか、よくもそんな支離滅裂な発想ができるものだなと、ある意味、感心してしまいます。ここに来られる方は、そんな発想ではないと思いますが。

 

 わたしとしては行く先は、一か所ではないと思うのですが、それについても、一か所の新しい地球が完成している、いいやそうではなく、あまたの星々に波動ごとに散って再編させるのだ、などと、これもまた多くの意見に割れているのが現状ではないでしょうか。

 

 この先、まもなく、さまざまなスピリチュアル的な激変が起きると予想している方もいらっしゃいます。しかし、ほんとうに真実に近いと言えるたぐいのものは、稀少といえそうです。

 

 可能なかぎり、当サイトでも自然界や宇宙から届けられるアセンション情報は、彼らの許可を得た上で、発表していきたいと思っています。

 

 しかし、これ以上延引されると、せっかく弱体化してきたアヌンナキ・レプティリアングループに逆襲のプランを練る時間を与えてしまう懸念があり、ゆえに、西暦2025年を越えて西暦2030年代まで近づいていくにつれ、危険水域に達するのではないかとみる有識者もいるようです。わたしもこれに同感で、サイトを立ち上げて書き記してきたわけですが、それもいよいよ終局を迎える展開となってくるのでしょうか・・・

 

 その先陣を切るかのような予言が、例のメキシコの霊能力者による予言でしょうか。「西暦2024年4月9日(日本時間)から、暗黒の3日間が始まり、悪魔の世紀が到来する」という内容ですが、予言した者は正常だとしても、その計画を立てている闇の者たちは、はたして正気なのでしょうか? 

 

 まさか立案者たちも本気でアセンションを阻止できるとまでは考えていないでしょうが、やはり、まだ闇にも可能性が残されていると考えたい心理が作用しているように思えてきます。

 

 しかし、油断は禁物で、ここで示された日付については、しっかりと無事に乗り切るだけの高い波動を、わたしたちは発揮していかなくてはならないでしょう。

 

 

 さて、ありえないとは思いますが、仮定の話として、ここから少しばかり寄り道してみます。西暦2030年まで、混沌とした地上の状況が続くと仮定した場合、さすがに、このサイトは消滅しているでしょう。つまり、アセンションの可能性がなくなって、西暦2030年代に突入していたとしたら、アセンションを目標としてきた当サイトの存在意義そのものが問われることになります。

 

 というより、それ以前に、いわゆるニュー・ワールド・オーダー、世界牧場計画がうわさどおりに西暦2030年ごろまでに完成して闇の世界征服が達成されたあとに、いったいこの世にどんなサイトが残るというのでしょう。はっきりしているのは、人工知能などで選別された、支配層に都合のよいサイトしか表示されない展開でしょう。

 

 となると、サイトの選別ばかりでなく、「人間の選別」も終了している可能性すらあります。世界牧場計画を企てる闇の勢力は、有名な古代の書物にある予言を信じていて、そこに書かれていることしか世界では起きないとしています。そのなかに、彼らにとって都合のよい人間ばかりが生き残るとする「人間の選別」に該当する箇所があると主張しているようです。

 

 

 けれども、すでに、そこに書かれていない数多くの事例が世の中では起きており、彼らの主張はその時点で論破され、破綻しています。

 

 

 ひとつの実例を挙げますと、わたしたちのようなスターシードが現に地球上に生きている事実です。もうひとつ付け加えると、わたしのところに現れる動植物たちが、アセンションや宇宙の情報をもたらし、人間界に起こる近未来の予言を行い、的中させてきた実績です。ついでに、彼らが否定する宇宙人が存在し、わたしの周囲にいる人の脳を(善意で)ハッキングして、未来について語らせる事例もあります(毎日ではありません)。

 

 彼らにとって不都合なこうした真実は、最初からなかったことにされるのが通例でしたが(歴史は政治的・軍事的な勝者が作る。だから学校の教育やマスメディアの情報も重大な歴史的事実は前もって慎重に消去されているから、それだけに依拠したら洗脳される)、さて今回はどうなるのでしょうか。わたしたちの知っている真実も公表されることなしに、わたしたちの生命が尽きると同時に、闇に葬り去られる運命なのでしょうか・・・

 

 

 ですから、わたしとしてはこの1、2年、つまり西暦2024~2025年あたりが勝負として、書いていきたいと思います。もちろん、勝負といってもすでに決着はついていて、新しい世界のルートは拓かれているとの情報を、銀河連盟や動植物連合から直接的に得ていますから、心配はしていません。

 

 ですが、それとて、わたしたちが何もしなければ実現しない未来なのかもしれませんから、やはり、何かしらの安定した努力(=波動を高め、宇宙を理解し、いつでも飛び立てるように心を整えておく姿勢)は必要になってくるかと思われます。

 

 

 

サイト名 : 一人を生きる -希望の彼方に-