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【世にも美しい波動の上がる音楽 22】(聴きやすくて感動的なクラシック音楽) スターシードたちの「春への憧れ」は、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第18番』にあり!!  + 『ウルトラセブン』最終回で流れたシューマン作ピアノ協奏曲と、モロボシ・ダンの悲劇

 

 

【世にも美しい波動の上がる音楽 22】(聴きやすくて感動的なクラシック音楽) スターシードたちの「春への憧れ」は、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第18番』にあり!!  + 『ウルトラセブン』最終回で流れたシューマン作ピアノ協奏曲と、モロボシ・ダンの悲劇

 

 

 

 

 

 地球の未来のために生き、音楽をこよなく愛するみなさま、いつも音楽記事をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 当記事は、たんに音楽趣味の会といったものではなく、スターシードが音楽を通して波動を高め、地球という惑星の宇宙における地位を上昇させていき、銀河連盟に加盟することを念頭に置いています。

 

 そのために、まず、記事冒頭から、感謝の気持ちを述べさせていただきました。

 

 少しでも多くの方が波動を安定させ、惑星を支配してきたほの暗い周波数帯を抜け出すことができれば幸いです。

 

 

 それでは、本日の音楽を、ご一緒に鑑賞していきましょう!!

 

 春に寄せる思いを、アセンションを待望する気持ちと重ねて聴くことのできる音楽はないかと思案し、記事の構成を決めました。

 

 

 

 クラシック音楽における「ピアノ協奏曲」といえば、モーツァルトにとって最大の得意分野の音楽表現形式でありました。

 

 ベートーヴェンの第3、4、5番、ブラームスの第2番、ショパンの第1番、ラフマニノフの第2番と、ピアノ協奏曲というジャンルには傑作が多いのはたしかです。しかし、モーツァルトが確立したピアノ協奏曲の形式がなかったら、そもそも後世の音楽家の協奏曲も生み出されなかったにちがいありません。

 

 そして、そのいくつかの協奏曲は、ベートーヴェンやブラームスが非常に気に入っており、演奏のレパートリーとしたばかりでなく、彼らの協奏曲の模範として研究されたほどでした。

 

 ベートーヴェンなどは、モーツァルトの『ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491』の演奏を初めて聴いたとき、あまりの完成度の高さに心を揺り動かされ、「わたしには、最後まで、このような美しい音楽は書けないだろう。」と友人に話したほどです。

 

 

 自身もピアノを演奏するモーツァルトには、音楽の都ウィーンに移住したあと、フリーランスの音楽家として生計を立てるためにも、ピアノの曲をたくさん書いていこうという意気込みがありました。

 

 ピアノ協奏曲を作曲し、みずからが独奏ピアノを担当してオーケストラ(管弦楽団)と協演するケースも多かったモーツァルトは、西暦1784年、新しいピアノ協奏曲を手がけていきます。

 

 

 そんな状況下で、目の不自由な女流ピアニスト、パラディース嬢のためにモーツァルトが書いた

 

『ピアノ協奏曲 第18番 変ロ長調 K.456』

 

は、いとも美しく、そして、悲しみを湛えながらも、フィナーレでは明朗に希望で結んでいく傑作です。

 

 そのゆたかな楽想から、「春への憧れ」と名付けたくなるかのようです。

 

 ですが、一般には、モーツァルトにとって最後のピアノ協奏曲となった『ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595』に対して、「春への憧れ」と愛称されることが多いのです。

 

 それは、モーツァルトの傑作歌曲『春への憧れ K.596』とそっくりの旋律が、『ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595』のフィナーレ(第3楽章)のロンド主要主題(A)として現れるからです。

 

 しかし第27番のコンチェルトは、死の年に書かれているだけあって、音調は「春」とはいいがたい、最晩年の枯淡の境地、寂しい面が漂う音楽でもあります。

 

 

 いっぽう、こちら第18番のピアノ協奏曲は、モーツァルトが28歳のときに完成されているだけあって、若さとみずみずしさが保たれており、どうしても、こちらのほうを真の「春への憧れ」を秘めた音楽と認定したくなってしまいます。

 

 

 

 

 

モーツァルト=スターシード説

 

 モーツァルトは、音楽の世界に登場し、20世紀後半から本格化してくる地球のアセンションに向けて、スターシードの波動上昇のために役立つ数々の名曲を残した功績がある、といわれています。

 

 近年になって、モーツァルトはたんなる音楽の達人ではなく、むしろ、スピリチュアルな存在で、地球のアセンションに重要な関連が高い人物なのではないかとうわさされています。

 

 これは、多くは、国内外のチャネリングから得られた情報を統合すると、このようにしかならない、といったところです。フィクションではありません。

 

 

 スターシードであれば、モーツァルトの音楽に共感するところが必ず見つかると思います。

 

 

 

 これまで継続して、モーツァルトについての音楽記事をごらんになってきた方は、直接、曲の説明に行ってください。

 

 今回、はじめてという方は、こちらのモーツァルト記事をごらんいただけると、いっそう理解が深まると思います。

★聴くだけで目頭が熱くなり、心が潤い、波動が上がる【スターシードだった】モーツァルトの穏やかな音楽編 3選!!★

 

 

 モーツァルトの生涯について、再掲しておきましょう(上記記事から一部を抜粋)。

 

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、西暦1756年1月27日、オーストリアのザルツブルクに生誕しました。

 

 幼児のころからピアノを弾きこなしたり作曲を始めたりするなど、尋常ではない才能を示し、本来謙遜して自分の息子を「愚息」と言わなければならない父レオポルトをして「100年に一度の奇跡」と言わしめたほどでした。

 

 地元ザルツブルクで、安定した宮廷や教会での音楽家として一生を費やすことに嫌気がさしたモーツァルトは、家族の反対を押し切って、20代なかばでコンスタンツェという女性と結婚し、フリーランスの音楽家として、ウィーンで作曲家兼ピアニスト、音楽教師などとして多彩な活動を開始します。

 

 最初の数年間は、華やかな成功を収めたかにみえましたが、しだいに、ウィーンの聴衆からの喝采を受ける機会も減っていきます。

 西暦1788年(モーツァルト=32歳)ごろからは、予約演奏会のチケットが売れ残り、演奏会自体がキャンセルになることもしばしばといった状況が訪れます。

 

 貴族階級を揶揄し、没落を描く歌劇を発表するなど(歌劇『ドン・ジョヴァンニ』ほか)、その影響もあったのか、モーツァルトの生活はしだいに落ちぶれていき、やがて、健康も衰え始め、35歳という若さで、この世を去ります(1791年12月5日)。

 

 死因については、状況から、毒殺説などもあり、それに基づくドラマや映画も作られているほどです。毒を盛られた場合にのみ現れる皮膚症状が死後に確認されたという記録ものちに発見され、そのために大急ぎで共同墓地に石灰とともに投げ込まれたという説もあります。

 

 しかし、ここで、大事なのは、彼が、宇宙人の魂を持つスターシードだった、という情報です。これは、20世紀後半になって、アセンションというキーワードが熱を帯びてチャネリングが活発に行なわれるようになってから、徐々に広まっていった説です。モーツァルトを受信するチャネラーたちも多岐にわたり、しかし、彼がスターシードだとの説を広めて経済的に得をする者はいないことから、これらは真実に近い情報と思われます。

 

 そして何より、モーツァルトが遺した、美しい音楽作品に耳で接したときに、それが実感できるのではないでしょうか。

 

 この世ならぬ美しさ、天国的な無邪気な楽想、時に描き出される、えもいわれぬ深淵・・・普通の音楽家にはない、「人間では作り得ない」旋律こそが、モーツァルトの真骨頂であり、また、それを聴いて「彼は、天からやって来たのだ」と確信できる者は、すでに3次元に在りながら、この世と違った世界と交信を始めている、とも言えるでしょう。

 

★モーツァルトを賞賛した人々の言葉★

 

 

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作曲の背景

 

 この曲は、目の不自由な女性、マリア・テレジア・パラディース(西暦1759~1824、オーストリア)という名の女流ピアニストが演奏することを念頭に書かれました。

 

 そこから受ける先入観を打ち破るために先に申し上げておくと、パラディースという女性は、元来の性格が明朗で、目の不自由を嘆いて暗く落ち込むことがなかったといわれています。

 

 少なくとも外面的には、落ち着きはあるが明るい人物としての評判が高く、その前向きさを証明するかのようにピアノの腕前の上達も早かったのです。

 

 

 モーツァルトも、さすがにそのあたりの事情を察しており、

 

★第1楽章は、つつましくもありながら、さわやかで明朗に響く音楽

 

★第2楽章は、内面の悲しみをすくい取ったかのような愁いに満ちた音楽

 

★第3楽章は、ただひたすら純真に明るく春のような音楽

 

 

と、ポジティブに生きる女性の内面を理解したうえで、音楽の構成を手堅くまとめているのが興味深い点です。

 

 

 曲の冒頭から最後にいたるまで、そのような女性の心的経路を豊かな想像力の中で思い描き、演奏者自身が演奏を終えたときに、晴れやかな気分で人生に向き合えることを想定しているかのように響いてきます。

 

 

 

皇帝は「ブラボー!!」と叫び、父レオポルトは「感動のあまり、涙が止まらなかった」ほどの傑作

 

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父であるレオポルト・モーツァルトは、彼自身の言葉を引用すれば「100年に1度しか起こらない、神の奇跡と呼ぶべき」愚息(=息子のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)の作曲した『ピアノ協奏曲 第18番 変ロ長調 K.456』の演奏を、劇場で臨席して聴くことになりました。

 

 

 そして、そのときの状況をのちに回想して、

 

「美しいピアノと木管を中心としたオーケストラとのかけあいのうまさに、感動のあまり、(演奏終了後に)涙が止まらなかった。」

 

と報告しています。

 

 

 病弱ながら陽気な息子のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと違って、厳格で気難しい、滅多なことで表情を崩さない父親のレオポルトが、「感動のあまり、涙が止まらなかった。」と告白しているぐらいですから、相当に素晴らしい音楽と演奏風景だったのではないかと想像できます。

 

 

 また、この演奏会には、当時の皇帝ヨーゼフ2世も列席しており、独奏ピアノを受け持ったヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(と楽団)の演奏にたいへん感銘を受け、演奏終了後に「ブラボー!!」を連呼した、と伝えられているほどです。

 

 

 

 

 

真の『春への憧れ』

 

 冒頭でふれた話題(『春への憧れ』について)を少し詳しくみていきましょう。

 

 モーツァルトが晩年に作曲した、小さな歌曲『春への憧れ K.596』という作品は、簡潔ながら、たいへん春を待つ人々の気持ちを表現し尽くしており、人気のある歌曲です。

 

 言語はドイツ語ですが、おおよその歌の意味は、「うるわしい春よ、もどってきておくれ、緑が萌える五月よ・・・」といったシンプルな内容です。

 

 日本の歌曲で、『早春賦(そうしゅんふ)』という曲を、学校で習いませんでしたでしょうか?

 

 あの曲も、じつは、モーツァルトの『春への憧れ K.596』をモデルにして書かれたことがわかっています。

 

 そして、最後のピアノ協奏曲となった『ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595』の第3楽章(フィナーレ)では、冒頭のロンド主題からして『春への憧れ K.596』とそっくりのメロディが使われています。

 

 

 ですが、どうしても、最後のピアノ協奏曲となった第27番では、曲全体に一抹の寂しさが漂っていて、われわれの聴く耳に「春」を感じさせないのも事実です。第3楽章で『春への憧れ』そっくりの旋律が使用されていてもなおモーツァルト晩年の心境の影がさすフィナーレではあります。

 

 そして、モーツァルトの不安は的中し、第27番コンチェルトの初演からおよそ8ヵ月後に、モーツァルトはこの世を去ることになりました。

 

 そのため、真の『春への憧れ』といえる言葉どおりの音楽は『ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595』よりも、この記事で紹介してきた『ピアノ協奏曲 第18番 変ロ長調 K.456』ではないか、というのが、わたし個人の意見です。

 

(もちろん、別の意味で、『ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595』はモーツァルトの死の年に完成された最晩年における最高傑作のひとつですし、その価値については認めています。ですが、「人生の春を感じさせるかどうか?」との観点から、第18番のほうがよりその傾向が強いと言いたいだけです。)

 

 第18番のピアノ協奏曲には、目の不自由な令嬢のために作曲した由来からわかるように、そのような苦難を乗り越えて、心の中に「春」を感じてほしい、という、作曲当時のモーツァルトの情熱というか、善意が感じられるのではないでしょうか。

 

 

 

 ちなみに、この曲を作っていたとき、すでにモーツァルトは結婚していたため、恋愛感情で書いていないことはわかります。

 

 そのため、人道的見地から、「心の中で、春の暖かい陽ざしを見てほしい」という他者の幸福を願うモーツァルトの優しい感情に溢れた旋律でいっぱいなのです。

 

 

 

 

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楽曲構成

 

モーツァルト : ピアノ協奏曲 第18番 変ロ長調 K.456 

 今回取り上げる演奏の内容です。

第1楽章 : 11分57秒

・第2楽章 :  8分58秒

・第3楽章 :  7分38秒

 

(合計)  :約28分

 

 とても聴きやすく、あっという間に時間が経過していくと思います。有意義な時間です。

 しかし、28分通すのが長い、と感じる場合は、まず、第3楽章(=7分38秒)から、お聴きください。それから、残りの楽章を気が向いたときに聴き、慣れてきてから、全曲を通して聴くのがよいかもしれません。

 

 最初から、長さ(=目で見た演奏時間の数字)に圧倒されて、聴かないで終わるのが、いちばんもったいないケースです。

 

 

Amazonミュージック・アンリミテッド(Unlimited)で選ぶときは、

 

①まず、検索窓に、「K.456 Carmen」と入力する。

 モーツァルトの作品は、ケッヘル番号である「K.〇〇〇」と表記されますので、最初から、この番号を入力すると絞り込みができます。

 

 「Carmen」とは、20世紀に活躍したアルゼンチンの女性ピアニスト、カルメン・ピアッツィーニのことで、ここでは「K・A・R・U・M・E・N・N」と普通に入力したとき、変換候補のなかに「Carmen」という表記が上から3~4番目あたりに表示されるので、それをクリックしたほうが早いと思います。

 

 

②「楽曲」の右端にある、「すべてを表示」をクリックし、演奏家を探す場合、「Carmen Piazzini(カルメン ピアッツィーニ)・・・」、曲名は、「Concerto No.18 in  B flat for Piano and Orchestra、K.456・・・」を選ぶ。

 もともとが女性ピアニスト向けに書かれた曲であるからして、やはり演奏家も女流ピアニストのほうがふさわしい気がします。やや録音状態が古いようにも聴こえますけれども、それを補って余りある洗練された演奏になっています。とりあえず、この演奏で聴いてみてから、あなたにぴったりの(ほかの)演奏を見つけてください。

 

 ちなみに、アルバムのジャケットは、紫色をした花の絵柄のものです。

 

 

 

【第1楽章】

 

 第1楽章 : アレグロ・ヴィヴァーチェ(快活に)

        変ロ長調

        ソナタ形式

 

 ソナタ形式で、快活に、と指定があるとおり、明るく健康的な開始です。

 ソナタ形式といっても、ここでは典型的な協奏曲におけるソナタ形式です。独奏楽器が登場する前に、オーケストラで曲の主要部分が奏されます。

 

 この第1楽章では、モーツァルトは、謙虚の徳を持ちあわせた、目の不自由さを感じさせない天真爛漫な女流ピアニストであったパラディース嬢の人物像を音型化した曲を、書いたのではないかと言われています。

 

 たしかに、一貫して、「春の気配」しか漂っていない、色で表せば、透明な水の流れから桜色のような音調です。

 

 

①オーケストラ提示部 第1主題 : 0分00秒 ~ 1分08秒

★行進曲風に始まる第1主題が、弦楽器群によって示されます。

 

②オーケストラ提示部 第2主題 : 1分09秒 ~ 2分01秒

★木管楽器が奏でる鳥の鳴き声のような音型の第2主題から、コーダの音型までが提示されていきます。

 

③提示部 第1主題       : 2分02秒 ~ 3分44秒

★第1主題を主役のピアノが中心となって快活な表情で弾いていきます。

 

④提示部 第2主題       : 3分45秒 ~ 5分37秒

                  (コデッタ含む)

★愛らしい第2主題は木管からピアノに受け継がれながら展開し、コデッタを経て展開部に入ります。

 

⑤展開部            : 5分38秒 ~ 6分50秒

★ここではおもに、コデッタの動機の断片が、短調で繰り広げられていきます。

 

⑥再現部 第1主題       : 6分51秒 ~ 8分25秒

★第1主題がオーケストラ先導で再現され、ピアノのトリルを経て発展します。

 

⑦再現部 第2主題       : 8分26秒 ~ 10分20秒

                  (コデッタ含む) 

 

⑧カデンツァ          :  10分21秒 ~  11分21秒

★オーケストラは休み、ピアノ独奏の部分になります。

 

⑨コーダ(終結部)       :  11分22秒 ~  11分57秒

★弦楽器群と木管楽器群との対比、そしてそれに絢爛なピアノの音色がからみ合って非常に美しく響いた第1楽章も、華やかなコーダとともに終わりを告げます。

 

 

 

 

 

【第2楽章】

 

 第2楽章 : アンダンテ・ウン・ポコ・ソステヌート

        ト短調

        変奏曲形式

 

 変奏曲形式で、悲劇的な感じがする短調により書かれており、第4変奏ではフルートやオーボエが主導し、一時的に温和な長調に転じるものの、最後は悲嘆に暮れるように閉じていきます。

 

 ひとつのテーマを、旋律や使用楽器、調性を変えながら、複数回、演奏するのが、変奏曲形式です。ここでは、主題と5つの変奏という構成になっています。

 

 おそらく、モーツァルトは、フィナーレを前向きに明るく盛り上げて締めようとして、あえて人生の悲哀の相を、すべて第2楽章に集約して表現したと考えられます。

 

 このあたりの心遣いは、彼の心やさしい側面をのぞかせています。

 

 

①主題    : 0分00秒 ~ 1分25秒

★「主題と変奏」のうち、基本形となる「主題」が明示される部分です。

 

②第1変奏  : 1分26秒 ~ 3分03秒

★第1の変奏は、ピアノにより表現されます。

 

③第2変奏  : 3分04秒 ~ 4分30秒

★第2の変奏は、木管、弦が主旋律を歌い、ピアノは伴奏にまわります。

 

④第3変奏  : 4分31秒 ~ 6分00秒

★第3の変奏は、フォルテで激しい情緒が表現される場面に切り替わります。

 

⑤第4変奏  : 6分01秒 ~ 7分10秒

★第4の変奏になって、はじめて長調が採用され、オーボエ、フルート、ホルン、ファゴットが柔和なメロディを表し、オーケストラのシンプルな伴奏に支えられた独奏ピアノと対話を続けます。

 

⑥第5変奏  : 7分11秒 ~ 8分09秒

★第5の変奏では、ふたたび沈んだ表情に戻り、コーダに連なります。

 

⑦コーダ   : 8分10秒 ~ 8分58秒

 

 

 

 

【第3楽章】

 

 第3楽章 : アレグロ・ヴィヴァーチェ(快活に)

        変ロ長調

        変則ロンド形式

 

 

 やや変則的なロンド形式で書かれています。

 

 A→(経過句)→B→A→C→(経過句)→B→カデンツァ→A(コーダ)

 

 

①A     : 0分00秒 ~ 1分03秒 

★春の陽気を音符に託したかのようなロンド主要主題は、いきなりピアノに現れます。

 

(経過句) : 1分04秒 ~ 1分41秒

 

③B     : 1分42秒 ~ 2分56秒

★軽快な副主題Bが登場します。

 

④A     : 2分57秒 ~ 3分25秒

★2回目のロンド主要主題です。

 

⑤C     : 3分26秒 ~ 4分10秒

★短調に変わり、第2楽章の悲しみを想起させるかのようです。

 

(経過句) : 4分11秒 ~ 4分51秒

★しかし直前の短調はすぐに遮られ、温和な旋律が舞い戻ります。

 

⑦B        : 4分52秒 ~ 5分50秒

 

⑧カデンツァ    : 5分51秒 ~ 6分47秒

★ピアノ独奏のカデンツァになります。

 

⑨A(コーダ) : 6分48秒 ~ 7分38秒

★ロンド主要主題Aを使用した、陽気な春の陽ざしを思わせるコーダになります。

 ここで全曲が終わって、演奏会場にいた皇帝ヨーゼフ2世が「ブラボー!!」と叫び、モーツァルトの父が感動のあまり涙が止まらなかったというのですが、お聴きになったみなさんは、どのような思いが胸に去来したでしょうか?

 

 

 それにしても、ふつうのロンドには、今回のような経過句が入らないものが多いので、やはり変則的なロンド形式に分類されるでしょう。

 

 モーツァルトの豊かな才能は、定型からこぼれんばかりの旋律を盛り込んでしまうので、このような現象を引き起こすのでしょう。

 

 標準的な作曲家だと、「やっと主題A、Bを苦心して案出した」筆の跡がうかがえるのに対して、モーツァルトの作品では天衣無縫(てんいむほう)といわれるほど自然のうちに次々と美しいメロディが連なっていくので、分類するのが困難を極めるほどです。

 

 

 

 

◎実際に聴いてみましょう!!

 ⬇

 

下記をクリックすると、曲のアルバムが表示されます(Amazonミュージック・アンリミテッド(Unlimited)会員様限定です)。

 

◎上から1番目に表示されているのが、第1楽章になります。以下、上から2番目、3番目がそれぞれ、第2楽章、第3楽章になります。

 

 

 

 

死の直前に作曲された音楽は、もの悲しい

 一般的に、死の直前に書かれた音楽は、他の作曲家もそうですが、暗くなりがちです。

 

たとえば、ロシアを代表する作曲家チャイコフスキー(西暦1840~1893、享年53)が、死の直前に完成した傑作『交響曲 第6番 ロ短調 作品74』(1893年作曲)のフィナーレはどうでしょう?

 

 まさに、暗く、生の階段を降りていくような音楽です。脈が止まるように消え入る最後の音型は、慟哭(どうこく)するようだとも形容されます(第3楽章のスケルツォは、それと対照的に勇壮な楽想ですが)。

 

 

チェコの作曲家グスタフ・マーラー(西暦1860~1911、享年51)が、他界する直前まで書いていた『交響曲 第10番 嬰ヘ長調』(1911年作曲)にしても、主要旋律は美しいながらも、全体として、もの悲しい音楽に響いてくるのは、だれもが納得するところでしょう。

 

 このように、死の直前には、いかな作曲家でも、衰えと弱気を隠せなくなり、とても「春」を連想させる音楽を期待するのは無理といえます。

 

 

 ですから、モーツァルトの音楽で、『春への憧れ』を感じさせるとしたら、世に一般に言われる死の年に完成した『ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595』よりは、むしろ死の8年前、まだ彼が健康なときに作られた『ピアノ協奏曲 第18番 変ロ長調 K.456』を挙げるべきではないでしょうか。わたしはそのように思います。

 

 まだ、みずからの健康の衰えと死を予感していない、そして、他者の幸福を思いやるだけの心身のゆとりがあったころのモーツァルト(28歳=1784年)が完成させた『第18番』にこそ、ほんとうの春を待望する気持ちが色彩豊かに表現されていると言えるでしょう。

 

 

 ただ、『第27番 K.595』のほうも、哀愁を湛えながらも美しい協奏曲であり、これについては、現在の地球がアセンションするまでに書き上げてみたいと思います。

 

 それができない場合、フィナーレ(第3楽章)と歌曲『春への憧れ K.596』の関連性についてだけでも記事として書いておきたい気持ちはあるのですが、果たしてどうでしょう、どうなるかはわかりません。書けずに終わってしまうのでしょうか・・・

 

 

 今回は、『第18番』と『第27番』の音楽性について優劣の比較を行なったのではなくて、たんにどちらがアセンションに向けて聴く者のモチベーションを上昇させるだろうかという観点で引き合いに出したまでの話ですので、誤解のないようにお願いいたします。

 

 どちらの作品とも、古典派音楽を代表する名曲中の名曲となっています。

 

 

 

番外編:ウルトラセブン最終回で流れたシューマンのピアノ協奏曲を聴こう!!

 

 

 特撮『ウルトラセブン』における感動の最終回(=第49話)のあらすじを、ご存じでしょうか?

 

 

 そのまえに、『ウルトラセブン』には、ほかのウルトラマンとはストーリーに決定的に異なる点があって、それは、怪獣がほとんど登場せず、出現するのが、

 

①地球にやって来る宇宙人

②もとから地底や海底に住んでいた宇宙由来の生物

 

という設定になっている話がほとんどを占めているところです。

 

 

 毎回のように地球外生命体である宇宙人が、彼らなりの理由をもって登場してくるために、「突然、地底から巨大な怪獣が現れたから、戦った」という筋よりも、より考え抜かれたストーリー性を誇る作品になっています。

 

 なかにはモロボシ・ダンの正体を知ったうえで出現してくる宇宙人もいて、その駆け引きが見どころにもなるのですが、製作スタッフが視聴する年齢層をやや高めに想定したとも言われ、結果として、アセンションを目の前にしている現代のわれわれにとっても、見ごたえのある映像作品に仕上がっています。

 

 さて、その最終回では、主人公のモロボシ・ダン(=ウルトラセブン)が、同僚のアンヌ隊員(=唯一の女性隊員)に対し、自分は人間の姿をしているが地球人ではなく、邪悪な宇宙人や怪物との連戦の日々で身体(および、おそらくはアストラル体)が損傷し心身が地上では長くもたない、そのため、明朝までに故郷であるM78星雲に帰らなくてはならない、と衝撃の告白を伝えるシーンが出てきます。

 

 それまではダンをふつうの地球人だと思ってきたアンヌ隊員は、驚きを隠せません。ですが、気丈な面を出して、正体が宇宙人だろうと地球人だろうと、この場は安静にして(ウルトラセブンに変身しないで)難を切り抜ける方策を見つけ、このまま仲間として地球に残ってほしいとダンに対して嘆願します。

 

 しかし、エネルギー切れを覚悟してダンはウルトラアイを取り出し、そこからウルトラセブンに最後の変身をして、世界征服を目論む邪悪なゴース星人の送り出した怪物パンドンとの戦いに挑みます。

 

 アンヌ隊員からダンの正体がウルトラセブンだったと聞いて驚愕する他の隊員たち。

 ダンの正体を知らず、目には見えない疲労や損傷を見過ごしてきたために、ダンはボロボロになって宇宙に帰らなくてはならなくなったのだ、と、地球人の隊員たちは嘆くとともに、やはり地球は、地球人がメインとなって守っていかないといけない、と、思いを新たにしていきます。

 

 

 モロボシ・ダンの告白から敵の怪物と戦う一連のシーンで流れているのは、ドイツ・ロマン派音楽を代表する作曲家ロベルト・シューマン(1810~1856)が西暦1845年に作曲した『ピアノ協奏曲 イ短調 作品54』でした。

 

 

 第1楽章の冒頭から順にではありませんが、所々を編集して、ちりばめるような使用法です。

 

 原曲では、フィナーレ(第3楽章)は明るく終わるものの、その部分は使用されず、ここでは、怪物を倒すところで、ちょうど第1楽章のコーダの部分で終わるようになっています。第1楽章の終わりは、悲劇的な情緒が渦巻いている部分です。

 

 この曲がシューマンにとっての辞世の句といえるような死の直前に作られたわけではありませんけれども(シューマンはその後、脳に病状が現れながらも、さらに10年以上を生きたため)、たしかに第1楽章には多分に憂鬱な、もの悲しい感じが漂っていますから、このウルトラセブンのラストに近い場面にふさわしい音楽といえるでしょう。

 

 

 モーツァルトの第18番とはまたひと味違った美しさに彩られたピアノ協奏曲として、ウルトラセブン最終回で鳴り響くシューマンのピアノ協奏曲も、永遠の輝きを保ち続けるにちがいありません。

 

 

 

◎シューマンのピアノ協奏曲です。

 第1楽章がその雰囲気をよく伝えていると思います。まずは第1楽章を聴くのがよろしいかと思われます。

 

 下記をクリックすると、曲のアルバムが表示されます(会員様限定です)。

 

◎上から1、2、3番目に表示されているのが、それぞれ第1、2、3楽章になります。

 

 

◎ウルトラセブンで印象深い、第1楽章だけを、ここでご紹介していきましょう!!

 

 わたしたちも、ディスクロージャーで正体が明かされた場合、モロボシ・ダンに起きた出来事が他人事(ひとごと)ではなくなる日が来るかもしれませんから。

 

 そのとき、メンタルをやられないように、ウルトラセブンの最終回(できれば第1話から)と、シューマンのピアノ協奏曲をあわせて視聴しておくことは、備えあれば憂いなしという状況を設定できると思います。

 

※『ウルトラセブン』は、Amazonプライムビデオに加入した場合、1話につき、150円で視聴できます(金額は、西暦2024年1月時点のものです)。

 

 

ロベルト・シューマン(1810~1856)作曲

『ピアノ協奏曲 イ短調 作品54 (第1楽章)』

 

 

 第1楽章:アレグロ・アフェットゥオーソ  イ短調   ソナタ形式

 

①序奏       :  0分00秒 ~   0分08秒

②提示部 第1主題 :  0分09秒 ~   2分29秒

③提示部 第2主題 :  2分30秒 ~   4分30秒 (コデッタを含む)

④展開部      :  4分31秒 ~   7分34秒

⑤再現部 第1主題 :     7分35秒 ~   9分54秒

⑥再現部 第2主題 :     9分55秒 ~  11分37秒 (コデッタを含む)

⑦カデンツァ    : 11分38秒 ~  13分29秒

⑧コーダ(終結部) : 13分30秒 ~  14分37秒

 

 ここでの第1楽章の演奏タイムは、14分37秒と、クラシック音楽では標準的な長さです。この長さに慣れると、一気に聴ける曲の範囲が広がり、面白くなってきます!

 

◎つぎに、詳細にみていきましょう!

 

 

①序奏       : 0分00秒 ~ 0分08秒

 

②提示部 第1主題 : 0分09秒 ~ 2分29秒

愁いを含んだ木管楽器が先導し、ピアノが続いて第1主題をもたらします。情感を込めて、との作曲者シューマン自身の指示があり、この出だしの部分はひじょうに印象深く演奏されています。

 

③提示部 第2主題 : 2分30秒 ~ 4分30秒 (コデッタを含む)

木管が第1主題の断片を奏する中、それにピアノが応じるような句を出します。やがてオーケストラも積極的に加わりコデッタに到ります。

 

④展開部      : 4分31秒 ~ 7分34秒

ピアノによる第1主題の断片に木管楽器が応答していき、後半では転調を繰り返して再現部への復帰を果たします。

 

⑤再現部 第1主題 : 7分35秒 ~ 9分54秒

ロマンティックな第1主題が回帰します。

 

⑥再現部 第2主題 : 9分55秒 ~ 11分37秒 (コデッタを含む) 

 

⑦カデンツァ    :11分38秒 ~ 13分29秒

オーケストラはやみ、独奏ピアノがカデンツァを演奏します。

 

⑧コーダ(終結部) :13分30秒 ~ 14分37秒

コーダの最後は悲劇的に結ばれます。この部分で、ウルトラセブンの最終話を思い出す方もいらっしゃるでしょう。

 

 

 

 晩年は脳の病気のために幻覚を見て川に飛び込み自殺を図り、その数年後に死去したロベルト・シューマンの運命と重ねたくなるような、ウルトラセブンことモロボシ・ダンの悲しい最期を飾るべき音楽に選ばれたのは、シューマン作のピアノ協奏曲でした。

 

 その中でも特に悲劇的な第1楽章を、ぜひ、ご堪能ください!!

 

 

 ★あなたもスターシードなら、心を揺り動かされる箇所が必ずあるはずです。

 

 

 

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今回の記事で、『春への憧れ』を『アセンションへの憧れ』と読み替えて、聴いてみると、ぴったりくるのではないでしょうか?

 

 われわれが真に待望しているのは、四季における春の再来ではなくて、地球という惑星全体が調和ある世界としての「春」を取り戻すことです。

 

 この世から陰謀という名の茶番が消え、美しい魂を持つ人間、スターシード、自然界の動植物たち、そして、惑星間交流が始まって、さまざまな銀河から訪問する宇宙種族たちと、高度で幸福感あふれる世界を建造することであり、それを以て、真の春が到来した、と胸を張って宣言できるというものでしょう。

 

 

 スターシードたちの「春への憧れ」を、この第18番の協奏曲に聴き取ることができるでしょうか?

 

 モーツァルトは永遠に若い作曲家だったと言われ続ける真の理由がここにあり、と発見できる曲ではないかと思われます。わたしたちは、暗い世相のヴェールの向こうに明るい景色を見通すためにも、まずはモーツァルトの音楽を通して、心をみずみずしく保つ努力を惜しんではなりません。

 

 

 

さて、ここでモーツァルトが第18番コンチェルトを書く動機づけとなったパラディース嬢は、じつは作曲もしていて、一般に『パラディースのシチリアーノ』などと称される作品が人気を誇ってきました。

 

 シチリアーノは、古い時代に愛奏されたシチリア風の踊りの音楽であり、短調で、もの悲しげな曲調になるのが通例です。

 

 しかし、パラディースのシチリアーノには悲しさばかりでなく、人間的なぬくもりが感じられます。

 

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◎上から6番目に表示されている作品になります。

 

 ここでは、ヴァイオリン用に編曲された演奏(ヴァイオリンが主旋律を奏で、ピアノが伴奏する版)をご紹介しておきます。演奏は、2分46秒とたいへん短いものですが、忘れられない印象を残す一曲です。

 

 

 

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