一人を生きる -希望の彼方に-

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【世にも美しい波動の上がる音楽 21】(聴きやすくて感動的なクラシック音楽) 素朴で力強い『スケルツォ』3選!! 勇気をもらい、前向きに生きる! ~ ブルックナー第7、シューマン第3、チャイコフスキー第6 + 元祖スケルツォ・ベートーヴェン第9

 

【世にも美しい波動の上がる音楽 21】(聴きやすくて感動的なクラシック音楽) 素朴で力強い『スケルツォ』3選!! 勇気をもらい、前向きに生きる! ~ ブルックナー第7、シューマン第3、チャイコフスキー第6 + 元祖スケルツォ・ベートーヴェン第9

 

 

 

 

 

 【世にも美しい波動の上がる音楽 21】(聴きやすくて感動的なクラシック音楽) 素朴で力強い『スケルツォ』3選!! 勇気をもらい、前向きに生きる! ~ ブルックナー第7、シューマン第3、チャイコフスキー第6 + 元祖スケルツォ・ベートーヴェン第9

 

 ということで、スターシードおよび音楽を愛するみなさまと、地球の波動上昇プロジェクトの一環として、特集記事を組んでみます!!

 

 きっと、聴く前と、聴いた後とでは、極端な話、あなたは全く別人になっているかもしれません。

 

 先入観をもたずに音の流れに身を任せる姿勢は、特にクラシック音楽を聴くときには大事になります。時代も国も異なる音楽だから、日常の感情とぴったりくるケースは少ないだろうと考えられるからです。ですが、わたしたちは、時代や国を超えて人類の一員であり、その根底には普遍的な共通点が数多く秘められています。心を空(から)にして、音が流れてくるままにしていましょう。あなたの胸の底に眠る人類の普遍性に、その芸術作品が触れる地点まで。

 

 あなたは諸々の制約(生きている時代、生まれた国)から解放され、狭い自我の領域を著しく拡張させることに成功するでしょう。そのぶんだけ、喜びも増えます。

 

 

 さて、さっそく本題に入ります。

 まず、スケルツォの音楽形式についてのかんたんなご紹介からはじめましょう。

 

 とても聴きやすく、リズムもよく、まちがってもクラシック音楽によくある批評「眠くなる」ことだけは絶対にないと保証できる、勇壮な音楽がこのスケルツォには多く存在します!!

 

 

スケルツォとは

 「スケルツォ」という音楽形式は、ヨーゼフ・ハイドン(西暦1732~1809、オーストリア)の時代に着手され、ベートーヴェン(西暦1770~1827、ドイツ)が交響曲で定着させた形式です。

 

 三拍子が通例で、複合三部形式または三部形式で書かれることが多く、ときに五部形式をとることもあります。

 

 三部形式としてみた場合、

 

A(第1部) - B(第2部=中間部) - A’(第3部)

 

という図式になります。比較的わかりやすい形式ではないでしょうか。

 

 

 素朴で野性味があり、やや武骨な感じのする音楽であり、メヌエットにおける優雅さは影をひそめることになりました。両端のスケルツォ主題(A、A’)に対し、中間部(B)はトリオと呼ばれ、のどかな主題が選ばれることが多くなっています。

 

 

 

 上記の図式は、よりわかりやすく、

 

スケルツォ(A) - トリオ(B) - スケルツォ(A’)

 

と表現することもできます。

 

 最後の「A’」は、最初の「A」よりも簡略化される記号が作曲者によって付されている場合が多く、短くなっていて、そのかわりに終結部で大規模なコーダがつくケースも見受けられます。

 

 また、作曲者は、スケルツォで豪快な音型を用いるときは、緩徐楽章(第2楽章が多い)で、たっぷりと抒情性を歌い上げることによって、曲全体のバランスをとったりすることもあります。

 

 

 それまでは、モーツァルトの時代には、交響曲の第3楽章は、「メヌエット」が置かれていました。しかし、かのベートーヴェンは、その交響曲第1番でこそ、伝統的な書式に従って第3楽章をメヌエットにしたものの、続く第2番の交響曲では、さっそく独自の「スケルツォ」楽章に置き換えました。

 

 スケルツォには、「諧謔(かいぎゃく)」という意味があり、おどけた冗談といったニュアンスですけれども、音楽じたいは、真剣で、不思議な音調と独特のリズム感をもったものが多く書かれています。

 

 

 なお、ここでは、一般的に「複合三部形式または三部形式」と分類されるスケルツォについて、基本的に「三部形式」として解説していきます。

 

 これは、書き手としては複合三部形式として書いたとしても、聴く側からすると圧倒的に三部形式としてとらえたほうが、より音楽に没頭でき、細部まで聴き取りが可能になるためです。

 

 

 スケルツォ部分とトリオ部分で、複数の主題が含まれていることが多いのですが、それを意識して複合三部形式として細分化して聴き分けようとしたり、あれこれと考えながら聴いたりすると、どうしても楽しめなくなってしまうものです。

 

 また、全体が5つの部分に分かれるケースや、そのほかの特殊な形態の曲については、そのつど、個別に解説していきます。

 

 今回の「3選!!」でも、通常の三部形式なのは1曲だけで、ほかの2曲は少し変わった形式になります。が、聴くのが難しいわけではぜんぜんありませんので、ぜひ、耳を傾けてみてください!!!

 

 

決定的なのは、第9から

 ベートーヴェン(西暦1770~1827、ドイツ)は、第2交響曲からメヌエットに代わりスケルツォを置きましたけれども、第9交響曲におけるスケルツォが、後世の音楽家に大きな影響を与えたのは、疑う余地のない事実でしょう。

 

 いったいどんなインパクトのある音楽だったのか・・・

 

 まず、それから聴いてみましょう!

 

 

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125 『合唱付き』 から、スケルツォ(第2楽章)

 

 古今の音楽作品のなかで間違いなく最高傑作と呼べる作品のひとつが、第9交響曲でしょう。西暦1824年に初演されたこの曲の第4楽章「歓喜の歌」は、だれもが一度は耳にしたことのある旋律ではないでしょうか?

 

 第2楽章のスケルツォは、ベートーヴェン自身が「熱狂」であると位置づけた音楽です。

 

 ティンパニが独立して主張する使用の仕方はとても個性的で、それまでの、たとえばロールによって曲を盛り上げる役割から完全に脱したことを意味しています。

 

 また、ベートーヴェン自身の位置づけとしては、このスケルツォ(第2楽章)は「熱狂的な気分」を表しており、しかも、フィナーレ(第4楽章)で否定される前提の曲になっています。

 つまり、フィナーレでは、苦悩(=第1楽章で表現されている)でもなく、熱狂(=第2楽章で表現されている)でもなく、安逸な休息(=第3楽章で表現されている)でもなく、歓喜こそが人類にとって最善なるものなのだと高らかに唱和されて結ばれていくからです。

 

 もちろん、否定されるのは、たとえばデモやお祭りなどにみられる一時的な興奮の気分だけであり、曲そのものの音楽性が否定されているわけではない点に留意しなくてはなりません。

 

 

 ベートーヴェンは、「より美しくあるために、破り得ない(音楽上の)法則などは、存在しない。」と豪語し、ただ美しいだけの音楽で終わらずに、もっとたくさんの世界の本質的な諸要素を盛り込もうと考え、そして、生涯をかけてそれに成功しました。

 

 20代の後半で難聴を自覚し、音楽家としての終わりを感じて、ハイリゲンシュタットで遺書をしたためて自殺未遂までいったベートーヴェンでしたが、その後、芸術を完成させるため、そして人間として徳のために生涯をささげることを決意して再起し、かずかずの傑作を残して音楽界のみならず、後世に甚大な影響をもたらしたのでした。

 

 このスケルツォという勇壮な楽想も、その不屈の意思によって生み出されたのでした。

 

 地球の進化の時代に生きるわたしたちにとって、モーツァルト的な軽妙洒脱で繊細な音楽が必要になるのは言うまでもないことですけれども、人生を前向きに生きる推進力という点については、今回ご紹介するベートーヴェンとその影響を受けた作曲家たちの書いたスケルツォ楽章からエネルギーを受け取ることができるようになれば、相乗効果でさらに波動が高まるにちがいありません。

 

 

 形式は、三部形式としてみていきましょう。ここでは、スケルツォ部分そのものが2つの主題と展開部とを持っているため、通常の複合三部形式でも三部形式でもない、形式、音響の両面においてベートーヴェンが独特の領域に足を踏み入れたことを意味しています。

 

 20世紀を代表する指揮者、ベルナルト・ハイティンク指揮による演奏から、ご紹介しましょう。

 

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125 『合唱付き』 から、スケルツォ(第2楽章)

 

演奏時間 11分10秒

 

 

①スケルツォ(第1部)          : 0分00秒 ~ 4分34秒

★スケルツォ主題が歌い出され、やがてティンパニが独創的な用いられ方をする場面に到ります。第1部がすでにここだけでソナタ形式の外観を持っています。

 

②トリオ(第2部=中間部)   :    4分35秒 ~ 7分31秒

★中間部であるトリオでは、木管楽器が活躍し、流れるような旋律が対置されており、ふたたびスケルツォ主題に向かいます

 

③スケルツォ(第3部)          : 7分32秒 ~10分57秒

★第3部は、スケルツォ主題の再現です。

 

④コーダ(終結部)            :10分58秒 ~11分10秒

★最後のところで、②のトリオ主題が顔を出し、(初めての)聴き手はトリオの再現かと思わされてしまいますが、すぐに遮られ、終結します。続くと見せかけて、急に終わるという展開は、まさに、スケルツォの語源である諧謔、ユーモアが感じられます。第9交響曲の全曲を通して、いちばんユーモアが込められた箇所かもしれません。

 

 

 

 

 下記をクリックすると、曲のアルバムが表示されます(会員様限定です)。

 

◎第36曲目にあるのが、ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125 『合唱』 のスケルツォになります。

 (Amazon側の都合で、曲の掲載順序は変更される場合があります)

 

 

 わたしはこの曲を聴くと、どうしても、宇宙の映像が見えてくるのですが、みなさんはいかがでしょうか?

 

 続いてご紹介するブルックナーの曲でも、同じ映像が飛び込んできます。

 先入観を与えたくはありませんけれども、次のような宇宙空間のイメージです。

 

 



 

ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 から、スケルツォ(第3楽章)

 

 アントン・ブルックナー(西暦1824~1896、オーストリア)が交響曲作曲家としての地位を確立した、記念すべき作品が、この第7交響曲です。それまでは一地方での成功でしたが、彼が国際的な名声を得るようになった最初の作品となりました。

 

 彼がオーストリアの小さな村に生まれたのは、奇しくも、ベートーヴェンの第9が初演された西暦1824年でした。若いころは教会のオルガニストとして活躍していたブルックナーでしたが、40代でウィーン音楽院教授の地位に就きました。

 

 そのころから、リヒャルト・ワーグナー(西暦1813~1883、ドイツ)の楽劇『タンホイザー』から深い感銘を受けることになり、その後、ベートーヴェンやワーグナーの影響が顕著にみられる、壮大な演奏効果をもつ巨大な交響曲のかずかずを作曲するなどの業績を残しました。

 

 

 彼の音楽の根底に流れているのは、得意としていたオルガンに特有の音階をオーケストラにもたらしている点です。ややごつごつしていて、壮麗な感じを与え、古いバロック時代を思わせます。

 

 しかし、19世紀中葉の流行だったワーグナーの影響から、主要旋律をトランペットやトロンボーン、チューバなどの金管楽器に任せることが多くなり、おのずと響きが重厚で勇壮になっていて、ここは古い音楽には全くない特性です。

 

 さらに、ブルックナーが生涯尊敬していたベートーヴェンの思想「苦悩を通して、歓喜に到れ!!」が一貫して音楽で表現されています。つまり、第1楽章から始まって、フィナーレ(第4楽章)に向かうほど盛り上がっていき、フィナーレのコーダで、高らかに(精神的な)勝利宣言をするかのような圧倒的な音響でしめくくる、という構図です(しかし、ベートーヴェンの場合と同じく、必ずしも第1楽章が暗く悲劇的とは限らない)。

 

 

 ブルックナーは72歳で世を去るまで、必死で作曲を続けていました。しかし、作曲中だった『交響曲 第9番 ニ短調』を最後まで完成させることができないまま(第3楽章まで完成、フィナーレである第4楽章はそのスケッチだけが残されている)、西暦1896年、天に召されるのでした。生涯独身でしたが、敬虔なクリスチャンであった彼にとって、そのことは特段悲しいことではなかったかに映ります。

 

 

 さて、第7交響曲では、西暦1883年に完成し、その第2楽章には作曲中に死去したリヒャルト・ワーグナーに対する哀悼の気持ちを盛り込んだと言われています。

 

 作曲者自身も円熟の境地に立ち、演奏時間は長い代わりに、その構成はわかりやすく、ブルックナーの作品中、もっとも高い人気を誇っています。

 

 

 雄々しい、荘厳なスケルツォです。

 

 諧謔というより、宇宙の始源までさかのぼるかのような不思議な感覚や、幾何学的な音の連鎖とリズム感が印象的な楽曲です。

 

 ここでも、ベートーヴェンの第9交響曲でのスケルツォの残響が聴かれる気がします。それもそのはず、ブルックナーが尊敬していた人物の筆頭に挙げられるのが、ほかでもないベートーヴェンその人だったからです。

 

 

 カール・ベーム指揮によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏が秀逸です。

 

 形式は、三部形式です。

 

ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 から、スケルツォ(第3楽章)

 

演奏時間 10分28秒

 

 

①スケルツォ(第1部)          : 0分00秒 ~ 3分38秒

★宇宙的な暗号のような不思議な音型が旋回するように弦で奏でられ、そのなかでトランペットが勇壮なスケルツォ主題を示します。やがてトロンボーンやチューバなどの金管楽器を巻き込み、壮大なスケールに発展していきます。

 

②トリオ(第2部=中間部)  :  3分39秒 ~ 6分51秒

★トリオでは、一転して柔和な主題が現れます。

 

③スケルツォ (第3部)         : 6分52秒 ~10分28秒

★総休止のあと、スケルツォ主題が回帰し、激しいリズムと金管楽器の咆哮(ほうこう)のうちに閉じられます。

 

 

 

 

 下記をクリックすると、曲のアルバムが表示されます(会員様限定です)。

 

◎第3曲目にあるのが、ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 のスケルツォになります。

 (Amazon側の都合で、曲の掲載順序は変更される場合があります)

 

 

 ベートーヴェンの第9交響曲のスケルツォと同様に、もはや地球や俗世間を一足飛びに飛び越えて、宇宙空間に到達したかのような音楽ではないでしょうか?

 

 

 

 

 

シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品97 『ライン』 から、スケルツォ(第2楽章)

 

 ロベルト・シューマン(西暦1810~1856、ドイツ)のこの作品は、全5楽章で、第2楽章は、スケルツォとされています。

 ドイツのライン川周辺の自然や教会の荘厳さ、そこに住む人々の気の良さなどを音で表現した曲だと伝えられています。

 

 そう言われてみれば、ベートーヴェンの田園交響曲と似たような雰囲気にも聴こえます(特に、ここでみる第2楽章スケルツォと、フィナーレ(第5楽章)に、あてはまるでしょう)。

 

 当時のシューマンはすでに脳を病原菌で侵され始めている兆候を示しており、身体に良い場所をということで、気候や風土の快適なライン川の周辺を訪れていました。結局、シューマンはその後、皮肉なことに錯乱状態からライン川に身を投げることになるのですが(西暦1854年、シューマン44歳。一命をとりとめるが、その数年後に死去。享年46歳)、この曲には、そんな運命を予感させる暗さはいっさいありません。

 

 

 弦の厚ぼったい響きが、心を揺さぶるような音楽です。とても温かい人間性が感じられます。

 ブラームスやシューマンの音楽は、沈みゆく夕陽を連想させると、当時から評されてきたとおり、ここでも、自然や夕陽を思わせる独特の雰囲気が醸し出されています。

 

 

 形式は、やや変則的な五部形式とみられます。

 

 

 雄大なライン川とその地方から受ける印象を描いたと言われる本作は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮による歴史的名演奏で行ってみましょう!!

 

シューマン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品97 『ライン』 から、スケルツォ(第2楽章)

 

演奏時間 6分29秒

 

 

①スケルツォ(第1部)         : 0分00秒 ~ 1分49秒

★弦楽器で、たゆたうような旋律が歌われます。

 

②第1トリオ(第2部=中間部)  :  1分50秒 ~ 3分04秒

★やや不安げな下降するメロディー木管楽器に現れます。

 

③スケルツォ (第3部)                : 3分05秒 ~ 3分24秒

★最初の主題が、短く再現されます。

 

④第2トリオ(第4部=中間部)  :  3分25秒 ~ 4分16秒

★第1トリオが変奏された形で、今度は弦楽器を中心に再現します。

 

⑤スケルツォ (第5部)                : 4分17秒 ~ 5分05秒

★スケルツォ主題が、華々しく盛り上がります。

 

⑥コーダ                       : 5分06秒 ~ 6分29秒

★クライマックスのコーダとなり、金管の咆哮のあと、最後は静かに結ばれます。

 

 

 

 下記をクリックすると、曲のアルバムが表示されます(会員様限定です)。

 

◎第10曲目にあるのが、シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調 『ライン』 のスケルツォになります。

 (Amazon側の都合で、曲の掲載順序は変更される場合があります)

 

 

 シューマンの『ライン交響曲』を聴くときは、インターネット上で「ライン川」というキーワードで検索して出た画像で、あなたの気に入ったライン川周辺の画像を見ながら聴くと、シューマンの気持ちが追体験できるかと思います。感動も倍増ですね?

 

 

チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 『悲愴』 から、スケルツォ(第3楽章)

 

 スケルツォとは銘打たれてはいませんが、実質的にスケルツォといえる作風です。

 

 形式は定かではなく、スケルツォ主題と、行進曲主題の2つはあるのですが、冒頭のスケルツォ主題の裏で、オーボエが早くも行進曲主題の旋律を吹くために、わかりにくい形になっています。

 

 しかしそれは裏を返すと、チャイコフスキー(西暦1840~1893、ロシア)の作風がいかに晩年に到って成熟してきたかを示す事例であり、混沌とは一線を画した、新境地を切り拓いたものと評されるべきでしょう。

 

 音響的にもたいへん華やかで、リズム感も高く、祝祭的なものとなっています。

 

 

 

 チャイコフスキーは、10代後半で法律学校に通い、そのまま法務省の公務員となりましたが、(わが国と同じく?)官僚の世界は腐敗しており、その不実な実態をあからさまに体験して、いや気がさすようになりました。そこで、法務省の仕事は続けながらも、チャイコフスキーはかねてから興味のあった音楽の世界に飛び込みます。

 

 チャイコフスキーはやがて公務員を辞め、作曲家としての地位を確立します。音楽に造詣の深い資産家の未亡人フォン・メック夫人から莫大な資産の提供を受けて、自立して作曲に打ち込めるようになったためとも言われています(チャイコフスキーが30代後半のころ)。

 

 そうしてかずかずの名作を残しながら、『交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」』の初演を西暦1893年の秋に実現させ、そのときみずから元気に指揮台に立っていたチャイコフスキーは、それから10日も経たぬうちに謎めいた急死を遂げることになりました。享年53歳でした。

 

 

 しかし、チャイコフスキーが死去する直前に初演された『悲愴交響曲』のスケルツォ楽章(第3楽章)は、その悲劇を予感させないほど喜ばしい情感に満ちています。

 

 ただ、つづく第4楽章(フィナーレ)は、アダージョでテンポが遅くなり、下降する音型の主題が、消えゆくように終わる悲愴感に満ちたものになります。

 もし作曲者がみずからの死を予感して書いたのであれば、第3楽章のスケルツォは、彼自身の輝かしい人生の最盛期への追憶だったといえるのではないでしょうか。

 

 

 形式は、変則的な五部形式、もしくは展開部のないソナタ形式とも解釈できます。

 

 

 さて、この交響曲にはユーリ・テミルカーノフ指揮による全集からの演奏など、数多くの名演がありますけれども、ここでは20世紀の奇跡とまで言われた、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮による歴史的な演奏をご紹介します。

 

 

チャイコフスキー 交響曲 第6番 ロ短調 『悲愴』 から、スケルツォ(第3楽章)

 

演奏時間 8分26秒

 

 

①スケルツォ    : 0分00秒 ~ 1分42秒

★イタリアの踊りの音楽から着想した旋律が、スケルツォ主題です。すぐに、オーボエなどの管楽器が行進曲主題を先取りして出します。

 

②行進曲      :  1分42秒 ~ 3分22秒

★すでに①のスケルツォ部分で何度か登場し予告されていた行進曲主題が、正式にクラリネットによって奏されると、弦楽器群が続きます。

 

③スケルツォ    : 3分23秒 ~ 4分45秒

★リズムのよいスケルツォ主題が再現します。

 

④行進曲      :  4分46秒 ~ 7分39秒

★行進曲主題が、金管楽器を軸として、激しく再現します。

 

⑤コーダ      : 7分40秒 ~ 8分26秒

★行進曲の冒頭の旋律を用いた音型でコーダが強奏され、若き日の人生の祝典を回想するかのように盛大になり終曲、最終楽章の深い悲しみに満ちたアダージョ・ラメントーソに向かいます。

 

 

 

 

 下記をクリックすると、曲のアルバムが表示されます(会員様限定です)。

 

◎第3曲目にあるのが、チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 『悲愴』 のスケルツォになります。

 (Amazon側の都合で、曲の掲載順序は変更される場合があります)

 

 

 人は死ぬ直前に、走馬灯のように生涯の光景が目の前を流れるのを見ると言われますが(臨死体験をした人々の証言から)、まさに、『悲愴交響曲』の第3楽章(スケルツォ)は、その人の在りし日の最盛期を思わせるかのような勇壮な音楽なのかもしれません。

 

 

 



 

まとめ

 

 いかがだったでしょうか。

 

 わたしたちは、生きる気力をもたらすために、また、つらい感情をやわらげるために

音楽を作り、歌い、奏でるのではないでしょうか?

 

 今回のスケルツォは、生きる勇気、前進する希望を与えてくれる音楽だったと思います。

 

 

 わたしたちの現実に置き換えると、こういう感じです。

 

 アセンションが決まっているはずなのに、さっぱり盛り上がらない。そこで、勇気を鼓舞してくれる音楽をかけることで、水面下で起きている事象とシンクロできるようになる、といった具合です。

 

 アセンションが社会全体で盛り上がらないのは、

 

①いまだにメディアをすべて信じて洗脳されている人が多い

 

②権力側やマスメディアなど、民衆をコントロールする側が、アセンションを盛り上げようとするわけもない

 

③アセンションを知っている人はきわめて「常識的」な人物が多く、そのため、民主化運動などでみられるデモやプラカード行進などを行ったりはせず、地道に目立たずに取り組んでいる場合が多数を占める

 

などの要因があるとみられます。

 

 

 そんなとき、勇気を与えてくれるスケルツォは、まさに、現在のわたしたちにふさわしい音楽、ということになると思います。

 

 アセンションに向けてみずからを鼓舞し、前進する勇気がわいてこなかったでしょうか?

 たとえ、身近に仲間がいなくても、時代も国も遠いにもかかわらず、共感できる音楽が見つかったとき、わたしたちの孤独は思い込みに過ぎなかったのだと気づき、殻を破って前進しなければならないと感じるでしょう。

 

 

 

 しかし、いきなり音楽だけで、とお考えの方がいらっしゃいましたら、次のようにしてみませんか?

 

 まずは自身を鼓舞して、内面に美しい、そしてくつろげるテーマパークを作りましょう!!

 

 これは、わたしが停滞しているときに、動植物たちから助言されたことでした。

 

 外部を変えようとして闘争に明け暮れた結果、波動を大幅に下げてしまうよりも、もっと内面の整理整頓に時間をかけなさい、と。そのほうが簡単だし、収穫も多く、心の逃避所が内部にあるというのはいつでも安心なことです、と。彼らの言うのは、もっともな話です。

 

 

 戦争をしている人、いつも怒っている人が、強い人間に見えるでしょうか?

 彼らが幸せの中に佇んでいるように思えるでしょうか?

 

 いいえ、わたしたちは、人間として社会生活を送るかたわらで、エネルギーの向きを転換させて、ゆたかな内面の構築に努めるべきでしょう。それが個人の幸福を約束し、社会さえも高次元に押し上げる原動力になるのですから。

 

 

 モーツァルトやイージーリスニングなどで心を潤し、少し元気が戻ってきたら、今回ご紹介したスケルツォで、自分軸を安定させて動じない強さを獲得していく、というのがよいだろうと思われます。

 

 

 

 

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