【スピリチュアル】シンプルに真の幸福を手に入れるには?
- 【スピリチュアル】シンプルに真の幸福を手に入れるには?
- 真理はいつもシンプル
- ◎渇望の原因は、価値観を植え付けられていないか??
- ◎それがなくても、生きていけると実感する
- ◎次の段階は、それがないほうが、気楽に生きていけると実感する
- ◎お金は、必要条件だが、十分条件ではない
- ◎結局は、心の断捨離か
- ◎天界に持って行けるのは、魂だけ
- 実は、アセンションも、シンプルで合格できる
シンプルに真の幸福を手に入れるには、どうすればよいのでしょうか?
だれもが一度は夢想したことのあるテーマでしょう。
近年、自分が地球人というよりも宇宙から来ている、と考えるに到る人が、年々増加しています。
20世紀に自身にこう問いかけた人は、他人には口をつぐむしかありませんでした。それは、あまりにも当時の常識からすると異端であり、社会的な排除を恐れ、そのような疑問を共有するすべもなく、年齢を重ねていくしかありませんでした。
21世紀も4分の1にさしかかろうとする現代では、その思いを共有できる状況まで、事情は改善されています。
ただし、それもインターネットを通して、というのが主流とはいえ、「自分が宇宙人と関係ある気がしてならないのだが、だれかに話すと、病院に連行されそうだ。だれにも相談できない」という昭和時代の孤立感は、すっかり雲散霧消しているのは、素直に喜ばしいことと思います。
さて、そうとはいっても、まだまだ疎外感、孤立感の多いであろうスターシードたちがどうしたら幸福を得られるか?
この問いかけは、たいへん一般的であり、古典的でもあります。
また、それゆえ、多くの解答が用意されても来ました。
しかも、問いかけがシンプルなゆえに、解答もシンプルそのものになろうことは、容易に想像がつくと思います。
真理はいつもシンプル
真理というものは、シンプルでなければなりません。
ある人が、複雑怪奇な手法を編み出して、なんとか達成した境地というものは、どうでしょうか? その方法を発見した人でさえ、100万分の1ぐらいの確立で発見した場合です。
そうしたケースでは、万人にための手本には、残念ながら、ならないものです。
当人に取ってさえ偶然起きたような出来事が、時代も国も環境も異なる他者にあてはまるのは、低確率だと考えられるためです。
もっと真理というものには、いつ、どんな状況下に置かれた人間にも相通じるものがあって、つまり普遍性がそなわっているはずであり、それだからこそ、簡素に、つまり、シンプルであるはずなのです。
ですから、きょうのテーマに対する答えも、シンプルだからと言って拍子抜けしないでください。
むしろ、
「なんだ、そんなこと、とっくにできるようになっているよ?」
と思えたら、 基礎はしっかりしているので、自信を持って、次なるステップに進んでいきましょう!
3次元で、身軽になって、そのまま、5次元に飛び立てる
このようにするために、ほんとうにシンプルなのですが、確認の意味もかねて、検討してみたいと思います。
では、ひとつずつ、みていくことにしましょう!!
◎渇望の原因は、価値観を植え付けられていないか??
「~さえあれば、幸せになれる」
背があと少し高ければ、容姿が端麗だったら、キャリアさえあれば、恋人がいれば、金があったなら・・・
何々がないと、うまくいかない、あるいは、何々さえあれば絶対にうまくいく、という発想は、渇望の状態にあると言え、結果的に、真の幸福から遠ざかることになります。
十中八九というより、100パーセントの確率で、渇望していたものを得たとしても、また、別のものを渇望することになるからです。
きりも際限もなく、足りないと感じるものを手に入れようと焦り、手に入らなければ、だれかを悪人に仕立てる始末・・・。
おそらく、こんな感じでしょう。
幸福を外に求めても、本人の受け止め方が欲望や不足感に基づいていたら、得られたものに満足せず、どこか遠くに幸福と呼ばれる何かがあるかのごとき錯覚を抱いてしまうのです。
◎それがなくても、生きていけると実感する
そんなものがなくても、生きていける。
そう実感するためには、まず、手がかりを入手しなければなりません。
飛び移る先もないのに、飛び移ろうとするのは、無謀でしょう。
まず、手がかりをつかむには、先に見た価値観は、手に入るごとに、次々と新たな欲望に点火していく性質があると知らなくてはなりません。
そのあとであれば、それがなくても、生きていけると実感する日が訪れるにちがいありません。
この時点ではまだ、漠然とした予感でも、全然かまいません。
ある日、ふと現世的な財産、世俗的な成功に、関心が薄れてきたら、しめたものです。
「これまでの自分が、そんなものに、なぜ、夢中になれたのか? 不思議でならない。」
「いまの自分は、ちがうものを求めている。何を求めているかはうまく表現できないけれど、物質的な価値ではなさそうだ。」
漠たる印象でも、このような言葉が、あなたの胸中に浮かんできたら、次の段階へのステップは、すでに用意されています!
波動が上がり、気づきが得られると、このように、「きのうまでの自分は、何だったんだ?」と思うにいたる事象は、昨今のアセンション潮流のなかでは、よくあることです。
◎次の段階は、それがないほうが、気楽に生きていけると実感する
むしろ、そんなものは、手放してしまったほうが、気楽に生きていけそうな気がする。
ものごとには、人間にとって、執着の原因となるばかりです。
当の本人には、執着とは感じられず、むしろ、心地よい愛着である場合が多いだけに、かえって手に負えません。よいことのように錯覚しがちだからです。
しかしながら、ある段階を通り抜けると、次の段階は、それがないほうが、気楽に生きていけると実感する、という見晴らしのよい展望台に出ることがあります。
そうなると、実に身軽です。
ただ、旅立ちの時を待つ身で、荷物はいっさい無いのですから。
このような話があります。
古代ギリシャの賢人が、乗っていた船が座礁し、身体ひとつで救助されたときのことです。船に積んでいた財産や商売道具は、すべて海の底に沈んでいきました。
彼は、「すべての財産も商売道具も、失ってしまった。もうおしまいだ。」と言う代わりに、救助してくれた人に、こう言いました。
「わたしの財産は、失われなかった。わたしは、最も大切な財産をすべて身体の内側に、いまも持っているのだ。」
この賢人のごときに答えられるまでにならないとしても、身軽に生きるためには、モノに執着している心があると大変難儀するが、モノを持っていても執着がなければ、身体ひとつでどうにかなるとする達観の境地が実在したという事例として、記憶しておくといい話かもしれません。
◎お金は、必要条件だが、十分条件ではない
こうなると、もう、暮らしていくのに必要になる最小限の金銭以外には、興味が消失していく段階を迎えます。
そんなときが本当に来るのか?
そう思う方も、いらっしゃるでしょう。
ですが、まちがいなく、来ます。
お金で買い漁れるものには、限界があります。
考えるまでもなく、
・自由意思
・自然の美しさ または 自然の偉大さ
・純愛
これはごく一部の事例に過ぎませんけれども、お金では決して買えない価値というものは、山ほどあります。
そうです。
お金は、必要条件であるのは疑いのない事実ではあるものの、十分条件ではないのです。
そして、宇宙法則からは、なんだかんだ言って、必要なものは、満足とはいかなくても、それなりに手に入るように(あるいは、手元に残るように)できていますので、あまりお金の心配はしないほうがいいでしょう(無頓着になれという意味ではありません)。
◎結局は、心の断捨離か
十分条件を満たすためには、まず、心をきよらかに洗い流してみませんか?
いわば、心の断捨離です。
あなたの魂の奥底では、何が大切だと信じているのか?
これを知るためには、いったん、心をしずめて、心の声に耳を傾けなくてはなりません。
いちばんの近道は、瞑想を行なうより、瞑想するような気分で、始終生きることです。
瞑想だと、「瞑想しているとき」と「瞑想以外の時間」で、自分自身を演じ分けてしまいがちになってしまいます。
瞑想しているときは、崇高な気分だが、それ以外の時間には、自分に幻滅を感じるなどという、分裂した状況を生み出しかねません。
日頃から、昔の自分とは違う、アセンションや、自死が宇宙から来た魂である実感するようになってからの自分を24時間365日、年中無休で、愉快に演じきることです。
慣れるまでは、決まった時間に瞑想を行なうのも有効ですが、「瞑想状態で、コンビニに行って、しっかりと店員とも問答できる」「瞑想状態でいながら、世俗的な職務に打ち込める」状態が、スターシードとして最強です。
自分にとって本質的に重要なものはこれこれであり、それでも、アセンションを迎えるまで世間的には、これこれの仕事をしなくてはならないだけである。それが、明瞭にわかるようになってくるものです。
こうして、心の中で断捨離が起きます。
そうなると、生きるのが、容易になります。あるいは、以前より、死を怖れない気持ちが湧いてきます。
ぜひ、この章の言葉の意味を、あなたなりに解釈してみてください。
そしてそれは、頭の中での理解だけでは完成せず、日常での実践からしか、深い意味での理解に到達できないので、積極的に、日々を「宇宙人モード」の内面で、3次元に向き合うようにしましょう。
◎天界に持って行けるのは、魂だけ
そして、わたしたち命ある者が、この世の最期の日を迎えたとき、天界に持って行けるのは、お金でも、名誉でもなく、ただ、おのれの魂だけとなります。
このことは、当然のように聞こえますが、わたしたちの日常をざっと振り返ってみても、すっかりこの重大な事実を見落としたような社会通念に、どっぷりと浸かってしまって暮らしてきたことに気づかされ、がく然とすることでしょう。
片時も、この真実から離れることなく、あなたが最期の日に、後悔なく、浄福を信じて飛び立てるよう、日頃から準備を怠らないようにしておきましょう!
自分の本質は、魂にあるとは、言葉でいうのはたやすいですが、実感になると、ほんとうに、自分の胸の中心あたりに自分が安定して鎮座しているかのような感覚に陥ります。
いかがでしたか?
本当の幸せを得るために、手に入れるべきものは、あなたの予想していたとおりのシンプルなものだったでしょうか。
ここで、「幸せを得る」と表現しましたが、この文脈からいくと、幸せは、どうやら「得る」性質のものではないような気もしてきませんか?
「得る」か「得られない」かに意識の焦点を当てては、一歩も先に進めません。
幸せを獲得するのではなく、幸せを感じながら、執着から離れて身軽に生きる姿勢こそが、幸せそのものであるのではないでしょうか?
実は、アセンションも、シンプルで合格できる
いつも思うのは、アセンションを難しく考えすぎない、という点です。
概念にばかりこだわると、どうしても、実生活との乖離が生じます。
ですから、アセンションを意識するのは大事とはいえ、アセンションを難しく考え、細部にこだわりすぎるあまり、3次元を生きるのが苦痛に感じられてきた、というのでは本末転倒でよろしくありませんから、その点を部分修正するべく、当記事のテーマを着想した次第です。
その意味においては、当サイトも、むやみにアセンション情報を拡散していると判断されれば、サイトを閉鎖するべきだと決断する時期が、この先にやって来るかもしれません。
かえって読者にとって、左脳にばかり情報を詰め込むようになり、アセンションを達成するのに重要な直観を司る右脳のはたらきを低下させてしまう記事を書いているようであれば、わたしの進退問題につながろうというものでしょう。
ある程度の基礎知識を仕入れたら、おそれずに、3次元をあなたなりに解釈して、体当たりで生きてみませんか? 当たって砕けろとは言いません。砕けてしまっては、意味がありませんからね(笑)。
心が開いていれば、ほぼ高次元移行は間違いないと言われています。
心を開くというのは、社会で起きている現象をすなおに受け入れることです。
まずは、受け入れた真実が、あなたの内部に眠っている古い社会通念と化学反応を引き起こします。
やがて古くて不要となった社会通念は消滅していき、新次元に行くための観念が生成されることになります。こうして、心を開くことで、自然のうちに内的な変化を呼び込むことができるのです。
そうすれば、おのずと、波動の似通った者たち(人間以外の動植物、自然霊も含む)が集まり、やがて、波動ごとに異なる世界へと運ばれていくからです。
そのようなプロセスの中に生きている自分の姿を、客観的に思い浮かべてみてください。
わたしたちは、無目的に投げ出された存在ではありません。そんな思い込みを手放したとたん、長い心の旅の途上で、地球という惑星に立ち寄った自分の姿が絶妙に位置づけられていき、ぼんやりながらでも、現在の人生に何らかの意義を見出せるにちがいありません。
サイト名 : 一人を生きる -希望の彼方に-