【スピリチュアル】夏至の日も、冷静に乗り切る
夏至の日も、冷静に乗り切る。
これ以上でも、これ以下でもありません。
夏至の日の過ごし方については、過去記事2つの内容で、いまだに十分だと思われます。新しく追加する情報は、基本的に、ないと思っています。
映画のような展開になるのは、最終局面
わたしも、地球のアセンションに気づいた1990年代前半には、この先どんな展開になるだろうと思っていました。ただし、周囲の情報不足や、インターネット環境がまだ整わない時代のため、具体的なイメージまでは湧きませんでしたが。
その後、西暦2000年代に入り、内容が煮詰まってくるにつけ、「いきなり、ある記念日などに、ドラマティックな展開が待っているだろうか?」と夢想したものでした。
あれから数十年が経ち、現在を迎え、あまりアセンションが「いつなのか」について、個人的には、こだわりはなくなりました。
この先、映画のような展開になるのは、最終局面だと思われます。
ですから、ある年の『夏至の日』という象徴的な日に、一日のうちに地球が5次元化するかどうかは、わかりません。
どうしても、夏至や冬至が近づくとアセンション的な「激変」を期待してしまいがちですが、あとになってから、「何も起きないじゃないか!」と落胆して、占星術師やチャネラーを責めるぐらいなら、最初から、その日付をあてにして生きないことが重要になってきます。
たしかに、占星術的な見地からも、夏至の日に地球に降り注ぐパワーは甚大ですが、それをあてにして、自身は何もしないというのであれば、せっかくの宇宙からの恵みに浴することはできません。つねに宇宙や万物に胸襟をひらいて接する気持ちを持っている者にのみ、受け取ることのできるエネルギーです。
ふだんから、冷静にいて、特定の日にこだわらないほうが、波のない安定感ある取り組みに従事できそうな気がします。
夏至の日前後だけがんばろう、というのではなく、右肩上がりで行きましょう、というのを合言葉にしたほうがよいかもしれません。
実は、各所で、変化している
ニュースで取り上げないから、「何も変わっていない!」というのは、おかしなことです。あなたが、自身の特派員になって、報告してもよいのです。
「ニュースでは取り上げないが、あきらかに世界は変化している。」
「陰の面は、表のニュースから、わかる。陽の面は、自身の直観から、わかる。」
ニュースやチャネラーをあてにせず、自身でアセンションを体感できれば、その人は、合格です。
たとえば、ある人が「西暦2080年の、世界の二酸化炭素の排出量は?」と、まだまだ何十年も、アセンションが起きないかのように語っているのを聞いても、あなたは動じることのないすこやかな精神を育んでいくべきです。
そしてそれは、努力の末に勝ち取るのではなく、自然に身についていくものです。
このさい、あなたも、自己流でチャネラーになってみるのもよいのではないでしょうか。
予想が当たる、外れる、と繰り返していくうちに、勘が冴えてくるのは事実ですから・・・
その最終局面は、いつ?
気になる最終局面は、諸説ありますが、整合性を取るのが大変です。
というのも、百人が百通りの案を提出するからです。
ですから、これも、あなたが、101人目の予言者となることで、解決してください(笑)。
百人の予言者から、もっとも当たりそうな人を選ばなくてよい、という意味です。アセンションは、最後には合流しますが、それまでは、みかけ上は、個々の取り組みですから、むりに師匠役を探さないことです。
ただ、宇宙人に招待された有名な青森県のリンゴ農家、木村秋則氏によれば、西暦2030年付近で、現在の地球はなくなっている、と宇宙人から予言されており、2020年代のうちに、最終局面=クライマックスが訪れるのではないかと推測されます。
また、闇の勢力の焦りぐあいからも、西暦2020年代が勝負の分かれ目なのは間違いなさそうです。
彼らが西暦2040年とか、2080年という場合の年号は、(3次元の地球では)ありえない気がしますが、どうでしょうか? 数年前から闇がドミノ倒しのように、次々と戦略を仕掛けてくるのは、「急がなければマズい何か」が進行しているとしか思えません。
その「何か」というのが、地球の次元上昇ではないでしょうか?
闇は、次元上昇できないので、3次元の地球を、一秒でも長く存続させようとします。いま、まさにわたしたちがみているのは、そのフェーズです。その次にやってくるのは、最終局面以外の何ものでもないはずです。
冷静に、愉しむことが、闇を照らす行動である
闇を倒すのに、闇と同じ方法を用いてはなりません。彼らの同類となり下劣な生き方に成り下がってしまうだけです。
ここは、冷静に、人生を愉しむゆとりを持ちましょう。そのような人生設計を各自ができたとき、闇は光に照らされ、闇でなくなるときが来るのです。
ここでいう「闇が闇でなくなるとき」というのは、次のいずれかです。
①闇が光に照らされ、不正を隠せなくなり、消滅する。
②闇が光に照らされ、光に溶け込んでいく(=転向する)。
この文脈において、前半の「闇が光に照らされ」という部分では、いったいだれが主役なのでしょうか?
むろん、それは、光を選んだわたしたちの存在です。
しかしそれは、闇を倒そうと奮戦する姿勢はやめにして、愉快に自身がこの世で達成したい事柄や趣味に生きることによって、光を放って生きた結果として、「闇が光に照らされ」るわけで、だれも何もしなければ、闇が深まるばかりなのです。
言葉遊びでなく、これを実践しましょう。
夏至の日に一撃で闇が消えると思わず、日々の自身の心がけで、まもなく世は善意で満たされることを知りましょう。
最終局面に向かうにつれ、わたしたちの肩の荷は、格段に軽くなっていきます。かろやかな足取りで、多数の人間が闇を恐れずに生きる希望を見つけた時点で、勝負あり、となります。
ドラマチックな感動は、最期に現れたほうが、ことさら喜ばしいのではないでしょうか?
現時点で事実、そのようなシナリオが進んでいることを理解してください。
そして、これも重要ですが、自分ひとりの力をないがしろにしないでください。「しょせん、人間は、ひとりでは、何もできない」と思わせるのが、闇の常套手段だったからです。
そのはんたいに、ひとりひとりが、ささやかながらでも、やれることはやってみよう、と前向きな気分でつねに暮らすことが大事な点です。
ここで注意しなければならないのは、
という姿勢になります。
このほうが地球全体の波動上昇に貢献できますし、実際、アセンションするスケジュールも、予定より早まるでしょう。
さて、それでは、夏至の日を過ぎても、引き続き波動を高めて、行ける地点まで、行きましょう!!
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