【スピリチュアル】北海道・洞爺湖畔のアセンション・コミュニティ 『キリパ村』に想う
- 【スピリチュアル】北海道・洞爺湖畔のアセンション・コミュニティ 『キリパ村』に想う
- 空想的社会主義のその後
- 北海道・洞爺湖畔に現れた集落
- キリパ村のその後
- 失敗は、無に帰さない
- この先の展望
- 社会的な合意
- 次のステップは、公表である
- まずは、個人の意識から
- このような「村」は、二度と現れないだろう
空想的社会主義のその後
サン-シモン、フーリエなどが空想的社会主義と揶揄されてから、空想でない現実の世界で社会主義が登場して、われわれ人類を幸福にしたか?
答えは、言うもおろか、といったところでしょう。
旧ソビエト連邦は、その代表例でした。
また、それに対置した地位を与えられてきた資本主義も、行き着く先は、前者に似たり寄ったりではないかと予感する人が、増えているでしょう。
さきの空想社会主義者は、よく名前を耳にするので引用しただけで、実際の世には、多くの宗教や特定の思想集団が現れては消えるという、うたかたの夢を歌い上げるものは、名こそ残っていませんが、それこそ、星の数ほどあまた存在したと思われます。
北海道・洞爺湖畔に現れた集落
そんな中、折しも、アセンションという用語が流通し始めた21世紀初頭に、ひとつのアセンション・コミュニティといえる実験的な集落が、北海道・洞爺湖畔に現れました。
その名も、『キリパ村』。
それは、自然に、その土地に住む方が形成していった集落ではなく、
というコンセプトのもと、移住をメインとして、小規模ながら完成したものです。
21世紀的な意味においては、日本国内では、最初のアセンション・コミュニティといえるでしょう。
わたしの知るかぎりでは、宗教的な関係者が集落を形成したのではなく、アセンションというキーワードを通して知り合った、多くは既婚の方々の複数世帯で、北海道に移住しようとしたというわけでした。
さて、その後は、各地に、定住ではなく、短期の宿泊付きでのアセンション・イベントが出てきております。
たとえば、アメリカ合衆国でのSETI関係者を標榜するグループが主催する、シャスタ山でのUFO見学ツアーなどが特に有名でしょう。
SETI計画とは、カリフォルニア大学バークレー校が、西暦1999年から行なっていた、電波望遠鏡でキャッチした宇宙からの電気信号を解析し、地球外生命体が宇宙に投げかけたメッセージを受信しようとする、ロマンティックな研究でした。
しかし、20年以上の活動の結果として、有効な「宇宙からのメッセージ」が得られなかったため、西暦2020年に、いったん従来の方法を休止し、可視光線や赤外線その他の、電波以外の宇宙人からのメッセージを解読しようとする試みを、近年、新たにスタートさせています。
これに並行して、カリフォルニアのシャスタ山で、ひんぱんにUFOが目撃されることから、UFO研究家で医師でもある、アメリカのスティーヴン・グリア博士と親交のあるグレゴリー・サリバン氏らが中心になって行なっているイベントがUFO見学ツアーです。
しかし、わたしは、そのようなイベントには行きませんでした。そうしなくても(日本にいても)、UFOはしょっちゅう現れるし、地球にすでにスターシードが送り込まれている事実も知っており、かつ、アヌンナキやレプティリアンが古代から地球に潜入していることもわかっているからです。わざわざ海外まで出かけなくても・・・という事情がありました。
ですが、アメリカの話はともかく、日本で、西暦2000年前後に、スターシードのさきがけといえる人々が中心になってそのような試みを行なうのは、多分に冒険の要素を含んでいました。
ですから、このアセンションという言葉が定着する以前に発足した実験的集落「キリパ村」が存在するという事実をインターネット等で知った人は、
と、ほっと安堵に胸をなで下ろし、期待を抱いたものでした。
(これは、『キリパ村』の実際の写真ではなく、イメージです。)
キリパ村の場所は、北海道の洞爺湖町(とうやこちょう)という町が選ばれました。
この地は、観光地として有名です。カルデラ湖の洞爺湖や、有珠山のショットは、各種の「日本の美しい風景」などで上位に選ばれているものです。
インターネットで「洞爺湖(とうやこ)」「画像」と入力して、画像検索されると、イメージが湧くかと思います。
とても美しく、自然の造形に、ただただ感動に浸るばかりです。
また、西暦2008年には、世界の国家首脳たちが集まるサミットが、厳重な警備態勢のもと、この洞爺湖町で開催されました。
北海道の、華やかな札幌からやや離れたところにある洞爺湖町に、意外なことに、「洞爺湖ウィンザーホテル」という、リゾート・スパが売りの超高級ホテルがあります。
『ミシュランガイド5つ星ホテル』ということで、食もゴージャスで、客室も満足度大と評判です。
キリパ村のその後
しかし、それから、どれだけの歳月が流れていったでしょう?
多くのスターシードたちは、待ちました。3次元の風雨にさらされながら。
しかし、この期待とともにスタートした当初の高い理念は次第に現実の波にさらわれていき、数年ほどで、上記の「キリパ村」は、自然消滅していったということでした。
とても残念なお話の結末ですが、この問題は、彼らだけに限った問題ではなく、わたしたちの身に置き換えてみても、時期尚早だとわかるはずです。
いくら参加する個々人の理念は高かったとしても、社会的な要請が、それを拒むのでしょう。
日本国内に住んでいれば、義務のような取り決めがたくさんあります。
つぎは、キリパ村の実態ではなく(わたしは参加していないので、実態をよく知りません。あくまで伝聞です)、一般的に、アセンションを標榜したコミュニティを、日本国内のどこかに形成した場合に起きそうな事態を想定してみました。
・国や地方自治体から税金の支払いが課されています。いくら互いに「自然は共有すべきもの」として、土地に税を課すことをしない土着の民族のように振る舞おうとしても、法律が立ちはだかります。
そうなると、雰囲気もだいなしです。
・自治体ごとに異なる条例が敷かれ、廃棄物の分別方法も、自治体に照会しなければなりません。確定申告や身分証明で、いちいち役場に出向かなくてはなりませんし、そこで、細かく、独自のやり方はできない旨を行政から指摘され、指導が行なわれるでしょう。
やはり、超然と、「わたしたちは、地球外由来である」と声高に叫びづらい環境ではあります。
・行政区内での付き合いがあれば、たとえば、冠婚葬祭も、その集落だけとはいかないとしたら、そこでの交際も、「わたしたちは、宇宙から来ましたので・・・」といって、断るわけにもいかず、結局、表面的には、ふつうの人間のように立ち居振る舞いをしなくてはならない羽目になると思われます。
・日々の買い物も、つまり、食事のために、スーパーやコンビニに足を運ばなくてはなりません。そこで、出会った人々とのやりとりも、きわめて散文的になってしまい、コミュニティ設立前後の詩情は、どこかに消え去ってしまいそうです。
・病気になったとき、過疎地域であれば町立、村立の病院しか存在しない地区もありますので、大変です。救急搬送されても、その科の医師が常勤していない場合も多く、隣接する比較的大きな規模の自治体に搬送されるのが普通です。間に合うのか、一刻を争う場合は、一大事となってしまいます。
観光で行くのであれば、新時代の始まりを予感できようものを、やはり、定住となると、初志貫徹とはいかない現実の厚い壁が立ちはだかることは、想像に難くありません。
そして、人間関係的にも、設立当初のメンバーだけだと、遅かれ早かれ閉塞感も出てくるでしょうし、意見の対立が起きることも容易に想像がつきます。
なかなか、その気高い精神を、社会制度の上に投げかけるというのは難しく、時間と忍耐が要るのでしょう。
また、当時の国際情勢に目を向けると、アメリカ合衆国を舞台に起きた911事件や、その後のイラク戦争といった、一連の闇による自演劇場があいついで発生したこともあって、上記の日本国内での『キリパ村』創設時の雰囲気も雲散霧消といった方向に流されていきました。
2001年5月9日にワシントンDCで行なわれた、有名なスティーヴン・グリア博士が主催したディスクロージャー・プロジェクトも宇宙時代の到来を期待させてくれましたが、その熱狂が、たったの4ヵ月で冷めてしまうことになったのと同じように ・・・
この2001年に合わせた時期的な符合の意味するところは、意図的にグリア博士の国際的な影響力を排除する意図があったのかもしれません。
当然のごとく、わたしたちの頭からも、『キリパ村』という、当初はあかるい未来を予感させ、心地よく聞こえた言葉が、いつしか消えていくことになります。
失敗は、無に帰さない
しかし、西暦2000年前後に、日本の勇気ある少数の人たちが、その事前に予想された困難にもかかわらず、果敢にチャレンジしてくれたおかげで、いま、わたしたちは、インターネット上が中心とはいえ、堂々とアセンションを語れる時代が拓けたのだと思います。
『キリパ村』と名付けられたその地区のそれ以上の詳細な話については、わたしはそのメンバーではありませんので、立ち入った事情は知るよしもありません。
ですが、その主催者の方が、西暦2000年前後に出版された複数の書籍は、数年後には絶版になっており、わたしがその書籍の存在に気づいた時(2005年頃?)には、すでに購入不能の状態になっていました。
さいわい、当時はまだインターネット通販にて、その書籍の概略やレビューの一部だけはわかるようになっていましたので、その部分を読むと、たしかに、心のきれいな方々だったと思われる著述がいくつもありました。
現在でも、その創始者のひとりであった、瀬木衣子さんが西暦2001年に、風雲舎から出版された書籍『喜び - 「新しい文明を創ろう」と動き出した私たち』という書籍の情報は、Amazonなど各種通販に残っているようです(新刊は絶版)。
当然、現時点では情報は古くなっていますが、内容を読んだ方によると、そこに現実逃避的な思いはみられず、時代を先取りして、できるだけ自給自足に近く、自然を重んじ、対等なパートナーシップを尊重した社会を、スターシード自覚者たちが勇気を持って率先して創造していく過程と意気込みが描かれていたとのことでした。
宗教と関係なしに、「自分は、宇宙人由来の魂を持つ」と自覚する日本人たちが集まり、北海道の洞爺湖周辺に、自給自足に近い、スピリチュアルなコミュニティを形成する。
テーマとしては画期的で、胸の躍るような気持ちにされられたものでした。
今回ご紹介したケースでは、「西暦2000年前後という、アセンションが浸透する初期にあって、地球生まれの宇宙人を標榜する人々が集落を形成したものの、まもなくして解散に追い込まれる」という、一見すると痛恨の事実は、その反対に、わたしたちに勇気を与えてくれました。
それは、ひとりでも、いけるところまでいけばいい、という点です。
孤独を癒すために、あるいは、いますぐにアセンション自治区を構成するために急いで仲間を探して集落を形成しなければならないとは、限らないのではないか、と。
たがいに準備不足で、幻滅を感じて散り散りになっていくよりは、力を蓄えて、事態の必然がことを生成するに任せて、最終的にいつかは合流するだろうとの見通しを立てた上で、ひとりで、いけるところまで努力や創意工夫をしてみよう、と覚悟が整ったのでした。
そのような先例があってこそ、アセンションをめざす人々は、個としてまずしっかりアセンションを考慮し、実践した末に、より自然な形で、のちほど合流するのが理想だと、わたしは思うようになりました。
しかし、「キリパ村」を立ち上げた彼らの「失敗」は、無に帰することにはならないでしょう。
いや、そもそも、これを「失敗」と呼ぶべきかどうか?
地球のアセンションの方向性を考えるにあたって「成功に到るためのステップ」のヒントを与えてくれた、と前向きな評価を与えることも可能なのではないでしょうか?
わたしには、そんな気がしてなりません。
ともあれ、彼らの結末が、わたしたちをアセンションという、各人にとっては一見して孤独に映る旅のスタート地点に立たせてくれたことだけは、疑いようのない事実ではあります。
キリパ村の創設に携わった方々の勇気に、感謝しましょう。
この先の展望
ですが、それは、必ずしもストイックな孤独を、われわれに強要するものではありません。
つまり、歯を食いしばって、
「何が何でも、孤独を貫く」
必要も無いというわけです。
そうした考え方は、むしろ、年端の行かぬ年代のときにわたしたちが陥りがちな考え方といえるでしょう。
現状の社会では、アセンションの目的で、ひとつの街を形成するのではなく、闇の勢力にかんする情報や、インターネットや書籍で知る情報をほどよく混合しながら、できるだけ自然に囲まれながら観想し、ひとりの人間として完成を目指してからでないと、なかなかうまくはいかないのでしょう。
そうでないと、アセンションに対抗する概念のひとつであるところの「依存」状態に陥ってしまう可能性が出てくるためです。
これについては、必要が生じたとき、自然に、合流する流れを感じるはずです。
社会的な合意
現時点では、表面的に観察した場合、アセンションという概念については、いまだに社会的な合意が阻害されており 、時期尚早の感は否めないといったところもあります。
しかし、彼ら闇の方々が支配しきれない領域である、わたしたちの良心に着目した場合、さいわいにも、アセンションは社会的合意を得る寸前の地点まで来ているようです。
つまり、闇はアセンションの公表を遅らせようといるために、ニュースにはならないが、各個人の心の底では、うすうすと真実に気づき始めているので、何かのきっかけで、一気に表面化する地点まで来ているのではないかと推測できるのです。
このようなわけで、それまでは、スターシード各個人がお互いを避ける必要は全くないとともに、わざわざ大急ぎで会わなくても問題はない、となります。目の前にある課題、いまできることに集中すればよい、とわかります。
わたしたちは、そのあたりは宇宙のサイクルに一任しておき、あとからディスクロージャーやアセンション達成後に、あいさつを交わせばよいだけですから。
(アセンション後の世界のイメージ = 自然とテクノロジーが調和した世界。いつかはこんな高い理想をかなえた場所に移行したいと希望しています。)
次のステップは、公表である
※注1:
もちろん、この先、第3次世界大戦の勃発や、さらなる闇側の民衆に対する暴虐が続けば、ディスクロージャーどころではなくなり、UFOによる救済などが計画変更の代替策として講じられるのでしょう。
しかし、闇の動向も含めて、外宇宙から地球上をモニタリングしている銀河連盟がいるなかで、はたして上記のような不測の事態は起こりうるのでしょうか?
わたしたちが、すべてを宇宙人任せにせず、能動的にアセンションを乗り越えようとする姿勢で生活を続けるかぎり、闇が画策する悲劇的な事件のかずかずは、見果てぬ夢、砂上の楼閣として消えゆく運命にあるのではないでしょうか。
まずは、個人の意識から
千里の道も一歩からとよくいうように、世界を変えるためには、まず、身近なところから変革していかなくてはなりません。
1.個人の意識が変わる
⬇
2.その地域の雰囲気が変わっていく
⬇
3.宇宙人、動植物の神秘、人類の潜在能力についての公表ができる状態になる
そして、キリパ村のような地域に脱出、避難する事態を想定せずに、あなたの住む地域を、そのままアセンションの雰囲気に満ちたものにしてみましょう!
それができたら、たいしたものですね?
このような「村」は、二度と現れないだろう
北海道・洞爺湖畔の『キリパ村』という、アセンション・コミュニティについての話題でした(地図上に、『キリパ村』という表記はありませんし、そのような村も条例で名付けられていたわけではなく、通称のようです)。
ですが、この次には、もう、このような「村」は二度と現れないでしょう。
なぜなら、この次には、「国」か、もしくは「地球」そのものが、宇宙を意識した真の平和を探求する人々のすみかとなっており、暴虐はこの星から消え去っているからです。
キリパ村の理想の原型が、消えたのではなく、さらに高尚で寛容な理念を伴って、惑星全体が平和を望む人たちの住む場所に変わっていくのです。
サイト名 : 一人を生きる -希望の彼方に-