独身者の未来は、孤独死か?超ハイテク社会「スーパーシティ」で管理か?それとも・・・
- 独身者の未来は、孤独死か?超ハイテク社会「スーパーシティ」で管理か?それとも・・・
- われわれ独身者の未来に待っているものは、何だろうか?
- 孤独死
- スーパーシティ法案可決による、超ハイテク管理社会の実現
- 1.「孤独死」
- 2.スーパーシティ法案可決による、超ハイテク管理社会の実現
- 既婚者もいずれは、われわれと同じ運命に行き着く
われわれ独身者の未来に待っているものは、何だろうか?
すぐに連想されるのは、【孤独死】か、【超ハイテク管理社会】か、というキーワードでしょう。
【孤独死】の場合は、この社会がほとんど見た目も中身も変化しないまま時間が経過していった場合に想定されます。
しかし、常識的に考えて、数十年と現在を比較すればわかるように、”当時のまま”の状態でいるものは、人間社会にあっては、ごくまれな存在です。
したがって、現在のイメージで語る【孤独死】が、10年先、20年先に、同じ悲惨さ、もの悲しさで実現化するとは思えません。【孤独死】という概念が、テクノロジーの発達で、死語と化している事態もあり得るのです。
ですが、ここではあえて、現代の【孤独死】の概念をベースに考えてみることにします。
いっぽうの【超ハイテク管理社会】では、想像もつかないほどの最新技術が日常に投入されていき、いつかSF映画のワンシーンで見かけたような機械に囲まれた世界に生きている状況です。
空飛ぶ絨毯のような車とか、空中に浮遊している都市などの場面が、実現した社会です。
それでは、どのような未来が待っているのか・・・
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孤独死
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スーパーシティ法案可決による、超ハイテク管理社会の実現
1つずつ、みていきましょう!
1.「孤独死」
『高齢社会白書2019』によると、2050年には、わが国における高齢者比率(65歳以上の人口)が、37.7%、およそ10人中4人が65歳以上になるとの統計データがあります。
この数字をどう受け止めるかは自由ですが、おそらく、身寄りの無い人が、かなりいらっしゃると思います。
そして、わたしも、もちろんその頃には、統計上の高齢者となっているか、もしくは、ブログを更新できなくなっているどころか、この世界にもう存在していないかもしれません。
この先、孤独死じたいは、行政がなんらかの対策を講じない限り、当然のことながら増加の一途をたどるでしょう。
まずは、ざっと、この国の現状を見ていきます。
年間3万人を超える【孤独死】
ある統計では、わが国の孤独死は年間3万人を超えるという衝撃的な数字が出ています。これは、日本の2019年度の自殺者数が約2万人と発表されていますので、それをゆうに上回る数字です。自殺者よりも、孤独死が多いのが現実です。
男性の割合が多い
孤独死するのは、圧倒的に男性が多いということです。
それは、おそらく、次のような原因があるのではないかと推測されます。
- 根性で生きてきて弱音を吐くのに慣れていない
- 健康管理が女性に比べて緩い
- 仕事以外の人間関係が希薄である
そのため、直前までだれにも気づかれないまま、旅立っていくのでしょう。
孤独死の予備軍=独身者は、アパート入居が難しい???
アパート経営者からすれば、身寄りの無い、独身の人間がアパート賃貸契約を申し出てきたら、どんな気持ちでしょうか?
やはり、最期はどうなるのだろう、と不安になるのが自然でしょう。もし、その人がアパートで孤独死して、発見が相当遅れたら、やはり、そのお部屋は”事故物件”のような烙印を押されてしまうでしょうから。
孤独死した/された、でもめないための保険商品がある
そこで、一部の保険会社から、アパート主が孤独死などが起きたときに、事態を精算するための諸費用が支払われる保険商品が販売されています。
その反対に、アパートの部屋を借りたい人が孤独死した場合に家主に対して支払いがなされる保険もあり、「将来、孤独死する可能性を秘めていて、アパートを借りにくい」という方は、そのような新規の保険加入を検討してみるのもいいでしょう。契約がスムーズにはかどるかもしれませんね。
国は、孤独死を放置しておくのか
このように、孤独死は極めて身近な問題ですが、打つ手なく、放置されているだけしょうか。
わたしが孤独死した場合、発見が遅れ、近隣の方や新聞配達、チラシをポスティングしている方に発見のお手伝いをしていただき、さらには行政の方や警察の方にお世話になるものと心配しておりました。
が、近年では人工知能の発達もあり、この手の社会問題に何らかの改善がなされるに違いありません。
2.スーパーシティ法案可決による、超ハイテク管理社会の実現
2020年5月末に、国会で「スーパーシティ法案」が可決されました。
今後、現実に進展していった場合、われわれの生活は一変します。
国としては、これから10年後の2030年を目標にしているとのことです。
人工知能AIや最新のテクノロジーを駆使して、国民の生活水準を底上げし、個人および居住地による格差が解消された社会を構築するという高い理念が掲げられています。
これによって、一人を生きなければならないわたしに、メリットは生じるでしょうか…?
【具体的なビジョンを自分なりにまとめてみました】
青字部分は、わたしの暮らしがどうなるかの個人的な予想と希望的観測です。
↓
「交通(陸地)」・・・自動車が自動運転に切り替わる。
- 無人の車がこちらの希望で配車される。
- 車1台を保有するのにかかる年間経費が、不要になる。
- 保守管理(洗車、修理等)の手間が省ける。
- 交通事故に巻き込まれる危険が回避される。
「交通(空中)」・・・ドローン輸送を扱う業者が活躍する。
- 日配品や生活必需品は、陸上輸送のほか、ドローンでの輸送が開始する。
- キャッシュレスでの支払システムが成立している前提で、2階の窓でも、旧来どおり玄関先でも受け取ることができる。
- ウイルス蔓延で、対面式の受け取りが困難になる中で、安全かつ迅速な受け渡し方法として定着する。また、非常災害時(洪水、浸水など)の際の支援物資の受け取りには欠かせなくなる。
「環境」・・・環境保全をうたい文句で終わらせないエネルギー循環管理を行う。
- たとえば、従来から構想されてきた、ユビキタス・ネットワークを利用し、室内での熱中症を予防するために、冷暖房と、人物の体温や脱水状況をみて、自動的にスイッチがオン・オフに切り替わる家電などが登場する(独居老人の予備軍であるわたしは、守られる気持ちです)。
「行政」・・・無駄をなくし、効率化を図る。
- コントロールを一元化し、行政の無駄がなくなる。公的機関での申請手続きなどが簡略化、ネット対応が進み、待ち時間が長い、対応が遅いなどの問題が解消される。
- 職員も、コンプライアンス重視の傾向で増加するいっぽうの業務を、人工知能AIに代行してもらえるシステムが完成し、心身の負担軽減となる。
「教育」・・・ITを駆使して、質の高い、平等な教育を行う。
- 災害時や疫病流行時など非常事態になったときに備え、IT端末機器を整備・配付しておき、その後も一括した対応を取れる。
- 精神を患う先生方が後を絶たない教育現場で、先生方の負担も軽減される。
「医療」・・・ハイテク機器の導入、遠隔診療の展開、AIの医療現場での活用
- さまざまな体調不良の原因を、個別の部位・臓器だけによる判断でなく、全身の状況からAIが判定し、適切な治療が行われる。
- 身体は自由ではなくなり、気持ちも不安だらけで、病院に行くのも大変な高齢者や重傷患者向けに、遠隔診療が日常化する。
- AIを活用し、誤診の防止や見落としのない早期発見率が上がる成果が確認できる段階まで行き、健康寿命が延びる。
・・・もちろん、ここで「希望的観測」としてわたしが書いたとおりには行かないかもしれません。しかし、けっして、暗い陰謀論の世界で語られるような『超監視社会』にはならず、たんなる夢物語で終わらず、すべての人のためになるような世界となってほしいと、心から願っています。
既婚者もいずれは、われわれと同じ運命に行き着く
あたりまえのことですが、無理心中や事件・事故に巻き込まれない限り、既婚者もいずれは単身になります(身寄りのあるなしは別として)。
配偶者のどちらかが先に旅立つのが通例ですから、何も結婚適齢期に期間を限定して、「一人」かどうかを論じなくてもいいと思います。
むしろ、一生独身を覚悟されている方は、競争ではありませんが、「早めのスタートが切れた」と、明るく前向きに考えましょう!
【まとめ】
この先、いったいどうなるでしょうか。先が短くなった年齢にさしかかったぶんだけ、先のことが予想しやすくなったことは確かでしょう。
しかも、一人です。これがもし一人でなかったら、ありとあらゆるケースを想定・妄想して日夜パニックに陥る自分がいたのではないでしょうか?
また、テクノロジーが進化しすぎて、【不老不死の薬】や【若返り薬】が完成していれば、孤独死どころではなく、さらに話は変わってくるでしょう。
まあ、この世の中じたいが完璧ではないので、そこで不老不死なんかになったら、かえって永遠の責め苦を受けて辛いという皮肉な結果にならないとも限りませんが・・・
また、別記事でみているような、スピリチュアル世界の予言が的中するならば、もっと大人でもわくわくできるようなタイムラインに変更になります。
つまり、上記の計画というより、地球そのものが変化してしまい、計画の前提をなす地球自体が消えているため、考えるだけ取り越し苦労のようになってしまいます。
いずれにせよ、孤独死とは結果であり、本人は過剰な意識を鎮めて、生きている間、社会がどう変わるかを気にするよりは、「一人をどう生きる」かに焦点を当てて暮らせばよいのであって、よけいな心配は不要なのかもしれません。
そのように、いろいろと考えてみると、強がりでなく、一人でよかったのかな、それもわるくないな、なんとか余生をまっとうできそうかなとも思えてきます。