すてきな恋にご用心!
いまから15年ほど前の話になります(2020年時点)。
新聞(全国紙)にも掲載されていましたので、ご存じの方もいらっしゃるかも知れません。
事件の概略
この海外で実際に起きたひとごとならぬ事件の概略を説明すると、次のようになります。
『アフリカに住む、自称ロシア人大富豪の娘で二十歳のモデルのナターシャさん(仮名、以下同じ)とインターネットを通して知り合った海外の50後半の男性X氏(仮名、以下同じ)が、その後、結婚するためにアフリカに行く冒険譚です。
ナターシャさんと第三国で結婚することを誓ったX氏は、その後、全財産をひっさげて、旅立ちます。
そして、待ち合わせのアフリカの第三国で落ち合うはずの場所に行くと、男性がいたので、”約束の恋人はどこで待っているのか”と聞きます。
すると、”これからナターシャを呼んでくるので、待っていてくれ”と言われたそうです。しばらくの沈黙の後(それは嵐の前の静けさでしたが)、そこに来たのは、なんと、そこにはネットで見た約束の婚約者とは似ても似つかぬ、男性の武装集団の方々でした。
そのとき、X氏は、はじめてワナに気づいたといいます。
正直者は救われる?
祖国にいた両親と連絡を取りますが、どこかよそよそしく、何かおかしいと感じた父親が警察に相談、第三国の警察と合同チームを発足させ、調査を開始します。
調査の結果、アジトを突き止め、映画さながらの強行突破を試みる国境なき警察隊、かっこいいですね。ついに、突破すると、虚を突かれたテロリスト集団は、意外にあっさりと投降したので、けが人もなく、X氏も無事に祖国に帰還を果たすのでした。
すてきな恋にご用心!次は自分かも
全く人騒がせな、と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、このインターネットが完全に世界の隅々まで普及した世界では、次に誰が狙われることになるか、知れたものではありません。次は、自分かも知れないのですから。中高年の独身者にとって、「すてきな恋にご用心」というわけです。
ということで、その冒険の先に、「遅れてきた青春」を満喫しようとした矢先の悲劇に見舞われたX氏も、ネット上で“婚約”していたはずのモデルが実は男性のテロリスト集団だったという事件の主人公になり、世界的な通信社のニュース網に乗って、世界の隅々にまでその名を仮名ながらとどろかせる結果を招きました。
いまから15年ほど前に、わたしたちにとって、転ばぬ先の杖となってくれるヒーローが誕生していたのですね?いやはや、それにしてもたいへんな難事に巻き込まれたものです。
転ばぬ先の杖に
これは、一生独身で終わりそうな人には、他人ごとではないでしょう。現に、このサイトを離脱したあとに向かう先が、X氏と同じ道かも知れないのですから。
当時はまだ、結婚適齢期にあったわたしは、そのとき、不思議な親和力のようなものを感じたので、親近感を持ってその記事に目が行きました。
もし、次にわたしがニュースになって、X氏の後輩になり、実はこのブログ主だとみなさんが知ることになったら、みなさんがわたしの特集記事を組んでくださってもけっこうです。そのときは、わたしを転ばぬ先の杖としてください(笑)。
純粋さによって救われることもある
みなさんも、このような、「突如として舞い込んだ(かのように見えただけですが)幸福」は、交通事故と同じで、明日は我が身、けっして他人ごとではないのです。
わたしは、宇宙がダイナミックに変動していること(地球の次元上昇、アセンションに関連する動き)を確信してからでも、このような三面記事的なニュースにもアンテナを張り巡らしていましたので、現在まで難を逃れてきたといえるでしょう。
くだんのナターシャさんに失恋したX氏も、その後は再起されているようで、無事で何よりです。解放後に記者団の質問に答えた最後に「またいつか、もっとすてきな恋に巡り会えると信じている。」という主旨の発言をされていました。生命の危機に自ら飛び込みながら奇跡の生還を果たした直後のインタビューで、このような純真無垢な回答をできるというのは、彼ならでは美点なのでしょう。
このように、このナターシャ事件の主人公となった男性は、根っから純粋な人物だったようです。そのような純真さをもって生きていれば、最後には救われるという教訓を神がわれわれに教示してくれているのかも知れません。
【まとめ】
ある年齢に達すると、ずっと一人かもしれない、と漠然と考えるときが必ず来るものです。もしかして、その先に、出会いがあるかも知れないし、ないかも知れない。それはわたしたちには及ばない人知を越えた領域の世界の話になってしまいます。
このように「すてきな恋」と思って飛びついても、勘違いである場合が多いのですが、この男性のように心根が純粋なら、運が味方して命拾いするかもしれないので、日頃から澄み切った気持ちで生きることが大切だとわかります。
恋に花が咲けば、それに感謝しましょう。
かりにそれが実らなくても、それ以外の世界美に開眼するチャンスが訪れるかもしれませんから、そこで絶望してはなりません。
そして、真の幸福の源泉を「運命の相手」にばかり求めないこと。
この地上における森羅万象のどこからでも美を感じ取れる清らかな精神を宿すことによって、わたしたちは、自然のうちにリスクを分散しながら、花鳥風月を愛でる日本古来の豊かな精神のうちに、生涯を送る贅沢を味わえるのです。