一人を生きる -希望の彼方に-

スピリチュアルな観点から、一人をどう生きるかを語るブログです。                                               地球の激動期にあたる現代に、3次元と5次元のはざまで孤軍奮闘する方々に、真実探求と役立つ情報を、希望とともにお届けします。                 スターシードの自覚がある方、UFOや超常現象に興味のある方、自然界や芸術に癒されたい方、大歓迎です!

”飛ぶことを忘れた鳥”から、生きることの意味を考える ~ リトル ターン

 

 

”飛ぶことを忘れた鳥”から、生きることの意味を考える ~ リトル ターン

 

 

 

 

 

 

 

 これは、飛べなくなった、というより、

 

 

飛ぶことを忘れた鳥の物語

 

 

です。

 

 

 

 全部で約120ページほどの、文庫サイズの、大人の絵本といった趣です。

 

 

 すべてではありませんが、見開き2ページのうち、1ページは水彩画のような素朴で可愛いイラスト(さしえ)が描かれている場合が多いです。

 

 

 想像力で補完する視覚作用をあえて意図して期待しているところは、やはり、癒やし効果の中に、能動性というか主体性を喚起することでみずから息を吹き返さなくてはならない。それを、企図しているかのようです。

 

 

 

あたりまえのことが、できなくなる恐怖

 

 

 ある日、あたりまえにできていたことが出来なくなる恐怖・・・

 

 

 それは、じつは、人生を重ねていくなかで、だれもが体験しているはずなのです。

 

 

 

 1羽の鳥を主人公として、この物語は、主人公がそれを体験する戸惑いから、開始します。

 

 

 

 日常が崩れ、非日常に入る。

 

 

 しかし、生命の適応能力というものは、なかなか強靱でもあり、非日常でさえ一定期間を経ることにより、日常のものとする能力が具わっています。

 

 

 とはいえ、見かけ上は、ただ1度きりにみえるこの人生を生きるわれわれには、そのような変化は、いまだかつてない一大事、迫り来る重大な課題と受け止められます。

 

 

 人類という種にしてみれば、幾度も繰り返される事態であり珍しくもないと捉えられがちというだけで、わたしたちひとりひとりにとってみれば、相も変わらず、人生の大問題として、「日常が崩れ、非日常に入る。」事態が依然として恐怖を伴って立ちはだかる運命にあります。

 

 

 

 

 ★鳥の主人公が出だしで語る胸中を、つぎに引用してみましょう。

 

 

 

 ある日、ぼくは飛んでいたのに、次の瞬間、不意に飛べなくなったのだ。

 

 

 ぼくがそれまで知っていたことは、もはやそこにはなく、ぼくの前にあるのはまったく未知の世界だった。

 

 

 

(中略)

 

 

 飛ぶための信念や本性が失われたのかも。

 

 

 そして結局、ぼくは、自分の内面が壊れたとの結論に達したのだ。

 

 

 

(『リトル ターン』 ブルック・ニューマン作 五木寛之訳 リサ・ダークス絵  集英社  2006年6月30日 第1刷 P.19-21 より 引用しました)

 

 

 

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(写真 = 考えるアジサシ)   -作品中の写真ではありません-

 

 

 

いままで見えなかったものが見えてくる

 

 

 しかし、安定路線から外れる経験により、いままで見えなかったものが見えてきます。

 

 

 反対に言うと、いままで見てきた(と本人が信じてきた)ものがどこか異様に見えてきたりします。それらは表裏一体をなしているからです。

 

 

 そうして、飛ぶことを忘れた(=飛べなくなったわけでなく、飛ぶことの意味を一時的に見失った)主人公の鳥は、鳥の仲間から自主的に外れ、やがて、異種間コミュニケーションにたどり着くのでした。

 

 

 

 それは、なにも神秘的である必要はありません。

 

 

 以前は、あたりまえに周囲に暮らしていた虫や浜辺の生物たちと、コンタクトできることを発見する、意外性の旅に発展していきます。

 

 

 

 わたしたちも、学校や仕事、つまり生きることに疲れたとき、主人公の彼のように「飛ぶことを忘れる」場合があります。

 

 これまでの生き方が通用しなくなったから、あたらしいよそおいを発見しなくてはならなくなります。そのために、いったん、いままで無意識に、ベルトコンベアーに乗っかっただけのような生き方から、ドロップアウトしなくてはいけません。

 

 そんなときに得られた視座というものは、あとになって、その人の成長の起爆剤になってくれることが、よくあります。

 

 

 挫折を恥とせず、そのまま受け入れることによって、さらなる前進がもたらされるかもしれないのです。

 

 

 

 

★鳥は身近な友人である★

 

 

 

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再生の時

 

 しかし、それも、胸が躍るような子どもの頃の冒険心とは、どこか趣を異にしています。

 

 

 一時は救世主のように思えた種族の異なる生き物も、いつも自分が期待したとおりに現れず、もどかしさと空虚さが再来するものとなるのです。

 

 そんななか、

 

 

逡巡を繰り返すうちに、自己の本質とはいったい何なのかを思うに到る過程というものは、われわれ人間も人生のどこかの地点で、少なからず経験してきたものではなかったでしょうか?

 

 

 

 そのときこそ、再生の時です。

 

 

 ここで、再生とは、たんに以前にあった状態に戻ることではありません。

 

 じっと待機したあかつきに、あらたなよそおいをまとって、生まれ変わるのであり、前にあった状態とは、似て非なる別物と言えるでしょう。

 

 

 

 なにげなく、生まれたままに、人間として、日本人として、生きる・・・

 

 

 しかし、内的な確信がないところに、活動は永続しません。

 

 

 人生行路のどこかで立ち止まり、なぜ、そうあるべきなのか、考えなければならないときが、だれにでも訪れるのです。

 

 

  それはけっして、異常なことではありません。

 

 

 

人間から動物への感情移入は、容易な時代に入った 

 

 

 ダーウィンの進化論を覆す研究結果が発表されているにもかかわらず、それが公式発表とならないのは、いつものことです。

 

 が、事実としては、もうかつての古い論説の多くは、すでに新しい常識の台頭によって否定されている、というのが暗黙の了解となっています。

 

 

 人間も、鳥も、犬も、ネコも、草花も、虫たちも、およそ命ある存在はおしなべて悩みを抱くものです。彼らも、私たち人間と同じように、愛し、悩み、喜びを感じる生命なのです。

 

 そのため、たとえこの本のように、鳥を主役に据えていても、ほかの動植物がみずからにその役を置き換えて感情移入することが可能になるのです。

 

 

 現代とは、人間から動物への感情移入することが、きわめて容易な時代に入ったといえないでしょうか?

 

 

 

★鳥の美しさに魅了された音楽家たち★

 

 

 

その物語に寓意を見出すかは、人それぞれ

 

 

 ある物語に寓意をそこに見出すときは、その人それぞれですので、これこれが寓意であるというような解説は不要かと思いました。

 

 ですから、それについては、読後に、みなさんが感じ取ってください。それが醍醐味ですから。

 

 

 

 物語の概略は、まとめると、次のとおりです。

 

 

 

 主人公のアジサシという種類の海鳥は、飛ぶことの意味を見失い、しばらくは飛ばない状態に落ち着くことによって、その立場でしか認識できない事態が多々あることを発見していきます。

 

 

 彼は、飛ばないことによって、地面からの目線で、これまでに見なかった場面の数々に遭遇することになります。

 

 

 主人公のアジサシは、いままで知っていたつもりだったのに、鳥以外の生き物たちが、実は、鳥である自分という生物を客観的に観察していた事実に気づいて、驚きを隠せませんでした。

 

 

 しゃべれないと勝手に思い込んでいた生き物たちとの不思議な交流を通して、主人公は、ふたたび、鳥として生きる本当の意味を理解するようになります。

 

 

 漠然と、「鳥だから、飛ぶ」として生きてきた彼は、なぜ鳥は、飛ばなければならないのか、答えを探るまでは、飛びたくない、と内心思っていたと、気づく展開になっていきます。

 

 

 

 

 

 

 これ以上の細かい筋書きは省略します。

 

 

 そのかわりに、主人公の鳥が語る、印象深いことばを、引用という形でご紹介しましょう。

 

 

 

 

 

 

 鳥は、その羽や翼がどれほど価値があり素晴らしいかを知らなければ、本当に飛ぶことはできないのだ。

 

 

 高い空を飛ぶために、鳥は翼の下にあるすべての本質を見る必要がある。

 

 

 そうでないと、惑星の上をただ無目的に飛んでいるだけにすぎない。

 

 

 

(『リトル ターン』 ブルック・ニューマン作 五木寛之訳 リサ・ダークス絵  集英社  2006年6月30日 第1刷 P.110 より 引用しました)

 

 

 

 

★人間の中に、スターシードとして生きる★

 

 

 

 

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(写真 = 青空を気持ちよさそうに飛行するアジサシ)   -作品中の写真ではありません-

 

 

 

大人向けの童話である、悩める鳥の物語「リトル ターン」は、癒やしと生きるためのヒントを与えてくれる

 

 

  学校から仕事、家庭生活と、気がつけば、社会が用意したベルトコンベアーの上に乗っていきただけなのに、すぐに自尊心が喜ぶように「自力で生き抜いてきた」と、とかく錯覚しがちなわたしたちですが、実は、ほんとうに人生を生きる目的を、いかほどまでに知っていたのでしょうか?

 

 

 わたしたちは無目的に、だれかに刷り込まれた価値観の保持したままの行動を続け、歳だけ重ねていないでしょうか?

 

 

 あるいは、目的は明瞭だとしながらも、どこかに虚しさを抱えながら、その価値にしがみついてはいなかったでしょうか・・・?

 

 

 

 現代は、アセンション、次元上昇の直前にある特別な時期にあたります。

 

 

 どこかで一度、立ち止まって、人間として生きる目的が何であるのか(それはひとりひとり異なるでしょうが)、考えてみる価値はあると思います。

 

 

 そのさいに、この小さな、大人向けの童話である、悩める鳥の物語「リトル ターン」は、同様に悩める人間であるわたしたちに、癒やしと生きるためのヒントを与えてくれることでしょう。

 

 

 

 悩むことは自然です。

 

 悩んだら、立ち止まるのが普通でしょう。

 

 立ち止まったら、ヒントに気づく時期が訪れます。

 

 

 そこから、再起の時を待ちます。

 

 だれもが経験あるように、再起の時は、必ずやって来ます。

 

 

 ぜひ、飛ぶことを忘れた鳥の物語から、わたしたち人間が生きることの意味を考える機会としたいものですね?

 

 

 

 

 この『リトル ターン』という作品は、ほんとうに、ソフトなさし絵が多く、眺めているだけで、心が温められます。

 

 絵本のようであり、それでいて、大人にならなければ真の意味あいを理解できない言葉もところどころに散りばめられている、不思議な魅力に包まれる、やさしい小品に仕上がっており、読後感も、さわやかです。

 

 人生に疲れたとき、ふと思い出したように、また手に取りたくなるような一冊です。

 

 

 

スターシード・インディゴ・クリスタル・レインボーチルドレン向けコラム☆彡
 

 わたしは、この「飛ぶことを忘れた鳥」というテーマを見たとき、おのずと、これは「真に飛ぶことを思い出させるためだ」と感じました。

 

 

 逆の言い方をすると、

 

 

「真に飛ぶためには、いったん、飛ぶことを忘れなくてはならない。」

 

 

とも言えるでしょう。

 

 

 そしてもちろん、ここでは主人公は鳥になっているゆえ「飛ぶ」と表現されますけれども、人間から見て自然には「生きる」と読みかえて一向に差し支えはないと思います。

 

 

 すると、どうなるでしょう。

 

 

「真に生きるためには、いったん、生きることを忘れなくてはならない。」

 

 

 ここで、生きることを忘れる、という意味は、これまでの生き方に疑問を持ち、いったん立ち止まって模索する、という意味です。

 

 

 

 このように捉えた場合、この物語の主題は、とりもなおさず人間社会に馴染めない、スターシードやインディゴチルドレンに共通の悩みに対する回答のようにも聞こえてきます。

 

 

 彼らが地球に馴染めないのは、けっして能力が不足しているからではありません。

 

 

 地球上を支配している社会システムの波動が粗く、冷酷で思いやりに欠けた、過剰な競争を煽る風潮が、純粋な心の持ち主である彼らを辟易させているだけです。

 

 

 しかし、見ていてください。

 

 

 スターシードたちは、その置かれた逆境にもめげずに、愛と調和の波動を、必ずや現在の地球上に定着させてくれるはずです!

 

 

 といって、気負わず、潜在能力はすでに内在するものだから、あらたに獲得しようとむきにならず、そっと、「自身の波動」に包まれる暮らし方を発見しましょう。

 

 

 

 

 

羽のある天界のメッセンジャー

 

 

 この先、誰しも、人生の過程を歩む中で、何度か、「飛ぶことを忘れる」機会が訪れるでしょう。

 

 

 そのつど、素直に「飛ぶことを忘れる」とよいでしょう。

 

 

 ずっと飛び続けるのは疲れるし、いつかは、立ち止まる必要だってあるのですから。

 

 

 ここで鳥の主人公が体験したのは、われわれ人間にもあてはまり、おおいに参考になります。

 

 希望なく飛び続けるより、いったん活動を休止すると、それまで見えてこなかったものが見えてきます。それは、あなたが変容するべきとの暗黙の要請があったからなのです。

 

 

 

 

西暦2022年2月に始まったロシア発の戦乱も、すぐには第3次世界大戦には至らない様相です。

 

 これについては西暦2022年5月上旬ごろには、いったん区切りがつくのでは、という情報も流れています。

 

 

 コロナ問題もあわせて、われわれ目覚めた者が社会に増加してきた事実によって、闇の当初の思惑(おもわく)も、変更を余儀なくされるのだという実例を、昨今の事象のうちに、まざまざと見いだすことができます。

 

 

 

 混迷する国際情勢の表面だけを取り上げたニュースからは、波動を上げるヒントというものは、なかなか得られませんが、自然界を見渡して、アセンションに対する在り方を直観的に感得することは可能です。

 

 

 自然界の生き物は地球と直結しており、地球がアセンションしようとしているのを知っているから、彼らに敬意を払って観察していると、手がかりがつかめます。

 

 特に、羽のある鳥や虫たちは、天界のメッセンジャーという役割を与えられている場合が多く、そのような視点で世界を見つめ直すと、あなたの眼前に、新しい地平線が登場してくるにちがいありません。

 

 

 彼らを人生の旅の友として、心の中に受け入れると、彼らはそれを波動で感じ取る能力があるので、あなたの旅はゆたかになっていくでしょう。こんなメルヘンチックな話が現実であるかどうかは、あなた自身が、お確かめください。

 

 

 もうそれがわかるステージに来ていれば、未来が確約されたも同然です。

 

 

 

 

 

 

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