一人を生きる -希望の彼方に-

スピリチュアルな観点から、一人をどう生きるかを語るブログです。                                               地球の激動期にあたる現代に、3次元と5次元のはざまで孤軍奮闘する方々に、真実探求と役立つ情報を、希望とともにお届けします。                 スターシードの自覚がある方、UFOや超常現象に興味のある方、自然界や芸術に癒されたい方、大歓迎です!

【スピリチュアル】「最近、面白くない」は、新生脱皮のチャンス到来!! 闇から光の時代へ・・・

 

 

 

【スピリチュアル】「最近、面白くない」は、新生脱皮のチャンス到来!! 闇から光の時代へ・・・

 

 

 

 

 

 最近、なんだか、面白くない。

 

 そう感じる方が、いらっしゃるでしょうか?

 

 

 しかし、「最近、面白くない」という感覚というのは、よくないことなのでしょうか?

 

 

 結論から言って、よい傾向ではないでしょうか・・・

 

 

 なぜなら、それは、古い自分が、内部で静かに音を立てずに崩れ落ちて行く過程で、「最近、なんだか、面白くない」という感情がふつふつと湧いてくるのですから、それは、新生して人生をリフレッシュするチャンスととらえ、喜びをもって受け入れるべきはないでしょうか。

 

 

 アセンションに気づくと、どうしても、これまで愉しめたものが、すなおに愉しめなくなるという展開もおおいにあり得ます。既にそんな体験をお持ちの方もいらっしゃるはずです。

 

 

 しかし、それは、新しい自分を発見する約束にもなるのです。

 

 

 

 

 

◎具体的なものを挙げていきましょう。

 

 

 

・スポーツ観戦

 

「ひいきのチームだけをひたすら応援して、何か自分が得をするだろうか?」

 

 

「自分の年収の数百倍である、年収〇〇億円の選手を必死に応援するより、ほかに、自分をゆたかにするために有益な事柄はないのか?」

 

 

「もっとゆったり、自律神経を整える時間に回せないのか?」

 

 

「ひいきを応援するあまり、自身の言葉が、けがれてきてはいないか?」

 

 

 そんな疑問が湧いてきたら、あなたの新しい人生への活動は、自覚するしないにかかわらず、うまくいっていると確信してよいでしょう。

 

 

「それよりかは、自分で体を動かして、何かをした方が健康的。」

 

「自分の力ではどうにもならない。知らない人を応援して、知らない人の敗戦を願う。そして、波動を下げる。だれかの商売、興行に乗せられているだけではないか。」

 

など、次々と疑問が湧いてくるかもしれません。

 

 

 気分転換に応援するとか、知り合いだから時々観ているというのなら、かえって心の健康にも役立つでしょう。しかし、昭和的な熱狂からは少し距離を置いて、これまで好きだったスポーツ観戦との向き合い方を見つめ直す時期が、いまなのではないかと思われます。

 

 

・金融

 

 国際金融資本の実態を知れば、マネーゲームで踊らされるのは、危険な気がしてきます。

 

 自分だけは負けない、と思っても、胴元が存在する場合、負けを覚悟で彼らから勝負を挑むはずもなく、確率的な錯覚を引き起こさせる上手い宣伝文句を信用させる手法に長けています。そのへんについての理解が進むほど、「マネーゲームで、自分だけ一人が勝ち逃げできる」妄想からようやく手を引く方もいるようです。

 

 株や、くじなども、適度な気晴らしで購入するならよいですが、アセンションまたは闇の世界支配のいずれかが近い現状では、かりにそこで一儲けできたとしても、それだけで幸福な人生を送る条件を満たせるとは思えません。地球が5次元にアセンションすれば札束はただの紙切れに過ぎませんし、闇が世界征服するとなれば私有財産の没収は必定事項なので所有金額の多寡は問題外で、特権階級を除いては全員奴隷階級です。

 

 2008年のリーマン・ショックも、闇による人為的行為であり、1929年の世界大恐慌も、いまとなっては、闇の陰謀だったと知る人も増えました。

 

 闇の生み出した、特権階級だけが勝ち、庶民はいつも貧乏くじを引かされた上に、さらに重税を課せられ、しかも、その真相に気づかずにせっせと労働は美徳だと本気で思い込んできたわれわれも、ついにことの真相が見えてくる地点に到達しました。

 

 

 

 このような金融・経済にまつわる黒いうわさが拡散され、そして定着となってきてからは、以前からよく言われてきた「経済は生き物だ」という言い回しの真意とは、「経済システムの根底は、闇が生み出した、庶民の幸福を喰らう化け物だ」と理解される風潮が、徐々に醸し出されてきていることだけは、唯一の救いです。

 

 

 生活に困らない程度のお金を得て、あとは、精神的な愉しみを軸に、食事などで彩りを添え、3次元から5次元に乗り換えましょう。

 

 

 

 

・他者との競争

 

 「となりの●●さんは・・・」と、昔は、手当たり次第、そのへんの人たちと何かと比較されたものでした。たしかにそれは、近視眼的な昭和の風情でしたが、現在では、「それが、どうかしましたか」といった感じになっていればしめたものです。

 

 比較された先のその人が転勤したら、あるいは自分が引っ越したら、それで終わりの話。だから何なの、という感覚は実は重要で、3次元の卒業証書代わりになります。

 

 この背景には、当然、インターネットの普及により、「身近にいながら、心理的に遠い人」よりも、「どこのだれかはわからなくても、心理的に共感できる人(文章)」に親近感をいだく文化に、わたしたちの世界が進化を遂げた件が要因として挙げられるでしょう。

 

 

 5次元以上の世界では、競争はありません。する必要が無いからです。

 

 

 このような、3次元での、「他者を、いかに出し抜くか」というゲームに興味を失った人ほど、アセンションの下準備が整ってきていると確言できます。

 

 もし、あなたがそうした状態にあるならば、自信を持って、その姿勢を貫きましょう。

 

 

 

 

・家族

 

 家族だからといって、全員の意見が合うのは、まれです。

 逆に、合わなくて当然。いまだに昭和の面影を残す家庭は、合わせるのが大変だと思われます。

 

 そんなときには、むりして互いの意見をすり合わせようとせず、合わなそうな時は、さっと別室に行くなり、話題を変えるなり、適正な距離を置きましょう。

 

 

 もともと、現在の家族や親族は、過去世のカルマの解消で、高次の霊的存在の指導によって、われわれの誕生前に、細やかに設定されているのです。

 

 カルマの解消が終われば、別れる仕組みになっています。

 

 また、それゆえ、ある人が表面的には「悲劇的」に映る末路をたどったとしても、それは過去世のカルマの解消のために「起こるべくして起こった」出来事と解釈するべきなのです。

 

 

 当たり障り無く、3次元は3次元と割り切って、5次元の豊かな世界をイメージしながら、さりげなく乗り切るのが一番いいでしょう。

 

 

 

 

・職場の宴会

 職場の宴会を、いかに乗り切るかについて、そのテクニックの話は、以前に記事で書きました。

 

 興味のある方は、下記の記事をごらんください。

 

 

★スターシードが、苦手な職場の宴会を乗り切る方法★

 

 

 宴会対策をかいつまんで箇条書きで説明すると、だいたい、次のようになります。

 

・合わない上司に囲まれないような、カドの席を取る。

 

・少しでも早く仕事を終えて宴会の会場に行き、偉い人たちの上座から離れた座席を取る。

 

・あなたは「いつも宴会中に頃合いを見はからって途中退席する人だ」として、周囲に認識してもらう。

 

など、少なからず戦略がありますので、独自に練り上げましょう。

 

 なお、頃合いを見はからって途中退席する人、として認識してもらう場合、あなたが宴会の幹事を任されているときには不可能ですので、幹事に当たらない、くじ運の強さを磨くことです(どのように磨くのかは、わかりませんが)。

 

 

「いや、そんなことはないよ。昔の宴会風景に戻って、ぜひ、宴会の席上でパワハラとやらを受けてみたいものだ。カモン、昭和の宴会!!」

 

などと変わった考えを持つ人がいらっしゃればまた話は別ですが、滅多にいないと思います。なので、古い宴会のスタイルに違和感を持つのは、どこかに新時代への予感を抱いているからこそであり、よい傾向だと思われます。

 

 

 

 

昭和の評論家は、語る

 

 少し古い話で恐縮ですが、昭和の評論家の小林秀雄氏が、『考えるヒント』という著作で、同様のことを言っています。

 

 

 氏の先輩だった方が、

 

「最近、つまらない。」

 

と、連発するのだそうです。

 

 評論家の小林秀雄氏によると、それは、無気力ではなく、むしろ、あくなき探究心の発現と解釈すべきである、といいます。

 

「もっと人生を愉しく過ごせるような、新しい物の見方ができるようになりたい。」

 

「知的好奇心を満たしてくれるものが、まだこの世界に残っていないものかどうか、さらに調べていきたい。」

 

という本音の裏返しが「最近、面白くない」という気持ちの根底に流れていると指摘し、究極には楽観に端を発していると分析しています。

 

 

 人間は、黙っていると、不幸に傾きます。発想がどうしても後ろ向きになりがちです。

 

 しかし、心や身体が活発に動いているときは、ちがいます。

 

 このようなケースにおいて「面白くない」と言った場合は、古い自分から脱皮・成長する兆しと受け止めてよいでしょう。

 

 

 ですが、そこでは、いきなり動き出さずに、しばらく「待つ」姿勢が重要です。

 

 「面白くない」と思ったからといって、やけっぱちになって、何かの遊びに没頭する前に、少しだけ待ってみましょう。

 

 

 そのとき、あなたのやりたいこと、真の希望が、芽を出すかもしれないのですから。

 

 

ちなみに、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、昭和の評論家、小林秀雄氏は、戦後の日本にモーツァルトをひろく紹介した人物としても知られています。

 

 氏は、第二次世界大戦後まもなく雑誌に評論『モオツアルト』を寄稿し、その後、単行本にもなり、音楽の専門家か一般愛好家かの区別なく、モーツァルトの音楽の理解に貢献する文献となってきました。

 

 ただ、その評論文の中で、暗く悲しみに満ちた短調の曲を偏重するあまり、モーツァルトの音楽の本質である陽気さ、さわやかさを軽く(価値が低いとして)見なす風潮も、同時に生み出す結果となってしまいました。

 

 特に『交響曲 第40番 ト短調 K.550』や、『弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516』など、短調で書かれた楽曲について文中で取り上げ賞賛しており、そのような気もしてくる、ほの暗い時代背景があったのでしょう。インターネットが存在しなかった戦後まもない時代には、当然、活字やラジオの影響力が絶大でしたし、氏の文章による社会文化的な影響も、一方通行的に読者の考え方を染め上げていくような、そうした時代ゆえの産物だったといえるのではないでしょうか。

 

 しかし、いまや、モーツァルトはスターシードという説も定着してきて、昭和を代表する評論家の小林秀雄氏が偏愛した、短調で書かれた激情的で暗い楽想ばかりが強調されることもなくなり、真のモーツァルト像 -喜びあり、悲しみもあるが、しかし希望を失わない- が、定着してきているところです。

 

 その意味では、われわれは、すばらしい時期に地球に来ているといえるでしょう。

 

 

 

スターシード・インディゴ・クリスタル・レインボーチルドレン向けコラム☆彡
 

 

 3次元の世界の限界を感じて、アセンションの下準備をスタートさせる直前に、「最近、面白くない」と思ったのであれば、その先に、多くの発展成長の可能性が秘められています。

 

 これまでの人生において、「スターシード」などという言葉と無縁だった人が、いきなり、宇宙人の実在に気づいて覚醒する場面が、現実社会で今後、多く見られてくるでしょう。

 

 現に、ここに来られる方々も、数年前までは、日々の暮らしについて「なんとなく、最近、面白くない」と感じていたのではないでしょうか?

 

 それで、古い殻を自力で脱して、スターシードを自覚する者となられたのではないでしょうか?

 

 

 そうなると、以後は、まったく異なる人生を歩むことになります。

 

 地球のアセンションに寄与するという明確な目標ができ、世界や他の生命を見る、自身の眼が変わってきたら、断然、世の中が無味乾燥に思えていたかつての感触が不思議に思えるぐらい、世界が一変して映るはずです。

 

 いったん、アセンションに気づいて以降は、深刻なうつ気分に陥ることは、まず、なくなるでしょう。

 

 それは、以下の理由からです。

 

1.自分の中での古い常識が崩れてきて、かわりに新しい常識が芽生えるので、日々、新鮮味が感じられるため。

 

 

2.闇の勢力がいるとわかると、防衛本能から、生きる気力が湧いてくるため。

 

 

3.この先、素晴らしい世界が待っていると思うと、希望の灯が心の底に点ぜられ、絶望して停滞することがなくなるため。

 

 

 

 いったんアセンションにめざめた方が、さらに次のステップをめざす前には、再び同様のプロセスをくり返すでしょう。

 

 最初の覚醒時と同様な足跡をたどって「最近、面白くない・・・」という気分が来ても、そのときは、同じく、「自身の(新しいと感じていた)常識が崩壊して、かわりに、さらに新鮮な、もう一段高い見識が獲得できる前兆である」と解釈し、立ち止まらずに、どんどん、先に進んでください。

 

 新生脱皮するチャンスは、いつ、なんどき訪れるかわかりません。

 

 そのチャンスを捉えましょう!

 

 

 3次元の世界で心理的な成長を重ねるほど、あなたが次に進むステージは、より豪華絢爛で夢のような世界になるからです。

 

 

 

 

 

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